僕はいずれ学校の現場に戻ろうと思っているんです
―─社会自体が薄っぺらい単一的な価値観にゆがめられているから、まさに学校もその相似形として、管理と秩序のひとつの価値観に押し込められている。それをまた称賛のニュアンスで描く映画が公開されました。世田谷区の小学校の一糸乱れぬ特別活動(清掃や給食、学校行事など)を追った『小学校~それは小さな社会~』です。西郷先生は試写を10分見ただけで腹が立って仕方がなかったと言っていましたね。
西郷 きっと僕が世田谷の中学校に勤めていたってこともあって、配給会社から映画を事前に見ての推薦コメントをお願いしたいって来たんですよ。それで、リモートで見始めたら、もう気持ち悪くてね。
最初の場面は、母親が家で入学前の子どもに返事の仕方の訓練をしてんのね。「何とかさん」「はい」って。「駄目。名前じゃなくて、名字を呼ばれた時に手を上げるんですよ」とか。訳分かんないことやってる。次に出てくるのが、オタマで水をコップにつぐ練習をさせてんの。最初、何これ、入学前の子に何してんだろうと思ったら、要は入学式で名前呼ばれた時に返事ができるように、それで、給食で配膳が自分でできるようにという練習をさせているんだ。学校から入学前にお願いしますねって指示が来ていて、やらせているんだろうね。
もうそこで僕はアウト。見たくなくなってきたんだけど、次に掃除の時間が出てきて、ほうきの先は膝より上に上げちゃいけませんって子どもに教えてる。完全に僕はぷつんと切れた。こんなの見てらんねえなと思って。それで、コメントを断ったんです。
その前に、セルビア大使館に行ったんだけど、そこでコヴァチュさんという大使に「息子を日本の小学校に入れたら、入学前からあれやれ、これやれっていろんな指示があって、すごくやかましかったっていう話をされていて、実際に小学校に入ったら、疎外感があっていじめられて、先生とも合わなくて、結局やめて今はインターナショナルに通っている」と、僕に話されたのを思い出した。
あの映画には外国ルーツの子も出て来ない。そしてあそこには映っていない、いわゆる適応できない子がたくさんいるはずなんだよ。入学前に学校に合わせて訓練しなきゃ入れない学校なんてろくなもんじゃない。訓練してもできない子はたくさんいるんですよ。僕は現場にいたからね。感情としても大きな拒否感しかなかった。あの映画も教育委員会が推薦してるし、もう世田谷区は残念なことになっている。
―─フィンランドでこの映画がものすごい絶賛されてると報道されていますね。
西郷 特別活動だとか、そういうのは外国の学校にはないんですよ。配膳とか、掃除の仕方を学校で教えるなんてないし、だから日本の学校はこんなことまでやってくれるのかということで絶賛してると思うんだよ。でも、そこに映っていない子のことを考えないといけない。
鈴木 「日本の公立小学校の日常を記録したドキュメンタリー映画が教育先進国と呼ばれたフィンランドでヒット。海外の映画祭でも多数上映されるなど、世界で注目されている」と報じられていますね。面白そうだなと思ってましたが、そういう映画なんですね。
西郷先生はまさしく日本の社会の中でも、桜丘中学校っていう小さな社会をつくってこられた。ご著書を拝読しながら、ずっとジョン・デューイ(アメリカの哲学者)のembryonic society(萌芽的社会)という言葉がよみがえってきてました。そういうことから、この映画のタイトルだけ見ると西郷先生と親和性があるのかなとも勘違いもしますね。
西郷 そう。僕、ジョン・デューイが「学校は小さな社会」って言っていたから、この映画もジョン・デューイの言葉から来てんだと思って期待して試写を見たらそうじゃなかった。「良き日本人」を作る映画だった。配給に訊いたら、ジョン・デューイとは関係なくて、たまたまそのタイトルになったそうです。僕がやって来たことと真逆の映画です。よく僕にコメントを頼んで来たと思うんです。
鈴木 西郷先生がやっていらっしゃったことで、すごいな、なるほどなと思ったことはたくさんあるんですが、1つは、学校の中で成功体験を子どもたちにさせるということ。生徒会で決められたことは、学校側もその通りにするんですね。社会は自分たちで変えられるんだと、自覚を芽生えさせる。それってすごい大切なことで、きっと子どもたちの人生の軸になると思うんです。
西郷 生徒会で決めたことは全部実現できるというルールを徹底していましたからね。生徒は民主主義の体験をすでに学校でしていました。だから、「子どもの権利条約」などについても取り立ててやってなかった。
鈴木 僕は、どっかのタイミングで学校現場に戻りたいと思ってるんです。こんな時代ですので、教員不足だし、教員の年齢制限なんかもどんどん撤廃されたりしている。やっぱり自分自身でやり残した感がすごく多いんです。
冒頭で紹介した僕の恩師、小関先生に、自分の教員時代を反省して、「やっぱりあの時は子どもたちを愛してやれなかった」って言ったら、「それは違う」って言われたんですよ。「愛してやれなかった」んじゃなくて「愛せなかった」んだって。そのとおりだなって思えたんです。いつかまた教員になったら、もうちょっとは上手にできるんじゃないかと考えています。
取材・文/木村元彦
プロフィール
西郷孝彦(さいごう・たかひこ)
1954年横浜生まれ。上智大学理工学部を卒業後、1979年より都立養護学校(現:特別支援学校)に赴任、肢体不自由児の教育を通じて教育の原点に触れる。以降、理科と数学の教員、副校長を歴任。2010年より世田谷区立桜丘中学校長に就任し、インクルーシブ教育を中心に据え、校則や定期テスト等の廃止、ICT(情報通信技術)の活用、個性を伸ばす教育を推進した。2020年3月退職。著書に『校則をなくした中学校 たったひとつの校長ルール』『過干渉をやめたら子どもは伸びる』(共に小学館)など。
鈴木大裕(すずき・だいゆう)
1973年、神奈川県生まれ。教育研究者。16歳で渡米し、1997年コルゲート大学教育学部卒業、1999年スタンフォ―ド大学教育大学院修了。帰国後、千葉市の公立中学校で英語教師として勤務。2008年に再渡米し、コロンビア大学教育大学院博士課程で学ぶ。2016年、高知県土佐町へ移住、2019年に町議会議員となり、教育を通した町おこしを目指しつつ、執筆や講演活動を行なっている。著書に『崩壊するアメリカの公教育 日本への警告』(岩波書店)など。