著者インタビュー

生きづらさを感じているすべての人へ。
心にほんのり光が灯る、甘くてしょっぱい物語

寺地はるな著『こまどりたちが歌うなら』刊行記念インタビュー
寺地はるな

働いているとふと思う—–これって正しいの?
そもそも「正しい」とは何? いつ誰が決めたの?
そんな疑問にぶつかりながら奮闘するのは、
製菓会社で働く27歳の小松茉子。
今春刊行の小説『こまどりたちが歌うなら』の主人公だ。
会社独特の、ちょっと時代遅れな「見えないルール」や
無意識のパワハラとそれを見慣れた社員たち……
果たして茉子はどう立ち向かうのか。
著者の寺地はるなさんに、作品への思いを語ってもらった。

『こまどりたちが歌うなら』(集英社刊)

──『こまどりたちが歌うなら』の主人公小松茉子は、真面目だけれどどこか不器用な27歳。執筆にあたって、主人公の茉子をどのような人物にしようと思われましたか。

寺地 最初に考えたのは、ものをはっきり言う人。自分がおかしいと思ったことを、どんどん口に出し物語を進めていくようなキャラクターにしようと。でも、書いているうちに、私はこういう話を書きたかったのだろうかと悩み始めて、途中で一度書けなくなってしまったんです。何でもかんでも指摘して、主人公の正論で進んでいく話で本当にいいんだろうかと。
 悩んだ結果、もの言う主人公のおかげで会社が劇的に変わっていくという物語ではなく、会社という新しい世界に入った主人公もまた影響を受けていくほうが、ずっといいんじゃないかと思ったんです。

──それを聞いて思い出したのが、正論を言う茉子に対して、同い年の満智花が「気持ちよさそうやね」と言うシーンです。満智花から「誰もが茉子のように生きられるわけじゃない」と言われ、茉子は戸惑います。正しいからと言って、それだけで通るわけではない。この時の茉子の葛藤は非常にリアルだと思いました。

寺地 正しさで会社を変えていくのは、カタルシスがあって痛快です。でも、どちらの立場の人にもその人が信じる価値観があるので、正論がすべてではない。そこを描きたいと思いました。

──茉子が入社した吉成製菓は同族経営の会社です。古い慣習が残る中小企業で、若社長は社内で頼りないと思われています。なぜ中小企業を舞台にしたのですか。

寺地 私自身が小さい事業所でしか働いた経験がなかったことと、大企業を舞台にした小説はすでにいろいろな方が書かれているので私が書かなくてもいいのかなと思ったんです。

──『こまどりたちが歌うなら』を読むと、小さい会社だからドラマがないかといえば、そんなことはないなと思います。

寺地 小さくてもあるし、小さいからこそあるとも言えますよね。
 私は社会に出るまで「大人ってものは割り切って働いているもんだ」と思っていたんです。個人的な感情はおいておいて、仕事の頭に切り替えて理性的にやっているんだろうと。でも、実際に働き始めてみると、気に入っているからこの人に仕事を回そうとか、意外と個人の感情で動いているんだなと気づきました。人の感情をないがしろにしてはいけないけれど、でも、仕事においてはそれがすべてになってもいけない。難しいもんだなと。地域や得意先との関係が濃い中小企業ほどそういうことが起きるような気がします。

──茉子と同じ部署に亀田さんという女性がいます。パートだけれど、お給料も仕事量も正社員に近い存在。亀田さんは入社直後の茉子に「あんた、たぶん、この会社では嫌われる」と言い放ちます。第一印象はちょっと怖いですが、次第に茉子の力になっていきます。

寺地 会社で味方になってくれる人がいてほしかったんです。亀田さんみたいな人が味方になってくれると、茉子も安心するし、読者にも安心感があるんじゃないかなと。しかもその人は年上の女性じゃないといけない。なぜかというと、会社に長くいる女性がフィクションで描かれる時、なぜかいじわる役を割り当てられがちだからです。そういう人もいるんでしょうけれど、働いてみた実感としては、実際にはそうじゃない人がほとんどです。時間のない中で仕事をさばいている年上の女性は、人にいじわるする暇なんてほとんどないんじゃないかな。

──読んでいくうちに、亀田さんの真面目さや誠実さが伝わってきました。茉子に潰れてほしくないからこそ、言うべきことはきちんと言ってくれる。

寺地 そうですね。仕事もちゃんと教えてくれる。でも、プライベートな質問になると黙ってしまう。亀田さんの存在は茉子に大きな影響を与えます。だから、亀田さんというキャラクターを物語の早い段階で出しておこうと思いました。

──亀田さんと対になるのが江島という五十代の男性社員。営業マンとしては優秀ですが、自分のやり方を部下に押しつけようとします。無意識のパワハラというか、本人は悪いことをしているつもりはないんですよね。部下の正置まさおきという若い男性も、江島のハラスメントぎりぎりの行為に対し、怒るどころかいつも笑って受け流してしまう。側で見ていたらいたたまれない関係ですね。

寺地 江島本人は若い社員をかわいがっているつもりなんですよ。そういう関係ってよく見受けられますよね。パワハラは受けた側がどう思っているかだとよく言われますが、パワハラされているほうも、自分が被害者だって認めたくない気持ちがあると思うんです。もしかしたら男性のほうが女性よりも認めたくないという気持ちが強いのかもしれない。それは書いておきたいなと思いました。

──読者としては二人のやりとりを見ているとつらいですよね。そして、側で見ている茉子もつらい。でもそれ以外の職場の人たちは違和感を持っていない。慣れっこになっているから、「べつに。いつものこと」とか「でも江島さんはええ人やで」みたいな受け入れ方をするんですよね。

寺地 もしも自分が古くからその会社にいる側だったとすると、最初はもしかしたら「変だな」と思っていても、見慣れてしまう。それがエスカレートしていったとしても、問題点に気づけなかったりしますよね。だから、ここで読者や茉子が抱いた違和感や問題意識はとても大事だと思います。

会社や商品に100%の愛着を持たなくてもいい

──茉子が入社する吉成製菓が和菓子メーカーであることもこの作品にとって重要だと思います。出てくるお菓子が美味しそうで……。

寺地 ありがとうございます。「働くのがしんどい」っていう話だけではなく、読んでくれた人がほっとする場面を作りたかったんです。和菓子を選んだのは、いろいろなシーンが描けるような気がしたから。食べて一息つくシーンや大事な相手に挨拶に行く時に持っていくのもありですし、土地柄も出る。何より、私たちの暮らしや行事とも関係が深いですよね。お葬式のお供えに置いてあるのはやっぱりお饅頭ですし。

──茉子が幼い頃に参列したお葬式を思い出すシーンがありますが、そこでも、看板商品の銘菓「こまどりのうた」が重要なモチーフになっています。また、茉子自身は仕事に対してはクールに割り切っているけれど、会社の商品である和菓子への愛着はしっかり持っている。その対比も印象的でした。

寺地 ここは自分なりに気を付けたところなのですが、最初から愛社精神にあふれている主人公にはしたくなかった。そういうキャラクターは、私自身がちょっとついていけないなと。自分が夢見た職業じゃなくても、一生懸命働くことはできるし、そういう人だって、それなりに会社への愛着や商品への愛着はあるんですよね。好きな仕事に就くべき、あるいは就くことが最善と思っている人からすると、そうしていない人に対しては、仕事は何のためにしているの? お金のため? みたいな印象があるのかもしれません。でも、そういう人だって、自分の仕事のどこかを気に入っていたりする。仕事に対して100%の愛を注げなくてもいい。ひとつでもいいところが見つかればそれで十分だと思います。夢見た仕事に就いていなくても、小さな「好き」や「愛情」をその人なりに見つけられていたら十分。働くっていうのはそういうことだと思うんです。

──茉子の働き方はまさにその通りですね。職場に困難はたくさんあるけれど、和菓子への愛着や仕事そのものに対してはとても丁寧に向き合っています。そんな茉子ですが、実は前にいた会社の人間関係で悔いが残ることがあって、同じ失敗はしたくないという気持ちをずっと抱えています。27歳という年齢は、社会人としての経験はある程度ある、でもまだ権力は持っていないという中途半端な立場ですよね。

寺地 それぐらいの年齢だと、自分のことだけではなく、だんだんまわりのことも見えたりしてくるのかなと思ったんです。

──だからこそ、彼女も自分の言動が正しかったのかどうかを内省する。内省といえば、今作では茉子の内面の声が非常に重要だと感じました。感情を表に出さない性格なので何を考えているか分からない一面もある茉子ですが、読者には彼女の心の声が伝わるから共感できる。年齢や性別、立場が違っても彼女のことが理解できるという仕組みになっています。物語の中の江島にはこの心の声が聞こえないから「なんて生意気なやつだ」と身構えてしまうけれど、実は茉子の内面にもいろいろな葛藤がある。二人のすれ違いを見ていて、茉子の心の声の部分を江島に読ませたいと、すごく思いました(笑)。実際の人間関係も同じですよね。内面が見えないので表面的に判断するしかない。

寺地 そうですね。江島から見れば茉子は感情が読めない生意気な若い社員だし、茉子にとっての江島は、会社の上司、それも父親ぐらいの年齢なので、それだけで20代の女性から見ると威圧的に感じてしまう。だから当然、本心は見せられない。分かり合うのは難しいですよね。

──この物語を三人称でお書きになっていることも効果をあげていると思いました。三人称で書かれていることで、読者がニュートラルに登場人物たちを見ることができます。ご自身では三人称と一人称の違いをどうお考えですか。

寺地 一人称って書けることが限られるんですよね。心の奥に深く入った場面を描く場合はいいけれど、その分やっぱり世界は狭くなりがち。描写にも制限があって、主人公の顔が赤くなったというような外見の表現も、一人称では書けませんが、三人称なら書けますよね。

──『こまどりたちが歌うなら』の三人称は、いわゆる神の視点ではなく、主人公に寄り添い、内面を描く三人称だということも特徴的です。

寺地 今回、ほかの登場人物の視点がなかったので主人公目線になっていますが、一人称で書いたら、会社の話というよりもっと小松茉子という人の物語になったのかなと思います。だからあえて三人称を選びました。

──茉子を描くのではなく、茉子の周辺を描く。茉子はあくまで登場人物の1人であるということでしょうか。

寺地 そうですね。そういうふうに読んでほしいです。

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プロフィール

寺地はるな

1977年佐賀県生まれ、大阪府在住。2014年『ビオレタ』でポプラ社小説新人賞を受賞しデビュー。2021年『水を縫う』で河合隼雄物語賞受賞。2023年『川のほとりに立つ者は』で本屋大賞9位入賞。『大人は泣かないと思っていた』『カレーの時間』『白ゆき紅ばら』『わたしたちに翼はいらない』など著書多数。

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