濡れた路面を時速300kmで走るMotoGPライダーの超人ぶり

MotoGP最速ライダーの肖像 2022
西村章

 3月20日、25年ぶりに行われたインドネシアでのMotoGP第2戦は、ウェット路面の中、開幕戦とはまったく違ったライダーたちが光った走りを見せた。このレースを見てあらためてわかったのは、水しぶきをあげながら、ドライレースとほぼ同じようにマシンを傾斜させ、時速300キロでストレートを駆け抜けるMotoGPライダーの驚異のテクニックとクレイジーぶりだ。

 その詳細を、新書プラスでおなじみのモータージャーナリスト・西村章氏が解説する。

 MotoGP第2戦は赤道直下のインドネシアで開催された。場所は、スマトラ島のジャカルタから飛行機で2時間ほど飛んだところにあるロンボク島、マンダリカサーキットだ。

 東南アジア諸国はどこもMotoGPの人気がすさまじく、たとえばマレーシアGPの2019年(パンデミック前)観客動員数は17万0778人、タイGPでは22万6655人、と本場欧州をしのぐほどの高い人気を誇っている。インドネシアも同様に熱狂的なファンの多い国だが、じつはインドネシアGPが行われるのは今回が1997年以来25年ぶりである。

 25年前といえば、MotoGPという言葉はまだ存在せず、二輪ロードレース世界選手権はWGPという通称で、2ストローク500cc、250cc、125ccで争われていた。この当時のインドネシアGPは、首都ジャカルタ郊外のセントゥールサーキットで実施され、1997年の500ccクラス表彰台は優勝が岡田忠之、2位がミック・ドゥーハン、3位にアレックス・クリビーレ、というラインナップ。現在と同じ名称のホンダファクトリー、Repsol Honda Teamの3名が表彰台を独占した。

 ちなみに、現チャンピオンのファビオ・クアルタラロは1999年4月20日生まれなので、まだこの世に誕生していない。25年前はそれくらい昔の出来事というわけだ。

 その後、インドネシアGPが開催されない四半世紀の間も、この国ではレース人気が年々高まり続けた。もともと東南アジアは、スクーターやアンダーボーンと言われるスーパーカブタイプの小型車両がよく売れていた地域だが、ASEANの経済発展と購買力上昇に伴い、近年は大型スポーツバイクなども好調な売れ行きを示している。

 そのために、MotoGPに参戦するホンダ、ヤマハ、スズキ、ドゥカティ等のバイクメーカーにとって、東南アジア諸国は量産車販売の非常に重要なマーケットになっている。販促に絡め、メーカー系のファクトリーチームはシーズン前のキックオフイベントをジャカルタ等で開催し、マシンや選手のレザースーツにはインドネシア語のキャッチフレーズを盛り込む、といった宣伝活動にも積極的に取り組んできた。

 それほど熱狂的な支持が続く国へ、25年ぶりにホンモノのMotoGPがやってくるのだ。盛り上がらないわけがない。

 レーススケジュールが始まる前の水曜日には、ライダーたちは自分たちのマシンカラーリングを施した量産車にまたがってジャカルタの公道をパレードし、ムルデカ宮殿のジョコ・ウィドド大統領を表敬訪問した。大統領は決勝レースが行われる日曜日にサーキットを訪れ、MotoGP表彰式のトロフィ授与プレゼンターを務めた。日本でいえば、選手たちが東京市街をパレードして首相官邸を訪問し、決勝レースには岸田文雄総理がやってきて表彰式に出席するという、それくらい大規模なイベントだといえば、当地での熱狂的な人気と認知度が想像できるだろうか。

 25年ぶりのインドネシアGP決勝レースは、開始直前に雨になった。熱帯特有の粒の大きい豪雨である。日本でも近年夏場に多くなったゲリラ豪雨の、あの猛烈な降りを想像してもらえればいい。雷が轟音を立ててコースに落ちるほどの激しさで、現地時間午後3時にスタートするはずだったレース進行は、当然ながらコンディションの様子見でスケジュールが押すことになった。激しい雨が続く最中には、インドネシア独特の文化だろう、天候を操るといわれる祈禱師「パワンフジャン(Pawang Hujan)」がピットレーンへ出てきて雨雲の逃散を祈る儀式も行われた。

 やがて雨は小止みになり、4時15分にレースがスタート。

 路面はフルウェットコンディションで、コース上はどこもかしこもしっぽりと濡れそぼっている。開始前にコースマーシャルたちが大急ぎで水捌けの掃除をしたものの、そこらじゅうに水たまりがあってバイクが走るたびに水しぶきが大きく跳ね上がる。

 そんななか、ウェットタイヤで走行しているとはいえ、MotoGPの選手たちは、ドライコンディションと同じような速度でストレートを駆け抜け、急減速したかと思うと当たり前のようにバイクを深く傾けてコーナーを旋回してゆく。

水たまりの上を、ドライコンディションと変わらないほどバイクを傾けて走行していることがよくわかる。ヘルメットには視認性の良いクリアバイザーを使用、フロント用カーボンブレーキには濡れ防止用カバーが装着されている(写真/MotoGP.com)

 決勝レースのデータを見ると、上位でフィニッシュした選手たちのトップスピードは時速296kmや302kmあたりを記録している。雨の中をこんな速度域で走行していること自体がそもそも驚異的だが、晴天下のドライコンディションと比較しても時速10km程度の落ち幅しかないという事実には、さらに驚く。

 想像してもみてほしい。たとえば雨の高速道路を車で走行中に、水たまりにハンドルを取られてヒヤリとした経験は、誰しも一度や二度はあるだろう。そのときの速度はおそらく、せいぜい時速100km前後のはずだ。ところが、このMotoGPライダーたちはその3倍のスピードで走っている。しかも、静止状態で安定している四輪車ではなく、ほんの少しバランスが崩れると転倒してしまうオートバイである。

 そのオートバイはレース専用に設計されているため、重量は150kg少々、という軽さだ。もちろん高速道路を走行する四輪車と違って水捌け用のワイパーなどもない。前を走るバイクの後輪が水しぶきを跳ね上げれば、視界はゼロに等しい状態になる。そんなあやういコンディションのなか、彼らMotoGPライダーたちは時速300kmでストレートを駆け抜けてコーナー手前で90kmへ急減速し、ヒジを路面に擦るような深い角度で旋回してゆく。簡単に言えば、人間業ではない。

「気持ち的にはまるでジェットコースターみたいなレースだった」

 20周の戦いを独走状態に持ち込んで優勝したミゲル・オリベイラ(Red Bull KTM Factory Racing)がゴール直後に発した第一声は、我々一般人にもわかりやすいじつに的確な表現だ。

今回の優勝は、クレバーな走りに定評のあるポルトガル出身の知性派ライダー、ミゲル・オリベイラ。2020年は優勝1回、2位を2回獲得している(写真/MotoGP.com)

 オリベイラのスタート位置は3列目7番グリッドだったが、レース開始直後にポジションをするするっと上げて2番手で1コーナーへ入っていった。そして、その位置で4周ほど様子を見てから前に出ると、一気に後ろとの差を築いてギャップを広げ、あとはその距離をコントロールしながら最後まで走りきってチェッカーフラッグを受けた。

「雨の中で20周のレースを走るのは、練習走行時とはまったく違っていた。練習走行ではブレーキングポイントを見極めたり、走行ラインがワイドにならないように走り方を変えたり、タイヤの熱をどう冷やすか試せるけれども、決勝ではそれをすべてうまくマネージしなければならなかった。幸いスタートがうまく決まったので、前の選手にしばらくついて行った。それでコンディションを理解し、さらにもう少し速く走ることができそうだったので前へ出て、差を開いていった」

 雨の中を走る難しさをそう振り返ったオリベイラは、

「1コーナーで他の選手が転ぶのが見えた。おそらくアクアプレーンに乗ったのだと思う。水量がどれくらいあるかわからなくて、自分は本能的にそこを避けていただけなので、水たまりに捕まらなくてラッキーだった」

 とも述べたが、それがただの勘や好運ではなく、激しい戦いのなかの落ち着きによるものであることは、つぎの言葉がよく示している。

「(路面のグリップレベルを推し量るのは)ひとの後ろについて走ることが助けになった。2番手で走ってラップタイムを見て、前の選手のブレーキングポイントがとくに参考になった。前に出てからは自分のラップタイムを見ながらリスクのレベルをコントロールして、ミスしないように心がけた」

 前回の開幕戦レポートでも紹介したとおり、オリベイラは世界の頂点で最速を競いながら、歯科医免許の取得も目指している知性派ライダーだ。そんな彼に勝利をもたらした沈着冷静な観察力と思考力は、今回の勝利を説明する理路整然とした言葉の端々にもよく現れているように思う。

 2位にはチャンピオンのファビオ・クアルタラロ(Monster Energy Yamaha MotoGP)が入った。

2位のファビオ・クアルタラロ(右)は、レース終盤にオリベイラへ肉薄してゆく走りで、苦手だった雨を克服したように見える。これで全方位的な強さを獲得したか!?(写真/MotoGP.com)

 クアルタラロは開幕戦カタールGPで9位に沈み、苦しいシーズンスタートとなったが、今回は土曜日の予選でポールポジション。ドライコンディションから一転した日曜の決勝ではレース中にまで沈んで、一時はそのまま揉まれてしまうようにも見えた。だが、終盤に向けてむしろぐいぐいと勢いを増して順位を上げてゆき、最後は2位でゴール。優勝したオリベイラが「周回がさらに長ければ、勢いのあったファビオに肉薄されていたと思う」と述べたほどの力強いペースを発揮した。

 以前は雨の弱さを指摘されることもあったクアルタラロだが、チャンピオンを獲得した実力と経験が自信になって、さらに粘り強いしたたかさを獲得したことを実証するようなレース内容だった。

「ウェットでうまく走れるようになるまでに、少し時間がかかってしまった。5番手につけているとき、もっと行けそうだと感じて、どんどん攻めていった。いつもウェットでは苦労をしていたけれども、今日はこの位置で終われてとてもうれしい」

 ヤマハのバイクは他陣営と比べてトップスピードが遅く、そこを改善課題とする声は多い。だが、今回のクアルタラロの走りは、レースはトップスピードだけで競うものではないことをよく示しているといえそうだ。

 3位には、したたかな走りに定評のあるヨハン・ザルコ(Pramac Racing)が入った。ドゥカティ陣営ではファクトリーチーム同様の最新スペックのバイクで走るライダーで、今季最強という前評判があったにもかかわらず苦戦傾向の見えたファクトリーマシン勢では、今年初の表彰台獲得となった。

25年ぶりのインドネシアGPは、金~日曜の3日間観客総動員数10万2801人。第3戦は世界を半周し、南米アルゼンチン中央部のテルマス・デ・リオ・オンドで2週間後に開催(写真/MotoGP.com)

「雨でも、もう少し加速を良くしないといけない。ドゥカティは加速がいいバイクなのに、レースでそれを発揮できていない。そこを達成できれば、勝てるマシンになると思う」

 と今後に向けた課題を述べた。

 この結果により、2022年シーズンの序盤2レースを終えて表彰台登壇者は、

 ミゲル・オリベイラ(KTM:第2戦優勝)

 ファビオ・クアルタラロ(ヤマハ:第2戦2位)

 ヨハン・ザルコ(ドゥカティ:第2戦3位)

 エネア・バスティアニーニ(ドゥカティ:開幕戦優勝)

 ブラッド・ビンダー(KTM:開幕戦2位)

 ポル・エスパルガロ(ホンダ:開幕戦3位)

 ……と、顔ぶれの異なるライダー6名が並ぶことになった。メーカー別で見れば、開幕前には苦戦も予想されたKTM勢の健闘が目立つ。雨ではオリベイラが優勝、ドライでビンダーが2位、という結果はマシンの良好な仕上がりや素性の良さも思わせるが、そんな予測に対してオリベイラは、

「まだ2戦を終えたばかりなので、それを語るのは時期尚早」

 と、慎重な姿勢を崩さない。

「今回のような走りを3回4回と繰り返していけば、自分たちの水準もさらに上がってくるので、この調子でこれからも強さを維持していきたい。このカテゴリーでは皆が接近しているので、土曜の予選次第で日曜のレースの様相は全然違ってくる。しっかり速さを発揮してポイントを積み重ねていきたい」

 ここでオリベイラが言及しているポイント獲得、ということについていえば、今年は史上最長の全21戦。ここから先の勝負は、昨年の総レース数と同じ19戦が待っている。これは言葉を換えれば、一戦あたりの比重が小さくなる、ということでもある。しかし、わずか1ポイントの差が、シーズン終盤に重い意味を持ってくるのもまた事実で、それが過去にも劇的な数々のドラマを生み出してきた。

 先が見えない、予測がつかない、という意味では、この序盤2レースが示すとおり、2022年のMotoGPは非常に面白味に満ちた一年になりそうだ。そのシーズン推移をインドネシアの人々のようにひたすら熱狂的に盛り上がって愉しみ続けていれば、やがて日本でも総理大臣が決勝レースの表彰式に登壇するような人気スポーツになる日が来る……だろうか!?

 

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プロフィール

西村章

西村章(にしむら あきら)

1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。

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