座談会

日本文化と深く響き合うスーフィズムの精神 後編

『スーフィズムとは何か』刊行記念対談
島田裕巳×中田考×山本直輝

日本の少年漫画の類まれな表現力

山本 今回この新書でも、漫画の例を幾つか挙げたんですけれど、島田先生、昨藤本タツキ先生の、少年漫画の『チェンソーマン』って分かります?

島田 僕は漫画が苦手で。

山本 そうですか。昨日、『チェンソーマン』の作者の藤本タツキ先生の短編集を読み直していたんですが、彼の作品が語ろうとしていることは、結局、世の中は理不尽だと。藤本タツキは多分僕と同年代ぐらいの人で、利益はほとんど、上の世代が独占していると感じていた希望のない世代です。でもその中にあって、彼の漫画の中には、日本社会の支配的な呪いや絶望に対抗して、自分の人間性をいかに守れるか、あるいは表現できるかという物語を作り出している。そういうものを今一番深く表現できているのは、日本の少年漫画だと思う。

 イスラームは確かに正しい宗教かもしれないけれど、ならばその正しさを人間性の深みとして表現するべきです。現代のムスリムにそんな思想家がいるかというと、あまり多くはないのではないか。人間の複雑や業の深さ、弱さを芸として、ちゃんと表現しようとしてきた営みは、イスラーム文化から失われようとしているように感じます。むしろ、それは池袋の地下2階でやっている落語家の粋な感じにこそあると思ってしまうんです。

島田 落語のルーツって、あれは浄土真宗の説教なんですよ。

山本 そうらしいですね。

島田 節談説教ですね。今でも節談説教の会があって、僕も見たことがありますが、やっぱり大衆を引きつけるために、面白い話をするわけです。そして人情に絡めた話をすることによって聴衆を感動させる。よくできているのが、念仏を唱えることも、節談説教のときにやるわけですよ。いい話をすると、念仏を聴衆が唱える。そういうコール・アンド・レスポンスがうまくできていて、それによってその場が盛り上がっていく。親鸞聖人の教えもそうして伝えられてきた。そんな歴史の中から落語が芸能として独立してきたんですね。

山本 そうなんですね。やっぱり面白さや美しさがないと、人間って興味を持たないですからね。

島田 飽きちゃうし、持たないですよね。ヨーロッパのキリスト教も、説教で広がっていったので、説教師というのは重要です。アメリカの今の福音派の源泉は、屋外で説教することによって人々を改心させたことにあります。その場合も、いかに自分たちが罪深いかということを納得させるような演劇的な仕組みで見せていく。そうじゃないと、みんな感動しないわけです。そのような演劇的、芸能的なものが宗教にないと、やっぱり弱いと思いますね。

山本 スーフィズムをきっかけに何とかイスラーム文化の魅力を伝えたいと僕も思っているんですが、ムスリムは世界でどんどん居場所を失っていますね。日本で炎上しているクルド人問題だって、非常に不正確に伝わっています。日本って一度このグループはいじめていいんだという世間の空気が醸成されると、いじめが止まらなくなりますからね。

島田 うちの義理の弟もクルド人を嫌っていますよ。日本に住んでいる彼らもそうなので、日本の人たちに理解を求めるのは大変ですよ。

山本 そう思います。今はSNSに世界のニュースがすぐ入ってくるので、ムスリムの二世、三世の子が、フランスのヒジャブ規制のニュースを見て朝起きるわけです。あれはきついと思う。この世界に自分の居場所はないのかもしれないと思って眠って、次の朝起きなきゃいけない。そんなときに、我々大人ができることで何があるかと考えたときに、正しさの主張ではなくて、取りあえず楽しく生きていこう、この人生を楽しめる何かがあるぞと、伝えられるおじさん、おばさんが一人でもいたらいいなと。それを最近よく考えます。

日本のアニメが大好きなトルコの若者たち

中田 それで、山本先生は日本の漫画に発想を得て、イスラームの若者向けに、かっこいいヒジャブ忍者の漫画を描いたりしているんですよ。

山本 ただのイラストですけどね。トルコの若い子って日本のアニメ・漫画が大好きなんです。『NARUTO―ナルト―』や『呪術廻戦』、『鬼滅の刃』とか、日本人よりももっと読んでいる人たちが多い。その漫画好きの学生たちと話したときに、私は日本の文化は大好きだけど、自分たちみたいなキャラクターがいたら、もっと楽しいのにと言われたんですね。彼らが言うには、まず自分たちみたいにヒジャブをかぶった主人公がいない。かつ、出ているときは大体、不幸そうな顔をしている。西欧社会でうまく生きられないとか、中東のパターナリスティックな社会に生きていて居場所がないとか。それで、僕はもともと油絵をやっていたので、じゃあ、ちょっと漫画っぽいキャラクターを描いてみようかと、ヒジャブをかぶった日本の漫画っぽい顔のキャラクターを描いて彼らに見せたら、すごい喜んでくれて、私がここにいると言うんです。それならと、ヒジャブをつけた、かっこいい、強いキャラクターのイラストシリーズを始めたんです。このヒジャブキャラについての講演会を、トルコとイギリスとでやったらけっこう受けたんです。これはもう日本の漫画文化のグローバルな力の一つだと思うんです。

中田 そうなんですよ。全世界はアニメ語でつながってますからね。

山本 それと日本の漫画の顔のキャラって、目がすごくでかくて抽象度が高いじゃないですか。現実にこんな人間はいません。一方でアメリカの漫画キャラは、アイアンマンやスパイダーマンなど、結構、顔がリアルなんです。どれだけ漫画っぽくても、アメリカって民族性を反映したキャラクターをつくっちゃう。だから何でアフリカ系やアジア系のキャラクターがいないんだと批判されることになる。その点、日本の漫画のキャラには、カラーがついていない。紙の上で肌の色は出てきていないし、顔も、身体的な表現も民族性を反映してないので、中東やアフリカのムスリムたちも、これは俺かもしれないと感情移入ができて、親近感を覚えるらしいんですよ。

 僕の将来的なビジョンは、日本の文化の王道的な力を使って、こういうイラストだけじゃなくて、漫画とかラノベとかアニメをつくっていけば、中東とかムスリム圏の人たちと新しい文化交流ができるのではないかと考えています。

島田 なるほど。それはいい交流になるかもしれませんね。

日本にイスラームの「味」を知ってほしい

山本 さらに付け加えると、僕は個人的に自分のポケットマネーで、日本の伝統工芸のデザインをしています。今、京都の漆の工芸士の力を借りて、アラビア書道とか、イスラーム文化からインスパイアされた新しい棗をつくったりしているんです。これが二日前にできた新しい茶道具の棗です。ここに縦に書いているアラビア文字が、先ほど言ったスーフィーの修行場の掛け軸にあった「ヒッチ」、虚無というやつです。虚無棗と呼んでいるんですけど。

島田 「虚無」だけのほうが、かっこいいんじゃないですか(笑)。

山本 これをつくったときに直感したのは、あまり違和感がないということ。多分、織田信長が使っていても、そんなに違和感がなかったと思うんです。あの時代もヨーロッパ物を積極的に取り入れていたじゃないですか。

島田 そう、そう。だって、みんな南のほうから来ていますからね。

山本 はい。ムスリムと日本人の価値観って、違う面もたくさんありますが、こういう文化、特にビジュアル的に違和感がないものを見せていくって、結構、重要なのではないかと思います。香川の手拭い屋さんと一緒にデザインしたフトゥーワ手拭いもあります。先ほどお話したアラビア文字の「フトゥーワ」=義侠心、任侠心という文字で、中央アジアのギルド集団が使っていたエンブレムを日本の家紋風にデザインし直したものです。これも普通に道場で使っていても違和感がないと思う。こういうイスラームの味を土着の日本の技術でもっと表現していきたい。落語や、能の動きなど、文化的なもので表現すると、日本人には結構届くものがあるんじゃないかと思っておりますので。

島田 イスラームの茶事とか、そういうのができるということですか。

山本 可能かもしれませんね。戦国時代の茶道も、武家茶道もあれば、わび茶道もあるし、書院の茶道もあるし、キリシタン茶道もありましたよね。それを考えれば、日本に住んでいるイスラームにルーツを持つ人たちが、自分の解釈をそこに持ち込んで、新しい文化体系をつくることも可能だと思うんです。

イスラーム茶道や書道、新しい文化体系をつくる意味

島田 11月に歌舞伎座で「マハーバーラタ戦記」をやるんですよ。古典である「マハーバーラタ」が、インドでテレビ放映されて、物すごい視聴率を獲得して、ヒンドゥー・ナショナリズムを盛り上げる大きなきっかけになったんですね。それがイスラーム迫害に結びついたので、あれを日本で上演するのはかなり政治的な意図があると私は思っているんですが、逆にそういうものに対抗して、イスラーム的な物語を歌舞伎で上演したりすれば、ずいぶんと日本人の見方も変わってきます。漫画や伝統芸能でイスラームを表現するという、山本さんたちのこういう試みは、これからとても重要なことになってくると思いますよ。

山本 そうですね。イスラームの物語から題材を取った能や狂言、文楽もつくっていいと思いますし、むしろ、やるなら今でしょうという気になっています。

島田 僕は見ていませんが「オスマン帝国:皇帝たちの夜明け」というオスマン帝国のドラマも、Netflixでやっているんでしょう。今まで未知なものであるがゆえに、そこに興味を持つ人が出てくるわけで、そういう意味ではイスラーム文明は、無尽蔵にこれからコンテンツとして生きていく、そういうものじゃないですか。

山本 ポテンシャルだけはすごくあると思います。

中田 我々は、能とか歌舞伎は敷居が高いので、落語を一つつくってみようと相談しているところです(笑)。

島田 いいですね。講談もいいんじゃないですか。

山本 講談は多分、預言者伝と、すごく相性がいいと思います。

島田 絶対、いいと思います。そうして広がっていけば、世界のイスラームへの評価は確実に変わっていくと思います。

中田 スーフィズムというものは、オーソドックスなイスラーム研究の要素でもあると同時に、これからのサブカル、芸術活動への入り口にもなっていくと思いますので、ぜひまた力をお貸しください。

1 2
 前の回へ

関連書籍

スーフィズムとは何かイスラーム神秘主義の修行道
一神教と帝国

プロフィール

島田裕巳

(しまだ・ひろみ)

1953年東京生まれ。作家、宗教学者。1976年東京大学文学部宗教学科卒業。同大学大学院人文科学研究科修士課程修了。1984年同博士課程修了(宗教学専攻)。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任し、東京女子大学非常勤講師。著書に『帝国と宗教』『ほんとうの親鸞』『「日本人の神」入門』『性と宗教』(以上、講談社現代新書)、『創価学会』『世界の宗教がざっくりわかる』(以上、新潮新書)、『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』『葬式は、要らない』(以上、幻冬舎新書)、『宗教消滅』(SB新書)、『0葬』(集英社)などがある。

中田考

(なかた・こう)

1960年岡山県生まれ。イスラーム学者。東京大学文学部卒業後、カイロ大学大学院文学部哲学科博士課程修了(哲学博士)。在サウジアラビア日本国大使館専門調査員、山口大学教育学部准教授、日本学術振興会カイロ研究連絡センター所長、同志社大学神学部教授、同志社大学客員教授を経て、イブン・ハルドゥーン大学(トルコ)客員フェロー。著書に『イスラーム 生と死と聖戦』『イスラーム入門』『一神教と国家』(内田樹との共著、集英社新書)、『カリフ制再興』(書肆心水)、『タリバン 復権の真実』 (ベスト新書)、『どうせ死ぬ この世は遊び 人は皆 1日1講義1ヶ月で心が軽くなる考えかた』(実業之日本社)他多数。

山本直輝

(やまもと なおき)

1989年岡山県生まれ。専門はスーフィズム、トルコ地域研究。広島大学附属福山高等学校、同志社大学神学部卒業、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。博士(地域研究)。トルコのイブン・ハルドゥーン大学文明対話研究科助教を経て、国立マルマラ大学大学院トルコ学研究科アジア言語・文化専攻助教。著書に『スーフィズムとは何か イスラーム神秘主義の修行道』(集英社新書)、内田樹、中田考との共著『一神教と帝国』(集英社新書・2023年12月刊行予定)。主な訳書に『フトゥーワ――イスラームの騎士道精神』(作品社、2017年)、『ナーブルスィー神秘哲学集成』(作品社、2018年)等、世阿弥『風姿花伝』トルコ語訳(Ithaki出版、2023年)、『竹取物語』トルコ語訳(Ketebe出版、2023年)、ドナルド・キーン『古典の愉しみ(The Pleasures of Japanese Literature)』トルコ語訳(ヴァクフ銀行出版、2023年11月刊行予定)」等がある。

集英社新書公式Twitter 集英社新書Youtube公式チャンネル
プラスをSNSでも
Twitter, Youtube

日本文化と深く響き合うスーフィズムの精神 後編