“MotoGP界の生きる伝説”バレンティーノ・ロッシは矢吹丈である。

MotoGP最速ライダーの肖像 2021

西村章

4月16日に『MotoGP最速ライダーの肖像』(西村章・集英社新書)が発売される。そこで、今シーズンのMotoGPの世界と、そこで戦うライダーの実像を紹介する短期連載をお届けしていく。第1回はデビュー以来26年間、常にトップクラスに君臨し、最強のチャンピオンと言われてきた“MotoGP界の生きる伝説”バレンティーノ・ロッシだ。そのロッシも今年、大きな決断を迫られる局面を迎えている…。

 

 2021年シーズンのMotoGPが中東カタールで開幕した。首都ドーハから北方向へ車で約30分程度走った砂漠の真ん中にあるロサイルインターナショナルサーキットが、戦いの舞台だ。

 二輪ロードレースの世界最高峰MotoGPは、毎年この地で開幕戦を迎える。地球上で誰よりもオートバイを速く走らせることのできる22名が、このレースを皮切りに世界各地を転戦して11月まで年間20戦を戦い、頂点を競う。

 いまは世界のどの地域も、新型コロナウイルス感染症の蔓延を防ぐために厳しい衛生管理体制が敷かれており、スポーツイベントや各種娯楽興行にも様々な制限が課されている。MotoGPの場合も例外ではない。今回の開幕戦では選手やチームスタッフ、レース運営関係者、取材陣はいずれも、徹底した検疫対策を執ったうえで外界との接触を遮断する〈バブル〉の中だけで行動することが義務づけられている。この措置の詳細については機会があればあらためて稿を起こしたいが、ともあれ、そのような厳戒態勢を敷くことにより、今回の開幕戦は例年と同じナイトレースとしての開催が可能になった。

 カタールで初めてMotoGPが開催されたのは2004年。この年から2007までの4年間は他のレース同様に日中のイベントとして行われていた。史上初のナイトレースという形式になったのは、2008年の大会からだ。このカタールでは、初開催の2004年からパンデミック禍のもとで開催された今年に至るまで、振り返ればじつにさまざまなできごとがあった。人々の心を震わせる感動的な場面もあれば、選手同士の激しい摩擦の引き金になった事件が発生したこともあった。そもそも2004年といえば、いまから17年も前のことである。グランプリの歴史と人々の記憶に残るあれこれが積み重なるには、充分すぎる時間だろう。

 その17年の長きにわたり、ずっとこのカタールのレースに参戦してきた選手が、バレンティーノ・ロッシだ。

 カタールで初レースが開催された2004年当時、ロッシは25歳。世界最高峰クラスへ昇格した2年目の2001年にチャンピオンを獲得して以降、毎年タイトルを連覇し、天才の名をほしいままにしながら圧倒的な強さを見せつけていた時代だ。スーパースターの華やかなオーラを全身から放ち、「ローマ法王の次に有名なイタリア人」と言われていたのも、ちょうどこのころだ。

ホンダからヤマハに移籍し、最強時代を驀進中だった頃のロッシ。(写真/竹内秀信)

 そのロッシも、今年で42歳になった。第1回目のカタールGPを知る選手は、現役MotoGPライダーでは唯一ロッシのみである。1996年に小排気量クラスで世界選手権デビューを果たしてから現在に至るこの26年間で、ロッシは小中排気量時代も合わせれば合計9回の世界タイトルを獲得して、いくつかのファクトリーチームを移籍しながら、最高峰クラスでは89勝を含む199表彰台、という圧倒的な記録を達成してきた。これらの数字は、まさに〈生きる伝説〉と呼ぶに相応しい偉業だ。

2000年、最高峰クラス(当時は2ストローク500ccマシン)に昇格し、ホンダのサテライトチームへ。翌年にはチャンピオンに輝いた。(写真/竹内秀信)

 きらめくような才能をほとばしらせてMotoGPの王座に君臨し、栄耀栄華の頂点を極めてきたロッシだが、彼はまた、勝利を我がものとするためならばサーキット内外で様々な策略を凝らしてライバルたちに精神的な揺さぶりを仕掛けることを厭わない、狡智に長けた選手としてもよく知られている。

 20代の頃から彼は、コース上での卓越した天才的ライディング技術に加えて、パドック内外で様々に老練な心理的駆け引きを用いてライバルたちを翻弄してきた。己の裡に潜むそんな〈陰〉と〈陽〉を意識的に使い分けながら、徹底的に勝利にこだわるロッシの業の深さは、数々の栄光と名声を思いのままに手元へ引き寄せてきた一方で、ときにはレース界やファンの間で大きな議論を呼ぶ軋轢や摩擦を生じさせもした。じっさいにこのカタールでも過去に、ロッシは勝利にかける執着心を露わにして、ライバル選手を精神的に揺さぶる種を蒔く、という巧妙な伏線を仕掛けたことがある。

 徹底的に、そして貪欲に勝利にこだわる彼のそんな姿勢は、まちがいなく唯一無二の特質であり、四半世紀もの長きにわたって世界中のファンを惹きつけてきた魅力の核心でもある(その詳細については、4月16日発売の拙著『MotoGP 最速ライダーの肖像』をご覧いただきたい)。さらに、なによりも驚かされるのは、デビューから25年以上の時間を経て、いまもなお世界最高の舞台で肉体的精神的に鎬を削りあう戦いを続けているという、常人離れした彼のタフネスだ。

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 42歳という年齢でいまもなお現役として世界最高の舞台で走ることにこだわり続けているロッシだが、残念ながらピーク時のような眩しい天才性の輝きは、現在の彼には見られない。しかし、それは人間が動物である以上、逃れようがない自然の摂理でもある。スポーツ科学の進歩とともにアスリートの現役活動期間は過去と比較すれば長くなっているものの、それでも42歳の体力が20代の若者の潑溂としたスタミナに劣るのは否みようのない事実だろう。

2021年、開幕戦予選後のロッシ。42歳でトップクラスは驚異だが、やはりその顔は年齢を感じさせる。(写真/MotoGP.com)

 たとえば今回のカタールGPでは、ロッシは土曜の予選を終えて2列目4番グリッドを獲得した。ポールポジションを奪取したのは、今年からドゥカティファクトリーチームに所属する24歳のフランチェスコ・バニャイア。当地の最速ラップタイム記録(1分53秒380:マルク・マルケス/ホンダ:2019)を大幅に更新する1分52秒772をマークした。

 余談になるが、今回の開幕戦では最高速記録も塗り替えられた。時速356.7kmという従来の記録を大きく凌ぐ時速362.4km(ヨハン・ザルコ:プラマックレーシング/ドゥカティ)で、秒速に置き換えれば100.66666666666669mである。風速100.6mと読み替えれば、その凄さをご理解いただけるだろうか。

 話をポールポジションに戻すと、バニャイアはロッシが人材育成のために設立した〈VR46アカデミー〉の出身選手である。ロッシにとっては愛弟子といっていい存在だ。そのロッシの育成した若手ライダーが、ポールポジション記録を塗り替える速さを発揮してトップグリッドについたという事実も、やはり、長い時間の経過を感じさせる。

愛弟子バニャイア(右)のポールポジション獲得を喜ぶロッシ。(写真/MotoGP.com)

 長い時間の経過といえば、2004年のカタールGP当時にヤマハファクトリーチームのエースライダーだったロッシは、昨年まで19年間の長きにわたり、様々なメーカーを移り変わりながらも必ずファクトリーチームに所属してきた。だが、2021年の今シーズンはヤマハ陣営のサテライトチームに所属している。ロッシがサテライトに所属するのは、最高峰クラスに昇格した2000年とその翌年の2001年以来のことだ。

 愛弟子がポールポジションを獲得した一方で、自身はその一列後ろの2列目4番グリッド。全22周で争う日曜の決勝レースに向けて、バニャイアは「ヤマハ勢はペースがよさそうだけれども、僕たちもいい調子で走れている。明日は皆のペースが似てくるだろうから、ラスト5周の勝負をうまく戦いたい」と、期待を述べた。

 結局、バニャイアは日曜の決勝レースを3位でゴールして、シーズン緒戦を表彰台で飾った。優勝したのは、昨年までロッシのチームメイトだったヤマハファクトリーチームの26歳、マーヴェリック・ヴィニャーレス。ヤマハの武器である旋回性を活かしながら落ち着いた走りを見せ、トップスピードで勝るドゥカティ勢を凌駕してトップでチェッカーフラッグを受けた。

優勝したヤマハのヴィニャーレス。昨年までのロッシのチームメイトは、冷静な走りで開幕戦を制した。(写真/MotoGP.com)

 一方のロッシは、4番グリッドからスタートしたものの、1周目を終えた段階で、すでに7番手に順位を下げていた。以後も、周回を重ねるたびにどんどんポジションを落とし続けて、22周のレースを終えて最後は12位でゴール。入賞圏の15位以内になんとかくらいついた、というレース内容になった。

 優勝したヴィニャーレスが、リアタイヤの性能を最後まで巧みにマネージしながらグリップ力を活用して勝つことができた、と話したのに対し、ロッシは序盤周回からリアタイヤのグリップに課題を抱えてしまったため、予想外に大きくポジションを落とす結果になった、とレースを振り返った。対照的なコメント内容である。

 ロッシは所属チームこそサテライト陣営といえども、バイクそのものは今年もファクトリーマシンで戦っている。同じヤマハ、同じファクトリーマシンのヴィニャーレスとくっきりとリザルトの明暗が分かれ、しかもタイヤ性能の使いこなしかたに対するコメントもここまで正反対になると、なんとも言いようのない寂しさも感じる。

 ふたりのレース結果がここまで大きく分かれてしまった原因には、バイクを自分好みの乗り味に仕上げるセットアップの差や、ライダー個々の走り方の違いという要素も、もちろんあるだろう。だが、巧みなレース運びでじわじわと追い上げて優勝を飾ったヴィニャーレスと、1周目で大きく順位を落とし、その後もじりじりとポジションを落としていったロッシのあまりに真逆のレース内容には、26歳と42歳という年齢の要素があったこともまた、無視はできない。

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 科学的なトレーニング技術と理論が発達した現在のプロスポーツ界だからこそ、40代という年齢で第一線を維持し続けるためには、並大抵ではない努力、要するに厳格な自己管理と節制に基づいた厳しいトレーニングが必要であることはいうまでもない。あるいは言い方を変えれば、たとえロッシほどの天分に恵まれていた人物であっても、それだけの努力を続けない限り、アスリートとしてのピークを誇る世界最高峰の選手たちと同じ場所で争い続けることは不可能なのだ、ともいえる。

 それだけの努力を続けていても、自分がもはや彼らとは互角に戦えないのであろうことは、おそらくロッシ自身が誰よりもよくわかっているはずだ。しかし、年間チャンピオンの座にはもはや手が届かないとしても、条件が整えば表彰台を獲得するチャンスはまだ充分にあるかもしれない。あるいは、もしもすべてが完璧に噛み合うレースがあったならば、場合によっては優勝することすら不可能ではないかもしれない。

 その可能性があると心のどこかで信じているからこそ、ピークを過ぎたことを頭では理解していても、彼らはきっと現役であることにこだわり続けるのだろう。

 プロフェッショナルアスリートは、おそらく2種類のタイプに分類できる。

 自分が理想とする最高のパフォーマンスをもはや発揮できないと悟った瞬間に現役であることを辞める選手と、ピークを過ぎたことをわかっていても可能な限り高いレベルを維持する努力を続けて現役であることにこだわろうとする選手。

 たとえば、サッカーの中田英寿は前者の好例だろう。後者タイプの代表的人物は、50歳を超えてもなおストイックな努力を続けて現役活動を維持する三浦知良などの例が思い浮かぶ。プロ野球でいえばイチローや山本昌、古くは村田兆治などもこちらの分類に属する人々かもしれない。潔く辞める決意もアスリートの態度なら、最後まであがき続けるのもまた、アスリートの正直なありかただ。だからこそ人々は、己の限界を直視しながら超人的な努力を続ける彼らのひたむきな姿に、プロフェッショナルの崇高な覚悟と意思を見いだすのだ。

 バレンティーノ・ロッシも、おそらくこの後者型に分類される選手なのだろう。

 彼らに共通するのは、他人が外からなんと言おうとも、自分自身が心底、得心するまでは絶対に諦めない、という姿勢だ。そう、真っ白な灰に燃え尽きるまで戦い尽くした矢吹丈のように。

 4番グリッドからスタートしても12位でレースを終える今のバレンティーノ・ロッシは、彼の華やかすぎる絶頂時代を満喫してきた世界じゅうのファンの目からすれば、どちらかといえばあまり見たくない姿なのかもしれない。しかし、それでもまだ彼は一定の水準以上の能力を蓄えているのも事実だ。予選では、キャリアのピークを誇る数々の若いファクトリーライダーたちを相手に互角以上のタイムアタックを繰り広げて、4番目の速さを記録する力がある。決勝レースでも、厳しい状態をマネージしながら走りきる技術と精神力と、そして、衰えたりといえども世界最高峰のレースをポイント獲得圏内で最後まで戦い抜くだけの体力を有している。

レース序盤、セカンドグループを走るロッシ(先頭46番)。この後、後続には抜かれるが、ポイント圏内(12位)でフィニッシュした。(写真/MotoGP.com)

 条件次第では、最高峰クラス90勝目、あるいは200表彰台という大きな節目に到達するチャンスは、まだ、ある。すべての可能性が潰えてしまったわけではないのだ。

 だが、その可能性がはたしてどれほどのものであるのか、そして、その蓋然性をどう判断するのかは、ロッシ以外の誰にも推し量りようがない。ただひとつ明白なのは、いまはまだ戦い続けることをやめない、と彼が決意していることだ。

 片眼が霞む状態でもなお、矢吹丈は戦うことをやめなかった。

「世界一の男がリングでおれを待っているんだ。だから、行かなくちゃ――」

 そういって、矢吹丈はホセ・メンドーサの待つリングへ向かった。

 我々にできるのは、戦うことを決めた彼らの背中を黙って見送り、その姿を最後まで見続けることだ。

 

 ちなみにロッシは、今シーズン前半戦での自らのパフォーマンスを見て、来年も現役活動を続けるかどうかを判断する、と開幕前に明かしている。

 

 

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プロフィール

西村章

西村章(にしむら あきら)

1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。

 
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