陸上自衛隊石垣駐屯地開設、ミサイル搬入のその日に何が起きたのか

取材・文・撮影/大袈裟太郎
大袈裟太郎

島にミサイルが来た朝

ミサイル搬入の情報は当日の未明になっても判然とせず、島に駆けつけた報道陣たちも混乱していた。普段はクルーズ船が着くターミナルに不自然な目隠し工事が急ピッチで進んでいることを住民たちが発見し、どうやらそのターミナルから搬入されるのではないかとの不確定な情報だけが頼りだった。
3月18日、早朝5時半。忙しさもあって、まったく眠れずに現場へ向かった。

石垣市内からサザンゲートブリッジを渡った先の南ぬ浜町がその舞台だった。普段は野良猫で有名な不思議な埋立地だが、すでに警備員が立ち、一般車両のUターンを促していた。その立ち入り禁止指示になんの法的拘束力もないことは当の警備員もわかっているようで、さも自信なさげに誘導棒を振っていた。

石垣港新港旅客船ターミナルには、九州の警備会社の警備員たちが並ぶ

物々しい警備体制だが、事態を飲み込めていない不安そうな顔のガードマンが並ぶ。会社名を検索すると九州の会社だった。「いつも九州だな」反対運動をする市民がつぶやく。昨年の復帰50年式典の警備も九州の機動隊だった。400年前の薩摩藩による琉球侵攻から始まったこの島々への搾取は、今も変わらないのではないかという疑念がこの島々に住む人々から時折、垣間見える。

冷たい雨が降るなか、徐々に反対する市民が増えていく。6時半をすぎ、大きな影が入港するのが見える。海上自衛隊の移送艦「おおすみ」だと群衆の誰かが言う。

7時頃に「おおすみ」は接岸した。朝陽は登ったが曇り空で、「おおすみ」がその曇り空と同じ不吉な色をしていることがぼんやりと目視できた。それは日常生活では見ることがないほどにあまりにも巨大で、見つめるだけで息苦しさが込み上げた。

ゲート前に集った100名近くの人々がスピーチをしたり、反対の声を上げ始める。85歳の山里節子さんが絞り出すように叫ぶ。「ミサイルは穢らわしい。この浜は岬の浜。美しい岬の浜です。この浜にはお米や粟や食べ物が運ばれてきました。命をはこんできてくれたのです。あんたたちはそれを蔑ろにしようとしている。とっとと帰んなさい。とっとと消え失せろ。地球上から消え失せろ。二度とくるな。私たちの美しい島を汚さないで。とっとと消え失せろ」
過酷な戦争マラリアを生き抜いた節子さんの声が強風の中で震えていた。
まるで消えそうな蝋燭の炎が、風の中で懸命に揺れているかのようだ。その炎が集った人々の心に少しずつ伝播してゆく。

移送艦「おおすみ」を見つめる山里節子さん

8時を過ぎると、移送艦の上のトラックが車止めを外され、タラップを下り、一台ずつ地上に並んでゆく。現場に緊張感が走り、人々がゲートに詰め寄る。カメラの望遠レンズ越しに見ると「火」というマークが貼られているのが見える。そのコンテナにミサイルが積まれていることは明白だった。

人々が慌ただしく動き始める。それとともに現場に怒りが充満してゆく。ふと気づくと警官の数が増えている。反対する市民の数を数え、無線でどこかとやりとりしているのがわかる。市民をどのように排除するか県警が戦略を立てているのだ。思えば2019年の香港警察もそうだった。大規模な警官隊が現れる前に、密偵のような警官たちが群衆に紛れ、不穏な動きをする。喉が乾いていくような時間だ。
この場所が封鎖されることを察知した一部の市民が声をかけあって、それぞれに自動車に乗り込んでいく。この場所はこの人工島にある一本道の行き止まりの場所であるため、その道路を封鎖されると閉じ込められてしまうのだ。封鎖を潜り抜けた彼らはこの後、市街地で自動車による牛歩作戦を展開することになる。

輸送艦の甲板にあるミサイルを積んだトラック。赤地に白く「火」のマークが見える。
ミサイルを運搬する自衛隊員たちが整列してトイレに向かう

9時近くなった頃、ゲートの向こうに自衛隊員たちの行進が見えた。彼らは一列に折り目正しく行進し、トイレへ向かい、また一列になり戻ってゆく。軍隊に入るとトイレにも自由にいけないのだと改めて考えさせられる光景だった。人間が個人としての主体性や尊厳、自由を失い、国家の駒となる。戦争とはそういうものだとまざまざと見せつけられた気がした。

ターミナルの中にトラックが数十台整列した。ここまですべて時間通りに行われたため、9時にゲートが開くと誰もが予見し、反対する市民たちが体に力を入れゲートに押し寄せた。激しい憤りから泣き出す者もいた。マスメディアの群れも固唾を飲み、カメラを構え、皆、眉間に皺を寄せた。

予想通り9時だった。ゲートを守るガードマンの隙間から、港湾関係者が震える声で退去を呼びかけた。「通行の邪魔になっているので退去せよ」との儀礼的な通告だ。ほどなくしてあちこちで小競り合いが始まり、それが怒号に変わっていく。
私はゲートの最前列に詰めかけた山里節子さんの横顔を撮影し続けていたが、気づいた時には機動隊が雪崩れ込んできた。市民であろうとメディアであろうと区別なく機動隊の手につかまれ、あっという間に激流のように押し流された。辺野古のゲート前では座り込む意思のないメディアは排除されないこともあるが、この日は問答無用、十把一絡げにすべての人間を排除するという冷酷さが感じられた。
「危ないですよ。気をつけてください」手荒で暴力的な排除なのに言葉だけがやたら丁寧なのは、いつもの手口だった。これには撮影した映像だけを見ると、市民やメディアが悪者かのように錯覚させる効果があり厄介だ。私も食い下がったが、あっけなく泥でも払うように排除された。気づくと山里節子さんが機動隊に囲まれ、そのまま歩道に設置された鉄製の檻の中に入れられてしまった。85歳の「おばあ様」である。屈強な機動隊に対して彼女ひとりで一体何ができると言うのだろうか。
あまりに理不尽で非人道的な光景だと言わざるを得なかった。
混沌とシュプレヒコールの中、ミサイルを積んだトラックがゲートから出てくる。
「機動隊は一体何を守っているんでしょうか?」市民たちの叫びが虚しく響く横をミサイルたちが通り過ぎてゆく。

機動隊の強制排除。その向こうに移送艦「おおすみ」が見える
排除され檻の中に入れられる山里節子さん

混沌と共に、ミサイル搬入車両は駐屯地へ向けて出発したが、封鎖を免れた市民たちの自動車による牛歩によって、その速度は人間が歩くほどになっていた。私は友人の車両に乗ったり、降りて走ったりを繰り返してミサイル搬入車両を追いかけた。市街地の路面店の店主のミサイル搬入車両を見る驚きに満ちた表情が胸に残っている。

牛歩走行をして規制された住民の車両とその横を通過するミサイル搬入車両
石垣の市街地をミサイル搬入車両が通過していく
ミサイル搬入車両は物々しい警備体制で駐屯地へ向かう
駐屯地に入っていくミサイル搬入車両

市民たちの牛歩で、ミサイル搬入車両が鈍行している間に、私は駐屯地に先回りした。牛歩に挑んだ人々も次々に規制され、トラックは断続的に駐屯地へ入って行った。この日、15台の車両が搬入され、陸上自衛隊石垣駐屯地にミサイルが配備された。

ミサイルが配備された直後の山里節子さんの言葉は重い。彼女はこれからも反対を続ける意志を示した。沖縄戦、日本軍の強制移住による戦争マラリアや食糧の収奪、そして事実の隠蔽。「軍隊が住民を守らない」それどころか軍隊の間違った運用によって多くの死者を出したこの島の過去に、私たちは今一度、向き合わなければならないはずだ。同じ過ちを二度と繰り返さないために。

なぜこの島に生まれたという、たったそれだけの理由で、この島に暮らす人々は当たり前の生活を望むことが許されないのだろうか? なぜ愛する人や尊敬するおばあ様が涙を流し、機動隊に運ばれる姿を見なくてはいけないのだろうか?
なぜ友人や家族、親戚との人間関係を破壊されなければならないのだろうか?

前回触れた与那国島ではすでに自衛隊関係者が人口の15%を占め、選挙も意思表示もままならない状態が作られた中、さらなる基地の拡張が計画されている。なし崩し的に自衛隊と米軍の合同演習も行われた。

この石垣島にも570名の自衛隊が駐屯し、人口の1%を占め、それは市議会のバランスに大きな影響を及ぼすだろう。防衛省と石垣市は有事の際に1千人から2千人規模のシェルター設置を目指すと発表したが、石垣市の人口は5万人、観光客を合わせると約7万人弱とも言われており、このシェルターに入れる2千人と入れない6万8千人を誰が選別するのかにも大きな不安がある。

昨今、この国の民主主義が危機的な状況にあるという声は多く聞かれるが、今の石垣や与那国、そして琉球孤の島々に対する国家の横暴を目の当たりにすると、すでにこの国の民主主義は壊れていると私は感じる。

条例で定められた署名数に達した住民投票はいまだに行われないまま、あろうことか市議会は条例から住民投票の項目を削除した。石垣市住民投票を求める会が起こした「当事者確認訴訟」は結審を終え、5月23日に判決を迎える。

そのような中、4月6日16時頃、陸上自衛隊幹部ら10人が搭乗したUH60JAヘリが宮古島駐屯地(反対運動の中、2019年開局)から離陸し、下地島付近で消息を絶った。9日現在、いまだ乗員の安否や事故原因は不明である。
前述した山里節子さんの日本軍に関するスピーチや、今までの米軍機事故の顛末を踏まえると、今回の事故の情報がどこまで開示されるかは極めて不透明だ。このような不透明な存在と、同じ島共存することを強いられる人々の不安感をわれわれは無視してはならない。

自国の民主主義や人権を踏み潰してまで行われる国防とは一体なんなのだろうか?
今、この国に生きるすべての人々が問われている。

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プロフィール

大袈裟太郎
大袈裟太郎●本名 猪股東吾 ジャーナリスト、ラッパー、人力車夫。2016年高江の安倍昭恵騒動を機に沖縄へ移住。
やまとんちゅという加害側の視点から高江、辺野古の取材を続け、オスプレイ墜落現場や籠池家ルポで「規制線の中から発信する男」と呼ばれる。 
2019年は台湾、香港、韓国、沖縄と極東の最前線を巡り、2020年は米国からBLMプロテストと大統領選挙の取材を敢行した。「フェイクニュース」の時代にあらがう。

 

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