対談

うんこと死体を食う虫は、〝復権〟よりも害獣・人類へ〝意見〟したいんじゃないですかね

関野吉晴×朴慶南

今、あるドキュメンタリー映画が話題になっている。『うんこと死体の復権』。監督は30年前に南米大陸最南端から人類発祥の地アフリカまで、人類が拡散していった逆のルートを旅した探検家・医師の関野吉晴氏だ。
現代人が忌み嫌う「うんこ」や「死体」と、それを食し分解する昆虫・細菌などに〝憑りつかれた〟人々に密着し、自然の生の循環のすごさ、さらにその〝環〟から外れてしまった人間の文明のありようを考える作品である。
関野氏とは30年来の知り合いである作家・エッセイストの朴慶南氏が、この作品を観て、人間と自然、生と死などについて語り尽くす!

『うんこと死体の復権』は8月3日より全国ロードショー公開。
詳しい情報はこのURLへ。https://www.unkotoshitai.com/
上記写真は野糞チャレンジ中の関野吉晴監督。
©2024「うんこと死体の復権」製作委員会

 今日は対談をさせていただいて本当に嬉しいです。たしか最初にお会いしたのは31年前で、1993年の11月です。関野さんは、人類発祥の地アフリカから南米までの経路を逆に辿る『グレートジャーニー』に出発される直前で、その頃、私は毎日新聞でコラムを連載していたので、取材をさせていただきました。
『グレートジャーニー』も『新グレートジャーニー』もすべて拝見しましたし、『カレーライスを一から作る』(前田亜紀監督作品。武蔵野美術大学関野ゼミの学生たちと、米や野菜、肉、スパイスなど、カレーライスの材料をいちから作る取り組みを追い続けたドキュメンタリー)を観たときは、私たちは生き物の命をいただいているんだということを実感できて、とても感銘を受けました。
 自分が生きているということは、両親が出会って、その前に祖父と祖母たちがいて、さらにその前にはいろんな祖先がいて、その人たちが戦争や災害、事件や事故、病気などがいろいろとあったなかでも、自分につながる命が途切れずに続いてきた、ということですよね。そして、その命をさらにさかのぼっていくと、関野さんが『グレートジャーニー』で旅をしたアフリカにたどり着く。だから、私たちが生きているのは、アフリカで誕生した生命からずっと繋がっている、ということなんですね。

関野 生命の繋がりはそれ以前からです。というのは、地球が生まれたのは46億年前と言われていて、最初の生命が誕生したのは38億年前。このときに海で生まれた単細胞の微生物がいなければ、今の我々はいない。人類の誕生は700万年前ですから、地球からすると我々なんてつい最近出てきた、ついでのような存在なんです。
 生命が陸に進出したのだって、たかだか5億年前です。38億年前に生命が生まれてから30億年以上、陸地には命はなかったんです。

1949 年生まれ。探検家・医師。 一橋大学在学中に探検部を創設、1971年にアマゾン川全域を下り、以降、南米への旅を重ね、1993 年南米最南端からアフリカの人類発祥の地まで動力を使わずに旅をする。著書に『人類は何を失いつつあるのか』(山極壽一氏との共著/朝日文庫)など多数。これまで出演者として映画化された作品に『プージェー』(山田和也監督)、『縄文号とパクー ル号の航海』(水本博之監督)、『カレーライスを一から作る』(前田亜紀監督) など

 最初に陸地に上がってきた生命は何ですか?

関野 植物です。これは、南米大陸のギアナ高地に行くとよくわかります。ギアナ高地の岩盤は、楯状地といって26億年前の岩盤がむき出しになっているので、その長い時間の地球の歴史を観察できるんです。26億年前の岩盤だから生き物はいなくて、土もないんですよ。

 そんな何もなかった土地が、どんなふうになっていくんですか?

関野 コケやシダ以前の生き物の地衣類というものが生えて、それが酸を出すことで岩盤を溶かして崩れ、土になっていくわけです。その土からやがてコケやシダ植物が生えてくる。そして、シダ植物などの天下だった時代から花を咲かせる植物が登場して、その後にやっと動物が陸上に上がってくる。

 たとえばどんな動物ですか?

関野 魚類ですね。それがやがてカエルのような両棲類になり爬虫類になり、そして鳥類も生まれて、哺乳類が生まれる。そういう歴史があって、人類まで行く。

 人類なんてずっと後ですね、生命の歴史からすれば。

関野 人類の前に大繁栄するのが恐竜です。でも、6600万年前に滅びてしまう。絶滅の原因にはいろんな説があるんですが、決定的なのは直径10キロの隕石の衝突です。これが、大きな環境変化を地球にもたらしました。それに追い打ちをかけたのが、実は花と昆虫なんです。
 隕石の衝突で飛び散ったかけらや土砂が、成層圏まで舞い上がって地球の表面を覆い、地上には太陽の光が届きませんでした。そのため、植物は育つことができず、10年も寒い気候が続いたために、この変化に耐えられなかった恐竜たちは絶滅しました。興味深いのは、恐竜は植物を一方的に食べて寄生しているだけだったのに対して、恐竜よりはるか昔から存在していた昆虫は、花の蜜を吸うときに身体に花粉がつくので受粉に役立つなど、植物との共生関係だったということです。
 植物と共生した昆虫は繁栄し、植物に寄生した恐竜は絶滅した。人間も自然に寄生しているという点では、いつか滅びてもおかしくないかもしれません。

 関野さんの今回の映画(『うんこと死体の復権』)にもたくさんの昆虫が出てきますけど、昆虫って人類よりずっと前から存在していて、生命力もすごいですよね。

関野 今の地球は、実は昆虫の世界なんです。種類と数が圧倒的に多い。哺乳類なんて、形は大きいけれども数は少ない。

 だけど、その数の少ない人間が、もう本当に悪さをし放題ですよね。関野さんの活動を拝見していて、いつもすごいなと思うんですが、『グレートジャーニー』という人類の起源をたどる大きな旅をした後は何をされるのかなと思ったら、墨田区のなめし工場で働いてみたり、大学で教えている学生さんたちを屠場にご案内したりと、私たちの日々の身の回りにある製品、たとえば財布やカバンがどういうふうに出来上がっているのかとか、食べ物だって自分たちの口に入るまでどうやってできあがるのかという、私たちの暮らしや生活がどんなふうにできているのか、という足もとを知ることに挑んだのも驚きでした。

関野 南米を20年間旅して、その後に『グレートジャーニー』をやって、30年間海外にばかり行っていました。その前は日本で山に登ったり川を下ったりもしていましたが、流域や山麓の人たちとしっかり付き合うことはなかったんです。だから、外国に行って日本のことや自分の生まれたところを聞かれると、もちろん人並みには答えられますが、深く突っ込まれると、もう話をできない。自分は自分の足もとのことを知らない、とそれで気がついてまわりを見渡してみると、住んでいた近くになめし工場街があって、そこで豚の革をなめしているんです。だから、そこでしばらく働いてみることにしました。
 墨田区は豚のなめしで有名で、全国の8割をここで扱っているんです。革は屠場から送られてきて、脂を剥がす。その脂が石鹸の元になる。だから、石鹸企業は墨田区に本社のあるところが多かったんですね。なめし工場に話を戻すと、革ってすごく重たいから、お金をもらって働いて自然に筋トレにもなるんです。だから僕はジムに行かなくても、お金をもらって身体を鍛えていました(笑)。

 そこではどれくらいお仕事をされていたんですか。

関野 1年間働きました。週のうち2~3日は大学で教えて、残りの日はなめし工場。自分ひとりで行くのはもったいないから、「一緒に働こうぜ」って学生たちも誘って連れていってましたね。

 その話と少しつながるのかもしれませんが、関野さんが教えていらっしゃる武蔵野美術大学の学生さんたちに偶然お会いしたことがあるんです。今年は関東大震災から101年目ですが、墨田や荒川でも多くの朝鮮人が殺され、墨田区の八広というところには慰霊碑があるんです。

1950年、鳥取県生まれ。作家・エッセイスト。著書に『私たちの近現代史 女性とマイノリティの100年』『クミヨ!』『ポッカリ月が出ましたら』『命さえ忘れなきゃ』『やさしさという強さ』『あなたが希望です』『私たちは幸せになるために生まれてきた』など。

関野 僕、生まれは八広ですよ。

 エッ、そうなんですか?

関野 僕が生まれ育った家から慰霊碑まで歩いて5分です。あのあたりは八広という名前になる前、もともと吾嬬町という地名だったんです。

 あら。それはやはりなにかご縁があるんですね……。その慰霊碑の近くには関東大震災のときに多くの朝鮮人が殺されるのを目撃した人もいらっしゃったみたいです。毎年9月に、八広の河川敷で慰霊の追悼式が行われているのですが、あるとき、そこに若い学生さんたちがいたので話を聞いてみると「関野先生の授業を聞いてここに来たんです」ということだったので、またそこでも関野さんとの繋がりを感じて胸が熱くなりました。
 震災時、私の祖父が浅草で自警団に追いかけられて殺されそうになったところをなんとか逃げて助かったんですが、もしそこで祖父が殺されていれば、私はこうして生まれていなかったかもしれない。そういうことや、関東大震災で多くの朝鮮の人たちが虐殺されたことを伝えたくて、3月に出した『私たちの近現代史 女性とマイノリティの100年』(集英社新書、村山由佳氏との共著)に書きました。だから、命というものはずっと途切れずにつながってきた奇跡のようなものなんだ、と、祖父のことを知ったときによりいっそう強く感じました。

 もうひとつ関野さんについて思い出すのは、廃品回収をしているお友達が、それを恥ずかしいことだと思うとご本人が言ったときに、関野さんは「まったくそんなことはない」とおっしゃっていたこと。うちも実家が鉄くず屋で廃品回収業だったんですが、私も恥ずかしいと思ったことは一度もないんです。父は「汗水を垂らして働かないで得たお金は身につかないし、自分のためにもならない」という教えをずっと貫いてきた人でした。世間的には肉体労働を汚れ仕事だと下に見る風潮があって、あれはいったい何だろうと常々思うんですが、関野さんはそういう人たちがとても大事な仕事をしているんだとお書きになっていて、非常に共感しました。
 他にも関野さんを取材させてもらった中では、「自分はラッキーだけれどもハッピーじゃない」ともおっしゃっていて、その言葉もすごく心に残りました。

関野 人間は、いつの時代にどこで生まれたかで、一生がある程度決まってしまう面があるじゃないですか。たとえば、大谷翔平選手は150年前くらいに生まれていれば野球選手にはなっていなかっただろうし、あんなふうに成功した人生になっていなかったかもしれませんよね。だから、僕は自分のことをラッキーだと思っているんです。
 ラッキーとハッピーの違いは、ラッキーは自分だけ満足していればいいんだけど、ハッピーになるためには他の人もラッキーになればいいわけですよね。でも、世の中はなかなかそういうふうにならない。だから、僕は、アマゾンの人たちが大好きなんです。なぜなら、彼らはまったくの平等社会だから。

 アマゾンの人たちは、必要なものを自分たちで作って、食べ物を採って、自然を汚さずに……。

関野 狩猟民は魚と肉を捕獲するんですけれども、熱帯だと腐ってきますから、さっさと分けるんです。分けたときには、なんか損をしていると感じる人もいるかもしれないけれども、また別のときにはその人も分けてもらえる。そうすると今度は、仲間が肉をどこかから持って帰ってきて皆に分けるわけです。
 人類が肉を食べ始めたのは、240万年前のホモ・ハビリスからです。だから、つい最近なんですね。彼らも最初は屍肉漁りで、ライオンやヒョウが獲物を襲って食べた残り物をジャッカルやハイエナが食べて、さらにその残りを人間(ホモ・ハビリス)やチンパンジーが食べていたようです。
 面白いのは、チンパンジーの場合はその場で食べていたようなんですが、人間は仲間のところに持って行く。チンパンジーは「ここで食べれば独り占めできるのに、あいつらバカじゃないか」と思っていたかもしれませんね。でも、持って帰って家族や仲間に分けたら、うまくいった。「もっとよこせ」とか「ぜんぶよこせ」ってケンカになる個体は、グループを出て行く。人間は気前がいいから分ける、優しいから分けるという行為をしていたわけじゃない。分かちあうことができてうまく生活できたグループが生き残っていった、ということです。これは類推ですよ。だから、エビデンスはあるんですか、と聞かれることもあるんですが、それは現在いる世界中の採集狩猟民の生活を見ればよくわかります。ブッシュマンもピグミーもアマゾンもエスキモーも、あの人たちは皆、平等ですよね。
 平等だった採集狩猟民が人間の大半を占めていた世界で、農耕が始まったのが1万年前です。農耕をすると収穫したものを蓄えられるようになるじゃないですか。そこで平等が崩れて、貧富の差ができるんです。だから、農耕がなかったら、人間はずっと平等だったかもしれない。だからといって、もちろん農耕を否定するわけではないんですけれども。

 農耕のおかげで人口が増え、人類は豊かにもなったし、社会も便利になっていった。それは素晴らしいことだ、と一般的によく言いますよね。

関野 でも、本当にそうでしょうか。人類の人口が増えて、何かいいことがあったんでしょうか。こんなに増える必要はなかったんじゃないですか?

 農耕を始めて食料が収穫できるようになったことで、今までよりも死の恐怖を少し遠ざけることができるようになった。そうするとさらに人口が増えて、ますます将来のために蓄えることも必要になって、死はどんどん忌むべきものになっていく、という流れになりますね。

関野 人類は今さら農耕を辞めるわけにいかないし、農耕を否定するつもりもないんですが、あの時に農耕を始めずに狩猟採集の生活がずっと続いていれば、人間はもっと平等だったかもしれない、と思うんです。

次ページ 今は地球の歴史上で6回目の大きな絶滅期を迎えてるんです!
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関連書籍

私たちの近現代史 女性とマイノリティの100年

プロフィール

関野吉晴×朴慶南

関野吉晴(せきの よしはる)

1949 年生まれ。探検家・医師。 一橋大学在学中に探検部を創設、1971年にアマゾン川全域を下り、以降、南米への旅を重ね、1993 年南米最南端からアフリカの人類発祥の地まで動力を使わずに旅をする。著書に『人類は何を失いつつあるのか』(山極壽一氏との共著/朝日文庫)など多数。これまで出演者として映画化された作品に『プージェー』(山田和也監督)、『縄文号とパクー ル号の航海』(水本博之監督)、『カレーライスを一から作る』(前田亜紀監督) など

朴慶南(パク・キョンナム)

1950年、鳥取県生まれ。作家・エッセイスト。著書に『私たちの近現代史 女性とマイノリティの100年』『クミヨ!』『ポッカリ月が出ましたら』『命さえ忘れなきゃ』『やさしさという強さ』『あなたが希望です』『私たちは幸せになるために生まれてきた』など。

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うんこと死体を食う虫は、〝復権〟よりも害獣・人類へ〝意見〟したいんじゃないですかね