対談

「思いやり」に頼らない「人権」という視点

藤田早苗×中野晃一

私たちの行動は日々、人権によって守られている――そう言われても、ピンとくる人は少ないだろう。しかし、国際人権の基準と日常生活や社会問題に照らし合わせると、それが途端に見えてくる。エセックス大学人権センターフェローであり、国連の人権機関を使い世界に日本の問題を知らせる活動をしている藤田早苗氏は著書『武器としての国際人権 日本の貧困・報道・差別』でそのことを明らかにした。
なぜ、日本で人権の意識が浸透しないのか。藤田氏と『右傾化する日本政治』(岩波新書)、『私物化される国家』(角川新書)などで知られる、政治学者の中野晃一氏が語り合う。

(取材・構成:稲垣收 撮影:内藤サトル)

『武器としての国際人権』(集英社新書)

――まず最初に中野先生から、藤田さんの本を読まれたご感想を。

中野 特に若い人に読んでもらいたいなと、本当に思いました。非常にわかりやすいし。藤田さんの個人的な体験から入っていって、随所に個人として取り組まれたり悩んだりされてきたことが肉声をもって伝えられています。しかも、日本の入管の収容施設で人が亡くなったり人権侵害が頻繁に行われている問題や、報道の自由にかかわること、生活保護のことなど、かなり多岐にわたる問題を扱っている。

多くの人が必ずしも体系立って考える機会が少ないものについて、とても読みやすい形で書かれているので、大学生はもちろん、高校生もぜひ手に取ってみてほしいです。

とくに国際人権の視点というのは、日本の学校の通常の授業ではおそらく欠落してるので、この本はすごく新鮮だろうと思います。「えっ、国際社会でこんな取り組みがあるの?」と驚くでしょうし「実は外に味方がいたんだ」と、視野が広がる気がします。

そして「実はこういうところがツールとして、あるいは武器として使える」ということが理解できるので、すごく役に立つ知識になると思うんです。しかも「役に立つ」といってもお手軽だとか安易な意味ではなく、本当に社会を変えていく、行動を起こしていくために必要な知識が得られる。

藤田 ありがとうございます。私と中野先生は、もう8年近い知り合いなんです。特定秘密保護法案が2013年12月に公布された際、中野先生はSEALDs(*1)の前のSASPL(*2)を助けていらして。私自身もこの秘密保護法の時から人権問題にかかわるようになって、市民運動を支援している弁護士の武井由起子さんから中野先生をご紹介いただいたんです。

*1:シールズ。Students Emergency Action for Liberal Democracy–s=自由と民主主義のための学生緊急行動

*2:Students Against Secret Protection Law=特定秘密保護法に反対する学生有志の会

(藤田早苗氏)

人権は「思いやり」「お情け」に頼るものでなく、誰もが要求できる権利

――特に『武器としての国際人権』の中で中野先生が印象に残ったパートは?

中野 第1章に記されている「思いやりと人権は別物だ」という言葉は、読んだときに膝を打つような感じで、重要な考え方だと感じました。この言葉を気に入って本の推薦文にも「『思いやり』に頼らず『国際人権』の実現を!日本を世界と未来へと拓く道標がここに」という言葉を寄せました。日本の学校のみならず社会全体において、「人権教育」を避けて「道徳教育」的なものが跋扈(ばっこ)している。

たとえば、私の子どもが小学生の頃の話なのですが、学校に行くと「強い立場にある人は弱い立場にある人に対して思いやりを持ちましょう」って先生が言っていて、頭がクラクラしました。思いやり自体は悪いことではないけど「それに頼らなきゃダメなの? そのレベルで終わっちゃうの?」って。

まわりの温情にすがらなくて権利として当然要求できるものがあるし、まわりの人も「それは当たり前だよね」と思うようにならなければ社会は変わりません。それなのに「優しさの文化」みたいな感じでごまかされてきていたということが、この本ではきちんと突かれている。

そのうえで、障害者の方の運動を例に出しながら、「権利としてこういうものを求めることができる。そのことについて、まわりの人もリスペクトを持って、ともに闘わなきゃいけない」ということを正面から論じている。これは、すごく日本の社会にとって必要な視点です。

藤田 ありがとうございます。この本の中では具体例として、車椅子の方が電車に乗ろうとしたときに乗れず、そのことをSNSで訴えたら、炎上して「生意気だ!」「何を言ってんだ?」という反応がすごく多かったというのを挙げました。

中野 ごく最近のことですね。「かわいそうなら、お情けをかけて助けてあげる」とか「配慮してあげなきゃいけない」ってなるけど、障害者あるいは生活保護を受けている人が、本来は当然の権利であることを要求すると「何を生意気な!」みたいな方向に振れる怖さがある。でも、そんな社会で誰が幸せでしょうか?

藤田 「人権」という言葉で画像検索すると、「仲よくしましょう」とか「優しさ」とか「思いやり」とかいう言葉が書かれた絵が出てくるんですよ。でもhuman rightsって英語で検索すると、こぶしを握りしめてる絵とかが出てくる。こういう認識の違いがあります。

そうやって多くの人が闘ってきたことが、結局すべての人に影響してきたわけじゃないですか、社会の構造を変えたりして。だから「自分には関係ない」じゃなくて、「どういう社会を目指してるのか」っていう想像力も持ってほしいです。

「自分に関係ないし」って思う人が今の日本には多いのは、想像力があんまりないんですかね。いつか自分だって生活保護にお世話になるかもしれないし、誰もいつまでも元気で働ける保証もないわけなのに。

中野 そうですね。誰しも、そもそも赤ちゃんとして生まれた段階で、まわりの人が世話してくれなきゃ生きていけない。でも今は「子どもの声がうるさい」と幼稚園に苦情が殺到したりする。誰もが赤ん坊として人生をスタートしているのに。そういうことが社会の中から排除されて、働く男性優先になっている。だから駅の券売機や改札機で他の人がモタモタしてるとイラついたり、「電車にベビーカー持ち込むな」とか言う人が出るわけです。

でもそうじゃないですよね。人権っていうのは権利として「人が自由にあっていいんだ」ということで、そのことによって社会を変えてきた歴史がある。そういう「自分の権利というものの社会性」が理解されていない。

一つには藤田さんがおっしゃったように、想像力が足りない。「自分もいずれ年老いていろいろ大変になる」とか「病気や大ケガをして障がいを負うかもしれない」とか想像していない。あるいは、自分が赤ん坊や幼児だったことを忘れちゃってる。

もう一つは教育の問題として、社会構造を教えていないせいもある。社会科教育が暗記偏重だったり、歴史も前近代の歴史偏重だったりする傾向がまだ根強い。そのせいで「権利を主張することの社会性、そのことがどれだけ人類を自由にしてきたのか」ということについて理解がされていないんです。だから権利を主張する人のことを「迷惑なやつ」とか「わがまま」という感じで片づけてしまう。

(中野晃一氏)

「人様に迷惑をかけない」が美徳だと刷り込まれてきた日本人

藤田 日本だと子どもが生まれたときに「どんな子になってほしいですか」と聞かれて、「人に迷惑かけない子に育ってほしい」って答える親がけっこういますね(苦笑)。

中野 ですね。私も授業で政治哲学とかを教えるときに、virtue=「徳、美徳」について、「社会によって何が美徳なのかっていうのはだいぶ違ったりするんだよ」と言うんですけど。

 もちろん「正直であること」とかは大体どこでも美徳だったりしますが、日本で美徳と言うと真っ先にあるのが、「人様に迷惑かけない」。それが日本を代表する美徳みたいになってて、次は「我慢」とかでしょうか(苦笑)。

――戦時中のスローガンにも「ほしがりません、勝つまでは」なんてのがありましたね。

中野 ええ。そういう「自分がこらえる」っていうことを、政治学の観点からすると、統治の仕組みとして国民の頭の中に植え込んできたわけですよね。道徳教育、特に戦前の小学校の授業にあった「修身」なんかまさにそうで「まわりに迷惑をかけたり、分をわきまえない行動をしないように身を修める」っていうのが道徳ですから。「社会には階層があり秩序がある中で、おまえはこれぐらいなんだから、分をわきまえろ」「女性なら女性らしくしろ」とか。

 でも「そういう社会をやめて、そこからみんな自由になって、人それぞれが自分の持ってる可能性とか、好きなことを自由にやっていいんだ」っていうところに移っていくのが、まさに人権の役割なんです。それこそ、「武器としての人権」なわけだから、そこはやっぱり押し返さなきゃダメなんですよね。

藤田 そうですね。ただ、これは学生だけじゃないんですが、市民運動をしてる方と話すと、たとえば入管のことでもそうなんですけど、以前は、「絶対、入管がやってることはおかしい」と皆が感じてるのに反論できなかったそうなんです。

 だけど私の話とか、国際人権基準について聞いて「ああ、これでよくわかりました」「モヤモヤがスッキリしました」と言われました。そういう意味でも、この本を読んでいただくと人権の正当な理由がちゃんとわかるから、人権の国際的基準というものに気づいてもらえたり、それを武器として使ってもらえるようになると思うんです。

中野 そうなんですよ。「知は力なり」って言うじゃないですか。ただ、藤田さんも学生に教えられていたりして経験があると思うんですが、日本人って「自分が100%正しい知識がある」という自信がないと発言しない傾向が高い。減点方式で教育されてきてるから。答えに100%自信がないのに発言すると「恥をかく」とか、教室の中で「目立つ」みたいなことを恐れちゃう。

 それに比べて、藤田さんがお住まいのイギリスなんかでは、パッと思いついたことでも自分の意見として臆せずにバンバン言いますよね?

藤田 そうですね。授業の雰囲気一つとっても全く違います。

中野 中には「もうちょっと考えてから発言しろ」みたいな意見もありますけど(笑)。でも言ってみて別にいいじゃないですか。それこそ権利だし、授業を受けてるわけだから。なのに日本の学生は、確信がないと言えない。そしてまわりも、すぐ批判したり。

 SEALDsの学生たちに対する反発も結構ありました。「おまえら学生のくせに、何も知らないで何言ってんだ!」みたいな感じで、「正解を知らないくせに発言するな」みたいに潰そうとするっていうのが。

 でも逆に、SEALDsの子たちって、行動を取ることによって勉強しようとしていたんです。理論武装と言うか。藤田さんたちと関わったこともそうだし、私と関わったこともそうだと思うけど。何か社会に物申すみたいな行動を取ると、すごいヤジが飛んできたり誹謗中傷が来て、「いや、そんなことないよ」と思うけれども、「じゃあしっかり反論できるように、もっと勉強しよう」ってなって。自分で何かを発言することによって、「もうちょっと知りたいな」みたいな思いが出てきて、そこで学んで、それでまた発言できてっていう、好循環に入っていくわけじゃないですか。

 でも「知らないから発言しない」まま止まっていると、最後まで知らないままですよね。

藤田 そう。「知は力なり」ですね。

中野 そうなんですよ。だからやっぱり若い人に本当にこの本を読んでもらいたいと思います。

(藤田早苗氏)

「知ること」の大切さ――メディアもそれを助けるべき

中野 さっきは美徳の話をしましたが、戦前の教育勅語では「もともと日本の徳と知の源泉は天皇制にある」と言っていたわけです。「皇祖皇宗(*3)があって、そこが徳の源泉になっていて、だからおまえたちはよく勉強して、いざとなったら、国のために身をささげなさい」という話を教育勅語はしてるわけです。そういうふうに「知や徳の源泉は国家の指導者たちにある」っていう発想です。

 それに対して、われわれ一般市民がどう立ち向かっていくのかというと、やっぱり「知ること」がすごく大事なわけです。自分の権利を知ることでもあるし、ジャーナリストがちゃんとわれわれが知るべきことを探ってくれて、それをわれわれが知ることによって、政府を追及するっていうのも大事です。

 だけど今の日本の多くの新聞やテレビは、政府の発表をただ垂れ流すだけの「発表ジャーナリズム」なんで、調査報道の逆ですよね。

*3 こうそ・こうそう:皇室の先祖、歴代天皇。教育勅語でこの言葉が用いられている。

藤田    だから私が、BBCの動画をたまに講演会で見せると、皆ビックリしますね。イギリスにいると「メディアは私たちの側にいてくれて、埋もれちゃう声を引っ張り上げ出して、責任者にぶつけてくれてる」というのをすごく感じる。

 でも日本のテレビだけ見てると、政府が言ってることをそのまま流しているだけ。でもそれはメデイア本来の「パブリック・ウォッチドッグ」(公衆のための番犬 / 権力に対する監視役)の役割を果たしていません。

 でも、もっと良い例を知れば、本来あるべきジャーナリズムの姿とか、国際人権の形というのがわかってくる。そういう意味もあって、いろんな例をこの本には入れました。

中野 そこも、この本のすごくいいところだと思います。国際人権のあるべき姿っていうのもそうだし、イギリスなど海外で、どういうことがなされてるのかがわかる。

 コロナ禍で余計そうなんですが、若い人たちがあんまり海外に行くお金がなかったり、留学費用が出せなかったり、就活が心配だというようなことで、以前に比べて国際志向性が弱くなりました。外国の情報とか海外とのつながりが弱くなってる感じがあるので、この本のようにわかりやすく書いてあるのを読むと、興味持を持って「自分も留学しよう」とか「本当にどんな感じなのか見てみたい」と思うんじゃないでしょうか。

 藤田さんも、若い人たちとの勉強会とか交流というのをずっと大事にされてきてますよね。

藤田 そうですね。一緒にやることで、私の方がすごく学んでるんですけど(笑)。

中野 そういう中でインスピレーションをもらってる子は多いんじゃないですかね。

藤田 そうだといいんですけど。そういうふうにロンドンでやってて、中野先生にはこの前オンラインで参加していただいた「日本を外から学ぶ学習会」(*4)なんかも、コロナの前はずっとロンドンでリアルでやっていて……。その時にやはり外に来て、日本のことを客観的に見る、相対的に見るすごく貴重な機会なので、その人たちがいずれ日本に帰る。「やっぱり自分が日本に帰ってやらなきゃ」と思って帰って、日本の大学院に進んでくれてる子もいます。

 そういう相対視というか、外の経験って、すごく貴重なので、まず来てほしいし、それでそのまんま残っちゃわないで、日本に帰って貢献してほしいっていう思いはありますね。

 ただ、先生もご存じでしょうけど、海外に行っちゃったら「もう日本のことはどうでもいい」みたいになっちゃう人がたまにいます(苦笑)。でも逆に海外に出ると、自分がいかに日本人として恩恵を得てきたかっていうのもわかるし、「逆に愛国心が増した」みたいなところもあると思います。

中野 そうですよね。自分を育ててくれた日本社会に対して、逆に貢献したい、と。

*4「日本を外から学ぶ学習会」は藤田氏が2015年に日本からの留学生とロンドンで立ち上げた学習会。現在はオンラインで年に4回開催。 https://www.facebook.com/japanfromoverseas

(中野晃一氏)

批判を嫌う日本、「批判されたら直せばいい」という英国の官僚

中野 「クリティカル・フレンド」(批判してくれる友人)という言葉もこの本の中で再三出てきますね。「批判的なことを言ってくれる友達を大切にする文化っていうのが、やっぱり、社会や政治をより豊かにしていく」っていうことですよね。

藤田 そうですね。でも「クリティカル・シンキング」(批判的思考)とかも日本人は慣れてないし、「批判される」「批判する」ということにすごくネガティブな印象を持ってるみたいです。

――そうですね。よく「野党は批判ばかり」という人がけっこういますし。

藤田 ええ。でも「批判を受けることによって、気づく」というのは、とても大切なことで。

 以前イギリスの外務省の官僚と話してた時に、「政府は批判されて当たり前だよ。批判されたら、直したらいいんだ」って言ってて。そんなことを政府の役人に言われて、ビックリしました。でも、そういう態度で臨んで、ちゃんと批判を聞けば、その時は耳が痛いけど、改善できる機会が多くなりますよね。

中野 「市民社会の知恵も取り込んで、それで対応していこう」ということですよね。そこは日本の場合、先ほどの「徳や知の源泉が国にある」という考えが抜けないから難しい。「国家無謬説(こっかむびゅうせつ)」、つまり「国は誤らない」というのがすごく強くて、間違いを認めたがらない。

 藤田さんの本の中でも、国連とか国際人権機関の勧告に関して、日本政府は留意すらしないことが異常に多いと指摘されてますけど。先進国でそんな国はほとんどないほどの異常さなんですが、日本国内の論理では「国は間違えない」っていうのが強くある。

 だから河野談話とか、村山談話のような外国に対する謝罪に対する反発がとても強い。「国は間違えない」という国家主義的な考えが、今でも大きな足かせ、重荷になっている。

藤田 それは政府だけじゃなくて、一般の人もそう思ってませんか? 私がすごくビックリしたのが、日本人は政治家に対して「政府性善説」みたいな、「政府を疑わない」気質がすごく強いことです。その点イギリスとかでは、多くの人がものすごくスケプティカル(懐疑的)で、メディアも政府に対して「絶対こいつら何か悪い事やってるだろう」みたいな態度で見てるし。それに比べて日本人は、だましやすい国民かもしれません。

中野 そこはやっぱり国民国家神話のせいだと思います。つまり幕末・明治の「欧米列強に対して一人ぼっち」的な歴史観というのがあって、当時の帝国主義の環境もあるでしょうけど「国際社会というのは非常に敵意を持った危ないところだから、日本の国家が私たちを守ってくれている。だから国家を信じるし、忠誠を誓う」と。いまだに日本では「国は間違えない」という発想で「国を疑ってはいけない」という考えが根強いように思えます。ただ、それは本当に泥船っていうか……。まして今みたいに官僚の質も政治家の質もここまで劣化しているのに、「国は間違えない」なんてないでしょって(笑)。

藤田 本当にその通りですね。私の発信や活動も、ある人たちにとっては「政府がやってることを批判する、ましてや外国の勢力と通じて、そういうことをする」なんていうのは「反日」で「外圧を使う悪者」って言われるんですよね(苦笑)。それでも、人権を通して世界から日本がどのように見なされているか、ということを知るだけで、考え方や物事の見方は変わるはず。多くの人に思いやりではない、人権の視点を身につけて欲しいですね。

(左:中野晃一氏 右:藤田早苗氏)

関連書籍

武器としての国際人権 日本の貧困・報道・差別

プロフィール

藤田早苗×中野晃一

藤田早苗(ふじた さなえ)

法学博士(国際人権法)。エセックス大学人権センターフェロー。同大学で国際人権法学修士号、法学博士号取得。名古屋大学大学院国際開発研究科修了。大阪府出身、英国在住。特定秘密保護法案(2013年)、共謀罪法案(2017年)を英訳して国連に通報し、その危険性を周知。2016年の国連特別報告者(表現の自由)日本調査実現に尽力。著書に“The World Bank, Asian Development Bank and Human Rights“ (Edward Elgar publishing,2013)。

中野晃一(なかの こういち)

上智大学国際教養学部教授。1970年生まれ。東京大学文学部哲学科、英国オックスフォード大学哲学・政治コース卒業。米国プリンストン大学で博士号(政治学)を取得。専門は比較政治学、日本政治、政治思想。主な著書に『戦後日本の国家保守主義―内務・自治官僚の軌跡』(岩波書店、2013)、『右傾化する日本政治』(岩波新書、2015)、『つながり、変える私たちの立憲政治』(大月書店、2016)、『私物化される国家―支配と服従の日本政治』(角川新書、2018)、『噓に支配される日本』(共著、岩波書店、2018)ほか。

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「思いやり」に頼らない「人権」という視点