対談

この競争的な格差社会に子どもたちを送り出していいのか、という視点が教育にないといけない

西郷孝彦×鈴木大裕

学力ナンバーワンになった秋田の先生たちから疑問の声があがった

西郷 働き方改革については、教師に対する業績評価というのが急に入ってきたことを語らないといけないですね。要は先生方にA、B、C、Dという評価を付けるわけです。当然、評価基準というのがあるんですが、先ほどおっしゃった、例えば子どもをどれだけ愛しているかとか、ある子に対してどういうことをしたのかというのは、学校の勤務時間以外で行われたりするじゃないですか。しかし、業績評価というのは、勤務時間内に何をしたのかというのが評価なので、載ってこないんです。きっと大手企業か何かのやり方を模倣したんだと思うんだけど、あれから変になってきましたよね。僕なんか校長になってずっとC評価ですよ(笑)。

鈴木 教師に対する評価ってやっぱり、すごく難しいと思うんです。分かりやすい評価の最たるものは全国学力調査ですよね。アメリカにおける教育改革の軸は2本だったんです。1本は学力調査です。学力標準テスト。もう1本は結果責任。要は全ての生徒が同じテストを受けて、その結果を公表し、家庭に学校を選ばせることで現場教師に結果責任を負わせる。この時点で市場原理が回り始めるわけです。学校同士が、より点数の取れそうな生徒を奪い合うような状況になって、そして点数を上げられそうな教員を評価し始めるわけです。
 評価を数値化してしまうと、どういう問題が起こるか。セオドア・ポーターという科学史・科学論を専門にするUCLAの教授が、西洋社会でどうしてここまで数字というものが価値を持つようになったのか、その歴史を読み解いているんですが、「数値化は距離のテクノロジー」って言うんですよね。何でもかんでも数値化すれば、数字というのは全世界で共通言語なわけですから、その実物を見なくても理解できてしまう。理解したつもりになってしまう。そこに数値化の暴力性があるんです。
 例えばトマト4つで200円とすると、今はそれでネットとかで買えるわけじゃないですか。でも実際にはどんな形なのか、どんな大きさなのか、どんな色なのかっていうのは見てみなければ分からない。教育なんかはまさにそうなんです。全国の子どもたちのいわゆる学力と呼ばれるものを数値化することによって、実際にその生徒に会うこともなく、その先生に会うこともなく、学校を見ることも、その学校を取り巻く地域を見ることもなく評価できてしてしまう。まさに距離を乗り越えるテクノロジーですよね。
 良い教員とは何なのか、どんな子どもを育てたいのか、どんな学力を育みたいのか、そういう本質的な議論が十分なされていない中で教育改革が進められてるというのが問題なのです。全国学力調査でいえば、じゃあ、何をもって「学力」と呼ぶのか、それはたった2、3教科だけで測れるものなのかという部分は議論されてすらいない。

西郷 今聞いていて、平成10年ごろ、1995年以降かな。数値目標を立てなさいという通達がよく教育委員会から来ていたのを思い出しました。数値目標って最初、何のことだか分からなかった。例えば、生徒全体の年間の遅刻の数を何%以下にするとか。くだらないでしょ。そういう訳の分かんない数値目標を立てろみたいなのが来ていて、冗談だろと思ってたら、本気なんだよね。あれは何かアメリカの教育改革の影響があるんですかね。

鈴木 数値化してそこに依存するっていうことでしょうね。数字の客観性というものを主張すれば、国の権力にとってはやりやすいわけです。現場教師の主観性をとことん排除する。

西郷 結果責任が説明しやすいっていうことかな。

鈴木 そのとおりですね。

西郷 当時、僕はその数値目標に頭にきてたから、教育委員会が開く研修会に行ったのね。そうすると、今日の研修はどうでしたかって感想を求められんで、まず、何点って書こうかなと思ったけど、それだとつまんないから「もし自腹を切って聞くなら3,000円ぐらいかな」ってお金にしてあげたんです。研修を数値化してお金に換算するという皮肉なんだけど、意外に評判良くて、褒められました(笑)。皮肉さえも分かっていなかった。

―─西郷先生は校長の自分もC評価だよと教師に伝えながら、教育委員会の通達も最初から、「僕は読まないから」っていって全部スルーしてましたね。

西郷 そう。実は鈴木さんのこの本に載っていた文科省の方針や通達とかも僕、全然読んでなくてね。申し訳ないんだけど、読んで初めて知りましたね。こんなこと出していたんだと。

鈴木 学校警察連携制度ですね。問題を起こした生徒をすぐに警察に連絡してしまう。

西郷 こういう通達が好きな人がいてさ。指導主事とか、読み込むとか言っていてずっと読んでるんだよね。こんなつまんないもん読み込んでたって、何も出てきやしないのにさ。

鈴木 しかもそういう人が、出世するんですね。

西郷 そういう文化なんだよね。さっきの公立学校の学力テストの話ですが、結果がオープンになってきて、県別の順位がつくようになったじゃないですか。1番は秋田だとか富山。
 でも順位が高い県というのは、私立がないところなので、公立のレベルが相対的に高いだけであまり意味が無い。

鈴木 あとは、そこに照準を合わせて、学力テストの受験対策ばっかりやっているとこですね。僕が2016年に帰国して最初に呼んでもらったのが、確か秋田の教職員組合でした。当時、秋田は学力ナンバーワンっていわれていたんですが、現場の教員から疑問の声が上がっていたんです。テスト勉強ばかりに血道を上げさせて、これって果たして教育なのかと。それで、アメリカの状況を教えてほしいということでした。
 秋田の次に「学力ナンバーワン」になったのが福井でしたっけ。福井で問題になったのが、中学生のいじめ自殺事件でした。テストの点を上げなくちゃいけないというプレッシャーがあまりにも強すぎて、先生たちが生徒間のイジメにすら気づくことができないという実態が明らかになったので、福井県議会が教育行政の抜本的な見直しを求める意見書を可決したんです。
 本来であれば、日頃の学力を測るのがテストの役割なはずなのに、そのための対策ばっかりやっているから、逆に日頃の学力が測れないという本末転倒な事態が起こっています。ただ、僕が思うのは、大阪の木川南の校長だった久保敬先生も言ってたことですけど、結局は保護者も教員も、なんとかしてこの競争的な格差社会に子どもたちを最適化させようと頑張っちゃうわけです。でも本来は、そんな社会でいいのか、そんな社会に子どもたちを送り出していいのかという視点が大事なのかなと思います。

西郷 そういう日本の受験制度、例えば東大を頂点としたいい学校に行って、いい会社に入ったり、そこからお金をかせぐために起業したりという、そういうレールに乗ろうと、みんな必死なんだけど、例えば、シュタイナーの学校や、映画で有名になった、きのくに子どもの村学園(イギリスのフリースクールであるサマーヒルをモデルにして作られた私立の学校法人。体験学習をメインに据えながら進学率も高い)の子どもたちと話していると、そういうレールに乗ってないのね、あの子たちは。卒業後どうすんの、好きなことばっかりやって、どうすんのってきいた「留学します」と。やっぱりそういうところに通っている子は裕福な家庭の子が多いので、年間150万とか200万円近くのお金を払えるし、留学も行ける。裕福だから日本のレールをそもそも考えてない。それはそれでいいことなのかなと考えてしまいますけどね。

鈴木 よく分かります。結局、この社会の流れの中で、今の競争的な格差社会を是として、その中で面白い学校をつくろうとしたら、恐らく富裕層の受け皿にしかならないと思います。だから突き詰めていったら、やっぱり何をもって「豊かさ」と定義するのか、社会における価値観の再定義なしには真の教育改革というのはあり得ないと思います。

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関連書籍

崩壊する日本の公教育

プロフィール

西郷孝彦×鈴木大裕

西郷孝彦(さいごう・たかひこ)

1954年横浜生まれ。上智大学理工学部を卒業後、1979年より都立養護学校(現:特別支援学校)に赴任、肢体不自由児の教育を通じて教育の原点に触れる。以降、理科と数学の教員、副校長を歴任。2010年より世田谷区立桜丘中学校長に就任し、インクルーシブ教育を中心に据え、校則や定期テスト等の廃止、ICT(情報通信技術)の活用、個性を伸ばす教育を推進した。2020年3月退職。著書に『校則をなくした中学校 たったひとつの校長ルール』『過干渉をやめたら子どもは伸びる』(共に小学館)など。

鈴木大裕(すずき・だいゆう)

1973年、神奈川県生まれ。教育研究者。16歳で渡米し、1997年コルゲート大学教育学部卒業、1999年スタンフォ―ド大学教育大学院修了。帰国後、千葉市の公立中学校で英語教師として勤務。2008年に再渡米し、コロンビア大学教育大学院博士課程で学ぶ。2016年、高知県土佐町へ移住、2019年に町議会議員となり、教育を通した町おこしを目指しつつ、執筆や講演活動を行なっている。著書に『崩壊するアメリカの公教育 日本への警告』(岩波書店)など。

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