武者小路実篤の本で、自立という考えは捨てるべきと確信!
飯田 話を少し戻すと、今回のイベントのテーマには「希望」と「不安」という言葉が入っていますよね。「おりる」と簡単に言ってしまうのも白々しい気はするんですが、勝山さんの『安心ひきこもりライフ』という前の本では、ひきこもりは職業訓練や就労支援を受けるんじゃなくて、ひきこもりなりに無理のない、そこそこ楽しい生き方ができるんじゃないかということを模索した本だと思いました。
勝山 小屋を作るくらいまでは、そういう感じだったんですよ。その後、2015年頃に、教育機会確保法という不登校対策などの法案が提出されたときに、その反対運動に参加してみないかと誘われて、深く考えずに参加したんですよ。そこで、ちょっとものの見方が変わったんです。
それまでは、いわば一人称的な考えかたで、自分の周囲2メートルで起こっていることを面白おかしく語る、2メートルの範囲でなんとかうまくやっていくことに力を入れていたのですが、政治的な人間でもなんでもないのになんとなく誘われて、やってくれないかと言われて、社会運動みたいなものを生まれて初めてやってみたわけですよ。そこで初めて社会の仕組み、物事がどうやって決まるのか、そして自分たちには何も決める力がない、ということが見えてきた。
決める力というのは、たとえば院内集会で議員会館に行って、国会議員の人にも「集会に来てください」とお願いするんだけれども、その時に、自分としては誠意を込めて一件一件お願いすれば来てくれる、と思っていたわけです。でも、そんな一人称の考えからもうちょっと視野を広げて鳥の視点で見ると、誰も知らない少数グループの、聞いたこともないヘンなサークルの人たちがチラシを持ってきたところで、なんで権力者である国会議員がそんなところにのこのこ顔を出さなきゃいけないんだ、という「ものの道理」ってものが見えてきたんですよね。
無視できるような弱いものは無視される、無視できない強いものには国会議員も対応せざるを得ないという、力学というか道理ですよね。それまでは自分が主人公であり主人公の分身だったけれども、実は群像劇の一人でしかない。実際に、教育確保法は普通に成立して、我々のやったことは無駄な努力であったという結論に達したわけ。
そういう視点も身につけつつ、でも自分の得意なのは半径2メートルで起こるものごとを楽しく語ること、というのは絶対的な自信もあるんで、そこがこの本では混ざってると思います。
飯田 確かに『安心ひきこもりライフ』は、どちらかといえば身近な引きこもり生活について書かれた本で、今回の本はわりと社会的なテーマも強く出ていますね。このふたつの本の間の12~3年を勝山さんはどう過ごしていたんですか。
勝山 東日本大震災の後は、脱原発のデモにもひょこひょこ行ってましたね。その後、本が出たことで、全国の不登校の親の会の人たちが講演で呼んでくれて、「ひきこもりブッダツアー」と題して、いろんなところでお話をしたりもしました。あとは、さっきも話した和歌山の小屋作り。もともとヘンリー・デビッド・ソローの『森の生活』が好きで、田舎暮らしにも憧れがあったので、それをやってた時期も結構ありました。で、教育機会確保法案の反対運動を1年半くらいやったかな。その後、『週刊金曜日』で連載したものが電子書籍になりました。
飯田 『バラ色のひきこもり』というタイトルの電子書籍で、今回の本にも一部、その中から加筆されたものが収録されていますね。今回のイベントに際して『バラ色のひきこもり』を読みましたが、すごく楽しかったです。
勝山 ありがとうございます。オンラインで300円で売っています。そうやってひきこもりなりにいろんな活動をしていたのですが、そうすると「そろそろ次の本も出したいなぁ」なんて煩悩が出てくるわけです。その頃は小屋を作っていたので、小屋の本を出そうかなと思っていたら、世の中では小屋ブームが起こりはじめて、DIYで小屋を作ったり車を改造して寝泊まりできるキャンピングをやっている人とか、自分なんかよりもハイレベルの人たちがいっぱいいるような状態になっていました。でも、作って実際にやってみることで見えてくる真実のようなものを腹の底から感じていて、「何かいいアイデアはないかなぁ……」なんて考えながらも何も思いつかないでいたら、コロナの時期に突入するわけです。
コロナになると、東京や都市から田舎に行くことはあまり歓迎されないんですよね。それで結局、3~4年ほど間が空いて、ちょっと途切れてるんですけれども、3年くらい会ってない人がゴロゴロいるようになってしまったので、それを取り戻したいというのが今のテーマで、だから何をするにもなるべく直接会おうとしています。そんな感じで、最近はリアルにこだわってるんですね。
飯田 ぼくも、コロナ禍で知人や友人と会えなくなったことが大きなストレスだったので、いま人と直接会う機会が多くなったことには非常に安心感があります。
今回勝山さんのデビュー作『ひきこもりカレンダー』(文春ネスコ)も初めて読んだのですが、1冊目から、すでにひきこもりについての考えの核がかたまっていたんだな、と思えました。勝山さんは、どういう経緯で「ひきこもりでもいいじゃないか」と開き直れるようになったのか、改めて聞かせてもらえますか。
勝山 この本の中ですでに、自立するという考えは真っ先に捨てるべきだ、と書いてあるんですよね。それをさらに強く思わせてくれたものが、武者小路実篤の『或る日の一休』。もともと『或日の一休和尚』というタイトルで発表されたんだけど、その後、改題されていることに最近気づきました。この作品の中で一休さんが「飢えずにする泥棒を褒めはしないが、飢えてする泥棒は褒めていい」というようなことを言っていて、それにすごくインスパイアを受けました。
飯田 今回の『自立からの卒業』でも、その作品について言及していますね。読んだのは、最初の本を書いた頃ですか?
勝山 いや、全然最近です。今回の本の完成間近に読みました。餓死するくらいなら追いはぎをした方がいい、というのがその物語内での一休さんの主張で、それがすごく面白くて、その考えを取り入れていきたいなと思ったんです。
プロフィール
勝山実(かつやま・みのる)
1971年、神奈川県生まれ。横浜の大地が生んだデクノボー。自称ひきこもり名人(中国語だと繭居大師)。高校3年時に不登校になり、以来ひきこもり生活に。著書に『安心ひきこもりライフ』(太田出版)、『ひきこもりカレンダー』(文春ネスコ)、『バラ色のひきこもり』(金曜日/電子書籍)などがある。
飯田朔(いいだ・さく)
1989年、東京都出身。早稲田大学在学中に大学不登校となり、2010年、フリーペーパー『吉祥寺ダラダラ日記』を制作。また、他学部の文芸評論家・加藤典洋氏のゼミを聴講、批評を学ぶ。卒業後、2017年まで学習塾で講師を続け、翌年スペインに渡航。1年間現地で暮らし、2019年に帰国。今回が初の書籍執筆となる。