ガザを想う 帝国の智慧と欧米のダブルスタンダード

集英社新書『一神教と帝国』刊行記念コラム
中田考

内田樹先生、山本直輝先生との共著『一神教と帝国』を上梓した中田考先生。イスラエル・ハマス紛争をめぐる問題の淵源について、イスラームの観点から深くとらえる論考を寄稿いただきました。

奥行きのあるトルコのイスラエル批判

 ガザは旧約聖書にも名前が登場する(ふる)い町です。「ヨシュア記」によると預言者ヨシュアがガザの地を奪っていますし、「列王記上」にはソロモン王がガザの地を治めたと記されています。

 7世紀にはアラビア半島にイスラーム勢力が勃興すると第二代正統カリフ・ウマルの時代にシリアはイスラーム帝国に組み込まれ、それ以来、ガザのアラブ化、イスラーム化が進みます。そして16世紀にオスマン帝国がマムルーク朝を滅ぼし、シリア、エジプトを支配下に置きスンナ派イスラーム世界の盟主となるとガザも他のパレスチナの地と同じくオスマン帝国の支配下となりました(1516―1917年)。

 オスマン帝国の崩壊後、パレスチナはイギリスの委任統治領となりましたが、イギリスはオスマン帝国の土地法をそのまま引き継いだので、理論上は現在もイスラエルではオスマン帝国の土地法が生きています。また民法のレベルでもイスラエルでオスマン帝国民法「メジェッレ」が廃止されたのは1984年で、廃止後もその影響は様々な分野で残っており、オスマン帝国の多くの法律が現行のイスラエルの法律に組み込まれています。特に宗教に関しては、イスラーム教徒や各宗派のキリスト教徒などの宗教共同体が宗教の自治を享有しそれぞれの宗教法廷を有するオスマン帝国のイスラーム法的宗教多元制度(ミレット制)に基づくラビ法廷と市民法廷の混合裁判所の存在が「世俗的宗教国家」としてのイスラエルの国体の根幹をなしています。実はそれも当然でした。イスラエルの初代首相ベン・グリオンをはじめ多くの建国の祖たちはオスマン帝国の法学校の卒業生だったからです。

 ガザの人口は約200万人ですが、ガザのハマス政府保健省の発表によると10月7日のイスラエル襲撃以来11月26日までにガザでは5500人の子供を含む14500人以上が殺されています。多くの遺体ががれきの山に埋まっており正確な数の把握は困難ですが、世界保健機関(WHO)はこの統計を疑う理由はないと述べており、なによりもSNSやメディアから、イスラエルの攻撃でパレスチナ人が殺され、病院や住居が破壊される悲惨なガザの映像がリアルタイムで流れ続けており、イスラエルの蛮行の凄まじさは疑う余地がありません。10月7日のハマスのイスラエル襲撃による死者は1200人ですが、現在ではそのうちかなりの数がイスラエル人が人質になるのを防ぐための殺害を許可する「ハンニバル指令」によってイスラエル国防軍によって殺されたことも明らかになっています。

2023年12月20日、イスラエル軍の攻撃で廃墟と化したガザの町。写真=ロイター/アフロ

 欧米が口を極めてロシアの残虐性を非難したウクライナ戦争でも、人口4千万人のウクライナでの2022年2月から2023年8月までの1年半の間の民間人の死者が10049人、子供はそのうちの499人である、とウクライナ検察が発表していることからも、人口200万人のガザで2ヵ月弱の間に5500人の子供を含む14500人を殺害したイスラエルの残虐さは際立っています。

 イスラエルによるガザでのパレスチナ人虐殺は、欧米と日本を除く世界のほとんどの国がジェノサイドであるとして即時中止を訴えていますが、中でも歯に衣着せず舌鋒鋭くイスラエルを批判しているのがトルコです。それはトルコがオスマン帝国の継承国家であるとの自覚があるからで、それがトルコによるイスラエル批判を奥行きがあるものにしています。そこで本稿ではトルコのイスラエル批判を手掛りに問題の真相/深層に光を当てたいと思います。

国連を機能不全に陥らせてきたのはアメリカ 

 トルコのエルドアン大統領は、イスラエルのパレスチナ人虐殺を非難し即時停戦を訴え、欧米諸国は自分たちがユダヤ人の民族浄化(ホロコースト)を行った負い目からイスラエルへの非難を控えている、と欧米を批判しています。しかし実は問題の根本はキリスト教がローマの国教になって以来、ナチス・ドイツによるホロコーストに至るまで、ユダヤ人を差別し間歇(かんけつ)的に迫害し続け、ナチス・ドイツが滅びると、責任を全てナチスに押し付け、キリスト教ヨーロッパ諸国における異分子であるユダヤ人を追い出しパレスチナに押し付けることで「ユダヤ人問題」を解決しようとしたことにあることを指摘しているのです。

 また「イスラエルは便利に利用されているだけで用が済めば切り捨てられる駒である」とのエルドアン発言は、欧米諸国が、オスマン帝国を滅ぼすために帝国内のスラブ系諸民族、ギリシャ人、アラブ人、クルド人などの諸エスニシティ集団にナショナリズムを植え付け叛乱(独立運動)を焚き付け「テロリスト」に仕立て上げて、オスマン帝国への「テロ」活動を指嗾(しそう)したことを承けています。しかしオスマン帝国が滅び第一次世界大戦で勝利すると、欧米(英仏)はクルド人やアラブ諸国の独立への約束は反故にし、委任統治の名の下に植民地支配を続けました。そしてイギリスはアメリカを戦争に引き入れるために、ユダヤ人貴族院議員ロスチャイルド卿を通じてアメリカのシオニスト機構に、勝利の暁にはユダヤ人がパレスチナに入植地(National home)を持つことを認める約束をしました。その結果としてアラブの独立を先送りして、イギリスの委任統治下でパレスチナにユダヤ人の入植地を増やしていったことが現在のイスラエル/パレスチナ問題の発端になっています。

 11月13日にイスラエルのヨルダン川西岸における入植は違法であり和平の障害となっているという国連総会決議が賛成145、反対7で採択されましたが、反対したのはイスラエル以外ではアメリカ、南太平洋島嶼3国、カナダ、ハンガリーだけでした。翌14日トルコ国会議長ヌマン・クルトゥルムスが「国連はゴミ箱に捨てられた機能不全の組織」と酷評しました。これは拒否権を持つ国連安全保障理事会常任理事国アメリカが必ずイスラエルを無条件に支持してイスラエルに対する安保理制裁決議を通させないので、国連がイスラエルのいかなる無法行為も止めることができないことを指しています。事実、12月8日には安保理理事会は人道目的の即時停戦を求めるアラブ首長国連邦が提出した決議案を採決しましたが、理事国15カ国のうち13カ国が賛成したにもかかわらずアメリカの拒否権発動で廃案になっています(英国は棄権)。

 ウクライナ戦争で、常任理事国のロシアの拒否権でロシアに制裁が科せられないことで、欧米は国連の機能不全を言い立てましたが、アジア・アフリカの国々の大半はロシアに対する欧米と日本のロシア制裁に同調しませんでした。アジア・アフリカ諸国のこの醒めた態度の背景には、これまでも国連加盟国の総意を無視して拒否権を使って国連を機能不全に陥らせてきたのはイスラエルへの制裁案を全て葬ってきたアメリカであることが周知の事実だったからです。

 実はアメリカの「異常な」イスラエル支援(偏愛)は世俗的合理性では説明できない「異常な」理由によるところが大きいのです。それがイスラエル国家の建設は聖書に予言された最終戦争によるキリストの再臨と世界の終末の前兆であるとみなし、イスラエルのメギドの丘で最終戦争(ハルマゲドン)を起こすことでキリストを再臨させようと望んでいる「クリスチャン・シオニスト」と総称される危険なカルトの存在です。クリスチャン・シオニストは統一教会などとは比べ物にならない危険なカルト集団ですが、彼らもイスラエルのためではなく、自分たちの宗教的信念のためにイスラエルを利用し、イスラエルだけではなく全世界を最終戦争に巻き込もうとしています。ちなみにイスラエルにまで行って、ガザに落とされる爆弾に「イスラエルよ永遠なれ」などと日本語の祈りの言葉を嬉々として書き込む動画が世界中に配信されて有名になった日本の極右カルト「キリストの幕屋(まくや)」もこうしたクリスチャン・シオニストの変種です。

撮影=三好妙心

殺害、拘束、拷問などの人権蹂躙を正当化する「テロとの戦い」

 それだけではありません。今日の国連の機能不全と国際秩序の崩壊に対して、イスラエルとのこの「異常な関係」よりも更に重大な責任をアメリカは負っています。それは9・11に対して当時のブッシュ大統領が戦時国際法に規定のなかった「対テロ」戦争という危険なスローガンを掲げて、実体の分からない「テロ組織」を相手にするとの口実で、アフガニスタン、イラクに侵攻し、犯罪の捜査もせず証拠もないままに裁判もなく民間人を一方的にテロリストと決めつけ殺害、拘束、拷問などの人権蹂躙を行うことを正当化したことです。

 このブッシュの「対テロ」戦争以降、ロシアや中国のような権威主義国家だけでなく、自称「自由民主主義国家」でも、権力に抗う集団を「テロリスト」と呼び、政敵に「犯罪者」の烙印を押した上で「テロリストとは交渉せず」のスローガンを掲げることで、不正な権力に対する正当な批判をも封殺し、それでも抵抗を続ける者は捜査令状も裁判もなく拘束、監禁、暴行、拷問、殺害する道が開かれてしまったのです。

 イスラエルは死刑を廃止していますが、「テロリスト」のレッテルさえ貼れば、捜査も逮捕も裁判もなくどんな人権蹂躙でも可能であり、幼児や小学生でもいつでもどこでも射殺、爆殺することができます。それが現在ガザで起こっていることです。そしてそれは今にはじまったことではなくイスラエルのパレスチナ占領地では日常的に起こっていることです。今回のガザ戦争はそれが可視化されたものに過ぎません。イスラエルの人権組織B’TSELEMは2000年以降2023年9月末までのイスラエルによるパレスチナ人殺害とパレスチナ人のイスラエル人殺害を完全データベース化しています。それによるとパレスチナ人側の死者が10672人であるのに対してイスラエル人の死者は1330人ですが、イスラエルはパレスチナ側の暴力を「テロ」と呼び、その8倍のパレスチナ人の死を「自衛」として正当化しています。

 ブッシュの「対テロ」戦争を容認してからの欧米主導の「国際秩序」、「自由民主主義国家」の正体は、自分たちの既得権、現行の秩序の不正な利権構造の既成事実に異を唱える告発者を「テロリスト」と呼ぶことで都合が悪い批判を封殺し、それでも抗い続ける者は物理的に抹殺しておきながら、口先では「人権」を唱えて自分たちの「西洋文化」の押し付けを拒否する異文化の他者を抑圧的に支配するダブルスタンダードの「仮面をかぶった文化植民地主義者」に過ぎません。

ガザが可視化するこの世界の矛盾

 アジア・アフリカの富を収奪し民を搾取する欧米諸国(+「名誉白人国家」日本)が、国境という牢の檻によってそれ以外の国々からの人間の自由な移動を禁ずることで成り立っている「領域国民国家システム」は巨大な牢獄です。「天井のない監獄」と呼ばれるガザと今そこで起こっているイスラエルによる人権侵害は、ナショナリズムや人権などの美辞麗句によって隠蔽されている世界の不正、矛盾を拡大し、顕微鏡で見るように解像度をあげて可視化して我々の眼の前に突き付けたものなのです。

 トルコのガザへのメッセージはイスラエルと欧米への他責的批判だけではありません。クルトゥルムス国会議長は、前述の国連批判の前に「イスラエルの最大の強みはイスラーム世界の弱さ、イスラーム世界の不統一と無秩序のイスラーム世界の現状である」とイスラエル建国の責任が誰にあったのであれ、現在進行形のイスラエルによるガザでの蛮行を許しているのは、イスラーム世界の盟主カリフをいただくオスマン帝国を滅ぼし西欧の領域国民国家システムに取り込まれて分裂して内紛により力を殺がれて無力化されている自分たち自身にあることをムスリム諸国民に向けて訴えているのです。

 なるほどサウジアラビア、アラブ首長国連邦、エジプトなどはイスラエルのガザのパレスチナ人の虐殺を非難しパレスチナの独立の支持を口にしています。しかしその本意はパレスチナ人のためではありません。つまり「パレスチナ人はパレスチナを出るな、パレスチナ“難民”を自国には決して受け入れない」との宣言であり、批判の矛先が自分たちに向かうのを恐れて、前もってイスラエルによるパレスチナの不法占拠に目先を逸らせるためにおこなった目くらましの宣言に過ぎません。

 人類と大地を既得権者たちが支配する抑圧的カルテルの手から解放し、言語や民族や宗教の違いを超えて、法の支配の下に全ての住民が生命と財産の安全を保障されて域内のどこにでも移動、移住することができるイスラームのカリフ制の理念によってしか、ユダヤ人とパレスチナ人の公正な共存はありえません。それが多様な言語、民族、宗教が混じり合った多元的エスニシティ集団の共存のシステムであったオスマン帝国の継承国家トルコからの、ガザの悲劇の解決を目指す世界の全ての人々に向けられたメッセージなのです。

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プロフィール

中田考

(なかた・こう)

1960年岡山県生まれ。イスラーム学者。東京大学文学部卒業後、カイロ大学大学院文学部哲学科博士課程修了(哲学博士)。在サウジアラビア日本国大使館専門調査員、山口大学教育学部准教授、日本学術振興会カイロ研究連絡センター所長、同志社大学神学部教授、同志社大学客員教授を経て、イブン・ハルドゥーン大学客員教授。著書に『イスラーム 生と死と聖戦』『イスラーム入門』『一神教と国家』(内田樹との共著、集英社新書)、『カリフ制再興』(書肆心水)、『タリバン 復権の真実』 (ベスト新書)、『どうせ死ぬ この世は遊び 人は皆 1日1講義1ヶ月で心が軽くなる考えかた』(実業之日本社)他多数。2024年2月に『神論』(作品社)刊行予定。

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