著者インタビュー

生きづらさを感じているすべての人へ。
心にほんのり光が灯る、甘くてしょっぱい物語

寺地はるな著『こまどりたちが歌うなら』刊行記念インタビュー
寺地はるな

小説を読むことで得られるもの

──あまり小説を読んだことがない人にとっては、小説が好きな人はなぜ小説を読むのだろう、どうところが好きなんだろうっていう、素朴な疑問があるんじゃないかと思います。『こまどりたちが歌うなら』の中で、茉子のお母さんとお父さんは映画が大好きなんですが、そのお母さんが映画は「なんの役にも立たんから好きなんや」と言っています。たしかにそうなんですけど、フィクションにはそれだけじゃないものもあるし、それを分かった上で大げさに考えないように、自戒を込めてそう言っているとも感じました。では、小説を読み慣れていない人に、「小説、面白いよ」って、どういうふうに勧めたらいいのかなと。寺地さんはどう思われますか。

寺地 小説には、実際にあったことをそのまま伝えるよりも、より深く届けられる性質があると思うんです。豊かな語彙を使って強弱をつけることもできる。また、小説という形にすることで、キャラクターに自然に共感でき、より深い真実にたどり着けるという面は絶対にあると思います。
 例えば、私が勤めていた頃の話をそのまま書いても、それは私の体験以上でも以下でもないですよね。ただの愚痴みたいな。でも、『こまどりたちが歌うなら』で小説にしたことで、特定の誰かのノンフィクションじゃないからこそ、より多くの人が自分の気持ちを重ねられるっていうのはあるんじゃないでしょうか。

──そうですね。自分が茉子だったらどうするか、と考えやすいですね。

寺地 茉子だけでなく、どの登場人物に自分を重ねるかで、描かれているできごとのとらえ方も変わってくると思います。

──また、その作家さんらしい文章表現の面白さというのも小説を読む楽しみのひとつだと思います。今回の作品では特にそこが本当に面白かった。例えば、「忙しければ忙しいほど輝く人はたまにいて、茉子の中で彼らは『乱世にしか生きられぬ者』のカテゴリに分類されている」など、茉子の心の声は毎回独特で、吹き出してしまうようなユーモラスな表現もありました。

寺地 ここ数作がちょっと重くなりがちだったというか、ふざける余裕がない作品だったこともあって、今回は存分にそのあたりを書くことができました。リラックスして書けた場面もいっぱいあって、振り返ってみれば書くことを楽しめましたね。

──会社の話ということもあって、『こまどりたちが歌うなら』には様々なタイプの人が登場します。茉子に反発する人たちにも、彼らなりの反発の理由があるし、単に嫌な人、反発する人なだけでなく非常に多面的であると感じました。それぞれ足りないところや過剰なところ、困ったところもあれば善良なところもあるなと。

寺地 現実の世界では「私、いじわる役として生きております」みたいな人はいないと思うんです。人間というのはドラマを作るために存在しているわけではありませんから。それは小説でも同じだと思います。だから一面的な人は出したくなかったんです。ただ、嫌な印象で出てきた人が、ほんとはいい人みたいな書き方も、実はあまり好きではありません。
 私、自分で言うのも何なんですけど、嫌な人の嫌な部分を書くのは、まあまあうまいほうだと思うんです。わりとさっと書けてしまう。でも、今回は登場人物一人ひとりに何かしら魅力があるはずだから、その部分にスポットを当てようとは思いました。江島も「ほんとはいい人」ではなく、嫌なやつは嫌なやつのままで、でも、ちょっとかわいいところを書きたいなと。それは連載の後に、単行本にするにあたっての改稿で一番考えたことですね。

──別の社員に向かって江島の言動を批判した茉子が「でも江島さんはええ人やで」と反論されるシーンがあります。それを聞いた茉子は、よく探せば、誰にでも良いところのひとつやふたつは見つかるもの。それを否定しているのではなく、その人の言動に問題があるか否かの話がしたいだけなのだ。それなのにいつもこの「根はいい人」理論に打ち負かされる、と落ち込みます。なるほどと思いました。「根はいい人」で許してしまうと社会が変わっていかない。

寺地 根がいいから大声を出していいのか、根がいいから人を追い詰めてもいいのか……「根はいい人」理論には落とし穴があると思います。

間違いや失敗をなぜそこまで避けるのか

──『こまどりたちが歌うなら』は、社会人にとっては身につまされるシーンが多く出てきます。茉子のように違和感を口に出せばいいのか、でも、そんな茉子でも言えないこともあるし、言って会社が変わるかと言ったらそれほど単純なことでもない。かといって、我慢したり違和感を感じないように自分を環境に慣らしたりするのもどこか違う。

寺地 難しいですよね。先ほど話に出た、茉子が「気持ちよさそうやね」と言われるシーンも同じですが、バシッと言ってその時は気持ちがいいかもしれないけれど、相手にも感情があるから遺恨が残りますよね。だから「正しいことならその場ではっきりと言うべき」が正解でもないと思います。でも、言っちゃいけないみたいに、タブーになってしまうのも嫌ですよね。
 一番まずいと思うのは、「怒るほどのことでもない」と言われたり、そう思ったりしてしまうこと。「嫌だ」とか「怒ってる」という気持ちは大事にとっておいていいと思うんです。「社会人として」ではなく「個人として」。「言えない」はしょうがなくても、「思っちゃいけない」はよくない。「思う」「感じる」は大事にしてほしいと思います。

──思わなくなったら、それはもう、組織の奴隷になってしまいかねない。

寺地 怒るのもエネルギーを使うんですよね。怒りを持ち続けるのも疲れる。やりたくないと思うんですよ、みんな。でも、心のどこかに怒りを感じる場所を持っていてほしいんですよね。

──茉子は亀田さんを評して「いろんなことをあきらめている」と言っています。また亀田さん自身も職場に希望を持てず「疲れるとなんにも考えたくなくなる」とつぶやく。あれは、すごくリアルに感じられました。怒ることも疲れることだから。

寺地 亀田さんが会社で経験してきた道のりは大変なものでした。言っちゃいけないは当然、思ってもいけない、感じてもいけない、と。だから感じやすい茉子に「あんた、たぶん、この会社では嫌われる」と言ってしまう。そんな亀田さんも茉子と関わることで少しずつ変わっていきます。
 先ほどの亀田さんの「疲れた」という言葉は、仕事以外のことも含んでいると思います。彼女は、仕事以外に出産や育児も経験してきました。シングルマザーで本当に大変だったと思います。でも、その経験で亀田さんはいろんなことを手に入れていると思うんです。仕事のキャリアという意味では失ったものも多いかもしれませんが、仕事以外の経験で実はいろんな能力が培われているはず。例えば、男性でもPTAで役員をやったりする人がいますが、そこで培われているものは絶対あると思います。
 雇う側や同僚からしたら、「PTA活動のために早退するなんて」という不満があるかもしれないですが、もしかしたらその経験が仕事でも生かせるかもしれない。それは子供のことだけじゃなくて、地域のことでもいいし、ボランティアでもいいし、会社以外の経験って重要だと思うんです。

──会社以外の経験は、人間同士が分かり合うためにも必要だと思います。違う立場の人のことを思いやる、という意味で。江島と正置、江島と茉子の関係を見ても、世代やジェンダーの違いなど立場の違いでお互いが分かり合えないことが、例えばハラスメントにつながるのかなと。寺地さんはどう思われますか。

寺地 ハラスメントをする側も、している意識がないんですよね。自分の正義、「こうあるべき」という価値観を信じてやっていることなので。例えば、江島が持っている、仕事に全力を出してしかるべきみたいな価値観。コネではなく実力で採用されてしかるべきみたいな正義。それに対してコネで入ってきた若い女である茉子への反発。若い女のくせに、っていう反発もありますよね。
 でも、茉子は別に江島がおじさんだから憎いわけじゃなくて、大声を出すから嫌いなんです。分かり合えないことで起きるこういった問題はどちらを支持するのか二者択一になってしまってはだめだと思うんです。どちらかが「正解」だと決めると、それにぴったり合わないケースが出てきた時に困ったことになる。「こういうのがセクハラなんです」「こういうのがパワハラなんです」と決めようとすると「自分のはそこまでじゃないからこれはパワハラって言っちゃいけない」ってなってしまうかもしれない。
 ではどうしたらいいか。直接的な解決になるか分かりませんが、私が思う今の社会に足りないことは「間違ってもいいという意識」です。上の人も、下の人ももっと失敗してもいいと思います。失敗して「それはだめだよ」ってなったら自分を省みればいい。「そういうところが嫌なんです」と言われたら「じゃあこうしてみたらどう?」と話し合っていくしかないのかなと思います。
 誰でも何かしらの間違いを指摘されることってあると思うんです。ハラスメントまでいかなくても、ふだんの会話の中で「それは差別では?」とか。若いうちは未熟だし、年をとれば価値観が古くもなっていくし。だから、間違いだと指摘された時に「これからどうしようか」と考えていくしかないんじゃないかな。「間違ってますよ」って言われた時に、「こっちが正しいんだ!」みたいに反射的に言ってしまうのが一番だめかなと思います。
 若くても年配でも、私たちは変化の途上にある。間違ったら「ごめんなさい」。そこから勉強する。それでいいんじゃないかなと思います。失敗すること、間違えること、古いと言われることを、恐れなくていいと思います。(了)

構成:タカザワケンジ 撮影:香西ジュン

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こまどりたちが歌うなら

プロフィール

寺地はるな

1977年佐賀県生まれ、大阪府在住。2014年『ビオレタ』でポプラ社小説新人賞を受賞しデビュー。2021年『水を縫う』で河合隼雄物語賞受賞。2023年『川のほとりに立つ者は』で本屋大賞9位入賞。『大人は泣かないと思っていた』『カレーの時間』『白ゆき紅ばら』『わたしたちに翼はいらない』など著書多数。

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