今は地球の歴史上で6回目の大きな絶滅期を迎えてるんです!
朴 最初にお会いしてから31年間ずっと関野さんを見てきて、次はどういう活動をするのかなと思っていたら、今回の映画『うんこと死体の復権』を監督するということで、私は最初、そういう言葉をあまり口に出すことはなかったんですが、今はもうちゃんと「うんこ」と言えるようになりました(笑)。
人が嫌がる仕事や汚れる仕事は社会の片隅に追いやられる傾向があって、うんこ、つまり排泄物ですよね、それと死体というもの、これらも本来は私たちのまわりに当たり前のようにあったはずですが、社会から見えにくい場所に追いやられています。その「復権」というタイトルを、よく思いつきましたね。
関野 後から考えると、このタイトルは間違っていたかな、と実は思ったんです。虫たちやうんこは嫌われて鼻つまみ者でかわいそうだなと思って「復権」という言葉を思いついたんですが、でも、彼らにしてみれば権利回復なんて願っているわけがないんですよ。人間がどう思っていようが彼らはただ一所懸命に、子孫を残すために生をまっとうしている。だから、「復権」というのは、あくまでも人間から見た言葉なんです。
じゃあ、彼らはどう思っているのか。「お前らだけの地球じゃないんだよ」って、きっと言いたいと思うんです。「地球をこんなに暑い場所にしちまって、なんとかしろよ!」と。
朴 暑いどころか、もう本当にいろんな危険がいっぱいですものね。
関野 地球の歴史で生命の大量絶滅は13回あって、それらのなかでもとくに大きいものを「ビックファイブ」と呼んでいるんです。たとえば先ほども話した、6600万年前の恐竜の絶滅がいちばん直近の例です。
でも、今は「ビッグシックス」と言われているんです。
朴 何ですか、それは。
関野 今、たくさんの動物が絶滅寸前の状態です。ゴリラ、チンパンジー、ライオン、ヒョウ、ジャガー、ピューマ、ホッキョクグマ、シロナガスクジラ……。人間が彼らの住処を荒らしているからです。それだけではなくて、気候変動もあるし、外来種を勝手に移動させたり乱獲したり、全部人間の仕業です。それまでのビッグファイブは、人間は関係していなかったんです。でも、この6回目の大量絶滅は明らかに人間がその原因で、地球上の生物にとって、実は人間が一番の脅威で害獣なんですよね。
朴 『うんこと死体の復権』ではうんこを食べる虫が出てきますけれども、韓国の済州島に行ったときに、あそこは黒豚が有名でとても美味なんですが、古い造りの家があって、その種の家屋ではトイレの下で豚を飼っているんです。つまり、人間のうんこを食べて大きくなっていくという仕組みで、それを初めて見たときには非常に驚きました。その例に限らなくても、昔は人糞を肥溜めで肥料にしていたましよね。今の世の中では、そういったものはいつの間にか見えないものになってしまったな、と今回の映画を観て思いました。
そういえば、冒頭のシーンはプープランドという山の中で、皆さんが座って野糞をする場面から始まりますよね。「ああ、憧れの関野さんが……」と思って、直視していいのかどうか、思わず目をつぶってしまったんですが、なかなかうまく出なかったんですよね。
関野 カメラを向けられて、緊張しちゃったんですね。「(映す相手は)オレじゃないだろ。(第一部の主役)伊沢さんだろ」って(笑)。
朴 その伊沢正名さんは、50年にわたって野糞をし続けてデータもたくさん収集して記録していて、あれはもはや土壌がどう変化していくかという立派な自然科学研究ですね。
関野 実は15年前にもやっているんです。そのときに野糞が土になることはわかっていたんですが、周囲からは文句を言われるわけです、「バイ菌をばらまいているだけじゃないか」って。伊沢さんは「いや、そうじゃないんだ。土に還るんだ」と言っていたんですが、エビデンスがなかった。それで掘り返し作業を始めたら、1ヶ月後には土になったことをちゃんと証明できたんです。で、僕がもう一回やりましょうよと言って、撮影で入ってみると、非常に土壌が豊かな土地だということが初めて分かったんです。
朴 関野さんが風邪で抗生物質を飲んだらうんこがちょっと違っていた、というエピソードを、伊沢さんが後日に面白そうになさっていましたよね。
関野 あの話はね……、伊沢さんから「風邪で抗生物質を飲んだ」って言われて実はちょっと困ったんです。というのも、抗生物質は風邪に効かないんですよ。僕、医者ですからね(笑)。風邪の原因はウイルスなので、抗生物質は効果が無いんです。ウイルスが身体に侵入したあとに、たとえば鼻水が黄色くなったりするのは細菌がくっついているからで、その細菌に対しては抗生物質が効く、ということなんです。風邪をひいた人に、予防として抗生物質を処方する医師もなかにはいますけれども。
朴 その話で思い出したんですが、関野さんが『グレートジャーニー』で旅をしているときに、訪れてお世話になった先々の子供たちが病気になって困っていても何もお返しをできない、ということで日本に帰国したときに医学部に入り直すという……。
関野 それ、逆なんです。僕はもともと、探検家になりたかったんです。でも、探検家、という職業はないんです。だから、アマゾンへ行くためにはジャーナリストか写真家か研究者になるしかない。でも、僕の気分としては取材や調査じゃない。そうじゃなくて、現地の人たちと友だちになりたかった。じゃあどうしようかと考えて、医者になったら彼らの役に立つかもしれないし、自分もそれで食っていけるかもしれない。だから、献身的に彼らのために何かをしたい、という理由が先に立っていたわけではべつにないんです。もちろん、役に立ちたい気持ちはありますよ。だって、泊めてください、と言って彼らに断られたことは今まで一度もありませんから。
朴 今回の映画には、虫がたくさん出てきますよね。私はふだん、生き物をすべて平等に見ているなんて言いながら、じつはハエが来るといやだし、ウジを見ると「うわっ……」って思っちゃうんです。映画の中では動物の死体にハエが来てウジが湧いて、いつもなら目を背けるシーンなんですが、でもそのことによって土も豊かになり、そうやって命が循環していく様子を目の当たりにして感動しました。ネズミの死骸に集まった虫たちが屍肉をうまくより分けて、団子にしていく場面を見て、いろんな虫がいるんだな、と感心しました。
関野 シデムシですね。ネズミの死体に集まった虫の数を数えたら、64種。ウジムシが死体を食べにきて、そのウジムシを食べにくるエンマムシというのがいるんですね。
朴 そうやってうまく循環しているのがすごいなと思います。命の循環って、普段は見えないじゃないですか。死体なんて特に見えなくなっていて、今は火葬をして終わりになるでしょ。土葬はほとんどされないようですが、土に人間が還るとしたら、そこからまた豊かな命の始まりがある。私の死はそこで終わりじゃなくて、次に繋がる循環の始まりなんだな、という思いを新たにしました。
関野 自分のうんこも死体も食べてもらえるということは、繋がっているわけです。僕が死んでも、その死体やうんこによって、生がまた繋がっていくということですからね。
朴 私たちの子供時代はトイレがどこも汲み取り式で、肥溜めもあったし、肥桶を担いで柄杓で肥料を畑に撒くのはごく当たり前の風景でしたが、今はそういう命の繋がりはまったく見えなくなっていますよね。映画の中でも、舘野さん(舘野鴻:絵本作家、第三部の主役)の実験で、ご自分の髪の毛をムシが食べていることを知って喜ぶ場面があるじゃないですか。
関野 彼は、皮まではすべてムシが食べてくれるとわかっていたんですが、骨と髪の毛は食べてくれると思っていなかったんです。でも、あの実験で髪の毛もムシがちゃんと食べてくれるとわかった。全部食べてくれることがわかったから、これで安心して死ねる、と喜んだわけです。でも、その舘野さんも死ぬことは恐いんですよ。僕だってやっぱり死は恐い。
朴 そうなんですか。今までいろんな冒険や探検をして、恐い思いもたくさんしてこられたでしょうに。
関野 死が怖くないなんてことはなくて、怖いから生の実感が強いわけです。僕は小学6年生の頃に死のことばかり考えていた時期があって、「人はなんで死ぬんだろう? 死にたくない」と思ったんです。なんで死にたくないかというと、死んだらその次のことがわからなくなっちゃう、死によってそこから先が閉ざされちゃうからなんですね。
たとえば宇宙を見ている時や星を見ている時と、同じ感覚なんです。「あの星の向こうには何があるんだろうか」「行き止まりがあったとして、その先はどうなっているんだろう」という果てしない問いの連続があって、死の後はどうなるかということを知りたい、だから死にたくない。
60歳とか70歳になったらどうなるんだろう、やっぱり同じように死は怖いのかな、と想像していたんですが、今は「はたしてオレは本当に死ぬんだろうか?」と思っているんです。だけど逆に、死に向かって突っ走っている感じもする。
朴 『グレートジャーニー』でも映像になっていますよね。関野さんがハンモックの上に寝転がって何か言っていた場面を憶えています。
関野 アマゾンのヤノマミという先住民の人たちのところにいたときですね。何を言っていたかというと、「日本では死ぬということがいけないことで、マイナスになっているけど、ここではそうじゃないんだ」ということを一所懸命、ハンモックの上でずっと呟いているんです、日本語で。
朴 それはなぜなんでしょう。
関野 彼らが、今を大切にしているからだと思います。先ほどの農業の話に戻りますが、農業って今を大切にしていないんです。今、一所懸命やっているのは、将来の収穫のためです。でも、狩猟はそうじゃない。その場で(食べ物が手に入るかどうかが)決まるわけですから。なおかつ、何が起こるかわからない。そうすると、そこで想像力が必要になるんです。あとは(狩猟の対象になる)動物はどうやって動くか、という生態学の知識。だから、彼らには「仕事」「労働」という意識はないんです。
朴 きっと、当たり前の楽しいこと、という感覚なんでしょうね。こちら側にいると、働くとか労働とか、そういうことは大変で大事なことのように思えるし、死についても「将来はこういうことをしたい、あれはできるだろうか」と考えて不安になるけれども、関野さんがハンモックの上で呟いていらしたみたいに、ずっと先のことを計画してどうこうするのではなく、今このとき、今日と明日があればどこで終わってもいい、ということなのかもしれませんね。
関野 彼らのスパンは長くても1年です。雨季と乾季があって焼き畑があるので、最長でもその周期なんですね。さらに言えば、ピダハンというブラジルの先住民の人たちには、未来と過去がないんです。じゃあどういうことになるのかというと、未来がないと不安がない、過去がないと後悔がないんです。
朴 将来の不安があるから、皆、貯金をしたり保険に入ったりするわけじゃないですか。だから悩みもあるし、ストレスも起きる。でもそれがなければ……。
関野 だから、ピダハンの言葉には文法上の過去形も未来形もないんです。墓もないし、世界で唯一、創世神話がない人たちで、かつて、ある宣教師が彼らの言語で聖書を作るというミッションを持って行ったんですが、途中で辞めてしまうんです。なんとか聖書の教えを彼らに伝えようとしたものの、「この人たちはすでに幸福じゃないか」と気づいて、無神論者になってしまい、家族は呆れて帰国してしまったんですね。本人はサンパウロの大学で言語学を学んで、彼らの言葉を調べ、過去形も未来形もないことがわかって、『ピダハン』という本も出版しています(『ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観』)。
朴 今回の映画を見て最後にビックリしたんですが、関野さんは今、奥多摩で旧石器時代の生活もされているんですね。
関野 奥多摩だけじゃなくて、マタギの村にも行って、今は北海道でアイヌの集落でも生活しています。今度は沖縄にも行く予定です。石器だけで生活して、木を切って竹を切って家も作っています。
朴 『グレートジャーニー』の前からずっと外野で見てきた身としては、今回の『うんこと死体の復権』もそうなんですが、本当にびっくり仰天の連続です。この次はいったい何をするのだろうかと思うと……。
関野 自分でもよくわかりません(笑)。
朴 ご本人を前に恥ずかしげもなく言うんですが、関野さんはいままで私が出会ったなかでもベストスリーに入る、素晴らしい男性なんですよ。こういう関野さんのような人と同じ時代を生きていることが本当にラッキーなので、これからの活動も、しっかり追っていきたいと思います。とくに今回の映画を観てからは、今まではすぐに流していた自分の排泄物も、もう少しちゃんと見ようと思うようになりました。
関野 うんこはよく見た方がいいですよ。自分の健康状態をチェックできるいちばん手軽な手段ですからね。
取材・文・構成/西村章 撮影/五十嵐和博
プロフィール
関野吉晴(せきの よしはる)
1949 年生まれ。探検家・医師。 一橋大学在学中に探検部を創設、1971年にアマゾン川全域を下り、以降、南米への旅を重ね、1993 年南米最南端からアフリカの人類発祥の地まで動力を使わずに旅をする。著書に『人類は何を失いつつあるのか』(山極壽一氏との共著/朝日文庫)など多数。これまで出演者として映画化された作品に『プージェー』(山田和也監督)、『縄文号とパクー ル号の航海』(水本博之監督)、『カレーライスを一から作る』(前田亜紀監督) など
朴慶南(パク・キョンナム)
1950年、鳥取県生まれ。作家・エッセイスト。著書に『私たちの近現代史 女性とマイノリティの100年』『クミヨ!』『ポッカリ月が出ましたら』『命さえ忘れなきゃ』『やさしさという強さ』『あなたが希望です』『私たちは幸せになるために生まれてきた』など。