日本とアメリカの上司は何が違う?
太田 桂さんはアメリカでの生活が長かったわけですけど、あちらの上司と部下の関係はどんな感じなんでしょう。日本とは違うところも多いと思うんですけど。
桂 わたしの場合、米TDK時代と転職先のイメーション社で2人のアメリカ人上司に仕えた経験があるのですが、2人に共通していたのは、「どうしたら部下が気持ちよく仕事をできるのか」というのを、非常に大事にしていたということですね。
太田 アメリカ企業というと、一般的には契約社会でもっとドライな風土で…みたいにイメージしている日本の人は多いと思いますけど。
桂 これはアメリカ人上司から聞いたのですが、部下と評価後に行う個人面談の一番の目的は、やる気を高めてもらうことだと。面談が終わって部下が部屋を出るときに、「また頑張ろう」と思ってもらえなければならない、と言うんですね。実際に彼との面談の最後は、お互いが立ち上がってがっちり握手をして終わるんです。
太田 そういうところって、日本の組織には欠けている部分でしょうね。
桂 欠けていますね。社員に心地よく仕事をしてもらうという部分に力を注いでる企業の人事部というのを、わたしは個人的に聞いたことないです。わたしの知らないところであるのかもしれませんが。だから、そういうところをこれから取り入れていくことで、何かが変わるのかもしれません。
太田 ひるがえって日本はどうかというと、たとえばコロナ渦でリモート会議が増えましたけど、その際も上役のウインドウは必ずパソコン画面の上に配置しないといけないとか。これが逆だとえらいことになる(笑)。そんなことばかりやっている。
桂 本当にそんなことをやっている会社もあるんですね。
太田 残業も上司が帰らないと部下も残るしかない。「お先に失礼します」と、先に帰ったら何を言われるかわからないと思っている。
桂 確かにそういう部下もいましたね。私より先に帰ろうとしない人が。こちらとしては、先に帰ってもらって全く問題ないんですけどね。
太田 特に仕事で自信のない人は、貢献してるように見せようとする。遅くまで残っているだけで一所懸命やってるように見えるので。IT系とかクリエイター系のように、業務のパフォーマンスがはっきり数値化されるような仕事ならそんなことは少ないでしょうが、業務の成果がわかりにくいのは日本型の組織の特徴ですし、役所などはその典型かもしれませんね。
桂 誰がやっても同じ仕事というのは、代わりがきくということですよね。
太田 代わりがきくということは、能力があまり問われない、誰がやっても同じだということで、要は従順な人がいいということになる。そうなると、能力が低くても「ハイハイ、なんでもやりますよ」という人にどんどん仕事が回ってくるし、仕事の質も問われない。
桂 そういう意味では、仕事に対する評価というのは大きなポイントなのに、現実には曖昧なまま行われていたりしますよね。「実績はともかく、こいつは頑張ってるしな」とか。そうなると、評価される側は「頑張ってるところを見せなきゃ」と思うし。わたし自身を振り返ってみても、最終的になにが評価の決め手になるかはちょっと曖昧で、フワっとしたイメージのようなもので、評価してしまっていた自覚は少なからずありますね。
――冒頭のほうで、中途半端な変革が「半端の罪」につながるという話がありました。それは「否定して和を乱してはいけない」という共同体の概念が根底にあり、それが「あいまいな人事評価」にもつながっているのでしょうか。
太田 それはあると思います。共同体の中で人間関係が決裂しないためには、みんなが一応納得できる、いわゆる「落としどころ」を探らないといけない。そうなるとどうしても折衷案になる。もうひとつは、組織の仕組みを変えずに何かを取り入れようとすると、本来の趣旨とは違った骨抜きのものになるということです。さっきの話につながりますね。
桂 基本的にあまり変化を望まないところが日本社会にはあると思います。あまり変えるのはちょっと怖い。あるいは面倒くさい。弊害もきっとあるだろう、文句を言ってくるヤツも出てくるだろう、だからそれなりに表面だけは……という具合に。自分の勤め人時代を振り返ってみても、痛いほどわかってしまいますね。
太田 日産があそこまで大規模なリストラをできたのは、カルロス・ゴーンが同じ共同体の人間でなかったからでしょう。黒船や戦後の進駐軍のように大きな外圧がないとなかなか変われないのは、この国でずっと続いてきたことかもしれません。
桂 たしかにそうですね。
太田 見知った部下や関係者に対しては、本人や家族の人生を決定づけることですから、同じ「ムラ」の人間にはなかなかできない。ゴーンのようにそこの「住人外」でないとできないでしょうね。まあ、ゴーンに関しては別の問題もありますけど。
桂 ちなみに、日本人の経営者でもソニーの出井伸之さんが、2003年に構造改革へ向けて新たな経営方針を発表した際、2万人規模の大リストラを敢行しました。当時は社長を経て、会長兼グループCEOだったと思います。ただ、出井さんは、典型的な日本人経営者というよりは、欧米の経営者との人脈も幅が広かったり、GM(米ゼネラル・モーターズ社)の社外取締役も務めたりで、国際派の経営者という印象がありますよね。
太田 そう。あまり日本人社長らしくないというか、日本の経営者としてはちょっと特異な感じがしますよね。
あとこれは余談ですが、日本企業を共同体として表現するとき、よく「村社会」という言葉を使うじゃないですか。わたしも便宜的に使うことはありますが、実はこれにずっと違和感を覚えていまして。というのも、実際の農村って、実はそんなに同じ価値観の人間で凝り固まっているわけではなくて、住民がもっとバラバラの状態で存在しているんです。
桂 そんなに同質化しているわけでもないし、最大公約数を共有している人の集まりというわけでもないと。
太田 ええ。基本、みんな農家で自営業ですしね。ルールに従わない人も普通にいますし、それを他の村民が縛りつけたりもしない。いわゆる「村八分」なんて実際にはほとんどありませんから。地域差もあるんでしょうけど。
だから、あまりにも極端に農村のアナロジーで説明をしようとすると、現実を見誤るんです。何が言いたいかというと、実際の農村って、丸の内の企業ほど〝ムラ社会〟してないんです。村は会社ほど窮屈ではないんですよ(笑)。むしろ、企業も農村のようにやっていければ、もっとフラットな組織になれるのになんて考えるくらいです。
桂 なるほど(笑)。「村」より「企業」のほうが実際は「ムラ社会」をしていると。聞いているとおもしろいですけど、本質を考えると笑えない話といいますか、それもまた象徴的なお話ですよね。
プロフィール
桂 幹(かつら みき)
1961年、大阪府生まれ。86年、同志社大学卒業後、TDK入社。98年、TDKの記録メディア事業部門の米国子会社に出向し、2002年、同社副社長に就任。
08年、事業撤退により出向解除。TDKに帰任後退職。同年イメーション社に転職、11年、日本法人の常務取締役に就任も、16年、事業撤退により退職。今回が初の書籍執筆となる。
太田 肇(おおた はじめ)
同志社大学政策学部・同大学院総合政策科学研究科教授。日本における組織研究の第一人者として知られる。他の著書に『同調圧力の正体』(PHP新書)『日本人の承認欲求』『「承認欲求」の呪縛』(ともに新潮新書)『個人尊重の組織論』(中公新書)など多数。