座談会

「隠されていることを明らかにする」ということが、政治を行なう上での基本的なインフラになる

泉房穂と「石井紘基」を語り尽くす夜 第2回
泉房穂×石井ターニャ×紀藤正樹×安冨歩×今西憲之(司会)

知的好奇心が成し遂げた偉業

石井 安冨先生がおっしゃったように、父はかなり複雑な研究をしていたと思うんですね。父本人も民主党の当時の議員の方々について、「なかなかわかってもらえないんだよね」と言っていたんですよ。逆に自民党議員の方から国会質問で、「ああ、石井君、そういうことだったのか。わかったよ」と握手を求められたと言っていたことを、思い出しました。

 父は、法哲学からの視点やアプローチも持ちつつ国全体の調査をしていたのではないかと思います。

 今では国会議員が役所に資料請求しても、もう真っ黒に塗りつぶされた「のり弁」みたいな資料しか出てこなくなりましたが、当時の父は、役所の縦割り行政により、なかなか出てこない資料を、複数の省庁から持って来させて、それを一つひとつ手がかりにして枝葉の情報を集め、ハサミとのりで切り貼りして図形を作ったりしながら利権の構造の全体像を調べているようでした。議員会館の事務所で、雪崩が起きるぐらいの大量の資料に埋もれて。

膨大な資料に囲まれた石井紘基氏

 すごい資料でしたよね。段ボール箱いっぱいの資料があって、半端なかったですね。政治家なのか研究者なのかわからないぐらい、部屋に籠っていましたね、ずっと。

石井 残された段ボール63箱分の資料のうち、今、大体10万枚ぐらいを電子化しました。

 父が心血注いだ研究を、今度は経済の視点から、安冨先生の高度で知的な分析により我々も新たな発見や学びになります。もし父が生きていれば、これほどうれしいことはなかったと思います。

 父亡き今となりましては「死んでから評価されたい」と言っていた父の本望だったと、本当に有り難く思っております。

安冨 石井紘基の存在というのは、本当に政治家として、あるいは活動家としてすごかったと思うんですけど、でも、やっぱり私がすごいなと思うのは、思考力の強さと一貫性、それから、異常なまでの知的好奇心というものですね。「どうしてそんなに調べられるんだ?」と。

 そこは私も政治家をやっていた者としては、自分の政治家としてのエネルギーを、日々の政治活動みたいな感じに行きがちなところを、もちろん石井さんは、それもやられていますよ。紀藤さんと一緒に被害者救済に走り回っていました。でもその一方で、夜中は事務所に籠って、一つひとつ資料を確認し、国政調査権を使って官僚から一枚一枚資料を取り寄せていましたから、もうあれはすごいエネルギーでしたね。

石井 ほとんど議員会館に住んでいるんじゃないかというぐらい、父はいつも最後まで居ました。

安冨 それは多分いろいろな説明をなさると思うのですけども、私はそれ、非常によくわかるので。とにかく知的好奇心に引っ張られてしまっているという状態になっていて。

 やっぱり謎を解こうしていたんですかね? 日本の国家の「何が問題なのか?」という部分が見えない状況を。

安冨 「面白くなってしょうがなくて、どんどんやってしまう」というのが、優れた学者の最大のポイントだと思うんですね。大抵の研究者というのは論文を書くために研究しているので、そうすると、とてつもないところまでは行かないんですけれど、純粋な知的好奇心に引っ張られてしまっている人間というのは、コスト無視でやってしまうんですね。それが石井紘基の場合には、命に関わってしまったということだと思うのです。

 今の「知的好奇心」という言葉ですけど、私なりに置き換えると、今回の本でも書かせていただいたんですけど、石井さんはずっと「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」、身も命も含めて、世の中のために尽くすんだという強い思いをお持ちでした。一種の使命感みたいなものも感じられて、知的好奇心と表現してもいいですけど、「不正の追及、闇の解明、それが自分の使命なんだ」みたいな覚悟が見えました。

安冨 それは研究者も、自分の意欲でやっている分には大したことにはならないと思うのです。それが、どこからか自分を超えた何かに引きずられてしまって、もう訳もなくやってしまっているとすごいことになる。まさに泉さんのおっしゃっていた「正義感」というものの正体は、それではなかったかなと思います。

今西 紀藤さん、そのあたりいかがでしょうか。

紀藤 この議論には一つの前提があって、当時は、国会議員が国政調査権というものをかなり柔軟に使えた時代だったんですよね。1980年代までさかのぼると、たとえば統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の霊感商法の問題について、各議員が刑事記録とか、行政記録とかに直接アクセスできたんです。国政調査権を根拠に議員特権というものが生まれていたのですけど、それは議員である以上立法しないといけないですから、立法の前提たる前提事実を調べることが容易にできた時代がありました。刑事記録そのものを、国会議員の国政調査権で取ることができたのです。

 ところが、だんだん難しくなっていくんです。たとえば、石井さんの死後、2003年に個人情報保護法が出来るとか、1980年代のスパイ防止法は廃案になりましたけども、より洗練された形で特定秘密保護法は2013年に成立した。その結果、現在は、国会議員が個人の力で刑事記録や行政記録を取ることが、非常に難しくなってきています。

「国民会計検査院」設立集会での石井紘基氏

石井紘基の調べたものが日本の出発点になる

紀藤 それからもう一つは、憲法的にいうと、憲法は62条でこの国政調査権を規定していますが、その規定は、「両議院は、各々国政に関する調査を行い、これに関して証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる」となっています。この「両議院」は、議員個人ではなく、院制の「議院」です。憲法上、「衆参両議院が国政調査をする権限を持っている」という立てつけになっている。だから、個々の国会議員が調べられるものがどんどん減っているんです。わかりやすく言うと、最近の国会議員は、調べようにも、官僚が通り一遍のものしか持ってこないんですよね。

 そういう経緯のなかで2002年に石井紘基さんが殺害されたのは、非常に大きな意味を持ちます。なぜかというと、石井さんはそれまで国政調査権を使って、いわば議員特権を使っていろんな記録を調べていったわけです。その先例になるはずだったものが、殺害されたことによって、その後に引き継がれなかった。つまり、石井さんと同じようなことをやっている国会議員が、弟子として次に育ってないのです。泉さんもその次の郵政選挙で落選されるので、結局、石井さんの仕事は引き継がれていない。法律化されていない。「議員が立法するにあたって、どういうことが調べられるのか」ということが整理された、特別法がないのです。

 だから結局、今は制限ばかりになっていて、個々の議員の力がどんどん弱まっている。それは安冨先生が言われるように、官僚権限が逆にどんどん強まっていることも意味するのです。官僚の活動について、議員が調べられないわけですから。

 石井さんは戦ったと思うんですね、もし議員特権が制限されるのであれば。国政調査権の発露としての議員特権を守るための新しい立法が出来た可能性もあるのです。そういうものが全部失われたという意味では、石井紘基さんの死はあまりにも、その後の日本において大きな損失だったのではないかと思います。

安冨 私も同じように思います。個人情報保護法とか特定秘密保護法とかの、本当の目的はそこにあったと思いますね。つまり、システムにとって都合の悪い記録を調べられないようにする、誰からも見られないようにする。その目的でつくったのだろうなと私は考えていました。

 私も市長を12年やっていて、市長という立場にいると、黒塗りの資料しか上がって来ないんです。情報開示があっても、現場が全部消してしまう。見せないわけ。市長の私が「黒塗りせんでいいから」と言っていたぐらいで、そこは地方公務員も中央省庁の官僚も同じです。役人には「悪意がなくてもオープンにしたくない」という習性がありますから、そこは市長としても悩ましい問題でした。誰かのプライバシーを侵害するんだったら黒塗りしたらいいけど、そうじゃなかったら、行政がやったことは胸を張ってやればいいんだから、オープンにしたらいい。私はそう思っていたんですけど、実際はなかなかそうでもなかった。それがまして中央省庁になってくると、もっと秘密主義になってしまっているとは感じますね。

泉房穂氏

安冨 石井紘基が調べたものが、出発点になると思うんです。「そこから日本はどういうふうに変わってきたのか」ということを考えると、今の日本の像が描きやすくなると思っています。

「関所システム」のモデルとなった、「満洲国」という「国」を私は研究したんですけど、資料が戦争中で少なかったとはいえ、戦後、「国」が崩壊しているので、全ての資料がオープンになったわけです。世界的に、散らばっている資料をいろんな人が集めて、研究を進めていくことができたのですが、そうやって見えるレベルというのは、やっぱり明快なんですよね。すごくいろいろなことが、よくわかるのです。

 リアルタイムで動いている日本のことになると、そういうレベルでは見られないんですよね。でも、20年前のことであれば、今はだいぶ安全になっていますので、石井紘基が残したり、考えたことを出発点にすると、現在の日本を理解する上で役に立つのではないかと思うのです。

 それは、先ほどターニャさんもおっしゃっていましたけれども、与党にとっても非常に役に立ったはずなんです。なぜなら、与党、自民党の政治家も全員だまされているわけですから。「隠されていることを明らかにする」ということが、政治を行なう上での基本的なインフラになるのではないかと私は思っています。(つづく) 

*統一教会(世界基督教統一神霊協会)は、現在は、世界平和統一家庭連合と名前を変えています。新聞などは「旧統一教会」と表記しますが、本稿では歴史を尊重して、統一教会(Unification Church) と呼ぶことにします。

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関連書籍

わが恩師 石井紘基が見破った官僚国家 日本の闇

プロフィール

泉房穂×石井ターニャ×紀藤正樹×安冨歩×今西憲之(司会)


泉房穂(いずみ ふさほ)
弁護士、社会福祉士、前明石市長、元衆議院議員。1963年、兵庫県明石市二見町生まれ。東京大学教育学部卒業後、テレビ局のディレクター、石井紘基氏の秘書を経て弁護士となり、2003年に衆議院議員に。その後、社会福祉士の資格も取り、2011年5月から明石市長を3期12年つとめた。著書に『日本が滅びる前に 明石モデルがひらく国家の未来』(集英社新書)『社会の変え方 日本の政治をあきらめていたすべての人へ』(ライツ社)『政治はケンカだ! 明石市長の12年』(聞き手=鮫島浩、講談社)他多数。

石井ターニャ(いしい たーにゃ)
1972年、東京都生まれ。石井紘基氏の長女。幼少からNHK教育テレビにて「ロシア語講座」をはじめテレビ、舞台などで活動。大学在学中「ロシア語会話」にレギュラーアシスタントとして出演。大学卒業後には、国会議員である父親の秘書としても活動。通訳、撮影コーディネーター、ライター、テレビ番組アシスタント、情報番組のコメンテーターも務める。また、民間会社、衆議院議員の公設第一秘書などを経て、子育てを機に各地で農業や食に関する様々な活動にたずさわる。

紀藤正樹(きとう まさき)
1960年、山口県宇部市生まれ。リンク総合法律事務所所長。弁護士(第二東京弁護士会所属)。市民の立ち位置から、一般の消費者被害から宗教やインターネット、SNSにかかわる消費者問題、被害者の人権問題、児童虐待問題等に尽力している。著作に『カルト宗教』『決定版 マインド・コントロール』(共にアスコム)、『議論の極意』(SB新書)等多数。

安冨歩(やすとみ あゆみ)
1963年、大阪府生まれ。東京大学東洋文化研究所名誉教授。京都大学経済学部卒業後、銀行勤務。京都大学大学院経済学研究科修士課程修了。博士(経済学)。著書に『「満洲国」の金融』(日経・経済図書文化賞、創文社)、『複雑さを生きる』(岩波書店/一月万冊復刻版)『生きる技法』(青灯社)等多数。

司会 今西憲之(いまにし のりゆき)
1966年、大阪府生まれ。ジャーナリスト。大阪を拠点に週刊誌や月刊誌の取材を手がけ、権力の腐敗や原発問題について精力的に執筆。

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「隠されていることを明らかにする」ということが、政治を行なう上での基本的なインフラになる