法律は最も原則的で初歩的なルールでしょ。その下地があった上で、誰がどのような目的で、どんな基準で新しいルールを作ろうとしているのかを考えたら、いろんなことが理解できるようになるんじゃないかと。
ちょうどこの時期に法律事務所の弁護士さんとラジオ番組を担当してて、本番前に雑談で、「この間、こういうことがあって、すっげえムカついたんですよね」って悩みを話したら、「それはこうすれば解決できますよ」と簡単に言うんです。それが1回だけじゃなく、毎回悩みというか相談というか愚痴というか、さまざまなことを打ち明けても「大丈夫です、これをかくかくしかじかすれば問題ないです」って解決しちゃう(笑)。すっげえ心強いと思ったし、これって法律というルールをきちんと学んでいるから、対応の仕方がわかっているんだ、発言にブレがないんだとわかったんですよ。
それで僕も法律や世の中のルールを学べば強くなれると思ったんです。それからですよ、以前より増して大学で法律を学びたいと強く願うようになったのは。
──何でも問題を解決する弁護士さんは、“魔法の杖”を持った勇者みたいな感じだったと。
そうそう、そうなんですよ。他にも、『日本人失格』でも書きましたけど、10年くらい前からテレビ業界に息苦しさを感じていたのは確かで、この現状を打破するにはどうすべきか、新しい景色を見るために自分ができることって何だと考えたときに、意識の中でチラチラと大学受験が浮かんでは消え、みたいな感じはありました。
──ここで一旦、話を昔に戻すんですが、普通は高校時代に大学進学を意識するじゃないですか。田村淳的には、高校3年生の時には大学進学をリアルに意識していたんですか。
これも本に書きましたけど、そもそも10代の頃の僕は、進学することにまったく興味がなかった。高校すら行こうと考えていなかったし。親がどうしても高校だけは卒業してくれと頼むから、仕方なく高校に進学しましたけど、それも普通科よりは工業高校のほうが興味をそそられるものに出会えるんじゃないか、それだけの理由で進学しただけなので、そういう意味で高校時代はまったく受験がリアルじゃなかったですね。
──なるほど、なるほど。でも今回の受験に関しては、実は世間がそういう感覚だったんじゃないかと思うんですよ。
というのは?
──44歳になった田村淳の受験を、世間はリアルに感じられなかったと思うんです。世間からすれば大学に進学する意味がわからない。仕事も順調で、愛する家族もできで、これまで以上に、例えば番組のMC力を高める努力はしても、わざわざ困難な大学受験を選択するとは考えられないんですよ。なによりテレビの仕事などで忙しく飛び回っている田村淳に、受験に備える勉強時間が果たして捻出できるかどうか。どれを取っても田村淳の大学受験はちっともリアルじゃなかった。
え~リアルじゃない? そうかなあ、でも、いくら世間がリアルに感じてなかったとしても、僕は描けていましたよ、4年後の自分を。大学で4年間、法律を学んだ僕がひとりの表現者としてさらに飛躍できるはずだってリアルに確信していました。法律というルールを学んだ僕は、間違いなくもっと自由に楽しくいろんなことに取り組めるだろうし、思いっきり飛び回れるはずだと思っていました。
──例えば?
そうだなあ、ほら『日本人失格』の発売イベントを渋谷でやったじゃないですか。本を購入した先着100名様に僕の顔をかたどったお面をプレゼントして、そのお面を被ってくれた人たちと渋谷の街を練り歩くという(笑)。
今から考えても突っ込みどころ満載の突飛な出版記念イベントでしたけど、あのイベントは法律、つまりルールに照らし合わせた場合、どこまで許されたのか。それがわかっていれば、当日もっとド派手に仕掛けることができたんじゃないかと思うんですね。もし、ルール上よくないということであれば、違った方法を模索していただろうし。
あのイベントの日は最初から最後まで「これってやっていいのかな?」「僕のお面を被った人たちを無節操に渋谷の街に立たせていいのかな?」「だけど、まあ、大丈夫でしょ」といった曖昧さが常にまとわりついて、ちょっと嫌だったんです。僕、そういう曖昧さが大嫌いですから。
要は法律を学んでその曖昧さを払拭することで、楽しいことが心置きなくどんどん展開できるんじゃないかなって。モラル的にバッシングされるのは表現者として受け止めるけれど、ルール上バッシングを受けることに関しては自粛しなきゃいけない。その境界線を踏み間違えると、後でえらい目に遭うだけですし。僕が法律を学びたいって切に願ったのは、その境界線を見極める力をつけたかったというのもあるんですよねえ。