著者インタビュー

チェーン、ご当地感、エモさ……「同じだけど違う」ものを見つめて

『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』刊行記念対談
谷頭和希×カツセマサヒコ

2004年に刊行された三浦展氏の著書『ファスト風土化する日本』では、「ファスト風土」という言葉とともに「チェーンストアは都市を均質にする」と語られた。

それから18年が経った現在、街中にはコンビニやディスカウントストアが多く立ち並び、今や私たちの生活に欠かせないものになっている。そのような時代においても、チェーン店は都市を均質にしているのだろうか?

そんな疑問に駆り立てられた24歳のライター谷頭和希が、全国にある大手ディスカウントストア、ドン・キホーテを巡りながら、現代日本の都市の姿を論じたのが『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社新書)である。

本記事では全2回にわたって、小説家・ライターとして、若者たちの日常を緻密に描写し続けているカツセマサヒコ氏と谷頭氏が対談。商店街にチェーンストアが増えていく過程を見て育った1986年生まれのカツセ氏と、チェーンストアが街にあることが当たり前の生活を過ごしてきた1997年生まれの谷頭氏。それぞれ、世代が異なる二人は、チェーンストアや街をどう捉えているのだろうか。

 

谷頭和希氏(左)とカツセマサヒコ氏

 

◆きっかけは、“フライング”ツイートへの「いいね」だった

 

カツセ この対談、僕でよかったんでしょうか……

 

谷頭 もう、お聞きしたいことがたくさんあります。そもそもカツセさんに対談をお願いしたきっかけは、『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』に推薦文を書いてくださった宮沢章夫さんが、情報解禁前のタイミングで「推薦文を書いている」とツイートをされていまして。それにカツセさんが「いいね」しているのを見つけて、対談をお願いしたら受けてくださるんじゃないかと思ったんです。

 

カツセ あのツイート、フライングだったんですね(笑) まず、タイトルがいいなと思ったんです。それしか情報が出ていなかったと思うんですけど、あ、読んでみたいなと。

 

谷頭 ありがとうございます。

 

カツセ 元からドンキが好きだったんですよ。それに、ちょうどドンキのアダルトコーナーから始まる小説を考えていて、ドンキにはストーリーがあるなと思っていたんです。そんなタイミングで目にしたのもあって、新書で、こんな引きの強いタイトルの本が出るんだと。単純に好奇心にかられたんだと思います。

 

谷頭 本当にありがとうございます。カツセさんの小説『明け方の若者たち』にも、サイゼリアとかヴィレッジ・ヴァンガードとか、たくさんチェーンストアが出てきますよね。20代、30代の若者の生活の中で、ある種、かけがえのないものとしてチェーンストアが描かれるところに、勝手に共通点を感じまして……対談を依頼させていただきました。

 

カツセ 僕は普段、新書をほとんど読まないんですけど、すごく面白かったです。公式キャラクターである「ドンペン」についての話を読んでいたはずが、いつの間にか生者と死者と物語になっていて。え、ドンペンってどこまで奥深いん? って、めちゃくちゃ笑いました。大衆的な入り口から、都市論だったり文化人類学だったり、アカデミックな論にまで一気にジャンプしていくのが痛快ですよね。え、そこに跳ぶの? っていう驚きが気持ちよかった。この本は論文であり批評でもあると思うんですが、一つのフィクションを読んでいる感覚にもなりました。ドンキがちょっと好き、くらいの人が読むと、もっと好きになる本だな、と。

 

 

 

◆世間が「ノー」と言ったものに、「イエス」と言う勇気

 

カツセ それから僕が思ったのは、「勇気」についてです。僕ばっかり喋ってますが……

 

谷頭 いえいえ、うれしすぎます。

 

カツセ 僕は86年に東京で生まれましたけど、街の商店街が元気だった時期をギリギリ見てきた世代だと思うんです。肉屋や八百屋のおじさんと会話した記憶があります。でも、その一方で当時のジャスコ、今のイオンとかができて、街が消えていくというニュースを聞いて育ったので、チェーンストアは悪者として捉えがちな節がある。谷頭さんは「チェーンストアは地域共同体を壊す存在ではない」「必ずしも悪い存在ではない」という論を本として出したので、これはそうとう書くのに勇気がいるだろうと思ってしまったんです。

 

谷頭 やはり世代はあると思います。97年生まれの僕は、ドンキやチェーンストアを語ることに対して、ネガティブな印象があまりないんです。カツセさんくらいの年代だと、「ドンキが好き」って言うのは、憚られることですか?

 

 

カツセ 10代の頃は、この本にも書いてあるように、ヤンキーとかDQNが行く場所のイメージがありましたね。大学生になると、コンパとか、サークルで飲むときの買い出しにドンキに行くのは当たり前のようになって、自分が行くようになると、否定的なイメージはなくなっていったんです。むしろ、ぺらぺらのスウエット着てるカップルをドンキで見かけるとテンション上がったり、これぞドン・キホーテ、って感じがして、温かい気持ちになったり。

 

谷頭 実際に行ってみると、イメージが変わることはありますよね。

 

カツセ だから自分自身がどうこうではないんだけど、商店街が消えていくのを憂えているほうが無難、っていう世代なのかな。もともと僕は、社会がある一つの視点から「ノー」と言ったものに対して異を唱えるのに、臆病になってしまうタイプなんです。だから、いやいや「イエス」もあるでしょう、っていう視点で書き切る谷頭さんの勇気が羨ましいと思ったし、大事だなと感じたし、僕自身も勇気をもらえました。

 

◆下北沢でチェーンに行くタイプ

 

谷頭 実は、僕もカツセさんに勇気づけられていたんです。カツセさんと僕は世代が違いますが、『明け方の若者たち』を読んで、これは今のチェーンストアに溢れた東京を肯定する小説だなと。チェーンストアに対して、同じような感じ方をしているんじゃないかって思ったんですね。

 

『明け方の若者たち』カツセマサヒコ(幻冬舎文庫)

 

カツセ 確かにあれは都市的な小説で、「東京の人が書いたって感じがする」っていう感想を、いろんな意味を込めてよく言われました(笑) あの小説で、主人公が下北沢のサイゼやヴィレヴァンに行くのは、僕自身もそういう使い方をしていたし、今の若い人もそうなんじゃないかって想像して書いたんですけど、つまり、共感値が高いものとして書いたんです。

 

 この本の最後(終章:チェーンストアの想像力)に、チェーンストアは「違うけれど同じ」だっていう話が出てくるじゃないですか。あれ、すごくよくわかります。チェーンストアって、厳密には土地ごと、店舗ごとに色が違うんだけれど、客はみんな似たような体験をしている。全然違う場所に住んでいても、サイゼだけは同じ絵を思い浮かべられる、みたいなところがありますよね。そういった共通する記憶を『明け方の若者たち』では書きたくて、自然とチェーンストアを選んだ気がしますね。

 

谷頭 すごくよくわかります。実は終章は、草稿にはなかった部分なんですよ。編集者さんに書き足してもらえませんかと言われて、1ヶ月ぐらいで書いた章で、結果的にいちばん好きな章になりました。

 

カツセ あの章で、自分とのつながりが見えてきたところがありますね。読んでいてすごく気持ちよかったです。

 

谷頭 本が苦手な人には終章と、あと終章とつながっている序章だけでも読んでもらいたい(笑)

 

カツセ チェーンストアに行きまくっている大学生の日常生活から始まる序章の掴みもよかったですよね。

 

 で、『明け方の若者たち』でチェーンストアを書いた理由がもう一つあって、僕が単純に、下北沢のコアな個人店の入り口の狭さとか敷居の高さにハードルを覚えてしまうタイプだから。

 

谷頭 ああ、わかります。僕も、下北沢でチェーンに行くタイプ。

 

カツセ 同じです。わざわざ下北来たのに、なんで俺、マック食ってんだ、となる。富士そばも超行くし。と言いながらですね、下北にドンキができたときは、明確に悲しんだんですよ、なぜか。

 

谷頭 あ、去年の4月ですね。

 

カツセ ドンキが渋谷にできたときは、時代の流れで、消えていくものと新しくできていくものがあるよな、仕方ないよなって自然に受け入れられたんだけど、下北のときは、「うわっ」と。「とうとう、こんなところにドンキできたわ」と。だからドンキ好きと言いながらも、下北とドンキは相容れない、みたいな印象を勝手に持っていたんですよね。この本を読みながら、そういったことも考えさせられました。

 

谷頭 わかります。僕もそういうねじれているところはあって。池袋の出身なので、電車ですぐの大山商店街に幼稚園くらいから通っていたから、商店街的なものに馴染みはあるんです。そこへのシンパシーを感じながらも、気づいたらこういう本を書いていた……

 だから、チェーンストアという存在の負の部分への目配せは必要だと思っています。この本はチェーンストアの肯定的な面を書いていますが、いつか否定的な面に向き合わないといけないだろうとは思っています。たぶん、これからチェーンストアについては色々書いていくと思いますし。

 

 

◆リンゴを持つ長野のドンペン ドンキの地方性は薄っぺらなのか?

 

カツセ 難しいですよね、谷頭さんが恩師とおっしゃっている宮沢章夫さんは、ドンキの話をしませんもんね。

 

谷頭 そうですね、宮沢さんは「正直、ドンキが渋谷にできたとき、80年代の渋谷を知る者は苦い気持ちを味わった。」と推薦文でも書いています。

 

カツセ でも、その方に本の推薦文をもらっている。谷頭さんの、ある意味ファイティングポーズ取っていくところが実に痛快で、いいなあって思いました。それから、この本は肯定側といっても、ドンキが好きという気持ちをただ書くだけではなくて、批評性を保ちながら、対象と適度な距離を取って書かれていますよね。そこに信頼を持てたし、だからこそ、ドンキには店舗ごとの「個性」や「地方性」がある、といった視点が出てきたんじゃないかと思います。

 

 この本読んで、下北のドンキは、きっと“下北要素”のあるドンキなんだろうなと思ったから、すごく気になりましたもん。藤沢(藤沢南店)のドンキとか、元テーマパークのドンキとか、読んでいるとドンキに行きたくなる本。

 

谷頭 観光地のドンキって、その土地に住んでない人から見たその土地の姿をそのまま映すんですよね。たとえば長野のドンキは、ドンペンがリンゴを持っていて、店内がリンゴ畑みたいなんです。

 

カツセ ご当地感。

 

谷頭 そう。でも、地元の人からしたら、長野って当然、リンゴだけじゃない。そうやって見るとドンキの地方性って薄っぺらいものに思えるんだけど、一歩中に入ると、周辺の住民が使う店だから、商品自体はその土地の人たちに必要なものとか好まれるものが置いてある。そういう意味で、奥に入らないとわからない地方性もあるんですよね。

 

カツセ 店舗の外見や内装だけにとらわれちゃいけない。店内に置いてあるもので、その街が見えてくるんですね。

 

谷頭 それは、この本を書き始めてから発見したことでもありました。

 

『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』谷頭和希(集英社新書)

 

◆「エモ」でくくられる居心地の悪さと、「エモ」の先にあるもの

 

谷頭 ドンキって何だろうと考えたとき、先ほど話に出た「違うけれど同じ」という特徴に行き着きました。それで、ちょっと飛躍するんですが、その特徴を感情面で表した言葉が、2010年代に出てきた「エモ」なんじゃないかと思うんです。学部時代、宮沢さんのゼミで、「エモについて考える」というテーマでディスカッションをしたことがあるんですね。ゼミ生が一人ずつ、自分がエモだと思うものの写真を持ってくることになって。

 

カツセ わ、面白いですね、それ。

 

 

谷頭 そしたら、持ってきたものが、みんな、バラバラなんです。海にエモを感じている人もいれば、自分が昔使っていた物を持ってくる人もいるし、わけわかんないものにエモを感じている人もいて。全然違う対象が「エモ」という一つの言葉でくくられてしまうことを面白いなあと思うと同時に、「エモってなんだ」とも思いました。「エモ」という言葉で語られることが多いカツセさんに聞いてみたかったんです。

 

カツセ ああ、確かに。「エモい」って、いろんなところで言われます(笑)

 

谷頭 もうイヤかもしれないですけど。

 

カツセ うん、イヤですね。何がイヤって、自分の作ったものや表現が、「エモいよね」の5文字で解決されてしまうことがイヤなんです。そこに淋しさを覚えるし、悔しいなとも思う。もっと言葉を尽くしてほしいと願っちゃう。でも、一方で、当然というか、納得してるところもあるんです。そういう感情を呼び起こしたくて書いてきたし、仕事をしてきた面があるので、まあそりゃ言われるよなという感覚もある。

 

谷頭 でもカツセさんは、「エモ」という感情を引き出してPVをとるバズマーケティング的な世界から抜け出して、小説家という、最も言語化能力が必要な職業につかれたわけですよね。その転身についても聞いてみたいと思っていました。

 

カツセ 僕の場合は、ライターのスタートが、ヨッピーさんとか、Webでバズってる人への憧れから始まっているので、広告案件でバズってたくさんシェアされて、クライアントも喜んで読者も楽しんでくれればハッピーというのが第一歩だったんです。だから数字を取ることがまず大事。「数字じゃないでしょ」と言う人はいるんだけど、それは取った人が言うことだよなって。

 

谷頭 わかります。

 

カツセ だからライターになって5年くらいは、数字を追いかけていました。で、それなりに数字取って、フォロワーが増えてくると、中身が全然読まれてないかも、という気持ち悪さが出てきて。数字を取ったからこそ、数字じゃない世界が見えてきた。ライターとして、すごく遠目だけど、作家や批評家の世界を垣間見るようになった影響もありますね。自分も深く潜る仕事をやりたいという意識が、書けば書くほど出てきたんです。

 

 あとは、僕の記事がどれだけシェアされたとしても、それは自分の力ではなくて、取材した対象者とか対象物の魅力があふれていたにすぎないじゃないですか。ライターは、どこまでいっても照らす側でしかない。でも、そもそも僕は、ドンキの店頭に鎮座しているドンペンと同じくらいの目立ちたがり屋なんで(笑) 照らされる側の人生ってどうなんだろうと。それは自分でゼロから何かを作る人生だろうなと思って、小説に行き着いた感じですね。

 

 谷頭さんは、ドン・キホーテで1冊書いて、エモに対する感覚は変わりましたか?

 

谷頭 やっぱり、「エモ」をエモで終わらせるんじゃなくて、エモの中身を言語化していくことの重要性とか、面白さに気づけました。この本は、僕がドンキに「エモ」を感じるところから始まったんですが、社会学や人類学などを用いて言語化していくことで、エモを言語化するのってこんなに大変だと思ったし、だからこそ、ちゃんと掘り下げて言葉にしていけば一冊になるんだとわかりましたね。

 

カツセ いや、1冊の本にするのってほんとに大変ですし、その年齢で新書を出すってすごいことだと思います。ほんとに、面白かったです。

 

 

(後編は3月3日(木)公開予定です)

 

取材・構成:砂田明子

撮影:内藤サトル

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プロフィール

谷頭和希×カツセマサヒコ

谷頭和希(たにがしらかずき)
ライター。1997年生まれ。早稲田大学文化構想学部卒業後、早稲田大学教育学術院国語教育専攻に在籍。デイリーポータルZ、オモコロ、サンポーなどのウェブメディアにチェーンストア、テーマパーク、都市についての原稿を執筆。批評観光誌『LOCUST』編集部所属。2017年から2018年に「ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾 第三期」に参加し宇川直宏賞を受賞。本作が初の著書。

 

カツセ マサヒコ

1986年、東京都生まれ。一般企業勤務を経て、2014 年よりライターとして活動を開始。2020年刊行の小説家デビュー作『明け方の若者たち』(幻冬舎)が大ヒットを記録し、映画化。2021年にはロックバンドindigo la Endとのコラボレーション作品として二作目となる小説『夜行秘密』(双葉社)を刊行。東京 FM でのラジオパーソナリティや雑誌連載など、活動は多岐にわたる。

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