NHK連続テレビ小説『虎に翼』が本日最終回を迎えた。『虎に翼』の作者・吉田恵里香は女性差別だけではなく、「朝鮮問題」などさまざまな社会的な話題を本作に盛り込んだ。
朝鮮半島地域研究者の小針進氏が独自の視点でその魅力とこれまでの朝ドラとの違いを綴る。
「とらつばロス」、「トラつばロス」、「虎つばロス」・・・こんな言葉がネット上で散見される。『虎に翼』の放映が9月27日に終わり、「もう見られなくなる」という喪失感(loss)を発信している人が多いのだ。言うまでもなく、『虎に翼』は伊藤沙莉がヒロイン佐田寅子役を演じた、日本初の女性弁護士の一人をモデルにしたNHK連続テレビ小説(朝ドラ)である。
朝鮮半島を研究対象としている筆者も、「とらつばロス」を覚悟している。所々で「朝鮮問題」が扱われ、主役と密接な役柄の主要人物としてコリアン(崔香淑=汐見香子)が終始登場し、ハングル文字がこれほど画面に出てきた作品は、これまでなかったからだ。61歳の筆者は、物心ついた頃からほとんどの朝ドラを熱心に見てきたが(90年代にソウルで生活していた時期も、衛星放送で欠かさず視聴)、関東大震災での朝鮮人虐殺といった深刻な話題に触れながらも、エンターテイメント性が満載の作品は初めてだったような気がする。しかも、寅子の学友ヒャンちゃんこと崔香淑役を韓国の俳優(ハ・ヨンス)が演じ、その兄、闇市のおばさん、放火犯容疑者とその弟など、他のコリアン役なども、本国や在日のコリアンが演じ、当事者性も感じられたのだ。
それだけに、視聴者たちによるSNSでの書き込みを見ると、「朝ドラ=朝鮮ドラマだ」と揶揄する声や、設定への反発や露骨な嫌悪感の吐露もあった。その一方で、ハ・ヨンスの好演ぶりから、「人生で初めて韓国人に好感を持った」といった書き込みも見られた。「#ヒャンちゃん」で検索すると、圧倒的にポジティブなポストが多い。
全体として、ドラマを「娯楽」として楽しみながらも、「朝鮮問題」を真摯に考える少なくない人々がいることが感じられた。コリアンへの贖罪や同情もあれば、新たな気づきへの驚愕や共感、知的好奇心の発露、違和感の表明、ヘイトではない真っ当な批判や苦言もあった。ヒャンちゃんの娘が、その血筋を理由に恋人から別れを告げられたと言い、「どうしようもない男」とその恋人を断罪して終わるシーンについて、「批判されるべきは、その男ではなく、朝鮮人差別がはびこっていた当時の社会ではないか」という深い指摘にはハッとした。
これはK-POPを「娯楽」として楽しみながらも、日韓間の外交問題に関して議論を交わす周囲にいる大学生の姿とも重なる。政治や歴史問題にどう向き合うかを葛藤する韓国文化好きの若者たちの話を、ジャーナリストの大貫智子との共著『日韓の未来図 文化への熱狂と外交の溝』(集英社新書)で詳述した。もちろん、K-POP好きのすべての大学生というわけではないが、あっけらかんと韓国カルチャーを楽しんでいる若者ばかりではないのだ。
ところで、『虎に翼』の放映期間は、日韓間の政治・外交関係が安定している時期であった。たとえば、この間に岸田文雄総理と尹錫悦大統領は3回も対面で公式に会っている。ここで想像するのだが、安倍晋三-文在寅両政権下のように「戦後最悪の日韓関係」などといわれ、嫌韓感情が溢れていた時期に、このドラマが放映されていたら、視聴者からどのような反応があったであろうか。今回も散見された「所々で韓国とか朝鮮とか入れるな」といった反発が、もっとたくさんあったのではないだろうか。心穏やかに見られない人が続出したかもしれない。
NHKは「世論」に敏感な媒体だ。たとえば、紅白歌合戦である。「韓国勢」の参加推移を見ると、2011年は3組(東方神起、KARA、少女時代)だったが、李明博大統領(当時)が竹島に上陸した2012年はゼロになった。この年は「韓国人歌手は音楽ソフト会社にとってはドル箱」(『日経産業新聞』2012年12月7日付)と言われるほどだった時期だったにもかかわらずである。「政治・外交対立により隣国の大衆文化を楽しむことを好ましく思わない空気感を、NHKは重視したのであろう」と、筆者は前出の集英社新書に書いた。いわゆる徴用工問題などで政治・外交関係が緊張した2018年と2019年も、1組(いずれもTWICE)だけだった。ところが、岸田-尹錫悦両政権下となった2022年が5組、2023年が6組となった。
もしかしたら、2012年や2018~2019年であったらば、『虎に翼』での「朝鮮問題」の扱いは異なるものであったか、放送がしづらい環境であったのではないかと勝手に想像するのだ。言い換えれば、政治・外交関係の安定期であったからこそ、「朝鮮問題」を所々にまぶした朝ドラを、心穏やかに楽しめたといってよい。
2年前に放映された朝ドラ『ちむどんどん』は、沖縄の人々を中心に描かれた作品で、俳優たちの熱演にもかかわらず、SNS上では沖縄をめぐる社会性のある議論を提供する現象を生まなかった。当時、「沖縄復帰50年という節目の作品だったが、復帰後の沖縄の変化などはほとんど描かれなかった」(碓井広義「週刊テレビ評:『ちむどんどん』最終盤だけど… 愛せなかった困った人物たち」、『毎日新聞』2022年9月17日付夕刊)という、メディア文化専門家の評価が印象的だった。
これとは対照的に、『虎に翼』は共感できる多様な登場人物の行動を通じて、戦前・戦中・戦後を通じて変化したこと/変化しないことが描かれ、「朝鮮問題」を含めた社会性がある多様な話題を人々に提供した作品だったことは間違いない。
(敬称略)
『虎に翼』公式サイト : https://www.nhk.jp/p/toranitsubasa/ts/LG372WKPVV/
プロフィール
(こはり すすむ)
1963年、千葉県生まれ。朝鮮半島地域研究者。外務省専門調査員などを経て、静岡県立大学教授。著書に『韓国と韓国人』『日韓交流スクランブル』、編著に『崔書勉と日韓の政官財学人脈』など多数。