著者インタビュー

『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫

水野和夫・法政大学教授

資本主義の終わり。この大転換を乗り越えるために。

資本主義の最終局面に立つ日本。
ゼロ金利が示すのは資本を投資しても利潤の出ない資本主義の「死」の状態。
この「歴史の危機」を乗り越えるためにはどうしたらよいのか。
今月発売された、経済学者・水野和夫さんの新刊『資本主義の終焉と歴史の危機』はその提言をまとめた一冊です。
本書のガイダンスとして、水野さんにお話しをうかがいました。
聞き手・構成=斎藤哲也/撮影=露木聡子

 

資本主義の死が近づいている

──水野さんの新著『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)は文字通り、資本主義の死が近づいていることに警鐘を鳴らす内容になっています。
  リーマン・ショック以降、資本主義の危機を論じる本は多数出ていますが、水野さんのように「資本主義は終わる」と断言している本はほとんど見かけません。処方箋は違えども、資本主義を継続させることが前提になっている議論が多数派です。

 いまだに経済学者もエコノミストも「成長」を無条件に信奉しているからでしょうね。でも、成長を駆動するようなフロンティアはもう地球上のどこにもありません。「アフリカのグローバリゼーション」と叫んでいる段階で、地理的な市場拡大は最終局面に入っているわけです。金融市場だって、一万分の一秒単位の高速取引をして利潤をあげるような競争が起きています。そこまで時間を切り刻まないと利益を確保できないということは、金融空間も行き詰まっていることの現れです。

──もう資本が利潤を得られる空間は残されていないわけですね。

 そうです。そのことをはっきり物語っているのが、先進諸国の国債利回りです。日本では一九九七年に十年国債利回りが二・〇%を下回り、以来、現在までその状態が続いています。アメリカ、イギリス、ドイツでも低金利が続いています。
 金利というのは長期的に見ると、資本の利潤率とほぼ同じですから、利子率の低下は高い利潤をあげられる投資先がなくなったことを意味しています。
 資本を投下し、利潤を得て資本を増殖させることが資本主義の性質ですから、超低金利というのは資本主義が機能不全に陥っていることを示しているんです。

──人類史上初の現象ではないかと水野さんは指摘なさっています。

 現代と似た状況は、十六世紀末から十七世紀初頭のイタリアのジェノヴァでも起きていました。当時の先進地域イタリアでは金銀があふれているのに投資先がなくなっていて、金利二%を下回る時代が一一年続いたのです。
 とはいえ、日本の超低金利はすでに二○年近く続いていますし、一国だけの現象ではなく、グローバル化して市場がひとつになった現代で、他の先進国も日本化してきている。世界規模で利潤を得られる場所がなくなったという意味において、これは人類史上、初めてのことなのだと思います。

近代経済学の限界

──水野さんが日本の利子率の変化に違和感を持ったのはいつごろなんでしょうか。

 小泉政権の時代だったと思います。私は証券会社のエコノミストとして経済調査をしていたんですが、一九九七年に利子率が二%を割った当初は、一時的な落ち込みだと考えていました。ところがその後も一向に二%を超えない。これは何かおかしいと思って、歴史家フェルナン・ブローデルの『地中海』や歴史社会学者のイマニュエル・ウォーラーステインの『近代世界システム』を読みあさると、さきほどのイタリアの低金利の理由がしっかり説明されている。あっ、一六世紀末のイタリアの状況は、現代の日本とよく似ている、と気づいたんです。

──経済学ではなくて、世界史的な視線で考えようとしたわけですね。歴史以外にも、水野理論には人文・思想、社会科学、文学など非常に広範な分野の知が流れ込んでいるように感じられます。

 時代の転機には、学問の体系も一変します。中世では神学が最大のイデオロギーでしたが、デカルトやニュートンが登場して合理的な世界観というものが近代の柱になるわけですよね。経済学もそのうちの一つとしてできあがったものです。
 だとすると、歴史の危機である現代を分析するにしても、様々な知を咀嚼しなければ見えないものがあるように思うんです。それでドイツの法哲学者のカール・シュミットを読んだり、政治思想家たちの帝国論を読んだりして、この時代の実像をつかまえようとしてきました。

──その結果、近代資本主義の終焉は近いという結論に達したわけですね。

 ええ。結局、グローバル化以前の資本主義は、全人口の二割にあたる先進国の人々が、独占的に資源を安く手に入れることで豊かさを享受するシステムでした。一方、二一世紀のグローバリゼーションは、新興国や途上国の五十億人が、わずか二〇〜三〇年で先進国同様の豊かさを手に入れようとしています。
 でも、資本主義というのはそもそも全人口の二割しか豊かになれないシステムなんです。七〇億人が資本主義をやろうとしたら、パンクするのは目に見えています。

グローバル資本主義の暴走が民主主義を破壊する

──本のなかで印象的だったのは、バブル崩壊による壊滅的な危機を防ぐためには、できるだけ資本主義にブレーキをかけて延命させなければいけない、と語っている部分です。

 フロンティアが消滅した以上、どのみち資本主義は終わらざるをえません。でも、先のシステムがまだ見えていないのですから、その準備をするためにも、もうしばらくは資本主義に持ちこたえてもらわないといけないのです。
 ところがその音頭を取るべき先進国さえ、ブレーキどころか量的緩和や積極財政でわざわざ危機を加速させています。さらに法人税の引き下げ競争のように、グローバル企業に有利な制度ばかりをつくっている始末です。
 もはや国家も資本にこき使われている状態なんでしょう。グローバルな資本帝国はバブルを起こしてごっそり儲け、バブルが弾けても公的資金で救済されてきました。そのツケは、リストラや賃下げという形で国民が払わされてきたわけですね。
 その結果起きたのが、格差・貧困の拡大や中間層の没落です。
 アメリカが超格差社会であることは言わずもがなですが、日本でも金融資産ゼロ世帯が三一%にのぼります。七〇年代半ばから八〇年代前半にかけては三〜五%ですから、およそ三〇年にわたって中間層の富は失われ続けたといっていいでしょう。
 この中間層の没落は、民主主義の危機に直結します。それはこういうことです。市民革命以後、資本主義と民主主義が両輪となって主権国家システムを発展させてきましたが、民主主義の経済的な意味とは、適切な労働分配率を維持すること、端的に言えば適切な賃金水準を維持することです。しかし資本と国家が一体となって、中間層の賃金を略奪しているのですから、民主主義の基盤である国民の同質性も破壊されているわけです。

──現在直面している「歴史の危機」は、単に経済が低迷するだけでは済まないということですね。

 ええ。中世を襲った「歴史の危機」も、封建制システムだけが変化したのではありません。同時に、教会をトップとするキリスト教社会が崩壊して、主権国家のシステムができあがりました。
 それを考えれば、資本主義が終わるならば、主権国家システムも別のシステムに転換せざるをえないのでしょうが、現状を見ると、主権国家や民主主義のほうが大きなダメージを受けているように感じます。このままだと資本主義が終わる前に、主権国家や民主主義が終わってしまいそうです。

「定常状態」を実現するために

──資本と国家の関係について、本書では「今や資本が主人で、国家が奉公人のような関係です」と書かれていますが、そうなると、国家がグローバル資本主義に歯止めをかけるのは難しいのではないでしょうか。

 おっしゃるように、グローバル資本主義のもとでは、マルクスの『共産党宣言』とはまったく逆に、万国の資本家が簡単に団結します。それは、資本というものが最も容易に国境を超えるものだからです。一方、国家や労働者はなかなか団結することはできません。EUは、国家の規模を大きくしてグローバル資本主義に対抗しようとしましたが、EU危機で苦難に直面しているということは、まだグローバル企業に比して非力だということです。
 じゃあ、どうすればいいでしょうか。世界の労働者がネットワーク化して、グローバル資本主義に対抗することは現実的には難しいと思います。そうなると、取りうる選択肢としてはG20が連帯して、グローバル企業に対抗するということになるんじゃないでしょうか。
 具体的にはG20で連帯して、法人税の引き下げ競争に歯止めをかけたり、国際的な金融取引に課税するトービン税のような仕組みを導入することが考えられます。

──それすらも現状では難しいように感じます。そういった国家間の協調なり連帯ができない場合は、どうすればいいでしょう?

 日本にかぎっていえば、できるだけ早く「定常状態」を実現することが最優先の課題だと思います。
「定常状態」とはゼロ成長社会のことで、GDPが一定で推移するような社会のことです。ゼロ成長社会では、純投資(純粋な新規資金の調達でおこなわれる投資)がないわけですから、経済は買い替えだけで循環するということです。
 利潤が得られない状況で成長を求めるということは、どこかに相当な無理を押しつけているということでしょう。そんな現在、バブルが崩壊すれば莫大な債務を抱え込むことになり、バブル以前に比べて経済は大きく後退してしまうのです。
 日本の土地バブルが崩壊してから現在まで、政府は量的緩和や積極財政を繰り返してきました。しかし、景気は一時的に回復しても、雇用や賃金は減少する一方です。結局、成長政策をとった結果、一〇〇〇兆円という巨額の国家債務だけがつくられていったのです。

──逆説的なことに、成長戦略をとるとマイナス成長になってしまう。だから「定常状態」を実現することだって至難の業だ、とおっしゃっていますね。

 そこがよく勘違いされるところなんですね。ゼロ成長がいいんだというと、みんなが貧しくなるようなイメージで受け取られるんですが、大きな誤解です。余剰を無理やり溜め込み再投資するのではなく、生産したものをシェアしながら享受するのですから、豊かさを取り戻すことになると思います。
 では、どうしたら「定常状態」を実現できるでしょうか。一〇〇〇兆円の借金を放置し、グローバル資本主義に飲み込まれたままでは、マイナス成長社会、つまり貧困社会になってしまいます。現に日本はそうなりつつある。
 ゼロ成長を維持するためには、借金を均衡させ、資源価格の高騰で影響を受けないような安いエネルギーを国内でつくりだすことが求められます。だから非常に高度な構想力が必要とされるんです。
 日本はいま、ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレですから、「定常状態」の必要条件は満たしています。そのアドバンテージがあるにもかかわらず、成長主義にとらわれてしまっているがために後退を余儀なくされているのです。

──「定常状態」を実現するためには、近代資本主義の理念である「より速く、より遠くへ、より合理的に」から「よりゆっくり、より近くへ、より曖昧に」と転じることが重要だとも指摘しています。これは、具体的にはどういうことでしょうか。

「より速く、より遠くへ、より合理的に」行動するということは、利潤の極大化をめざすということです。それを逆回転させることで、できるだけ利潤がつくられないようにすることが重要です。
 ですから「よりゆっくり」とは、時間に追われない生活をしたり物事をじっくり考えたりすることに価値を認めることだと思います。「タイム・イズ・マネー」というように、時間と利子とは密接な関係がありますが、ゼロ金利ということは、時間に縛られる必要から解放されたということです。
「より近くへ」は、地理的なフロンティアはもう行き詰まっているわけですから、一国や地域単位で経済をまわしていくことです。
「より曖昧に」は、合理性や効率性だけで物事を判断してはいけないということだと思います。リーマン・ショックも福島第一原発の事故も、合理的であることを過信した結果、起きた出来事です。科学や論理を信奉しすぎたあまり、取り返しの付かないような危機を招いてしまったわけです。ですから、地球や自然に対して謙虚になるということが「より曖昧に」という姿勢につながるのではないでしょうか。

 

みずの・かずお●法政大学教
1953年愛知県生まれ。早稲田大学大学院修士課程経済研究科修了。元三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミスト。著書『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』『終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか』『超マクロ展望 世界経済の真実』(萱野稔人氏との共著)等。

2014年 青春と読書 4月号「エッセイ」より

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