「野党は批判ばかり」「今、批判するべきときじゃない」…。
そのときの勝ち馬に乗る、という合意独裁への道
荻上 僕はわりと最近なんですけど、「情緒の力」というのを、けっこう見直しているところなんです。
三上 情緒。
荻上 情緒。感情とか、気持ち。「ある種の証言を受け継ごう」とか「継承しよう」ということをやる分には、それはそれで、「やってください」と思うんです。そのフレーズに駆動されて、それでも証言が取れるなら、取らないよりいいでしょう。長崎で被爆者の家族証言者を育てて、家族の方が案内できるようにしようとか、いろんな取り組みをやられていて。そうした試みに、意義はあると思うんです。
他方で重要だと思うのは、今の話にすごく共感するのは、先日、『ファシズムの教室 なぜ集団は暴走するのか』(田野大輔著、大月書店、4月15日刊行予定)の特集を僕の番組でやったからなんです。
三上 あっ、聞きました。
荻上 その本の帯を僕が書くことになっていたので、ゲラ(校正刷り)を早めにいただいて読んだんですけど、その中で「ファシズムは今でも、いくらでも作れるんだ」ということが学べたこともさることながら、今のナチスドイツに対する研究というものが、「合意独裁」という言葉で当時の空気というものが表現されるように変わってきているんだと学べたのも収穫でした。
三上 合意独裁?
荻上 独裁というと、一方的に独裁者がいて、その人たちが人々の合意なくどんどん虐げていく、物を奪っていくというイメージがありますね。でも「合意独裁」というのは、ユダヤの人たちやロマの人たち、同性愛者や障害者の方の同意はなかったと思いますが、多くのドイツ国民の同意があった。その「多くの」というのは、ちなみに麻生太郎が言うような、「選挙で圧倒的多数を取って」という意味ではありません。選挙で過半数を取ったことはないのですが、他方でナチスが権力を握っていく過程では、ユダヤ人からお金や土地を奪って、それを国民に分配をするという政策に対して、歓迎をしていた人たちはいたし、差別意識も共有していた。そうすると、人々は単にだまされた存在ではなくて、内なる差別心みたいなものをより強固に肯定してくれて、なおかつ「あいつらをたたき出しさえすればハッピーになる」という語りに、積極的に加担していったという側面がある。
日本で起きたことも同様で、マンガ『はだしのゲン』(中沢啓治)の中で、戦前はゲンたち一家をいじめる町内会長が、戦後は急に民主主義の自由の重要さを訴える人になった。この人は変節したのかというと、実は変節していない。「そのときの勝ち馬に乗る」というマインドで一貫している人なんだ、と田野さんは書いています。そうした付和雷同により、「合意独裁」は日本でも作られていった。「合意独裁」はいつでも作り得る、という話を一つの教訓にするという点で見ると、戦争語りにおいて、そこはまだ弱いとも感じたんですよね。「私たちはだまされた」ではなく、「私たちは信じてしまった」というような方向が。
たとえば七三一部隊とか南京虐殺とか、いろんな物事について語っていくことはすごく重要なんだけど、もっと広く、多くの人たちが愛国の母とか愛国婦人会とか銃後のさまざまな町内会とかのさまざまな試みの積み重ねによって積極的に独裁とか軍国を生んでいったという、その背景をしっかりとあぶり出していく必要がある。「もう二度と繰り返しちゃいけない」という語りの前に、「あのとき私を含めてみんな信じちゃった」という語りが、あるところにはあるんです。そういった生々しさを持って語れる人はけっこういて、そういった証言もあるが、それを受け継ぐときには、なんとなくそこがこぼれ落ちてしまうところがある。そのあたりをどう立体的に伝えていくかが、今の僕らの課題だと思うんです。
三上 本当にそうですね。いつも思うんですけど、安倍首相みたいな存在に、好き好んでだまされたい人たちが今もいっぱいいると思うんです。盾突くよりはだまされたほうがずっと楽だし、勝ち馬であることは間違いないし、あれを追い落とすような勝ち馬がいない。「あれはダメかもしれないけど、代わりがいないでしょう」とよく皆さん言うけど、「この勝ち馬を超えるような勝ち馬がいたら、それには乗るけど」と言っているようなものですよね。だから結局、盾突くほどの勇気も戦うだけの力もないなら、だまされていたほうが無難だ、と。
荻上 それを成立させるための語りのレパートリーというのは、実はたくさん日常の中にあって、それを、そうだなと思わせるリアリティーには、態度を誘導するようなボキャブラリーが山ほどあるんです。
たとえば最近、新型コロナ問題でTwitterでよく見るのは「今、非常時だから批判している場合じゃない」というフレーズ。「えっ?」と思うんですよ。批判は大事ですよ。代案だけあっても批判がなければ、代案をとるインセンティブが多数議席を占めている人に生まれないですし。「今は批判するときじゃない」みたいなことを言う人は、落ちついても批判しないですよ。そしてopposition party(野党=反対政党)が批判をしなければ、議会制民主主義は貧困化します。「今は批判している場合ではない」とか「批判だけではなく代案を」というのは、「批判」という作業の知的精度を問わない言説になってしまっていますね。
人は、ボキャブラリーに思考を縛られます。あるボキャブラリーの数々が、実は批判的思考を人々から奪って、現状追認というものを呼び起こしてしまう。「原爆投下は、なぜ投下という、落とす側の言葉なのか」「なぜ原爆だけ、空襲と言わないのか、核空襲と呼ばれないのか」など、一つ一つのボキャブラリーに立ち止まることが必要です。戦時中の言論統制は、官憲による弾圧だけでなく、密告やいじめなどとも結びつく、非国民排除をし合う大衆的ファシズムだったんですよね。その空気に対する警戒を、どの社会にも教訓として受け継ぐこと自体は、やはり必要です。
戦時中の相互加害の歴史は、そういったレパートリーというものを多く学べる場所でもあるはずです。だからこそ、敵国ではなくて国内での相互加害の歴史について、もっと批判的検証が必要で。ただ、最初の話に戻るんですけど、相互加害というのは、やっぱりその後のコミュニティーにもつながる部分が多分にあるからこそ、証言がとにかく取りづらいという背景がある。
三上 壊しますからね、いろんなものをね。
荻上 今、ようやく相互加害や合意独裁について、しっかりとフォーカスを当てて教訓を作れるタイミングなのかもしれない。『証言 沖縄スパイ戦史』はいいタイミングで出たと思います。
三上 ありがとうございます。いつもニュースの切り口の中に「大衆である私たちの側の弱点」という視点を入れてくれる荻上さんに、この本を真っ先に読んでいただき語り合いたいという想いがありました。今日はそれが実現できたうえに要点をクリアに抽出していただいて、大変刺激的な時間でした。「荻上チキSession-22」(月~金曜22:00~23:55 TBSラジオ、JRN系)はラジオクラウドでいつも聞いていますが、これからも沖縄から応援します!
プロフィール
荻上チキ(オギウエ チキ)
1981年、兵庫県生まれ。評論家。メディア論を中心に、政治経済、社会問題、文化現象まで幅広く論じる。「シノドス」など、複数のウェブメディアの運営に携わる。著書に『日本の大問題 残酷な日本の未来を変える22の方法』(ダイヤモンド社)、『ウェブ炎上 ネット群集の暴走と可能性』(ちくま新書)、『ネットいじめ ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」』(PHP新書)、『僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか 絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想』(幻冬舎新書)等、共著に『ネットと差別扇動: フェイク/ヘイト/部落差別』(解放出版社)他多数。
三上智恵(みかみ ちえ)
ジャーナリスト、映画監督。毎日放送、琉球朝日放送でキャスターを務める傍らドキュメンタリーを制作。初監督映画「標的の村」(2013)でキネマ旬報文化映画部門1位他19の賞を受賞。フリーに転身後、映画「戦場ぬ止み」(2015)、「標的の島 風かたか」(2017)を発表。続く映画「沖縄スパイ戦史」(大矢英代との共同監督作品、2018)は、文化庁映画賞他8つの賞を受賞した。著書に『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』『風かたか「標的の島」撮影記』(ともに大月書店)等。