『トランスジェンダー入門』刊行記念イベントレポートvol.2~まずは現実を知ることから~

藥師実芳×高井ゆと里
周司あきら

「トランスジェンダー」という小さな集団の名を聞いて、つい憶測で、あるいは見聞きしたばかりのニュースを元に、意見してしまったことはないだろうか。でも、私たちがふだん取得する情報には偏りがある。では何から知ればいいのか。
『トランスジェンダー入門』の刊行を記念して、2023年8月10日に下北沢の本屋B&Bでトークイベントが開催された。
認定NPO法人 ReBit(リビット)の代表理事である藥師実芳(やくしみか)さんと、『トランスジェンダー入門』著者の1人である高井ゆと里さんが、トランスジェンダーの人々の現状について率直に語り合った。

著者の高井ゆと里さんは会場参加。ゲストの藥師実芳さんとオンラインでつなぎ対談は行われた。

トランスジェンダーへの構造的差別

藥師さんは2009年より、LGBTQ(性的マイノリティ)を含めたすべての子どもがありのままで大人になれる社会を目指す認定NPO法人ReBitで活動している。
「LGBTQ特有の課題っていうと、例えば同性パートナー間の保障がないこととか、性別変更の要件が厳しいこととかに焦点当てていただくことが多くて、これも非常に大事なんですけれども、実は一般的な社会課題と言われるもののハイリスク層でもあるんです」

例えば、幼少期に7割がいじめを経験する。LGBTQの若者の9割は保護者との関係で困難を経験するという調査もある(*1)。就活ではトランスの8割近くが困難を経験するが、そのうち9割以上が相談できない。そうした複合的な困難により、働けず、困窮につながっていく。LGBTQのおよそ2人に1人が、過去10年に生活困窮を経験した。また、LGBTQの4割が精神障害を経験している。希死念慮を抱く率もきわめて高い。

藥師さんは真っ先に「福祉」をトークテーマに挙げ、LGBTQの人たちが「セーフティーネットである福祉をセーフに使えてない」状況を説明した。ReBitが調査している「LGBTQ医療福祉調査2023」(*2)には、詳しい状況が記されている。

高井さんは「悪循環というか、ループから抜け出せなくなっちゃう」状況があると指摘する。例えば、トランスであることが理由でハラスメントを受け、失職する。元の職場に戻ろうとするが、さらなるハラスメントに恐怖して、医療や福祉など必要なリソースにアクセスできない。メンタルヘルスがまた損なわれていく。結果として、就労の場に戻る機会が遠ざかっていく。

医療サービスを利用して健康が悪くなるトランスの人たちは、現実にいる。トランスジェンダーの男女の8割近くが医療サービス利用時にセクシュアリティに関する困難を経験している。それによって、トランスの4割が体調が悪くても病院に行けなくなっている。

藥師さんのもとには、様々な体験談が寄せられている。
「例えば、初めて行った病院で『ホルモン投与をしている』って言ったら、医師にふーんって笑いとともに下から上までじっと見られたとか。診察券とか受付表に戸籍上の性別の記載があって、それをぶら下げたりして歩かないといけないとか、何回も戸籍名で呼ばれたりして苦痛に感じたとか。手足の震えが止まらなくて大学病院に行ったら、『トランスジェンダーのストレスのせいだ』と言われて帰されたとか。子宮の痛みが続いて産婦人科に行ったところ、『専門医に行ってくれ』と言われたけど、産婦人科が専門医じゃないのかと思ったとか」

福祉・職場・医療などさまざまな現場で、だれか悪者がいるかといえば、そういうわけでもない。「無理解がそこにあるのが大きい」と藥師さんは言う。トランスの人が病院に行けない理由には、経済的な理由もある。就労の現場から排除されがちであることが、経済的剥奪につながっているのだ。

藥師さんは「排除とか負のスパイラルっていうのが大人になってから始まるわけではなくて、小さい頃から始まっている」と語る。自分はおかしいのだろうか、と幼少期から自己否定せずに生きていくためには、教育も欠かせない。高井さんが実践しているように、教育現場や企業には「LGBTQの人がすでにいる」前提で話を進めていくべきだろう。

高井ゆと里さん

トイレやお風呂の問題を矮小化させずに語る

2023年6月にLGBT理解増進法が成立した。その前後で、トランスへのヘイトスピーチが増加した。特にトイレとお風呂、スポーツの話が多い。

藥師さんは、それらの話題について「矮小化されているとは言いたくない、全然矮小な話じゃないから。ただ、限定はされているなと思うんです」と言った。
そう、一部のトランスの人にとって使いやすいトイレがなく、特定の場所に行けなくなってしまう現実自体は、なんら矮小化されるべきではない。

「考えなきゃいけないのは、みんなが教育を受けるにあたって、働くにあたって、まちで学んだり遊んだりするにあたって、そのプロセスで必ずトイレを使うわけだから、トイレから誰かが排除されるのはあってはならないことですよね、っていうこと」と高井さんは前提を共有した。

トイレの使用目的は、排泄することだ。お風呂の使用目的は、娯楽目的以外では身体を清潔に保つことだろう。これらのニーズは、当然トランスの人々も持つ。

だが現状では一部の利用者しか想定されていないため、構造的な偏りがいたるところにある。そうした問題を是正していく過程でトイレやお風呂にも注目するのは、必要なことだ。災害時など困難な状況下では、トランスの人々はとくに置き去りにされやすい。「避難所に行っても安全ではない」と判断して、トランスの人が避難すること自体を諦めてしまうこともある。土台となる人権をきちんと守ることは、全員にとって共通の課題だ。

藥師実芳さん

発達障害×トランスジェンダー

後半のトークでは、トランスコミュニティ内部が抱えている問題も見えてきた。

トランスであることに加えて、非定型発達である、発達障害である、といった複合的な困難を抱えている人は少なくない。オーストラリアのデータでは、トランスかつASD(自閉スペクトラム症)の人が15%、ADHDの人(注意欠如・多動症)が11%に上る(*3)。一般人口に比べると、相当高い割合だといえる。

高井さんは、ていねいに次の一歩を模索する。トランスコミュニティあるいはLGBTQのコミュニティが「誰をいないことにしてしまうのか」。

かつて精神障害や精神疾患として扱われてきたトランスジェンダーだが、現在は脱病理化した。しかし、「『トランスジェンダーであるっていうことは病気でも障害でもなくて、たまたま私たちはトランスジェンダーなだけで、それ以外の点ではめちゃめちゃ健康で健常なんですよ』っていうアピールをひたすらするっていうのは、やってはいけない一歩なんです」と高井さんは語る。「トランスジェンダーであることに加えて精神障害、発達障害を持って生きてる人たちをバシバシ踏んでいくことになるし、コミュニティの中に高い割合で発達障害のトランスの人たちがいるっていう事実をどんどん無視して切り捨てていってしまうことになるので」と強調。

藥師さんも、コミュニティ内部の差異を実感してきた。
1つ目に、障害があるLGBTQ(ダブルマイノリティ)は、障害がないLGBTQよりも経済的な困難が大きく、困難が複合化していること。

2つ目に、LGBTQのコミュニティ自体も精神障害ないしは発達障害にインクルーシブとは言い難いことだ。「LGBTQコミュニティの中でも、例えば『メンヘラお断りです』って言われるようなイベントの告知があったりとか、精神発達障害があると伝えると、いきなり扱いが変わったっていうのはある」。障害コミュニティの中でもLGBTQだと言った瞬間、扱いが変わってしまうことがあるため、両方で居場所のないケースがある。

高井さんは、さらに話を進める。トランスコミュニティ内部では、年長者のトランスから若いトランスに、「社会的に性別を変えていくって、『結局周りとうまくやっていくことなんだよ』」と生き方の指南のようなアドバイスがされることがある。しかし、それは「定型発達的なコミュニケーションにうまく適合できる人」が前提で、「健常主義的」な面があることも無視できないという。

藥師さんも「今の社会で排除されているトランスジェンダーが、『サバイブするためにコミュニケーション力大事だよね』って言われることも確かにサバイバル術としては否めないと思うことがあるけど、そもそもサバイブさせない構造にしたほうがいいよねって。サバイブすることを個人に押し付けないほうがいいよねと思ってる」と応じた。

トランスヘイトに抗う前に

トランスヘイトが増える一方で、どう対処すべきか悩む人も増えているようだ。

高井さんは、「ヘイトに対してどう対抗するかってなってしまうと、結局トランスの人たちの現実って置き去りにされてしまうんですよね。いつも置き去りにされてしまっていて、ヘイト言説っぽいものがなぜヘイトっぽいのかっていうのにはどんどん詳しくなるかもしれないんだけど、結局トランスの人たちはどうやって生きてたんだっけ?っていうところにいつも立ち返らなきゃいけないと思っている」と話した。

このイベントで交わされた「トイレ」と「発達障害」の話題も踏まえたうえで、一度立ち止まりたい話題もある。トランスヘイトの中には、「トランス女性だって言い張れば男でも女子トイレに入れるようになる」といった扇動がある。それに対して「いや、これまでどおり怪しい人が女子トイレにいたら通報すればいいんですよ」と答える人は多いかもしれない。だが、トランスを擁護するためだとしても、その答え方で良いのだろうか。

高井さんは、その答え方は「危ない」と言う。「『怪しいなと感じる人間がいたら、通報すればいいんですよ。これまでもこれからもずっと同じです』っていうのって、これまでの社会もこれからの社会も間違っているじゃないですか」と続けた。社会の標準とされる見た目や振る舞い方などから外れていることが、その人の生きづらさに繋がっているというケースは、トランスジェンダーであるかどうかという問題とは無関係に、非常によくあることである。そのため、ただ見た目や振る舞いが「怪しい」とか「人と違っている」という理由だけに基づいて、ある程度実力行使することが認められている警察や警備員などにその人たちが差し出されることを是認するような発想は、社会の「標準」とされる在りようから外れることによってすでに様々な排除や周縁化を経験している人たちを、ますます周縁化するものである。

2時間のトークイベントでは語り尽くせないほど、トランスにまつわる情報は蓄積されている。もし身近な人がトランスについて誤った前提のもと話題にしていたら、「じゃあトランスの人たちってどんな環境を生きてると思いますか」と聞いてみよう。そうして前提を問いただすことは、トランスではない人々にもできる。

撮影/野本ゆかこ

(*1:『LGBTQ子ども・若者調査2022』、
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000031.000047512.html
(*2:【調査報告】「LGBTQ医療福祉調査2023」結果公開、https://rebitlgbt.org/news/9873
(*3:The Health and Well-Being of Transgender Australians: A National Community Survey,
https://www.liebertpub.com/doi/10.1089/lgbt.2020.0178

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プロフィール

周司あきら

(しゅうじ・あきら)
主夫、作家。著書に『トランス男性による トランスジェンダー男性学』(大月書店)、共著に『埋没した世界 トランスジェンダーふたりの往復書簡』(明石書店)、『トランスジェンダー入門』(集英社新書)。

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