プラスインタビュー

NY、京都、仮想空間――福岡ハカセがコロナ禍で考えた理想の書店

「地の地図」と「書の時間軸」を求めて
福岡伸一(ふくおかしんいち)

研究拠点のあるNYに滞在中、新型コロナウイルスによるパンデミックに巻き込まれた生物学者の福岡伸一さん。突然のロックダウンで、外出もままならなくなりました。人にも会えず、大好きな書店めぐりもできない。そんな幽閉生活の中で考えたこととは――?

 

NYで行きつけの秘密クラブのような書店

――NYは3月半ばから感染爆発が起こり、大変な混乱の中にありました。自宅からほとんど出られない中で、ストレスは溜まりませんでしたか?

よく聞かれるのですが、もともと私はインドア派なので、あまり気になりませんでした。むしろ、家にこもって大学の講義や研究、執筆活動に専念できて仕事ははかどりました。ただ一つフラストレーションだったのは、本屋さんに行けなくなったことですね。

NYでは、James Cummins Booksellerという書店によく行きます。ここは、とある古いビルの上層階にある秘密クラブのような書店です。道路からは見えず、ビルの壁面に小さな表札があるだけ。エレベータが開くと、ガラス戸の向こうに本棚が並んでいます。歴史的な名著の初版本や作家の手紙などを専門に扱う本屋さんです。私はここで、レイチェル・カーソンの『沈黙の春(Silent Spring)』や、ジョージ・オーウエルの『1984』の初版本を見つけました。何回か通って、何冊か実際に購入して初めて客として認められる、そんな本屋さんです。

 

街の書店にしかできないこと

本屋さんは発見の場所です。「こんなに面白い本があったんだ」、「こんなにうまい著者がいたのだ」、「この本の初版本はこんな佇まいだったのだ」など、未知のものとの予期せぬ出会いは、本屋さんにぶらりと入って、棚を眺めてみないと得られません。そしてさらに大切なのは、その棚にどのような本が並べられているかということです。

題名や著者があらかじめ分かっているなら、ネットで注文すればすぐに届きますが、それでは自分の世界が狭くなる一方です。そこから一歩出ることが発見につながるのです。そういう意味で、街の書店の役割は決して小さくない。コロナ禍で閉店する書店さんが増えていると聞きますが、こうした文化の砦がなくなる影響は、今後じわじわと出てくるのではないかと危惧しています。

 

「福岡ハカセ」を育てた書店

――新聞や雑誌などで、頻繁に「コロナ禍で読むべき本」といった特集を目にします。福岡先生もよく聞かれたのではないですか?

そうですね。そういう取材も受けたりもしましたし、個人的に聞かれることもありました。ただ、万人にとっておすすめの本というのは存在しません。不特定多数の人に向けて、本をすすめるというのは難しいことです。本来は、街の本屋さんがその役割を果たしていたのだと思います。店主のこだわりで、今読むべき本がさりげなく置いてある。そんな志のある本屋さんは最近ではすっかり減ってしまいました。

特に残念だったのは京都の三月書房が6月に「週休7日」になってしまったことです。これは、コロナ禍以前から決まっていたそうですが、学生時代から通っていた書店だったので、そのことを知ったときはとてもショックでした。「人は、読んだ本でできている」とするならば、間違いなく私は三月書房に育てられたと言えます。私にとって、そのくらいかけがえのない書店なのです。

 

【関連リンク】

「京都の名物書店、三月書房が閉店へ 吉本隆明さんら通う」(朝日新聞)

「唯一無二、京都の三月書房閉店へ 吉本隆明ファンや上野千鶴子さんら通う」(毎日新聞)

 

三月書房は、間口も店内もそれほど広くない街の小さな本屋さんです。奥の番台みたいなレジに、いつも店主の宍戸立夫さんが座って静かに本を読んでいました。一見、古本屋に見えますが、れっきとした新刊書店です。そして、そこに並んでいる品揃えがすばらしい。たとえば私の守備範囲の科学の分野で言えば、わずかなスペースながら、リチャード・ドーキンスの利己的遺伝子論の横に、論敵であるスティーヴン・ジェイ・グールドの本が置かれている。そして、みすず書房の白い難解な本、さらには最近話題の新書も。

 

「地の地図」と「書の時間軸」

私自身、ずっとあとになって『生物と無生物のあいだ』や『動的平衡』といった生命論を執筆することになりますが、そのバックグラウンドとなったモノーの『偶然と必然』、シュレディンガーの『生命とは何か?』、あるいは三木成夫の著作などは三月書房の本棚から教えてもらいました。

 

雑誌の取材などでもたびたび訪れた。(上)「週刊新潮」2009年2月5日号(下)「婦人之友」2017年4月号

 

ここには「知の地図」があり、「書の時間軸」があるのです。「この分野を知るには、最低でもこれとこれは押さえておいた方がいい。ああ、そうそう最近出たこの本も面白い」。そんな声が本棚から聞こえてくる。科学だけでもそうなのですから、文芸、芸術、社会、サブカルなどいろいろな分野でもきっとそうなのだろうと思います。AIによって提示される「この本を買った人はこんな本も読んでいます」といったこととは異なる仕方で、世界と出会うことができるのです。要するに教養の厚みが全く違うのです。そこに行くたびに発見があり、教えられることがありました。

 

記憶の風化に対するささやかな抵抗

――「週休7日」と聞いて、すぐに店主の宍戸さんにご連絡したそうですね。その中で、宍戸さんから閉じたお店のシャッターにトロンプ・ルイユ(だまし絵)を施すアイデアを打ち明けられたとか。その経緯は朝日新聞毎日新聞でも報じられましたし、SNSでも話題になりました。

はい。三月書房のある寺町通は骨董屋さんや筆屋さん、仏具屋さんなど京都らしい風情のある界隈です。宍戸さんはそのような場所でシャッターを下ろしたままにしておくのはしのびないと考えていました。そこで、在りし日の三月書房の佇まいを再現するため、外から見たときのお店の写真を加工し、その画像をシャッターにラッピングすることになったのです。これは、記憶の風化に対するささやかな抵抗です。

 

一見、店が開いているように見えるが、両サイドはプリントした写真を貼っている。

通りゆく人々も思わず目に留める。

 

だまし絵に使用した写真は、上記の記事にもあるように、婦人之友社で取材した時に撮影した亀村俊二さんの写真を使わせて頂きました。それを懇意にしているフォトグラファーの阿部雄介さんに絵画風に画像加工してもらいました。そのとき、ちょっとした「いたずら」も仕込んだのです。

――「いたずら」とは?

それは実際に行ってみた人だけのお楽しみです。足を運んだ人だけが気づく、言ってみれば私からの贈り物です。そういうふうに、そこに行かなければ得られない喜びを演出したいと思いました。

 

(上)左に座っているのが店主の宍戸さん。商店街の人たちからの評判も上々とのこと。(下)プリントした写真には自転車が写り込んでいたので、実際にその時写っていた自転車を置いている。

 

そして、理想の書店へ

――以前から街の書店の状況は厳しくなるばかりです。そこにコロナが追い打ちをかけました。「そこに行かなければ得られない喜び」を、どうしたら取り戻せると思いますか?

難しい質問ですが、その書店独自の「本棚」をつくることではないでしょうか。いい本棚は、ただそこにあるだけで語りかけてきます。今までにそんな体験をしたことが何度もあります。タイトルが何となく気になってふと手にとって開いてみた本。装丁の印象でページをめくってみた本。その本は、そのまま私をその場所に長い時間、釘づけにしました。

私も三月書房の精神を引き継いで、そんな理想の書店をつくってみたいと考えています。実際に店舗を構えることは難しいかもしれませんが、ネットの仮想空間であっても、店主の“顔”が見えるような品揃えにすれば、そこに共感した人々が集まり、私が三月書房で経験したような「出会い」も生まれやすいのではないかと思います。

 

動的なものに満ちた本屋

――どんな本を並べますか?

その本を書いた人の切実な思い、気づきの感動、言葉を探すことの苦しみと喜び、そんな“動的なもの”に満ちた本を並べてみたいと思います。具体的には、私の大好きな須賀敦子やカズオ・イシグロ、そしてレイチェル・カーソンやバージニア・リー・バートンの生命をめぐる名著などです。それにうまい書き手(たとえば大竹昭子や川上弘美)や、すてきな風や光を感じさせてくれる本も。そんな本を並べてみたいですね。

実は、もう名前も決めているんです。「動的なものに満ちた本屋」ということで「動的書房」。私が読むべきだと思うのは、“動いている”本です。動いているとは、売れているという意味ではありません。読む人の心を動かし、行動にも影響を与えるような本です。「動的平衡」は、私の生命観でもあります。本棚もまさに生命のように絶えず入れ替わりがあります。そんな動的な本屋をつくってみたいと思います。

――いつ頃になりそうですか?

わかりません。ですが、こうやって口にすることで近いうちに実現するかもしれません。このコロナ禍で、私たちは半ば強制的に人との接触を断たれました。どこかに寂しさや人恋しさを感じたのではないでしょうか。それに、ネットを介してのコミュニケーションが増え、なかなか思いが伝わらないといったもどかしさも。そういうときに、ふと覗いてみたくなる空間でありたいと思います。

品揃えは少ないかもしれませんが、立ち寄ってくれた人が抱える悩みや心の渇きに寄り添うような書店。「ここに行けば、何かわかるかもしれない」というような。私が三月書房から学んだように、私もそのような場をつくってみたいのです。何よりもそうした本棚をつくること自体が私には喜びであり、楽しみでもあります。そのような、心踊る場が持つ“熱”は、きっと伝わるはずです。

私ができることはごくわずかですが、このように、本好きの人がオリジナルの棚をつくることで、たくさんの「そこでしか得られない喜び」が生まれ、書店はまた賑わいを取り戻していくと信じています。

 

撮影/阿部雄介

プロフィール

福岡伸一(ふくおかしんいち)


生物学者。1959年東京生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て青山学院大学教授・米国ロックフェラー大学客員研究者。サントリー学芸賞を受賞し、85万部を超えるベストセラーとなった『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)、『動的平衡』(木楽舎)など、“生命とは何か”を動的平衡論から問い直した著作を数多く発表。ほかに『世界は分けてもわからない』(講談社現代新書)、『できそこないの男たち』(光文社新書)、『生命科学の静かなる革命』(インターナショナル新書)、『新版 動的平衡』(小学館新書)など。対談集に『動的平衡ダイアローグ』(木楽舎)、翻訳に『ドリトル先生航海記』(新潮社)などがある。

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