小泉純一郎首相の“電撃訪朝”からこの9月で20年。訪朝翌月の2002年10月には5人の拉致被害者が北朝鮮から帰国を果たした。しかし、まだ帰国していない被害者がいるにもかかわらず、この20年間、北朝鮮との交渉はまったく進展していない。
その状況に抗すべく『北朝鮮 拉致問題 極秘文書から見える真実』(集英社新書)を6月に上梓したジャーナリストの有田芳生氏が、ドキュメンタリー映画『沖縄スパイ戦史』の監督で、『証言 沖縄スパイ戦史』(集英社新書)で城山三郎賞など4賞を受賞した三上智恵氏と対談。
現在、自衛隊基地が次々に増設され「ここが再び戦場になるのでは」とおびえる沖縄の人々の気持ちや、拉致問題の解決には何が必要かを語り合った。
*本対談は2022年6月18日にジュンク堂書店那覇店で開催されたトークイベントをもとに構成したものです。
構成=稲垣收 写真=有田芳生事務所
三上 この本の話に入る前に……有田さんは今年(2022年)5月30日の国会で沖縄のことを1時間ぐらいガッツリ質問してくれましたね。
有田 沖縄の南西諸島の自衛隊の強化の問題と、陸上自衛隊と米海兵隊の共同訓練などについて、私は党内の会議で「沖縄の人たちには今、本土で感じているより、はるかに大きな心配がある。沖縄問題を政策にちゃんと入れてほしい」という発言を3回したんです。それを聞いていた参議院の幹事長が「予算委員会で沖縄問題をやってくれ。今年は沖縄復帰50年だし」と言ってきたので、急遽準備して、1時間少々、岸田首相、林外務大臣、岸防衛大臣に質問しました。
そこで三上さんたちの運動「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会」を紹介しました。今年3月の発足集会に私も行きましたが、文子おばあという沖縄戦を経験した方たちもいらっしゃいました。でもそういう沖縄の人たちの戦争を恐れる感覚が、本土にはないと感じていたので「なぜ沖縄では今、『ノーモア沖縄戦』ということが広がりつつあるのか?」と岸田首相に聞いたんです。
すると岸田さんは「沖縄戦で県民の4人に1人が亡くなった歴史があるから、ノーモア沖縄戦ということなんでしょう」と言うので、「いや、違うんですよ」と説明しました。
三上 今さら、戦死者を偲ぶような会を私たちが立ち上げると思うのか? あの首相答弁のとぼけ方には、私も怒りを感じましたね。
「台湾有事」を想定した日米共同軍事作戦計画を、本土のメディアは完全に黙殺した
三上 去年(2021年)12月24日の琉球新報と沖縄タイムスでは、台湾有事を想定した日米共同軍事作戦の計画案があることが報道されました。この案は、1月7日の日米安全保障協議委員会で承認されてしまったので、「また沖縄が戦場になるんじゃないか」と恐ろしくなった沖縄県民がたくさんいると思います。
アメリカの対中国戦略の中で、また沖縄が戦場になることが想定されているということを、私は2015年からずっと映画や講演で伝えてきたわけですが、なかなか世の中に浸透しなかったんです。でも今回は共同通信が内部情報を得てスクープした。それで沖縄県民もようやく本当にそうなのか! と震え上がったんです。でも同じ配信記事を全国の新聞やテレビ局の人たちも同時に見ているはずなのに、大手メディアはこの時ほとんど取り上げませんでした。だから本土の一般の人たちには今なお全然伝わっていません。それで私たちは「戦争するのが米軍だろうと自衛隊だろうと、この島を戦場にしていいはずないでしょう?」ということで、「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会」を作ったんです。今メンバーは2100人を超えたぐらいです。
この危機感に対して岸田首相は「沖縄戦の犠牲者を慰霊するための、今まであったような組織でしょう」と気づかぬふりをした。沖縄県民の恐怖と怒りをまた黙殺するのかと本当に怒りを感じました。今、日本はウクライナのように、西側諸国の最前線として戦場にされるかも、という局面を迎えているんです。そうなれば、沖縄だけでなく日本全体が戦場になります。「何かあっても沖縄だけがやられるんだろう」と思っている本土の人たちの目を覚まさないと。
有田 そうですね。
参議院予算委員会の質問の際には、三上さんの『証言 沖縄スパイ戦史』の名前も出して、「この本を読むと、軍隊というのは住民を守らない、ということがよく分かります」と、護郷隊(*1)のことも少し話させていただきました。
三上 たぶん、国会で護郷隊の話が出たのは初めてだと思います。ちょっと感動しました。
*1 沖縄戦で日本軍の正規部隊が米軍に撃破されて敗走した後、山中にこもってゲリラ戦を展開した少年兵部隊。陸軍中野学校出身の青年将校が彼らに秘密戦の技術を教え、指導した。『証言 沖縄スパイ戦史』には、護郷隊の生き残りの方の証言も多数収められている。
「有事」にさせない外交こそ必要
有田 ロシアによるウクライナ侵略戦争をきっかけにして、安倍元首相らが核シェアリングとか、防衛費を2倍にするとか平然と言い出していて、野党も引きずられている。今朝も、ある有名な国会議員がツイッターに「前提として防衛費増額は当然だ」ということを書いていました。
三上 これまで平和主義者だった人までが、けっこう今、そういう発言をしていますよね。
有田 そう。とんでもない話です。私は予算委員会でも言いました。「台湾有事と言いますが、まず、中国と台湾がそういう状況にならないような外交をやらなきゃいけないし、台湾有事イコール日本有事ではありません」と。台湾に中国が侵攻しないような仕組み、環境を作るのが政治です。
辻元清美さんが最近よく言っていますが、「ロシアには強い野党がないから、ああいう侵略戦争が起きたんだ。それと同じで、日本にも強い野党がないから、どんどん変なほうに行ってしまう」と。まさしくそうです。その辺の歯止めが一気に崩れ始めている。
沖縄がもしミサイル攻撃されるなら、本土の横田基地(東京都多摩地区)や厚木基地(神奈川県)にも攻撃が来るわけで、「そういう深刻な事態に今私たちは生きている」ということを強調しなければいけないのに、本土ではメディアを含めて、全く鈍感ですね。
三上 本当に今が、日本が戦争に向かう流れを止める最大最後のチャンスなのに……。
「拉致問題をちゃんとやってます」という政府の発言は全くウソ
三上 今、おっしゃったように、外交がダメなんですよね。近隣諸国と衝突しない、共に手を結んで歩むための外交が全く見えない。そのことが、今回のこの著書の中でも浮き彫りになっています。拉致問題も、最初は外務省マターであったけれども、それが官邸マターになっていく、そういうことを、私は全然知りませんでした。この本を読んで「こうだったのか」と初めて分かったことがたくさんあり、本当に勉強になりました。有田さんは、今どうして極秘文書を公にする決意をされたんでしょう?
有田 小泉首相が北朝鮮を訪問して、北朝鮮側が「5人生存、8人死亡」と発表をし、5人の拉致被害者の方が日本に戻ってきて、今年の9月でちょうど20年です。でもこの20年、何も進展がないんです。とんでもない話です。だから極秘文書も明らかにして、前に進むしかないと思ったのです。
未帰国の拉致被害者の御両親で生存されている方は横田めぐみさんのお母さんの早紀江さん86歳と、有本恵子さんのお父さんの明弘さん94歳。2年前に横田滋さんが87歳で亡くなって、本当に拉致被害者家族の方にも時間がない。拉致された方たちが北朝鮮で今どうなっているかは分からないですが、やはりお年を召されていくわけで、時間がない。
先日、官房長官が「我々はちゃんと北朝鮮と(交渉を)やっています」という発言をしたのがニュースで流れていましたが、これは全くのウソで、何もやってないんですよ。
三上 「やってる感」はずっと出してますね。
有田 最近は「やってる感」さえなくて、言葉だけです。そういうことがまかり通っている。
政府の極秘文書というのは、北朝鮮から戻ってきた蓮池薫夫妻、地村保志夫妻、それから、曽我ひとみさんの5人に、政府が聞き取り調査をして、2004年にまとめたものです。しかし今まで一切表に出ていませんでした。せっかく重要情報が書かれている資料があり、北朝鮮との交渉に使うべきなのに使われていない。だから私は新聞社と通信社の記者に渡したんですが、書いてくれない。後で分かったんですが、別の新聞社も2014年段階で入手しているのに書いてないんです。
三上 極秘文書を手にしても、どの新聞も記事にしなかったんですか?
有田 批判が怖いんでしょう。
三上 もともとこの文書を「極秘」にしたのは、当時、お子さんを北朝鮮に残して帰国してきた御両親が、自分が話したことによって、子供を取り返すことに障害が起きるじゃないか、という心配があったから「子供たちが帰ってくるまでは明らかにしないでくれ」ということだったんですよね。でも、お子さんたちももう帰ってきているわけで……。
それと、もう1つ。めぐみさんについて、御両親にはとても言えないような、厳しいことが書かれているということ。……でも、もう、伝わったはずですよね。だから、何年かたってからは、直接の御家族たちへの心配、という意味では、極秘にする必要はなくなったということでよろしいですか?
有田 そのとおりです。この極秘文書の中には拉致被害者が全部で何人いるのか、というヒントもあります。それから、横田めぐみさんや有本恵子さん、田口八重子さんたち拉致被害者の皆さんが北朝鮮でどのような暮らしをしていたかということに関しては、北朝鮮当局担当者が年に1、2回、資料を残しているんです。だから「ちゃんと、その文書を出せ」という交渉を北朝鮮とやれば、その後の横田めぐみさんがどうなっているのかとか、いろんなことが分かってくるはずなんです。
三上 外交交渉で使える情報がいっぱい入っているんですね。
有田 そうです。それなのに、この20年間、日本政府は何もやっていない。だから「この文書はもう明らかにして日朝交渉に使わなきゃいけない」と問題提起することが、この本を出した大きな目的の1つなんです。
北朝鮮にも「日本と朝鮮の関係をよくしよう」と命がけでやっている人たちがいる
三上 北朝鮮との交渉が20年間進まなかったのには、政府が何もしなかったということ以外に、支援する側の人たちがちょっと異質なものになってしまった面もありそうですね。今はどちらかというと日本会議(*2)などにシンパシーのあるネトウヨ系の人たちが中心になっているようで……。
*2 1997年に設立された保守系団体で「美しい日本の再建と誇りある国づくりを目指す」として憲法改正などを訴えているが、同会議幹部が「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」などは必要がない、と発言するなど、「戦前回帰を目指している」と批判されている。詳しくは『日本会議 戦前回帰への情念』(山崎雅弘著、集英社新書)などを参照。
有田 そうなんです。そういう人たちの運動になってしまって、それに影響された家族会も非常に政治的な発言をするようになってしまった。たとえば公式の場で拉致問題のスピーチをするときに、「北朝鮮も南朝鮮も息を吐くように平気でウソをつく国だ」みたいなことを言う。でもそれは、絶対言ってはいけないことです。北朝鮮側は全部見ていますから。
救う会ができた当時、蓮池・地村両夫妻は北朝鮮で招待所というところに隔離されて暮らしていたんですが、そこの塀が高くなりました。それは「救う会ができたからだ」と、極秘文書に書いてあります。その後両夫妻とも別の場所に移動させられました。北朝鮮は日本の動きを全部見ているんです。
三上 日本の北朝鮮に対する動きは、筒抜けなんですね?
有田 そう。私は2011年と15年に北朝鮮に行っていろんなことを調べましたが、要するに北朝鮮も日本と同じく人間社会なんですよ。工作員だとか、とんでもない人たちもいますが、「日本と朝鮮の関係をよくしよう」と命がけでやっている人たちもいるんです。
その人たちは言ってました。「有田さん、日本の外務省の人たちも政治家も、失敗しても命を奪われることはないでしょう? 外務省で失敗しても、異動させられるだけですよね? だけど、私たちは自分だけじゃなくて家族の命もかかっているんです」と。そういうことも考えて、日本側も言動には慎重にならないと。
拉致被害者の御家族も、それに協力している救う会の皆さんも、北朝鮮に正当な批判をするのは当然ですが、結局、拉致問題を利用して北朝鮮を崩壊させたい、ということになってしまっている。だから厳しいことばかり言うんです。しかしそれでは、交渉の進展は難しいでしょう。
三上 相手の国を非難するだけの人たちが一定数以上いると、この問題を解決したいと思う普通の人たちは、どんどん引いてしまいますね。その結果、今、集会にも800人くらいしか集まらない?
有田 800人もいないですね。500人いるかどうか。
この本にも書きましたが、安倍政権がやってきた拉致問題の方針は、私は間違っていると思います。だから拉致問題は解決しないんです。2012年12月に民主党政権が崩壊して安倍第二次政権が始まって、その直後に家族会や救う会の人たちを集めて、安倍さんが演説しました。そこで「私が政権にいる間に拉致問題を完全に解決する」と言った。でも何もできずに退陣し、その後の菅さんも岸田さんも、何も動いていないのが現状です。
ただ、自民党政権だけじゃなくて民主党政権のときもいろんなことやっていて、どう失敗したかというのも、この本の初めに書いています。9月、小泉訪朝から20周年を迎える前に、この問題の現在地をぜひ知っていただきたいと思っています。(了)
ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会ウェブサイト
http://nomore-okinawasen.org/
プロフィール
(ありた よしふ)
1952年、京都府生まれ。ジャーナリスト、前参議院議員。出版社を経てフリージャーナリストとなり、主に週刊誌を舞台に統一教会、オウム真理教事件等の報道にたずさわる。日本テレビ系「ザ・ワイド」等にもコメンテーターとして出演。政治家となってからは拉致問題、差別、ヘイトスピーチ問題等に尽力。著書に『北朝鮮 拉致問題 極秘文書から見える真実』(集英社新書)、『ヘイトスピーチとたたかう! 日本版排外主義批判』(岩波書店)、『テレサ・テン十年目の真実 私の家は山の向こう』(文春文庫)他多数。
(みかみ ちえ)
ジャーナリスト、映画監督。毎日放送、琉球朝日放送でキャスターを務める傍らドキュメンタリーを制作。初監督映画「標的の村」(2013)でキネマ旬報文化映画部門1位他19の賞を受賞。フリー転身後、映画「戦場ぬ止み」(2015)、「標的の島 風かたか」(2017)を発表。続く映画「沖縄スパイ戦史」(大矢英代との共同監督作品、2018)は、文化庁映画賞他8つの賞を受賞。著書に『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』(大月書店)等。『証言 沖縄スパイ戦史』(集英社新書)は、第20回石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞 草の根民主主義部門 大賞、第7回城山三郎賞受賞、第63回JCJ賞受賞、またこの著述を含めた活動で、第10回日隅一雄・情報流通促進賞奨励賞受賞。