沖縄の怒りと悲しみを「演じる」ことの意味

写真家・石川真生が「琉球大写真絵巻」に込めた思い 第2回

石川真生
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 沖縄の人だけじゃなくて、最近はSNSで知り合ったヤマト(本土)の人も出てくれている。一度、戦争中、食料を奪おうと沖縄の民間人を殺した日本兵の役を探していたら、学校の先生をしているという人が「出たい」って応募してくれて、顔写真で第一次審査したら、私のイメージにピッタリだったのでお願いしたの。その人「これも日本人の私の宿命でしょうかね」って言うから、「はい、そうです」と答えたら、自腹で沖縄に来てくれたよ。
 しかも、到着するなり、自分で散髪屋に行って、頭を日本兵風の坊主刈りにして「石川さん、これでいいですか?」って写メ送ってくれて。その時はまぁ、なんて真面目な人なんだろうと感心した(笑)。

 私はこの「大琉球写真絵巻」を参加型創作写真って呼んでいるんだけど、写真の中で演じている人たちは、たとえ沖縄の人であっても、戦後に生まれた人が大部分で、若い人はアメリカの占領時代も知らないでしょう。今起きている問題がテーマの作品だって、それを演じているのは直接、その問題の当事者や被害者じゃない場合がほとんど。

 でも、私に「ダメ」とか「もっと!」とか言われながら、「誰かの身に起きたこと」を演じることで、被写体の人たちの表情が確実に変わってゆく。例えば、辛い場面を演じてもらう時だったら「あなたが今までの人生で一番辛かった、悲しかった事を想像して」とか「身近にいる人から聞いた、一番、辛い話を思いだしてみて」って言ってみるの。
 そうすると、例えば、沖縄戦を体験したおばあさんから聞いた「死体を踏みながら逃げた、その時に足の裏の感触が残っている……」という話を思い出しながら演じてくれたという人がいて、そういう「自分の悲しみ」や「自分と近い人の悲しみ」を自分が演じる「役」の立場と重ねることで、感情がその人たちに入っていくのね。

 それに、沖縄では今でも6月23日の「慰霊の日」が近づくと、学校に「沖縄戦」の証言者を呼んで話を聞く「平和教育」をやるし、身近に戦争や米軍統治時代の体験者がいて、その話を聞いたりして育った人たちも多い。何より、今だって米軍基地の問題や事件、事故が毎日のように起こっているから、他の県に比べたら、みんな「戦争」の恐ろしさや醜さを分かっていて、想像して演じやすいという部分もあると思う。

 このシリーズでは、そうやって、私の独断と偏見に満ち満ちた自分の解釈で切り取った「沖縄の歴史」を被写体に演じてもらう。それを通じて、私や、被写体や、この写真を見てくれる人たちが、自分の心を「誰かの気持ち」に重ねて、自分たちのいる世界を再発見するという経験にも繋がっている。
 ただ「辛いこと」や「悲しいこと」を、そのまま演じるだけだと未来が見えないじゃない? だから、時にはその怒りや哀しみをユーモアに変えて、ブラックジョークで笑い飛ばすの。
 どんなに辛くても、人は未来や希望がなくちゃ生きていけないし、「笑い」って大事なこと。笑いあり、ブラックジョークあり。混ぜ混ぜするのが私のやり方よ。

2014年の沖縄県知事選で敗れた仲井眞知事を慰める安倍首相と、当選を喜ぶ翁長知事・稲嶺氏(前名護市長)の画。石川さんの写真には皮肉を込めたユーモラスさがある。埼玉県東松山市「原爆の図丸木美術館」で開催中の石川さんの写真展は、2月22日からパート3・4の展示が始まっている。詳しくは、http://www.aya.or.jp/~marukimsn/kikaku/2018/
mao.html

取材・文・撮影/川喜田研

第3回(最終回):「写真という『表現』を通じて石川真生が闘い続ける理由」に続く(配信予定2月27日)

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プロフィール

石川真生

1953年、沖縄県生まれ。写真家。主な作品に『熱き日々in沖縄』(フォイル)、『石川真生写真集 日の丸を視る目』(未来社)、『石川真生写真集 FENCES,OKINAWA』など。現在、「大琉球写真絵巻」のパート5を作成中。

 
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