アメリカの民主主義は再出発した。日本はどうする?

大袈裟太郎のアメリカ大統領選現地レポート総括編
大袈裟太郎

2020年5月末に起こったジョージ・フロイド殺害事件を機に、ミネアポリス、ワシントンDC、シアトルとBLM問題を取材して回った現代記録作家の大袈裟太郎。それから数ヶ月、米国ではコロナショックという前代未聞の混沌のなか大統領選挙が行われ、バイデン新大統領が誕生した。

その選挙戦さなかのアメリカと投票日当日の11月3日、そして今年1月20日の新大統領誕生の瞬間にも渡米し、現地で歴史的瞬間を見てきた大袈裟太郎が、今アメリカで起こっていること、その意味、民主主義の未来と日本の今後について考察する。

ベビーカーを押しながら事件現場付近の警官にFUCK YOUと叫ぶ女性

 

 僕もトランプ派だったかも知れない

 2020年10月末。ポートランドで取材中だった私は、警官によるウォルター・ウォレスJr.殺害 の報を受け、その3日後、フィラデルフィアの街に入った 。

https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/news/11762

 空港からのUberドライバーの黒人男性は、「トランプは最低にクレイジーでフェイク野郎だ」と早口で語った。「しかしトランプはクレイジーだから、あらゆるズルやフェイクを使って勝つ恐れがある」というのが彼の見解だった。車窓から見るフィラデルフィアの街は商店の襲撃などの略奪こそ収まっているものの、重苦しい倦怠感に支配され、街がちぎれているように機能停止していた。

 宿に着く。Uberに乗ったつもりだったが偽物だった。通常30ドルのところを47ドルとられた。17ドルという、被害届を出すには微妙すぎる詐欺。しかも実際に目的地には着いているので、被害を訴えづらい。笑顔で去っていくセダンを見ながら、しばし、ぼんやりとしていた。そして実際にズルをして稼いでいる彼が言った「トランプはあらゆるズルやフェイクを使って勝つ恐れがある」という言葉だけが、やけに説得力を持って心に残った。選挙までは1週間を切っていた。

 街には外出制限が出され、警官と州兵が巡回し、ほとんどの店が閉まっていた。ウォルター・ウォレスJr.の事件で燃え上がった炎が、まだ至る所でくすぶっているのが感じられ、点在する廃墟にゴミが散乱し、荒涼としたバイブスが臭う。ポートランドで体験した互いを肯定し合う活気 (街の人々がお互いに褒めあったりするような)はなく、人々がささくれ立っていた。ここでBLMの文字が書かれたパーカーを着ていたら殴られかねない雰囲気だった。

 ただ、それはポートランドが異質だっただけで、むしろこちらが全米平均に近い、「普通」のアメリカに近いのかもしれなかった。ましてここは前回トランプが勝利した赤い州なのだ。赤い州と青い州の落差に身構える日々が始まった。コロナ対策もゆるいように見えた。バイデンが勝つという淡い期待がこの街で緊張に変わった 。

 フィラデルフィアといえば映画「ロッキー」の舞台として知られている。そのロッキーが撮影されたイタリアンマーケットのメキシコ料理屋で、友人と待ち合わせた。実は僕はフィリーに来るのは16年ぶりで、その時に仲良くなった友人だった。彼は日本の音楽を好み、とくに元「たま」の知久寿焼さんの大ファンだった。

 ビールとコーラで乾杯して、再会を祝う。彼もコロナで給料が減り、週に何回かUberイーツの宅配をしているそうだ。僕の前職、浅草の人力車夫の友人たちと全く同じ状況だった。「行き過ぎた資本主義は個人の自由を破壊する。中国の独裁と変わらないよ」と彼は切なげに笑った。僕が沖縄、香港で見てきた観点と彼の言葉は不思議なほどにリンクした。しかしUberイーツなどのいわゆるギグ・ワーカーの労働条件改善も、今回の選挙とともに各州の住民投票の争点となっており、日本と米国の「意識の時差」を感じざるを得なかった。ブリトーを頬張ったあと、外出制限で静まった街をふたりで歩いた

「今のフィリーはnot typical=典型的ではない」と彼は何度も口にした。どの店も入り口をベニア板で塞いでおり、かなり広範囲でルーティング(略奪)が行われたことを知った。しかし、このルーティングの様子をCNNが報じなかったことを彼は嘆いていた。CNNの姿勢には確かに僕も違和感があったので、「over doing ?(やり過ぎ、おおげさってこと?)」と聞くと、彼はそうそう!と大きく同意した。

 選挙前だからといって、ウォルター・ウォレスJr.殺害事件とそれに乗じたルーティングをほとんど報じなかったCNN。一方、トランプ支持のFOXはこの略奪の様子をヘリからの空撮で大々的に報じていた。こういう部分がトランプ派の「マスコミは信用できない」という言説の根拠になり、フェイクニュースや陰謀論の温床になっているんだと彼は力無く言った。

「もちろんトランプは豚だけど、バイデンはオールドすぎる。下手したらトランプが勝ってしまう。とても不安だ。」

 街に生きる者の現実的な観点に触れた気がした。

「トランプがやっていることはクー(クーデター)だよ…」

 その夜の彼の言葉は予言的なものになった。

 

 オバマの3ポイントシュートとトランプ派の自己肯定感の低さ

 CNNや民主党の頭ごなしな不遜さがトランプ支持者をアシストしているというこの感覚は、日本ではあまり語られることがないが、とても重要なものだ。折しもネットではバイデンの応援に訪れたオバマ前大統領のスリーポイントシュートの動画が話題になり、とても賞賛されていたが、僕にはこれがどうもしっくりこなかった。この動画を見て、僕自身も疎外感のようなものを感じたのだ。

“ここでこんなに美しく3ポイントを決めれる人ばかりじゃない。トランプの人気はそういう人たちに支えられてると思う。僕自身も実はそんな気持ちが少しだけわかる。そしてそのような自己肯定感の低さが被害者意識となり、レイシズムやナショナリズムに変化していく場合がある。日本でもそうだ。自己肯定感を奪っていく米国社会のなかで取り残された気分の人々、疎外感を味わう人々、そんな層にトランプは初めて居場所を与えたのではないか?”

 みんながみんなハイスクールのスターになれるわけではないし、自分の望んだ職業に就けるわけでもない。誰もが輝かしい人生を謳歌できるわけではない。一握りのエリートや政治家たちが今まで無視してきた、透明にしてきた人々に、トランプは自信を与えたのかもしれない。その層がトランプの支持基盤になっていることを考えさせられた。

 トランプ支持者たちの根底にある「寄るべなさ」のようなものには、私も少なからず共感する部分があった。高校をドロップアウトし、社会の底に近い場所を歩いてきた私には、例えば立憲民主党的なリベラル政治家の声も、SEALDs的な政治運動の声も、空虚に聞こえる瞬間がある。自分はそこに居ないような気持ちにさせられてきた。エリートたちの頭ごなしなリベラリズムへの不信感、市井の人々の気持ちとの乖離をいつも感じてきた。そもそもは不動産王の2世であるトランプだが、「旧来の政治家とは違い、同じ地平に立って汗をかいてくれる」というイメージ作りに成功することで、エリートへの疑問を抱える層を取り込んでいた。

 そういう意味では、一歩間違えば、自分もトランプ支持者だったかもしれない。自己肯定感が低く、置き去りにされた彼らの孤独感に自分もいつの間にか同調していた。そして、この目線に立つことができなければ、ここまで世界を飲み込んだトランプムーブメントを理解し乗り越えることは難しいと、私は考え始めていた。

 

 投票日直前、ウォルター・ウォレスJr.殺害事件に関する混乱は、BLMアクティビストたちの呼びかけによって冷静さを取り戻していた。それでも州兵たちの姿は街の至るところにあり、腫れ物に触るような、街全体に薄皮一枚ベールを被せたような奇妙なムードが包んでいた。

BLMアクティビストたちの呼びかけで街は冷静さを取り戻した

 私は防弾ベストの入手を急いでいた。いくつかの情報を頼りに、街の外れにあるガンショップを訪れた。PS4のゲーム、GTA(グランドセフトオート)のアミュネーションそのままという感じのガンショップ。中からは絶え間なく射撃の練習音が聞こえる。そこの入り口にたむろする人々は「銃の恐怖から身を守りたい人々」ではなく「銃の恐怖を誇示したい人々」のように感じられ、身構えた。

 あらかじめ友人に電話でアポをとってもらい店内に入ったが、英語が流暢ではないことがわかると締め出された。店内には防弾ベストがあるのが見えたが、店主は「防弾ベストは無い」の一点張りだった。銃を誇示する者と白人至上主義者とトランプ支持者たちの親和性は言うまでもないが、アジア人に対するあまりにも露骨な扱いに私は肩を落とし、とぼとぼと帰路についた。

 見上げると寒々しい青空をセスナ機が飛び、投票日までのカウントダウンと郵便投票の返信を呼びかけていた。いかにも米国らしい光景だと思う反面、沖縄戦末期に投降を呼びかけるビラを空から撒いた米軍機を想起し、アメリカの光と影の割り切れなさを噛みしめる思いだった。

セスナ機での投票呼びかけ

 

 選挙当日

 いよいよその日を迎えた。投票開始の時刻から、地図を頼りに投票所を回ったが、懸念されていたプラウドボーイズ(武闘派トランプ派組織)の投票所への威圧行動は見かけなかった。しかし、ソーシャルディスタンスをとって並ぶ投票の列に、ひとりひとり話しかけている中国系の女性の存在が目についた。英語もおぼつかない彼女の手には「END CCP」と書かれたパンフレットがあり、ELIMINATE THE DEMON CCP とあった。つまりはトランプ支持と中国脅威論を結びつける手法で、投票直前の人々にギリギリまで呼びかけるやり方に怖さを感じ文言を検索すると、宗教団体、法輪功系の組織であることがわかった。その後、選挙後の今にまで至る、崇拝に近いトランプ支持、不正選挙デマの伏線だった。

 投票日にウォルター・ウォレスJr.殺害現場を訪れた。その場所は、ジョージ・フロイド殺害現場に比べだいぶ簡素なもので、寒さも相まって寂しさが込み上げてきた。しかし周辺の投票所では、ブラックコミュニティの人々が活気に溢れ投票を呼びかけていた。警察が囲む街の中を「THANK YOU FOR VOTING!」と書いたボードを持った女性が笑顔で闊歩していく。その前向きな毅然とした姿に私は思わず涙した。どんな苦境も笑顔で越えて行こうとする強い意志の力を、その表情から嗅ぎ取ったのだ。ここから徒歩数分の投票所にはこの日、ラッパーのコモンも訪れた。

ウォルター・ウォレスJr.殺害現場は寂しいものだった

投票日の街を笑顔で闊歩してゆく女性

 

 開票が始まる

 全米が、全世界が固唾を飲んで注目する中、投票が締め切られ開票が始まる。報道各社が着々と赤と青の州を塗り分けていくが、開票の流れに大きなサプライズはなかった。逆転劇などと報じる日本のメディアがあるが、それはこの選挙制度を理解していないに等しいのではないか。選挙の2週間前に私が「この20年の選挙結果と世論調査」から導き出した予想は、ほぼ的中する結果となっていた。そして深夜、ミシガン州にバイデンの当確がついたことで、選挙結果を決するのは私のいるペンシルベニア州フィラデルフィアとなった。

 それでも深夜、トランプ大統領が謎の勝利宣言をする。それは郵便投票について疑問を唱える内容だった。ここから不穏な動きは加速していく。翌日、票が追い越されそうなデトロイトの開票所に集ったトランプ支持者は「票を数えるな!」と叫び、逆に票が僅差で追い抜けそうなネバダ州の開票所に集ったトランプ支持者は「票を数えろ!」と叫んだ。彼らがいかにご都合主義の存在かが可視化されていった。

 トランプ自身がツイートし、いくつもの不正選挙デマが繰り出されては、モグラ叩きのようにファクトチェックされていく日々が始まった。選挙翌日のフィラデルフィアの開票所前には、「STOP THE COUNT(票を数えるな)」と叫ぶトランプ派と、「COUNT EVERY VOTE(全ての票を数えよ)」と叫ぶ群衆が、警官を挟んで対峙する状況が続いていた。

COUNT EVERY VOTEと叫び踊る人々

医療従事者の青年も駆けつけて踊る

 開票所のトランプ支持者に話を聞いても皆、判で押したように「fraud(不正)」が行われたので開票を中止せよと言うばかりで具体的な指摘はなく、トランプを崇めたて英雄視し、もはや信仰のように感じられた。それに対し、群衆は陽気な音楽をかけ、踊りながら対抗した。誰かが注文したピザが振る舞われ、その空箱は山になった。集ったある米国人は、民主主義の国で今、「票を数えろ」というTシャツを着なきゃならないことが異常だよ。とあきれ顔で話してくれた。

マスクをしないトランプ支持者たち

開票を待ちながら人々が食べたピザの山

 後でニュースで知ったのだが、その夜、開票所から歩いて3分弱のところまで武装したトランプ支持者が迫っていた。襲撃を企てていたのだ。その場で警察に拘束されたが、一寸先は闇、震え上がるようなニュースだった。ちなみにその車両にはQanonのステッカーが貼られていた。

襲撃を企てた車両にはQの文字が

 投票から2日後の夜。混沌とするフィラデルフィアの開票所に、黒人男性の一群が訪れた。一瞬でその場の空気が変わった。彼らは怒りを腹の底に押し込めながら、それでも冷静に振る舞おうと努めているようだった。それはまさにジョージ・フロイドの葬儀で感じた空気だった。彼らは踊っている群衆に挨拶した後、一直線に柵に囲まれたトランプ派の元へ向かい拳を突き上げて叫んだ。

 This is our city!!!!!! This is our city!!!!!! This is our city!!!!!!

「ここはおれたちの街、愛と平和の街だ。なぜおまえらがいるんだ?」

怒りを抑えてトランプ派に抗議する黒人男性たち

 その腹の底からのストレートな言葉に私は震えた。ずっと命をおびやかされてきた。そして現在進行形でそれは続いている。そんな彼らの切実な言葉とバイブスの前に、トランプ支持者たちは返す言葉も少なく、吹けば飛ぶような軽薄さを露呈するだけだった。

 勝負はもうついてると感じた。あとは正式な当確を待つのみだった。その頃、私はこの場所で重要なことに気がついた。それは20年後の未来を考え、行動しているのは誰か?ということだ。ひとりのカリスマを信じ、他のすべてを否定するトランプ支持者が20年後の未来を考えて行動しているようには全く思えなかった。彼らの主張はトランプの存在がなくなればそこで終わってしまう。この構造がすでに民主主義的ではない。

 一方、民主主義を希求する人々がめざすのは、誰であろうと政治に参加できる、進歩を共有できる20年後も持続可能な社会構造だった。政治とはもちろん、今、この時のためにもあるが、同時に20年後、100年後のためにも存在するのだ。この現場で感じた感覚は今後、あらゆる場面で、己の価値判断の尺度になりえる貴重なものだった。

 私は大統領選の際、現状を「民主主義vsドナルド・トランプ」という構造であると発信し始めたが、日本ではあまり理解を得られなかった。しかし、それから2ヶ月後に起こったトランプ支持者たちの米国議会襲撃事件を受け、その意味が日本にも認知されつつあると感じている。

 

 決着と安堵のため息

 選挙から4日後、現地時間7日の昼にフィラデルフィアでバイデンの当確が出たことで、この選挙は決した。ネバダとジョージアもバイデンが取り、結果は大差となった。フィラデルフィアの街は歓喜に沸いていた。その夜の光景は忘れ難い。それはバイデン対トランプ、というような政治的な感覚を大きく超えたものに見えた。トランプ大統領の言動やその権力によって人権を毀損された人々、生存権にすら危機を覚えた人々の安堵のため息が街中を、そして全米を埋め尽くしたような夜だった。

バイデン当選の夜、街に繰り出した人々を眺める孫と祖父

街に繰り出した人々

開票所前はダンスフロアになった

 歴史的な夜の表情の撮影を終え、三脚をかかえ宿に帰る。コンビニに寄って飲み物を買い、外に出ると、30代くらいの長身の白人男性に声をかけられた。「何を撮っているんだ?」 私はとっさに「大統領選挙の様子をライブストリーミングしています。日本から来ました」と答えた。

 その男性は悪意に満ちた態度で「なぜだ?なぜ日本人が撮っている?ここはアメリカだぞ」と言った。一瞬、意味がわからなくて困惑していると、男性は「なぜだ?」と詰め寄ってくる。見るとマスクをしていない。殴られる、と感じ、私は「Thank you」と言って足早にその場を去った。

 なぜ彼はあんな高圧的な態度だったのだろう?日本人はアメリカの選挙を撮ってはいけないのか?ここは自由の国、アメリカだ。どこの国籍だろうが、選挙の取材をしていいだろう。中国でもあるまいし。言い返したい気持ちを堪えて歩いた。今、考えれば言い返さなくて正解だった。マスクをしていないことを考えると、彼はトランプ支持だったと想像できる。そして、この落選の怒りをたまたま通りかかった日本人である私に向けたのだろう。さぞかしやるせない気持ちだっただろうが、属性だけで敵意を向けられ、やるせないのはこちらである。「そういうところが信用できないんだよ」と、私は苛立ちながら煙草を吸った。選挙が決着したとはいえ、これからの混乱を予感させる不穏な出来事だった。

 

 不正選挙デマの嵐

 バイデン当選後もトランプはそれを認めず、多くの無根拠なデマを流し、60件以上の裁判を起こしたが、どれも証拠不十分で棄却された。弁護団長のジュリアーニが高級ホテルと間違え、造園業者の前で記者会見をしたり、追い詰められて黒い汗を流したり(白髪染めと噂される)、公聴会の証人がほとんど酩酊したような人物だったりと、コントじみた話題は続いていた。それでも定期的にトランプ支持者は集会を開き、小競り合いや暴力事件を起こしていた。 

 不正選挙デマはなぜか日本で大きな広がりを見せ、日本語圏のTwitter、YouTubeアカウントからは毎日のように「週明けにトランプの反撃が始まります!」という威勢のいい言葉が飛び交ったが、その内容は「ミシガン国境に中国軍が迫っている!」というような荒唐無稽なものばかりだった。しかし、驚くことにこの裏で、トランプは不正選挙に対する訴訟の寄付金を2億ドル以上(200億円以上)集めていたのだから、ビジネス的な採算は取れていたのだろう。この巨大な共依存関係には吐き気さえ覚えた。

 私はフィラデルフィアからアムトラック(列車)でNYへ移動し取材を進めた。NYでは誰もが口を揃えて、「コロナで地獄を経験した」と語ってくれた。昨年の医療崩壊時にNYで何が起こっていたか。話を聞けば聞くほど涙が出るようなものばかりだった。一日500人が死亡し、24時間救急車のサイレンがこだましたそうだ。地獄から立ち直りつつある今のNYから見るマスクをしないトランプ陣営の姿は、狂気だった。現在はクオモ知事のリーダーシップのもと、検査も治療も無料という政策で感染拡大を抑えていた。

 このコロナ対策の日本と大きく違う部分は、無症状者を無料で検査するという点だ。街中には無料の検査所が至るところにあり、ディスタンスをとった列ができていた。体調に異変があってから検査するという日本の対策とは全く違って見えた。しかし、こういうことをアメリカから発信する日本人は「出羽守(でわのかみ)」(NYでは(・・)、〜では(・・)という表現を揶揄したネットスラング)と呼ばれ、ネット上で日本から嫌がらせを受ける現状も知った。

 

 不正選挙よりも語られるべき投票者抑圧問題

 今回の選挙は不正選挙の話題がどうしても圧倒的なボリュームを占めてしまうし、フェイクニュースとの闘いというのはもちろん私のメインテーマなのだけれど、実際になぜバイデンが勝利したかについて解説している日本のメディアは驚くほど少ない。この勝利については、政党というより市民運動の勝利であるとの見方が妥当だが、とくに私が書いておきたいのは投票者抑圧問題(Voter suppression)についてだ。

 この問題の歴史は古く、奴隷制度と密接だ。第二次大戦後、南部の黒人たちは法的に投票権を認められた後も、人頭税や識字テスト(司法修習生でも正解が困難な問題を出題された)などによって投票の権利を抑圧されてきた。勇気をもって投票した黒人が殺害される事件も起こった。それが公民権運動につながり、有名なセルマの橋 ・血の日曜日事件での弾圧 (1965年アラバマ州セルマで起こった公民権運動の行進への警官からの襲撃事件。17人が瀕死の重傷を負った)や、キング牧師らの多くの犠牲と行動の上に一定の改善は得られたように見えたが、それでもいまだに尾を引く問題である。むしろ共和党は人々を投票させないことで、その党勢を維持してきたと感じるほどだ。

投票者抑圧の改善を訴える女性

 そして、オバマ政権が誕生したことで、さらにこの投票者抑圧問題の時計の針は戻されることになる。対オバマ戦略として米国の保守層や共和党は、このチート(いかさま)をより強化していった。南部を中心に始まった有権者ID法(有権者登録に複雑な手続きが必要となる法案)は2016年、ヒラリーvsトランプの選挙時には30州で適用され、各州ごとに数万人規模の有権者登録を無効にした。この選挙では投票率1%未満の僅差で決した州が4州(選挙人にして50人分)あるわけだから、このような投票者抑圧がなければ、そもそもトランプ政権が誕生していない可能性すらあるのだ。トランプはフェイクニュースと有権者抑圧が生み出した大統領と言っても過言ではないかもしれない。

 

 ステイシー・エイブラムスとジョージアの勝利

 有権者ID法に加え、特定の候補が有利になる選挙区の区割の変更、過去の転居や犯罪歴による投票権の除外、さらには投票所の数自体の減少も指摘されている。あらゆる手を使って、有権者を選挙から遠ざけようとしてきた共和党の闇がもっとも凝縮しているのがジョージア州だ。ジョージア州州務長官だった共和党ブライアン・ケンプは、なんと6年間で100万人以上の有権者登録を無効にし、その結果、2018年の州知事選挙では5万票差で対立候補のステイシー・エイブラムスを制し、州知事の座を得た。

 その夜からステイシーの闘いは始まった。彼女は敗北宣言をせず、Voter suppressionに対抗することを宣言した。彼女たちはすぐさま有権者登録回復運動を始め、地に足をつけた文字通りの草の根の活動で、なんと今回の大統領選挙までにジョージア州だけで80万人の有権者登録の回復に成功した(今回のジョージアでのバイデンとトランプの票差はわずか1万1千票。これがジョージア州でのバイデン勝利に繋がったことは言うまでもない)。さらには米国全体を投票権回復というポジティブなメッセージによって動かしたのである。同じような動きは各州で共有され、彼女は今回の選挙のキーパーソンとなった。

 NYでは多様な人々と触れ合った。この選挙に至る4年間で様々なムーブメントが起こったことを、彼ら彼女らは語ってくれた。例えば、十数人から性的暴行やセクハラでの訴訟があるトランプに対して行われた2017年のウィメンズ・マーチや、銃乱射事件の起こったフロリダの高校生たちが立ち上がった2018年の銃規制デモはその筆頭だ。これらはマーチと連動し、トランプ政権に与する政治家や全米ライフル協会などの団体に献金する企業へのボイコットにつながり、実際に企業を動かしていった。政治家の資金源である企業にプレッシャーをかけることに人々は成功していた。もちろんSNSのハッシュタグもその度に作られる。

 そして、それらの個人たちの小さな行動のすべては、選挙結果が出た夜のカマラ・ハリスの言葉に集約されていた

「Democracy is not a state. It is an act(民主主義は状態でなく、行動なのです)」

 強力な個人ではなく、小さな力の集合こそが民主主義であることを再確認した言葉だった。4年後、バイデンは大統領の職をカマラに引き継ぐことは明白である。ホワイトハウスのガラスの天井が破れる日を人々は心待ちにしているのだ。

 NYで、私は新しい形の市民運動の在り方をわくわくしながら吸収した。日本にも活かせるアイディアに満ちあふれていた。そして彼女らに通底するのはフェミニズムであることにも気づいた。すでに米国ではフェミニズムは当たり前のベースラインとして共有されていることを体験し、今だにフェミニストがネットで攻撃される日本との大きな格差を痛感した。さらには、外見について言及することや他者の失敗を笑うことも米国の教育の中でNGとされていることを知った。これは多様な人種や民族、アイデンティティの人々が共存する上で欠かせないマナーだったし、何より心地よく生活することができた。

「分断」が広がっていると日本から質問されることは多々あるが、この表現に私は疑問を感じるようになった。「分断」は元からあるのだ。そして、その「分断」を埋めようと人々は行動し、問題提起し、プロテストする。旧態にしがみつき何もしない人々と、新しい社会のために責任を果たそうとする人々。その距離がどんどん広がっているにすぎない。むしろ、社会や人類はいつもそうやって進歩してきたはずだ。そう考えると現状を「分断」と呼ぶことは不正確であり、 「進歩」ととらえる必要性を私は感じている。

 共和党はこのままいけば、時代とともに過去のものになる。支持者が減ることはあっても増える見込みはない。そんな共和党が最後にすがった断末魔がトランプであった。これからの米国は、民主党の中のバイデン的な中道層とAOC (アレクサンドリア・オカシオ=コルテス。2018年ニューヨーク、ブルックリンから史上最年少29歳で下院議員に当選した非白人女性。民主社会主義者であることを標榜している)的なプログレッシブ層との綱引きになると私は予見している。

 米国のリベラリズムをアップデートしていく「プログレッシブ」という存在たちに、私は強いシンパシーを抱いた。翻って日本にはそのような存在が足りないことに不信感を感じ始めていた。

ハーレムではすでにこんなTシャツが売られていた

 

 沖縄から見た米国議会襲撃

 選挙から1カ月が経ち、NYから東京での2週間の待機制限を守り、年末年始は沖縄で過ごした。銃の恐怖のない生活は穏やかな日々だったが、正月の沖縄北部、高江で驚くような話を聞かされた。

「ローマ法王は子供の生き血を飲んでいて、トランプはその勢力と戦っているんでしょ?」

 脱力する瞬間だった。遠く極東、沖縄北部の高江の森にまで、Qアノンの流言が広まっていた。日本でのトランプ支持のボリュームゾーンが、安倍晋三を信奉していた人々であることは言うまでもないが、リベラルや沖縄の基地反対運動の中にまで広がっていることに驚愕した。その層はいわゆるスピリチュアル系の人々とも結びつき、富士山はホログラムだの、バイデンには耳の穴が無いゴム人間だ、などの頭を抱える言説と一体となっていた。社会が脆弱すぎる。これからの日本社会が心底怖くなった。

 今、ネットの発達とともに問題化しているサロンビジネス、 共依存ビジネスの跋扈の背景には、発言に責任を持つ人間の不在があるのではないだろうか。 保守、リベラル問わず、社会的な立場のある人間が発言に責任を負わない。日本社会は今、無責任でどこにも芯がない曖昧なモヤのように感じられた。

 そんな中、1月6日、ワシントンD.C.での米国議会襲撃事件が起こった。7人の死者(事件後に警官2名が自殺)を出しながら、襲撃したトランプ派の人々に緊張感が無いことがライブ配信越しに伝わってくる。有色人種やBLMプロテスターなら即射殺されるような行動を起こしながら、マスクもせずのほほんと警官と自撮りをするトランプ支持者の姿には戦慄が走った。同時にこの無責任さこそ、社会を混沌へと導くのだと納得する部分もあった。それはとても空虚な熱狂に見えた。彼らは20年後の社会どころか、議会に突入した後のプランさえも頭に無かったのだ…

 それから数日は渡米を迷っていた。米国でのCOVIDの死者は40万人を超えており、高血圧のハイリスク者である私には危険を伴う滞在であり、予算的にも厳しいものだった。辺野古に行ってから考えようと、私の原点である辺野古の座り込みの撮影へ向かった。しかし警察からの予想以上の厳しい対応がそこにあった。香港やアメリカでは一応メディアとして扱われるが、辺野古ではそれすらなく警察に追われ、排除され、疲れ果ててしまった。悶々とした日々を重ね、大統領就任式は2日後に迫っていた。

 1月18日、沖縄は米軍機の飛行が無く穏やかな日だった。それはキング牧師の記念日で米国の休日だという理由に気づいた。その夜、キング牧師たちがいかにしてセルマの橋へ行進に向ったかを描いた『グローリー/明日への行進』(原題 Selma) という映画を見た。その中にある「1965年の今ではなく、20年後を考えろ」というセリフに私はしびれた。偶然か必然か、ちょうど私が考えていたことと一致したからだ。そしてそのままチケットを取り、沖縄から成田を経由し米国へ向かった。この混沌を極める米国の大統領就任式の現場にいること、それを語り伝えることこそ、20年後の社会、世界のために、私ができる最善の行動だと感じたのだ。 
 あのセルマの橋で警官に殴打され頭蓋骨を骨折しながら歩みを進めた故ジョン・ルイス (公民権運動の活動家で40回以上逮捕されながら人種的不公平と闘い続けた、昨年亡くなるまで33年間、下院議員を勤めた)の遺した言葉。

「Get in good trouble necessary trouble」良いトラブル、必要なトラブルに飛び込め。という言葉が私の胸の中で燃え盛っている。不屈の先人たちは今も私のなかで生き、勇気を灯し続けている。そして過去と今と未来とをつなぐ、その螺旋の一部であることを私も望む。これからの世界と20年後の社会のために責任を負うことを私は覚悟したのだ。想えばキング牧師が、マルコムXが暗殺されたのは39歳。私も今年、その歳を迎える。

投票呼びかけに使われていたジョン・ルイスの肖像

 

 民主主義は再び呼吸をする

 大統領就任式のワシントンD.C.は厳戒態勢だった。ホワイトハウスや議会周辺のあらゆる道路は封鎖されていた。州兵たちは比較的明るく振る舞っているものの、装備された自動小銃の存在には脂汗が出た。

 当日の朝、トランプ大統領はヘリでホワイトハウスを去った。その去りゆくヘリをホテルから駆け降りて眺めた。ひとつの時代の終わりをこの眼で見た。晴れやかな気分の反面、就任式の12時までは彼の手に核ミサイルのボタンが握られていることに一抹の不安があった。

 粉雪が降る中、封鎖されたD.C.の街を歩き、少しでも就任式会場の米国議会が見える場所へと近づいた。レディ・ガガの米国国歌が誰かのスマホから聞こえた。開いているカフェのテレビからは誰かの演説が流れ、その度に聴衆は拍手喝采をして沸いた。かろうじて議会の建物が見える場所には多くの人々が集い、スマホでバイデンの演説を聞きながら、就任式の方向を見つめていた。

 そして12時が訪れ、トランプは前大統領になり、彼の持つ核ミサイルのボタンも無効化された。その瞬間、安堵が人々を包んでいく。安堵のため息。I can’t breathe「息もできない」と言い遺して死んでいったジョージ・フロイドや数々の犠牲者たちへ、コロナで死んでいった42万人の人々へ、彼ら彼女らの犠牲を繰り返さないために、もう一度、アメリカの民主主義が呼吸を始めた瞬間だった。

 バイデンの就任演説は「民主主義が壊れやすいものだ」と認めたことが白眉であったし、白人至上主義の打倒を宣言したことにも驚かされた。22歳の詩人、アマンダ・ゴーマンのポエトリー「The Hill We Climb(私たちが登る丘)」の一説「勝利は刃にあるのではなく、我々が作ったすべての橋にある」にも自分の想いが具現化されたような衝撃があった。副大統領になったカマラ・ハリスはオバマ元大統領と「フィストバンプ(拳を軽くぶつけあう挨拶)」して粋に振る舞った。彼女が4年後に「ガラスの天井」を打ち破るのはもはや確実視されている。

「近所の郵便局にでも行くような格好」と揶揄されたバーニー・サンダースのミトンの手袋スタイルは瞬く間にミーム化され、公式のグッズは2億円の売り上げになり、バーニーはその全てを慈善団体に寄付した。彼の徹底した反権威主義のスタイルを愛でる米国人たちの心意気もまた微笑ましかった。

 ちなみにAOCは就任式には出ずに、ブルックリンの市場のストライキで労働者にコーヒーを配っていた。アメリカの民主主義が再び呼吸を始めた歴史的な日。その夜、ホワイトハウスから打ち上げられた花火を確かに私も見た。再出発の希望にあふれるアメリカ。しかしこの日、再出発したのは、「アメリカの」民主主義でしかない。翻って日本の民主主義を見た時、暗澹たる気分を感じる。日本が米国の民主主義を模範に、しかしそれに対抗しうる民主主義を手に入れる日が来るのはいつだろうか?いつまでも属国のようなこの日本とそして沖縄の20年後に、遠く米国から想いを馳せている。

就任式から数日後の米国議会前

取材・文・写真/大袈裟太郎=猪股東吾

 

 

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プロフィール

大袈裟太郎
大袈裟太郎●本名 猪股東吾 ジャーナリスト、ラッパー、人力車夫。2016年高江の安倍昭恵騒動を機に沖縄へ移住。
やまとんちゅという加害側の視点から高江、辺野古の取材を続け、オスプレイ墜落現場や籠池家ルポで「規制線の中から発信する男」と呼ばれる。 
2019年は台湾、香港、韓国、沖縄と極東の最前線を巡り、2020年は米国からBLMプロテストと大統領選挙の取材を敢行した。「フェイクニュース」の時代にあらがう。

 

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