対談

かくもたくましきインドの民に魅せられて①

──過酷な無縁世界を生き抜く
池亀彩×パロミタ友美

出自で命の重ささえ変わる──残酷なカースト制度が根づくインド社会において、底辺に生きる人々が被る理不尽さは過酷そのもの。池亀彩氏(社会人類学者)の『インド残酷物語 世界一たくましい民』は、そんな格差・差別当然の社会でたくましく生きる人々の姿を活写した。
その池亀氏がインドの紀行文学の最高峰としてあげるのが、ウィリアム・ダルリンプル(スコットランドの作家・歴史家)の『NINE LIVES』だ。インドに息づく鮮烈な伝統、信仰、歌、舞踏の世界を描いた、この世界的ベストセラーの日本語版を長年熱望してきたが、パロミタ友美氏の翻訳でついに実現。『9つの人生 現代インドの聖なるものを求めて』として今年1月に刊行された。パロミタ氏は、ダルリンプルの物語にも登場するバウル(ベンガル地方で歌い継がれる修行歌の伝統)の行者でもある。池亀氏、パロミタ氏とも、インドに長年暮らし、カオスを生き抜く人々に接してきた。ふたりが見つめ続けてきたインドは、強く、たくましく、深い。

構成・文=宮内千和子 写真=神崎真優

 

日本文化に共鳴する訳語の複層性

池亀  『インド残酷物語』を書くうえで、私がもっとも影響を受けたのがダルリンプルの『NINE LIVES』です。インドの紀行文学として、現時点で最高峰に位置すると思っています。この世界的ベストセラーの日本語訳がなぜないのかと、長年ずっと気になっていたんですが、パロミタさんの素晴らしい翻訳で、ついに日本語で読めるようになった。これは本当にうれしいことでした。

パロミタ 光栄です。ありがとうございます。

池亀 これはパロミタさんの訳の上手さだと思うんですが、英語版と比較すると、日本語になったときの独特の複層性があると思うんですね。例えば仏教的な用語の扱い方も、パロミタさんはすごくきちんと宗教用語を調べて訳語をつけられ、かつその説明をルビで的確に表現している。あるいは日本語訳に現地の言葉でルビがついている。とくに仏教的な知識を何となく生活の中で持っている日本人が読むと、その複層性によってより理解と深みが増して、英語版とは違う魅力を感じました。日本語で読むと、日本文化の中に入っているインド的なものとの共鳴があるんですね。そこが翻訳という形ですごく上手に出ているなと思って、改めて感動のレベルが深まったという感じがします。

パロミタ そう言っていただけるとうれしいです。翻訳に関しては、いわゆる翻訳日本語というものが私は好みではないので、日本語として違和感がないように努めました。ルビについては、インドの言葉にインド人がパッとその意味を連想するように、日本語訳でも日本人が意味をパッと連想できるようにしたかったんです。それこそ日本人が漢字を見るときのような感じで。

英語の原書には最後に用語解説がありますが、日本語は漢字とルビがあるので、巻末の用語ページと行ったり来たりして確認しなくても、それだけで音の響きと意味を同時に表すことができる。そうした見せ方は、日本語の強みだと思います。だからこの邦訳では用語ページを割愛しました。

池亀 そうですか。ルビはすごく効果的でよかったと思います。たとえば第五章のスーフィー廟にいる女性を描いた「赤い妖精」の中で、「ルドラークシャ」のルビで「シヴァ神の目の実」と訳が付いている。私自身、ルドラークシャの意味は学んで知っているはずなのに、単語だけ聞くとまず音で先に入ってきてしまうんですね。そこにパロミタさんの訳がパッと入ってくると、あ、そういうことなんだと、改めて理解が深くなる。とても勉強になりました。

パロミタ よかったです。怒られなくてよかった(笑)。

池亀 いえいえ。そういう日本語訳のすばらしさも相まって、一つ一つの物語のエネルギー量が圧倒的で、一つ読むごとにふうっという感じで(笑)、お茶飲んだり、ボーッっとしたりして、とてもすぐ次の物語には行けない。

パロミタ 本当にそうですよね。一つの物語が終わるごとに、改めて扉をつけて一呼吸おいてという感じにできればよかったんですが、紙幅にも予算にも限りがあるという制約もあったし、少しでも手に取りやすい値段に抑えたいというのは私自身もあったので。

池亀 ジャイナ教の尼僧の話も衝撃的ですし、バウルのおふたりの話も素敵だし、チベット僧の話も深く考えさせられました。これはダルリンプルの上手さにもよると思うんですが、9つの人生の物語にある歴史的背景が、じつに詳細に、リアリティーを伴って描かれていますね。中国のチベット侵攻や、チベットの人たちが難民でインドに来ているということも、そしてその歴史を生きてきた人間のリアリティーの重さに圧倒されました。

パロミタ チベット僧の話も、ただ「こんなにひどいことがあった」という話では決してないんですよね。ダライ・ラマ法王も、この本の中でも「最大の敵は憎しみそのものである」という言葉が語られているように、そういうお話もたくさんされていますけど、その部分は日本であまり取り沙汰されません。インドの物語の中でこの章は異色と思われるかもしれませんが、敢えてこのチベット僧の話を入れたダルリンプルの慧眼に、改めてありがとうと言いたいような気持ちです。

 

ダルリンプルとの出会い

池亀 今日、パロミタさんと私が対談するということを、夫がダルリンプルさんにメールで知らせたと言っていました。

パロミタ そうなんですか。私はご本人とは面識がないんですが、池亀先生は親しくされているんですよね。

池亀 私の夫もインド史の専門家なんですが、2007年に、1857年のインド大反乱(セポイの反乱)の150周年記念ということで、夫が大きなシンポジウムを企画したんです。インドでも幾つかワークショップをやって、エディンバラで開催したときに彼が来てくださったんですね。大柄な人で、快活なボン・ビバン(美食家)という感じ。インドで会うと、いつも白いクルタ(北インドの男性の日常着)をゆったり着られていて。彼が現れると、すぐに会話の中心になる。パーティーの主役という方ですね。

パロミタ インタビューなどを見ると、そういう感じが伝わってきますね。何かこう、どっしりとにじみ出す自信みたいな(笑)。

池亀 そうそう。いわゆるアッパークラス、上流階級の出身の、我々が考えるザ・イギリス人みたいな感じ。本当に良い教育を受けてきて、特権階級独特のゆとりがある方です。でも、著書を読むと、マージナル(周縁的)なところにいる人々への視線が、全然上から目線じゃないんですね。

パロミタ ただのザ・イギリス人という態度であれば、ここまで話を聞き出せませんよね。彼はヒンディー語もそれほどしゃべれないそうなので、通訳を通しているはずなのに、それなのに本に登場する人たちがここまで心を開いて話しているのは、彼の人間性に何かそうさせるものがあるからだと思うんです。

池亀 そうそう。とても人懐っこい方で、すっと人の深いところに入っていける。でもそういう性格だけでなく、取材も1回きりではなく、何度も足を運んで時間をかけて話を聞いています。それと、事前にいろいろな調査をしたり、研究書も読み込んで、それを一度自分の中で消化したうえで書いているから、深い説得力があるんですね。

パロミタ 自分はあくまで部外者だという徹底した謙虚さと誠実さがありながら、まるで自分のことを語るような自然さなんですよね。

 

あ、私の知っているインドだ!

パロミタ 日本で出されるインド関係の本って、大体は学術書とか、あとは旅人が書いた旅行記のような本が多くて、ちょっと私の知っているインドと違うなという感覚があるんです。多くの場合は。でも、池亀先生の『インド残酷物語』を読んだときは、「あ、これは私の知っているインドだ!」と思った。信頼できるタクシードライバーをどう見つけるかとか、向こうに住んでいる人のあるある話ですよね。

池亀 そうそう。インドで暮らすには意外と大事なことなんです。

パロミタ 本当に。私もいくつもオート(リクシャー)ドライバーの番号が今もスマホに入っているし、彼らとの関係性ってすごく大事ですよね。いろいろ経験を重ねて、信頼関係を築いたり、信頼できるドライバーの見分け方も、だんだん分かってきたりする。

『インド残酷物語』で印象的だったのは、ダリットの活動家のラージさんの話。最初にインドに行ったときに私がお世話になっていた方を思い出しました。インドでそういう社会運動や政治的な活動をするのは、生半可なことではないですよね。男性だからまだましかなと思いますけど、女性だと特に、脅迫や殺人予告は日常茶飯事でしょう。池亀先生もお書きになっているように、その中で活動する人間的な強さは本当にすごいんです。そういう方たちのことを、私は日本語で読んだことがなかったので、こんなふうに紹介してくださって、すごくうれしいなと思いました。

池亀 ありがとうございます。おっしゃるとおりで、インドでこういう活動をするのは命がけです。排他的なヒンドゥー至上主義が顕著になってきたのは、1990年代からですが、さらに2010年代後半ぐらいからますます理不尽な暴力や不当逮捕が増えてきていて、大学でも自由な発言ができなくなってきているんですよ。それまでは大学は別格みたいな感じだったのが、JNU(ジャワハルラール・ネルー大学)とかデリー大とか、リベラルな学長さんをクビにして政権に近い人を任命したりしています。

パロミタ そんなことがあったんですね。

池亀 パロミタさんのおっしゃったダリット活動家のラージさんにも、日本から支援したいんですけど、今、NGOが海外からの資金を受け取れなくなってきているんです。去年(2021年)のクリスマスに、マザー・テレサのいたNGOが海外からの資金を受ける許可が更新されなかったという出来事もありました。それはさすがに国際的なニュースになったので撤回されたようですが、大体NGOの3分の1ぐらいはもう海外から資金を受け取れなくなるとも言われています。

パロミタ そんなことになっているんですか。確かにインドにお金を送るのは大変なんですよね。PayPalとか、商品やサービスの取引扱いにすると送れますけど、普通の個人間では送れないんですね。取引扱いにすると手数料を高く取られるし。

池亀 そうですね。だから、ラージさんのところも海外からの支援は受けられなくなるかもしれません。

 

過酷な無縁世界で生き抜くたくましさ

パロミタ 池亀先生の本にもあるように、それでもずっと活動し続けている人がいるというのがインドというか、インドの人の強さですよね。独立以来、多分似たような問題はずっと続くと思いますけど、こういう人たちはいなくならないし、生き延びていくと思います。『NINE LIVES』に登場するような人も、ずっといるだろうし、この本の内容が古びることはないだろうと私自身は思っています。

池亀 私もそう思います。インドって本当に格差もひどいし、差別もひどいし、階級差もがちがちで、しかも人々の関係性が濃い世界ですけど、そこを外れちゃっても生きていけるという、「無縁の世界」がありますね。ダルリンプルの物語にも、世間の枠から外れた人々が温かく受け入れられる世界が、彼の眼差しでちゃんと捉えられて書かれている気がしました。

パロミタ ええ本当に。インドって、何かつながりがあれば、どこに行ってもどうにかなるみたいな世界ではあるんですね。その外れた中で同じようなことを形成できるというか……。それはもしかしたら、いわゆる発展途上国によくあることなのかもしれませんが、インド特有のたくましさや強さにも思えます。

池亀 そう思います。日本だったらもう全く立ち行かなくなっちゃう状況なのに、インドだと、行く場所があり、家出しても受け入れてくれる人がいる。で、誰かが着る物をくれて、食べ物にも困らない。

パロミタ それがあるんですよね。でも、都市部のほうが喜捨や寄附の精神はだいぶ希薄になってはいますよね。バウルのところに来る人でも、都心部の出身者は、どうしても所有という感覚が強くて、そこのところから学び直さなきゃいけないのは私のような外国人と変わらなかったりするんです。

池亀 インドのお手伝いさんの研究をされている方の研究発表を聞いたら、お手伝いさんを使うようなミドルクラスの人たちにも世代間の差があって、若い人たちは、お金を出したんだから、その分の対価としてのサービスはもらって当然でしょうという、一対一の交換という感覚なんですね。でも、上の世代は、その辺はグレーで、何の見返りもなくても、お手伝いさんが困っていたらそのときはたくさんあげたりする人は多いと思います。都市部の若い世代には、もうそういう感覚はないんですね。

パロミタ 西洋感覚というと語弊があるんですが、いわゆる西洋化をするとそういう感じになってくるというのはあるんですよね。日本でもそうですけど、それが消費社会ということで、人のことであれ、ほかの文化であれ、何でも消費するという態度が無自覚に身についちゃって、容易には自分で気づくことすらできない。

 本書の「まえがき」で、かつての紀行文学は語り手の冒険が主題で、出会う人々は背景に押しやられてしまうことが多かった、だからこの本ではそれを変えたかった、出会う人々自身に語らせ、語り手こそを陰にとどめるように……ということが書かれていて、それを読んでみんな「なるほど」と思うと思うんです。でもこれを、書く職業にある人のみならず読み手も、他人事ではなく自分事として受け取ってほしいという気持ちがあります。各章の人物も、「なんかインドのすごい人の話」ということじゃなくて、「自分でありえたかもしれない人」なのだと。相手を自分が消費する対象だと、ほとんど無意識に捉えてしまう社会に私たちは生きているから。その認識への問いかけが自然と起こる本だとは思うんですが。無意識のレベルであったとしても。

 でももちろん、そういう自分への問いかけだけでなく、それこそエリートから一夜にしてサードゥーになってしまったアジャイさんの話が「まえがき」に出てきますが、生き方の選択肢を広げてくれるというか、思い込みの枠を外してくれるようなところも、この本にはあると思います。

池亀 インドでは多様な生き方がありえるというのは本当にそうだなと思います。あ、こういう生き方があるんだということは、日本でだけ生きていたら見えてこない世界ですよね。これで何とかなっているというすごさというか。この本に登場する方はほとんど、狭い意味での生産なんかしてないですからね(笑)。像を作っている人は登場しますけど、ほかの人はなりわいがよく分からない。

パロミタ 言われてみれば確かにそうですね(笑)。

池亀 でも、存在しているということだけで評価されているというか、認められていて、場所を与えられていて、その人たちも来た人をみんな拒まずに受け入れている社会。その多様さというか、懐の深さがインドにはあります。その感覚に触れるだけでも、ダルリンプルの本を読む価値があると思います。

【第2回に続く】

 

『インド残酷物語 世界一たくましい民』

 

『9つの人生 現代インドの聖なるものを求めて』

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プロフィール

池亀彩×パロミタ友美

 

池亀彩(いけがめ あや)
1969年東京都生まれ。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科准教授。早稲田大学理工学部建築学科、ベルギー・ルーヴェン・カトリック大学、京都大学大学院人間・環境学研究科、インド国立言語研究所などで学び、英国エディンバラ大学にて博士号(社会人類学)取得。2015年から東京大学東洋文化研究所准教授を経て、2021年10月より現職。著書に『インド残酷物語 世界一たくましい民』(集英社新書)等。

 

パロミタ友美(パロミタ ともみ)
翻訳者、バウル行者。オーストラリア国立大学アジア研究学部卒業。サンスクリット語、言語学を学ぶ。2013年、世界的に著名なバウル行者の一人、パルバティ・バウルと出会い、師事。バウルの道に入る。日印を行き来しながら、2017年より東京を中心に定期公演を開催。2018年にはパルバティ・バウルの日本ツアー「バウルの響き」を共催。訳書にウィリアム・ダルリンプル『9つの人生 現代インドの聖なるものを求めて』(集英社新書ノンフィクション)、パルバティ・バウル『大いなる魂のうた〜インド遊行の吟遊詩人バウルの世界』(「バウルの響き」制作実行委員会)。

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かくもたくましきインドの民に魅せられて①