対談

自民党はカルトと縁が切れるのか

『日本のカルトと自民党』刊行記念対談② 〈権力と宗教〉
橋爪大三郎×菅野完

「政教分離」は民主主義の大原則ではなかったか。安倍晋三元首相銃撃事件をきっかけに、自民党と統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の深い癒着が明るみに出た。自民党は、改憲や愛国教育を掲げる日本会議とも太いパイプを持っている。統一教会や日本会議を選挙のたびにうまく使って、政権を維持してきた自民党。果たしてカルトと絶縁できるのか。橋爪大三郎氏は『日本のカルトと自民党』(集英社新書)で、カルトの正体を見極め、カルトを政治から排除するため、有権者は知識と覚悟をもつべきだと説く。その橋爪氏との対談を快諾したのは、『日本会議の研究』(扶桑社新書)の著者・菅野完氏。菅野氏は同書で、メディアが触れてこなかった日本会議の背景と深層を(えぐ)り出した。カルトと政治が結びつくのがどれほどの悪夢なのか。四月の統一地方選を控え、両氏はその害悪に警鐘を鳴らす。

構成=宮内千和子 写真=三好妙心(橋爪氏)、菅野氏提供


カルト研究が少ない理由

菅野 御本人を前にして恐縮ですが、橋爪先生の今回の御本を読んで、学者ってすごいなと思いました。統一教会や日本会議に関して、学術的な方向からの研究は、極めて少なかった。統一教会に関しては、学術的な研究も、被害者救済、カルト対策、統一教会への反撃がモチベーションになりがちでした。

 橋爪先生が御本の中で採用された参考文献の一覧を見ると、山のようにある書籍、資料の中から、「そこ!」というのをピンポイントで抜いていらっしゃいます。その資料の選別眼、そして、読まなくていいものを読まないという潔さには、本当に素直に感服しました。

 その結果出来上がった御本は、無駄のない内容で、横道にそれず、読者に伝わらなければいけないものだけが一直線に書かれていて、すばらしいと思いました。

橋爪 私が今回の本を書こうと思ったのは、菅野さんの『日本会議の研究』に触発されたからです。出てすぐ読んで、感銘を受けました。徹底的に調べている。ふつうここまで調べなくても、それっぽい原稿は書けると思う。でも菅野さんは、そこで止まらない。なにか怪しい臭いがする、もっと裏があると感じると、とことん掘り下げて取材を進める。当事者に取材し、埋もれた文献を捜しあて、意外なストーリーを掘り出していく。読んでいて本当にわくわくする。ノンフィクションはこうでなければいけないと思った。その菅野さんにお褒めいただいたので、安心しました。

菅野 統一教会や日本会議に関して研究が少ない、書かれたものが少ない理由の一つに、当事者たちの手によって書かれたものが大量にあり過ぎるということがあります。文鮮明の言葉を集めた本だけでも百何巻ありますし、日本会議の実質的な運営を担う「生長の家」に至っては、かつて昭和の時代では「出版宗教」と言われているぐらい、月に十五冊ぐらいのペースで新刊書を出し続けていた(なお、宗教法人生長の家は、80年代末に路線変更し政治運動から撤退しており、日本会議とは一切の関係がない。しかしその路線変更に反発するメンバーが教団と決別し、旧来の谷口雅春の教えを頑なに守る原理主義運動を展開しており、その一環として日本会議の運営に携わっている)。さらに月々出される機関誌、集会でまかれるパンフレットの類がある。その膨大な資料の山を見ると、みんなたじろぐと思います。「到底読みきれない」と。

 僕がラッキーだったのは、取材の初期に、「生長の家オタク」の人に出会えたこと。その方の導きで、それはあそこに書いてあるよというナビゲーションをもらえたのが本を書き得た要因の一つです。

橋爪 内情に詳しいひとが取材者と接触すると、自分の知っている情報を相手に伝えていいものかどうか、逡巡があるはずです。この取材は悪意でなく、真実のため、読者のための調査である。そういう、率直でオープンな気持が伝わったからこそ、協力がえられた。それは、菅野さんがたぐり寄せた情報源だと思います。

菅野 ありがとうございます。実際、本当にたくさんの人に導いていただいて、僕も感謝しかありません。

橋爪 カルトの研究は、ジャーナリズムとしてむずかしいテーマだし、もっと言えば、危険です。なぜなら、痛いところに手を突っ込むから。相手も危機感を覚えて、なりふり構わず攻撃をしかけてくる。その点アカデミズムは、気楽と言えば気楽です。宗教学は、実証科学ですからね。参与観察をしなさいとか、先行業績は全部読みなさいとか、そういう世界。宗教はいくつもあるので、ゾーンディフェンスで、わたしは○○教、あなたは○○教、と分担して、縄張りができている。メジャーな宗教が中心で、あんまり小さな宗教やカルト系の宗教を研究すると、研究者仲間で肩身が狭くなっちゃうんですよ。

菅野 うんうん、アカデミアの世界ではそうだと思います。

橋爪 そんなもの研究してると、就職は期待できないかもね、的なことを言われると、カルト系に興味があっても、怖くて研究できない。危険なカルトで、日本の社会によくない影響を与えている宗教があっても、アカデミアのちゃんとした研究は存在しない可能性が高い。その意味でも、菅野さんが大きなリスクを引き受け、労力も使って、研究したのは貴重です。これを、ジャーナリズムが消費するだけに任せておいてはいけない。その先に少しでもつけ加えなければという決意をもって、私はこの本を書いたのです。


被害者の声に寄り添いすぎる危険性

菅野 アカデミアの宗教社会学についていえば、塚田穂高(上越教育大学大学院准教授)先生がいらっしゃいます。塚田先生は、各宗教団体を俯瞰的かつ横断的に分析し、それぞれの勢力が何を主張しどう活動しているのかを明らかにしていかれる。そしてその上で、この流れは右傾化と呼ばれるのではないか、ある一定の方向を示しているのではないかと示される。塚田先生の仕事がすばらしいのは、帰納的だからです。しかし、これとは逆に、一つの宗教を深掘りする方向から入っていくと、どうしても無理な演繹をしがちで、問題を極端に矮小化したりあるいは過大評価したりしてしまい、危険かなと思います。

 教団側からの攻撃は、僕も幾らでもありますが、それ以上に怖い部分がもう一つある。それはカルトの場合、被害者の声が凄惨かつ切実だということです。もちろん、その被害者の声にこそ耳を傾けて、傷の回復を邪魔しないように、一つでも手助けになるように動かなければいけない。倫理的にそれが一番大事なのは論を()たない。でも、一方で被害者に寄り添い過ぎる傾向がある。その結果、「加害の実態はどうであったか」「ほかの被害は存在しないのか」という点を見誤ることがよくあるんですよね。

 目の前の、特定の被害者に視野が限定されてしまって、ほかのパターンの被害者に目が行かなかったり、あるいはほかの宗教の被害者に目が行かなかったりする。カルトを研究しているときは、被害者の皆さんの声は、研究・調査に携わる者にとって何より大切なものであると同時に、自分を律して接していかなきゃいけない、もう片方側にある危険性を(はら)んだものだと僕は思っています。

橋爪 なるほど。臨床医学と基礎医学みたいですね。臨床では、目の前の患者の治療が最優先。でも、そういう患者が生まれてしまうのはどうしてか、どういう治療が有効か、それを考える基礎医学も大事なのです。

菅野 ええ、その両方が必要なんですよ。僕たちはもっぱら臨床をやっているんですが、基礎医学にも貢献したい。だから、目の前の患者の手当てを考えつつも、その患者の問題を一般化して考えなければいけないと常に自分に言い聞かせています。

橋爪 その葛藤はよくわかります。菅野さんはその具体的な事例を言葉にするでしょう。言葉にするなら、個別の事例を離れて必ず一般化しているわけです。だからお仕事を通じて、そのことはもう十分人びとに伝わっていると思う。

菅野 よかった。何か今、救われた思いです。糾弾の対象になるようなカルトは幾らでもありますが、全部糾弾口調になると本質を見失うと思うんです。統一教会に関して、まさにそれが社会的に起こっている気がします。確かに統一教会の被害者の皆さんのお声は、切実で実に陰惨なものがありますが、では統一教会の問題はその「被害者の存在」だけかといえば、決してそうじゃないはずですし、被害を生んでいる宗教は、統一教会だけじゃない。


なぜカルトは権力にすり寄るのか

橋爪 加害/被害の問題とは別に、いま起きている危険の本質に目を向けなければならない。カルトは確かに、人びとを食い物にして、金品を奪い、踏みつけにしている。でもそれは、彼らの目的じゃない。手段なんです。

菅野 うんうん、目的は別のところにある。

橋爪 目的は何かと言えば、彼らの世界観が実現すること。それには、政治の力が必要なんです。だから彼らのエネルギーは政治に向くんです。そこがカルトの、いちばん危険で悪質なところです。被害者に寄り添いすぎるのは問題で、被害が過大評価される、というお話がいまありました。でも、政治がやすやすと、カルトに懐に入り込まれてしまうことの危険は、逆に過小評価されていると思いますよ。

菅野 確かにそうですね。日本人が宗教と政治を考えるときに、創価学会と公明党のパターンをモデルケースとして利用しがちなんです。すなわち組織票で政治家の議席を担保してあげて、その恩義で政治家に言う事を聞かせるんだろうと。でもそんなことができる宗教団体は、創価学会だけですよ。統一教会は、数の上では創価学会より桁二つぐらい小さくて、北海道から沖縄まで、統一教会の票を全て集めても五万票あるかないか。規模でいえば創価学会の百分の一以下で、国会議員一人、満足に生めない。そうした国会議員一人満足につくれない状況の中でも、なぜかやすやすと政治の中に入り込めている。それを考えると、ちょっと空恐ろしいものがあります。

橋爪 それがどんなに有害か、ほとんどの関係者が理解していないね。

菅野 会員数で言えば、日本会議のほうがさらに小さいのですが、肝心なところでブレーンとして振る舞い、実にうまく政治に入り込んでいる。例えば村山内閣の戦後五十年決議のときは、参議院に陣取り自民党を揺り動かしたり、かなり戦略的です。でも統一教会はそうした知恵や工夫もない。それもせずに政治に深く侵食している。これは脅威です。

橋爪 もしもアメリカでこれと似た問題が起これば、議会に超党派の調査委員会をつくるはずです。その調査はもちろん、政権に左右されてはならない。でも日本の議会は、そういう調査委員会をつくって、国政調査権を行使し、フルレポートを書いたためしがない。オウム真理教事件のときも、まるでやる気もない。検察に任せる、司法に任せるなどと言って、議会は何もしない。統一教会の問題にしても、少なくとも安倍元首相が殺害された背景はどうなっているのか、きちんと国会が調査してフルレポートを書き、それを英語にして世界中で読んでもらい、教訓にすべきなんですよ。

 与党が多数で、そんなことはできっこない、という言い分はまあわかる。でも日本国民が、これをやらなければ民主主義じゃないと思わなくちゃいけない。みんな危機意識が低すぎると思いませんか。

菅野 いや、おっしゃることはよーく分かります。御本から先生の並々ならぬ熱意が伝わってきています。

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日本会議の研究

プロフィール

橋爪大三郎×菅野完



橋爪大三郎(はしづめ・だいさぶろう)
1948年生まれ。社会学者。大学院大学至善館教授。著書に『おどろきのウクライナ』[大澤真幸氏と共著]、『中国共産党帝国とウイグル』[中田考氏と共著](いずれも集英社新書)、『はじめての言語ゲーム』『言語ゲームの練習問題』(いずれも講談社現代新書)、『アメリカの教会』(光文社新書)、『いまさら聞けないキリスト教のおバカ質問』(文春新書)、『死の講義』(ダイヤモンド社)など多数


菅野完(すがの・たもつ)
1974年生まれ。著述家。著書『日本会議の研究』(扶桑社新書)で第16回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞(草の根民主主義部門)、 第1回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞読者賞受賞。他『保守の本分』(noiehoie名義、扶桑社新書)などの著作がある。
菅野 完 デジタル&リアルコンテンツ→sugano.shop
YouTubeチャンネル→https://www.youtube.com/@noiehoie

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