座談会

日本文化と深く響き合うスーフィズムの精神 前編

『スーフィズムとは何か』刊行記念対談
島田裕巳×中田考×山本直輝

イスラーム原理主義はスーフィズムが嫌いか?

島田 ところで、中田先生は、イブン・タイミーヤ(13~14世紀にかけてシリア・エジプトで活動したハンバル学派の学者。イスラームの信仰と法を第一とする厳格で原理主義的な思想家と見なされることが多い)を祖とするサラフィー主義のご専門ですが、その立場からするとスーフィズムはけしからんものということになると思うんですが、どうでしょうか。

中田 まあ、少なくとも当時は全く、けしからんものだったでしょうね。

山本 ここで紹介されている修行的なものの大半は、イブン・タイミーヤは嫌いだと思いますね。預言者時代になかったものなので。

中田 そうだろうね。

島田 そうでしょう。そんなものは焼いてしまったほうがよいという話になる。

山本 はい。逸脱だという話になって破壊されかねない。

中田 はい。確かにそうなんですが、私自身考え方が少し変わってきました。私が今まで日本でやってきたことは、イスラームの特殊性というか、いかにイスラームは違うかということだけを説明してきたんです。それはそれで意味があったとは思うのですが、そうすると、同じ人間であるという部分が全部消えて、イスラーム教徒は理解不能な人間であると印象づけてしまう。果たしてそれでいいのか。こうしてどんどん世界が分断していく時代に分断を強調していいのかという心境の変化もありまして。

 結局、文化的なものは、無意識に人々にもう刷り込まれていて、それが人を動かしていくので、理論的に正しいことを言うことにあまり意味はない。例えばヒジャブにしても、ヒジャブを禁じるのは人権的におかしいと批判するより、かっこいいヒジャブのつけ方を提案して、それを世の中に広げるほうがいいんじゃないか。批判しているだけでは駄目で、そういう実践をしていかないと意味がないなと思い至りまして。歌舞伎も能も落語も、そしてイスラームのスーフィズムも人々が楽しく味わえてこそ意味があるし、続いていける。全部そういうことではないかと思ったわけです。

 昔からイスラーム世界では、20年間学んで、20年間教える。40年やって初めて出発点に立つと言われています。島田先生もいろいろ新しいことにチャレンジされていますが、私も40年それをやってきて、そろそろ何かつくる側に回ってみようと、取りあえずラノベを書いてみたりしているわけです(笑)。

島田 なるほど。そういう心境の変化があったわけですね。

山本 イスラーム世界の言説を見ると、サラフィー主義的な人と、スーフィズムを重んじる伝統派は基本的に仲が悪くて、どっちが正しいかという議論をずっとし続けている。でも、伝統宗教の大きな特徴というのは、一見矛盾するように思える二つの要素がお互いのカウンターカルチャーとして強力に機能したときに、創造性やエネルギーが保ち続けられたことです。ですから、サラフィー主義もスーフィズムも、どっちも同じだけ面白いというのを、ちゃんと日本社会に伝えるというのは大事なのかなと思いますね。

〇〇主義という言葉はくせ者

島田 イスラームを説明するときに、何とか主義という言葉がよく出てきますよね。原理主義とか、神秘主義とか。この「主義」という言葉が結構くせ者で、何か一つのがっちりとしたイデオロギーがあるみたいなイメージで受け取られてしまうわけです。僕は1972年に大学に入って、74年から宗教学をやっていますが、70年代には原理主義という言葉はなくて、宗教学の辞典では、根本主義という言い方がされていた。そのときの根本主義は何を意味しているかというと、仏教の経典の根本に帰るという意味で、今日的な原理主義とはまるで違う理解がされていた。その後原理主義という言葉が広く使われるようになっていますが、では、原理主義って一体何なの、神秘主義って一体何なのと問うても、意外とその中身って、よく分からない。スーフィズムもイスラーム神秘主義ということになっているけど、神秘主義じゃないですよね。

山本 そうですね。アラビア語の「タサウウフ」も、スーフィーであるという意味で、「主義」が入っていないですからね。

島田 そう、入っていないですよね。だから、スーフィズムは道なのか、生き方なのか、実践なのか。その辺の定義はどうなんですか。

山本 ムスリム社会で、スーフィズムの修行をすることを、アラビア語の名詞ではスルーク、動詞だとサラカと言います。サラカは日常語でも使われている言葉で、道を歩くという意味。だから、まさに日本で言う「行」ですね。

島田「行」ですか。神秘主義なんて言うよりよほど分かりやすいですよね。

ハローキティグッズを爆買いしたタリバン

山本 ちょっと脱線しますけど、同志社大学のときに、和平会議でアフガニスタンのタリバンが京都に来たことがあったじゃないですか。

島田 そういうことがありましたね。

山本 あの和平会議の後に、一日か二日空いたので、中田先生からタリバンのアテンドをしなさいと言われて、むちゃくちゃ怖かったんです(笑)。お寺を見たいというので、烏丸今出川から二条城までタクシーに乗ったんですが、あのグーグル画像検索に出てくるタリバンのままの格好でタクシーに乗りこんだので、運転手さんもむちゃくちゃびびってしまって。

で、二条城に行った後で電気製品を売っているところはないかと言われて、ヨドバシカメラに行ったんです。そこのおもちゃコーナーに、ハローキティのおもちゃがあって、それをタリバンがすごく気に入って「これを買う」と。娘がハローキティが好きなんだと。僕は、えーっと思って。だって偶像は駄目なわけでしょう。あんなもの買っていいのかと後で調べてみたら、子供向けなら偶像もオーケーらしいんですよ。

中田 そうそう、オーケーなんです。

山本 娘がハローキティが大好きで、めっちゃかわいいやんとか言って、タリバンがグッズを買っている光景を眺めていました。

中田 二条城に行ったときも、うぐいす張りで喜んでいたんだよね。

山本 ああ、たしかに。二条城ではまずお堀に感動していました。この水は何だと言うので、この水は侵入者を防ぐために張っているんだと言うと、日本人は賢いと。アメリカ軍向けに俺たちも堀を掘るとか言いだして、タリバンのお付きの人が、いや、アメリカ軍は空爆してくるから、お堀を掘っても意味がないですよと言ったら、ああ、そうか、ハハハハハと小コントが始まって(笑)。

 キュッキュッと鳴るうぐいす張りも、最初、これは壊れているのかというので、これも侵入者に気づくために鳴るようにしていると言うと、やっぱり日本人は賢いな、いろいろ学べるものがあるぞとすごく喜んでいました。

島田 それはきっと忍者になりたいとか、そういう感じですね。

山本 どうなんでしょう。あと、二条城の茶室のそばの庭に小さな池があって、それを見たタリバンが、こんなに美しいものは初めて見たと言うんです。掛け軸にも感動していたし、自然の美しさをしみじみと消化しているようで、その姿だけ見るとお寺の修行体験にくる観光客と何ら変わらない感じで。我々は、〇〇主義やレッテルで判断しがちですけど、こういう生の体験って大事だなと思いましね。

島田 そうだと思います。いろんなレッテル貼りが本質を見えなくしていることが多い。特にイスラーム世界はそうです。山本さんのスーフィズム解説は、それを取っ払って、同じ人間としての共通項から入っているので、わかりやすいし、親しみやすく感じます。

後編に続く

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関連書籍

スーフィズムとは何かイスラーム神秘主義の修行道
一神教と帝国

プロフィール

島田裕巳

(しまだ・ひろみ)

1953年東京生まれ。作家、宗教学者。1976年東京大学文学部宗教学科卒業。同大学大学院人文科学研究科修士課程修了。1984年同博士課程修了(宗教学専攻)。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任し、東京女子大学非常勤講師。著書に『帝国と宗教』『ほんとうの親鸞』『「日本人の神」入門』『性と宗教』(以上、講談社現代新書)、『創価学会』『世界の宗教がざっくりわかる』(以上、新潮新書)、『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』『葬式は、要らない』(以上、幻冬舎新書)、『宗教消滅』(SB新書)、『0葬』(集英社)などがある。

中田考

(なかた・こう)

1960年岡山県生まれ。イスラーム学者。東京大学文学部卒業後、カイロ大学大学院文学部哲学科博士課程修了(哲学博士)。在サウジアラビア日本国大使館専門調査員、山口大学教育学部准教授、日本学術振興会カイロ研究連絡センター所長、同志社大学神学部教授、同志社大学客員教授を経て、イブン・ハルドゥーン大学(トルコ)客員フェロー。著書に『イスラーム 生と死と聖戦』『イスラーム入門』『一神教と国家』(内田樹との共著、集英社新書)、『カリフ制再興』(書肆心水)、『タリバン 復権の真実』 (ベスト新書)、『どうせ死ぬ この世は遊び 人は皆 1日1講義1ヶ月で心が軽くなる考えかた』(実業之日本社)他多数。

山本直輝

(やまもと なおき)

1989年岡山県生まれ。専門はスーフィズム、トルコ地域研究。広島大学附属福山高等学校、同志社大学神学部卒業、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。博士(地域研究)。トルコのイブン・ハルドゥーン大学文明対話研究科助教を経て、国立マルマラ大学大学院トルコ学研究科アジア言語・文化専攻助教。著書に『スーフィズムとは何か イスラーム神秘主義の修行道』(集英社新書)、内田樹、中田考との共著『一神教と帝国』(集英社新書・2023年12月刊行予定)。主な訳書に『フトゥーワ――イスラームの騎士道精神』(作品社、2017年)、『ナーブルスィー神秘哲学集成』(作品社、2018年)等、世阿弥『風姿花伝』トルコ語訳(Ithaki出版、2023年)、『竹取物語』トルコ語訳(Ketebe出版、2023年)、ドナルド・キーン『古典の愉しみ(The Pleasures of Japanese Literature)』トルコ語訳(ヴァクフ銀行出版、2023年11月刊行予定)」等がある。

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