対談

ビジネスと効率の時代に、いかに文化とクリエイティブを取り戻すか

レジー×土居伸彰 対談
レジー×土居伸彰

「役に立つ」知識を手っ取り早く身につけ、ビジネスパーソンとしての市場価値を上げたい――このような人々の欲望を「ファスト教養」と名づけ、分析した新書『ファスト教養 10分で答えがほしい人たち』(レジー 著)。この新書を読み、「改めて文化と社会の関係を考え直した」と語るのは、『新海誠 国民的アニメ作家の誕生』を上梓した、アニメ配給・制作会社「ニューディア」代表の土居伸彰氏だ。ともに1981年生まれの二人が語る、文化とビジネス、そしてファスト教養の時代の文化の未来とは。


『新海誠 国民的アニメ作家の誕生』(集英社新書)

ビジネスとクリエイティブを同居させる

レジー   対談の前に土居さんの新刊『新海誠 国民的アニメ作家の誕生』を読んだのですが、「あるカルチャーをいかに大局的に捉えるか」という点において非常に考えさせられる内容でした。タイトルこそ「新海誠」ですが、この本は新海誠の話をある種の呼び水として、個人作家の歴史をグローバルな視点で語っていますよね。僕の本は、どうしても見ている範囲がドメスティックになりがちで、『ファスト教養』でも海外の話を少しでも盛り込むことができれば、もっと肉厚な議論ができたかもしれない。そういう意味で今回の土居さんの本は、日本の事象を海外の大きな潮流の中に位置づけることの大事さや面白さを感じました。

土居       ありがとうございます。僕はレジーさんが今までお出しになられた本を、この機会にすべて読みました。今、ご自身でドメスティックな視点が多いとおっしゃいましたが、それだけに僕は『ファスト教養』という本は今の日本でカルチャーに触れている人たちにとっての実存を描いたものに思えて、とても刺さったんですよ。今回僕が書いた新海誠の本の副題に「国民的」という言葉を使っていることもあるかもしれません。

 あと、レジーさんの初めてのご著作『夏フェス革命』で、ロッキング・オンが主催する巨大フェス、ROCK IN JAPANの分析をされているのが印象的でした。僕は高校生の頃まで「ロッキング・オン」や「スヌーザー」、「バズ」といった音楽雑誌を舐めるように読んでいた人間で、ROCK IN JAPANも中村一義目当てで初回だけ参加しています。一方、ROCK IN JAPANはその後、出演アーティストのメンツを見て、いかにも「商業化」されたものだなと感じて、興味からは外れてしまっていました。

でも、『夏フェス革命』を読んで、その姿は実はロッキング・オンのDNAなのだ、という指摘に膝を打ちました。ロッキング・オンはそもそも雑誌媒体としてのスタートの頃から受け手への意識を徹底して行っていて、フェス運営も「受け手がフェスに何を求めるか」という点で突き通されている、と。なぜこの話が面白かったかといえば、「受け手目線」は僕が新海誠の面白い点だと考えているところでもあるからです。新海誠は、自分自身が伝えたい物語が強烈にあるタイプではなく、「人が今何を見たいと思っているか」「どんなテーマなら多くの人が興味を持つか」というある種マーケティング的な考え方も持ち合わせている。『夏フェス革命』を読んで、今、日本においてメガコンテンツを作る人たちは、受け手側のほうに視点があるという共通点に面白さを感じました。

レジー    初回のROCK IN JAPANは僕も参加していて、悪天候の中でAJICOと中村一義のライブの中止が発表される瞬間に立ち会いました。「バズ」も「スヌーザー」もどっぷり読んでいましたし、若い頃に見てきたものが近そうですね。この辺の話題を掘り下げ始めると対談の趣旨がずれてしまうので話を戻すと(笑)、今お話のあった「受け手目線」と作家としての観点のバランスを、新海さんはどのように取っているんでしょうか。受け手の視点を内在化する、もしくは受け手からの見られ方が大きく変わることでバランスを崩してしまうクリエイターもいますよね。新海作品と密接に関係しているRADWIMPSも、2018年にリリースした「PAPARAZZI~*この物語はフィクションです~」で『君の名は。』以降にメディアから向けられた野次馬的な注目に対するフラストレーションについて歌っています。

土居       新海誠のキャリアを考える上ではプロデューサーの存在を看過することができません。そこが良いバランスにつながっているのかなと。新海誠のマネジメントをしているコミックス・ウェーブ・フィルムは、もともと伊藤忠の商社マンだった川口典孝さんが、新海誠の才能に惚れ込んでやっている会社で、金銭的な面を支えています。それに加えて『君の名は。』以降では新たなプロデューサーとして川村元気さんも加わっている。クリエイティブの面を深く理解し、信頼もしている人たちが、新海誠が作るものを世の中へと届ける手助けをしているわけです。

そもそも新海誠自身の作風に、観客とのコミュニケーションを志向する側面がある。新海誠がディスコミュニケーションの物語を描くのも、現代に生きる人々がそういう話を欲していることを汲み取ってのものだと思いますし、新海誠自身、作品を作るうえでの大きなモチベーションは作品を通じたコミュニケーションであるという話をしている。新海誠のキャリアを、作品を通じてコミュニケーションを取る範囲が次第に広がっていく過程として辿ることもできる。自分と似たような趣向を持った人たちからスタートして、トライ・アンド・エラーを重ねつつ、次第に「日本人」全体に広がっていく過程です。

レジー  なるほど。 『天気の子』が起業家の話になっているという指摘が土居さんの本でもありましたが、観客とつながることを志向する、いわば「顧客志向」のある作り手とビジネスへの理解が深い裏方のチームだからこそ生み出せた作品とも言えそうですよね。

土居       今の社会においてクリエイティブはお金の話を切り離して考えることはできません。僕は長年アカデミズムの領域にいたんですが、ある時から、大学人が持っている商売に対する不信感に違和感を感じるようになりました。自分のそもそもの専門は短編アニメーションやインディペンデント・アニメーションという領域で、その魅力を広げるにはお金の話を切り離して考えることはできないと思うようになり、大学を離れて起業をしました。音楽の場合、インディーズや個人でやっている人が面白いこと、尖ったこととビジネスを両立させてしっかりと回せている。一方でアニメーションだとそういう例はあまり多くない。個人のクリエイティブが大きなビジネスへとつながっていきにくい状況が根強いです。そんななか、インディーズ的な考え方が根底にある新海誠の活動モデルは、そういう時代のひとつの理想だと思います。監督のビジョンに忠実でいながら、ビジネスとしても大成功している。

このあたりから、カルチャーとお金の話でもある『ファスト教養』ともつながっていくと思います。資本主義が新自由主義的に行き着いた先にカルチャーについて何かを考えるには、お金を稼ぐことときちんと向き合わねばならない。

レジー    そうですね。「カルチャーにはお金が必要」と「カルチャーをお金の話にするべきではない」、この2つを単純な対立構造ではなくてもっと大きな視点でつなぐことができるか。この問いは、僕自身が常に意識していることでもあります。僕は会社員としても働いていて、ビジネスとして価値を生んでそれをお金につなげることの面白さも理解しているつもりなんですよね。なので、そういうビジネスマインドと、数値やお金には換算できないカルチャーの素晴らしさをちゃんと社会に同居させたい、というのは『ファスト教養』で語りたかったメッセージの1つです。

『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』(集英社新書)

メガコンテンツで繋がる時代

土居 今まで話してきたようにレジーさんと僕は、書いている対象は違っても、同じような問題意識を持っていると思うんです。僕たちは共に1981年生まれですが、この年代に生まれた人間だからこそ書けるもの、見えるものというのがあるのではないかと思っていて。

レジー 世代論をやると誰もが「自分の世代こそ、上の世代の伝統と下の世代のトレンドを理解できるもっともバランスの良い世代だ」と言いがちなので気をつけないといけないのですが(笑)、事実としてメディア環境の変化が思春期を直撃したというのは大きいですよね。

自分の10代の頃を振り返っても、皆がポケベルを持ち始めたと思ったら、いつの間にかPHSの方が主流になっていた、というようなパーソナルデバイスの浸透と変遷、つまりは「マス」というものが個々人に分解されていく過程が自意識の目覚めと重なっていました。一方で、自分たちが高校生のときに、CDも雑誌も市場規模のピークがきているんですよね。みんなが同じメディアを見たり同じ音楽を聴いたりするというのは決してすべてがポジティブな話ではないかもしれませんが、やっぱりそういうクラスターを越えたつながりによって生まれるダイナミズムも確実にある。そういった現象が今の時代に起こった時に、マスの時代を狭間で体験している我々の世代だからこそ実感を持って語れることがあるんじゃないかと思っています。

その点で、土居さんが新海誠についての本を書いたのは象徴的というか意味づけができるように思います。土居さん自身はどちらかといえばインディペンデントな作品に軸足があるにもかかわらず、日本で今一番売れている作家を題材にしている。このアンビバレントな感じには我々の世代感のようなものが現われているのかもしれないなと。

土居 そうですね。僕たちの世代には、「国民的ヒット」という記憶が根底にこびりついている。レジーさんの著作に『日本代表とMr.Children』(宇野維正との共著)というタイトルの作品がありましたが、まさに日本代表やMr.Childrenはそういう存在だったわけですよね。

レジー    まさしくその通りです。

土居       その意味で言うと、新海誠の作品をこれだけ多くの人が観ていて、なおかついろんなことを言えるっていうのは、もしかしたらJポップがミリオンヒットを連発していた時代の話とつながってくるのかもしれない。

レジー  ただ、今名前の挙がったミスチルは、ずっとシーンのトップの座を守っている一方で、音楽的な革新をバンバン起こしているかというと、そんなこともないようにも思うんですよね。あくまでも個人的な意見として、と注釈しておきますが(笑)。仮にこの2つを並べるとして、「国民的ヒット」という意味では同じ側面もありますが、語り口については別の話法が必要になるんだろうなと。

土居       なるほど。逆に新海誠は、アニメーション的に非常に面白いことをやってる人だと僕は思っています。レジーさんの中で、音楽においてそういった新海誠的なポテンシャルを感じている人はいますか。

レジー    少し前までの星野源は、意図的にそのポジションをとろうとしているんだろうなと思って見ていました。一言で言うと彼は桑田佳祐になろうとしていたはずで、音楽的な革新性とお茶の間に対する間口の広さを高次元で両立させていた。ソロデビュー当時の玄人受けする作風も担保しつつ、紅白歌合戦で「こんばんはー、星野源でーす!」と叫ぶ役回りを完璧にこなしていたわけですよね。ただ、今はお茶の間サイドへのアプローチという部分では戦略的に後退させている雰囲気もあります。音楽シーンについては楽曲単位での「国民的ヒット」がまた出やすい環境になってきているので、次のスターがどうやって出てくるのか楽しみです。

(レジー氏 プロフィール写真)

新海誠作品に見る「ルーツ」と「シーン」

レジー   恥ずかしながら、僕はこれまで新海誠の作品を見たことがありませんでした。今回こういう機会をせっかくいただいたので、最低限これだけでもと思って『君の名は。』以降の3作品を見てきました。 土居さんにとっての直近の3作で好きなもの、もしくは優れていると評価できるものといえばどれになるんでしょうか。僕は『君の名は。』がシンプルに一番好きでした。モチーフにシリアスなものがあるとはいえ、衝撃的にキラキラしているなと(笑)。 

土居      僕も「すごい」と思うのは『君の名は。』ですね。でもそれは作品単体というよりは、以前から活動を追っていた人が「大ブレイク」を迎えた瞬間を見たというカタルシスも込みだと思います。それまでの新海誠は、作り手と受け手が同じようなクラスターの人たちで、人気ではあれど限定的なものでした。それが『君の名は。』で10代にリーチして、突き抜けた。レジ―さんの言うキラキラした感じも、それ以前の新海作品にはなかったものです。その青春のキラキラ感と震災に対する眼差しがぶつかっていくという構造も衝撃だった。しかるべきときにしかるべき作品を出して大ブレイクした、という状況込みで考えると、『君の名は。』はオンリーワンの一作でしょうね。インディーでやってきた人がメジャーデビューして、なおかつその作品が革新的で、シーンを塗り替えてしまった、みたいなのはインディーズの音楽が好きな自分としても好みのストーリーです(笑)。

その次に好きなのが『すずめの戸締まり』で、これは新海誠が意図的に「国民的作家」をやろうとした作品として素晴らしい。自分のポジションをちゃんと理解して、その上で何をやるべきかをきっちりと考え抜いたうえでアウトプットしている。これまで自分が取り逃がしていたファミリー層にもしっかりとリーチして、地に足のついたものを作るようになった。そのうえで、アニメーション的にも非常に攻めたものになっている。多層的な物語にもなっていて、いろいろな観点から議論ができる作品です。「引き受けてる」感じが素晴らしいです。

一方、『天気の子』を『すずめの戸締まり』を見たあとに見返すと、やはり「個の力によって世界を変える」話というのは、それこそこれがレジーさんが『ファスト教養』で書いた新自由主義的なものと通底する部分があって、少し現況におもねったようなものに見えてしまう。

レジー    『天気の子』はそういう読みができるんですね。確かに、人に迷惑をかけるかもしれない怪しい力を使ってお金を儲けることがストーリーの核になっているわけですよね。

土居       『ファスト教養』の最後の章で、レジーさんが「ルーツ」と「シーン」という話を書いていて、印象的でした。音楽についての語りではそのどちらかに偏ってしまっているものが多い、という趣旨でした。単純化すれば、前者が「歴史」で後者が「現在」ということだと思いますが。それが今の話ともつながってくると思っていて、要するに新自由主義の権化みたいな人たちは「シーン」しかない。『天気の子』の穂高がまさにそういうキャラクターです。

だから、『天気の子』は、歴史が欠落した世界の話。今の時代を描くという意味ではいいのかもしれないですが、「ルーツ」についての想像力が欠如してしまうと、「自分さえよければ」という考えにハマりこんでしまう。『天気の子』はそういう流れを助長してしまうんじゃないかという懸念を感じました。 

その意味でも、『すずめの戸締まり』は素晴らしい。自分の子どもの世代に対して、忘れ去られようとしている震災の話を伝えていくことへの意識や、日本の歴史をサブテキストでいろいろと積み重ねていく語りの方法論が、「シーン」と「ルーツ」における「ルーツ」の部分に目くばせしたところでもいいなと思いました。自分の身の回りの「シーン」しか見えていなかったすずめというキャラクターが、旅を通じて「ルーツ」を発見していく物語であるとも言える。 

(土居伸彰氏)

「ハック」の功罪

土居 現状の制度にはバグがあるのでハックする、みたいな考え方が今「イケてる」ものとして捉えられがちなところがあると思うんですが、そういう考え方って、ルーツを壊していく「だけ」ということだと思います。

僕が起業することになったきっかけとしてカナダの哲学者ジョセフ・ヒースの一連の著作があるのですが、世の中のルールにはそれなりにちゃんと歴史的な蓄積があって、単に旧態依然としたものとして切り捨てるのではなく、そのなかにある重要なものを選り分けてきちんと守りつつアップデートするという話がされている。単にルールを壊すだけというのは、とても単純で楽な話だと思うんです。

レジー    なるほど。『ファスト教養』で取り上げているようなインフルエンサーにも「ぶっ壊してしまえ」みたいなスタンスで注目されていた人たちが結構いますが、現実問題として、積み上がってきたものを全部壊しちゃったときに、その積み上がった分と同等の意味や強度をもった仕組みをすぐに作るのはほとんど無理ですよね。だから、積み上がってきたもののネガティブな部分とポジティブな部分を正しく分類したうえで、そのネガティブな部分に対する改善策を1つずつ提示するという地道なことをやらないといけない。はっきり言って面倒くささしかない作業ですが、そこから目を背けてはいけないというのは誰かがちゃんと言わないといけないんだよなと最近強く思います。

「書くこと」が「ファスト教養」の時代の処方箋になる

土居 僕が『ファスト教養』で好きだったのは、その部分なんです。デッサンで線を重ねていくように、自分自身の結論をいろいろな表現で角度を変えて吟味していくプロセスが好きだなって思ったんですよ。単純な図式に陥ってないか?と自分自身の思考に対して慎重でありつづけるという。

ここで最初の話につなげたいんですが、今、国民的なコンテンツの発信者たちが受け手のことを気にする時代がやってきているとしたら、「いかに良い受け手であるか」ということが重要になってくると思うんです。また新海誠の話をすると、新海作品は受け手との濃厚なコミュニケーションを引き起こそうとします。「語りたい」という思いを喚起するんです。『すずめの戸締まり』については驚くほどにたくさんの論評が様々な分野の書き手から出ていて、類を見ないほどです。濃厚な受け手であることへと誘うことで、今度は発信者側が熟考することができる。新海誠は自作への感想や論評は全部チェックしていて、そこからのフィードバックを次作に活かしていく。ある意味で、受け手とともに作っているとも言える。その点、『ファスト教養』を読んで思ったことがあって、「書く」ことはめちゃめちゃ大事なんだなって。何かについて書くことは、その対象を最大限楽しむという意味で、良い受け手になるための重要な行為だと思うんですよね。

レジー 『ファスト教養』では最後の章で「いかに良い受け手になるか」というような話に向かっていきますが、そこで定義する受け手のあり方として「作り手に対して良いフィードバックをすること」を挙げています。ここで言う「フィードバック」と、土居さんが指摘されている「書くこと」は不可分ですよね。今の時代は「書いて何かを伝えるためのツール」が無数にあるので、それをちゃんと使いこなすこと、考えずに感情を吐き出すのではなくてどう言語化するか頭をひねることが誰にとってもすごく大事だと思います。何かを書くことが仕事とつながっていない人であっても、そういうプロセスを通じて自分の言葉を見つけ出すことができれば、それがファストな世の中の流れと対峙するための基盤になるんじゃないかなと。

土居       そうですよね。僕とかレジーさんは本を出しているから、特別に捉えられてしまう可能性もあるんですけど、実はそうでもない。自分の会社の売上のなかで執筆が占める割合なんて微々たるもので、経済的な効率を考えたらとても本なんて書かないほうがいい。でも、書くことは熟考の契機であり、良い受け手であることへの近道でもある。書くことは発信として考えられがちだけど、受けとめることでもある。「ファスト教養」の時代のなかで、書くことはもっとカジュアルに活用されてもいいんじゃないか。

書いて発表することのいいことは他にもあって、周りに同じ興味を持った人が集まってきてくれる。僕はもともとブログで同時代の短編アニメーションの話をたくさん書いていて、それが今の活動につながっています。熟考して書いて、それを発表すると、周りに同じアニメーション好きの人が集まってくる。

『ファスト教養』の中で、どうしてみんなが不安を抱えるのかといえば、世の中が新自由主義的な傾向に覆われているので、自分もそのようにならなければいけないと思ってしまうからではないか、ということが書かれています。確かに世の中の大勢はそうなっているのかもしれませんが、そうではないビジョンを持つ人たちも存在している。そういう人たちと一緒に、ある種の緩やかなコミュニティを作っていくためにも、書いて発信をすることって結構いいんじゃないかなと思うんですよ。

レジー    本当にそう思います。「類は友を呼ぶ」ってすごい言葉だと思っていて、たとえば匿名質問箱のマシュマロ1つとっても、悪意のある質問に対して悪意を返す形でツイートするのを続けていると、そういうどうしようもない質問ばかり集まってくるようになるんですよね(笑)。本を書くとか文化について考えるとかそんな大げさな話ではなくても、自分の発信ひとつで自分の周りの空気を変えていくことはできる。いきなり世の中をひっくり返すことはできないですが、まずはそこから始めるしかないと思うんです。

土居 人によっては責任放棄に見えてしまうかもしれないのですが、世の中のすべてを引き受けようとせず、万人からの承認を得ようともせず、自分のやれる範囲でできることをやっていくことが実は重要なんじゃないかと今はすごく思います。また最初の話に戻れば、新海誠の今の状況は川口プロデューサーとの出会いがなければありえなかった。二人にとって、それはやれる範囲の小さなことだったはずです。でも、それが最終的には大きな話につながっていく。こういう状況を希望に思って、コツコツと熟慮しながらやっていくのがベストなんだろうな。これが僕自身が「書く」ことで辿り着いた結論でもあります。

(構成:谷頭和希)

プロフィール

レジー×土居伸彰

レジー

ライター・ブロガー。1981年生まれ。一般企業で事業戦略・マーケティング戦略に関わる仕事に従事する傍ら、日本のポップカルチャーに関する論考を各種媒体で発信。著書に『増補版 夏フェス革命 -音楽が変わる、社会が変わる-』(blueprint)、『日本代表とMr.Children』(ソル・メディア、宇野維正との共著)、『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』(集英社新書)。Twitter : @regista13。

土居伸彰(どい のぶあき)
アニメーション研究・評論、株式会社ニューディアー代表、ひろしまアニメーションシーズン プロデューサー。1981年東京生まれ。非商業・インディペンデント作家の研究を行うかたわら、作品の配給・製作、上映イベントなどを通じて、世界のアニメーション作品を紹介する活動に関わる。著書に『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』『21世紀のアニメーションがわかる本』(フィルムアート社)、『私たちにはわかってる。アニメーションが世界で最も重要だって』(青土社)、『新海誠 国民的アニメ作家の誕生』(集英社新書)。

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ビジネスと効率の時代に、いかに文化とクリエイティブを取り戻すか