能力主義を超え、「半身労働型社会」の実現を!

勅使川原真衣×三宅香帆 『働くということ』刊行記念
勅使川原真衣×三宅香帆

「問いを立てる」のが批評家の仕事

勅使川原 さて、三宅さんは批評の仕事をされる以前はリクルートにおられたんですね。

三宅 はい。ウェブマーケティングの仕事をしていました。もともとは大学院で万葉集を研究していて博士課程まで行ったんですが、そのころにアルバイト先の書店でブログ執筆を担当したのがきっかけで、書評の仕事を始めたんですね。それで、これを続けるならアカデミックの道に進むよりも、副業OKな会社に行ったほうがのびのび書けるんじゃないかと感じて、就職の道を選びました。

 会社員生活はとても楽しかったんですが、そのうち「体力的に兼業は続けられないな」という感じになってきて。だったら、チャレンジできるのも今のうちだし、1回「書く」ほうに専念してみるか、と思って退職しました。よく「万葉集からリクルート、さらに批評家にって、なんだか謎のキャリアですね」なんて言われるんですが。でも批評の仕事が好きなので、今の道に進めてとても嬉しいです。

勅使川原 じゃあ、改めて聞きたいんですが、批評家って何をする人なんですか?

三宅 大きな話でいうと、私の理解では、批評とは「世の中にアジェンダ設定すること」が仕事だと思っています。アジェンダとはつまり、社会で議論されるべき問いをつくること。『なぜ働いていると本を読めなくなるのか』もそうですが、これまでそれほど深く考えられていなかったことを改めて「問い」として設定することで、みんな「たしかに、なんでだろう」と考え出したりするじゃないですか。

 そんなふうに「これってあまり指摘されていないけど、大事なんじゃない?」という切り口で問いを立てていくと、意外と世間の議論が盛り上がる。その議論の下地を作ることを日々やっている気がします。私の場合はフィクションから議題を見つけることが多いですが。

勅使川原 すでに発表されている作品を通じて問いを立てるわけだから、思想家とはまた違うわけですよね。

三宅 違いますね。「この思想が正しい」と主張するのではなく、ある作品を読みながら「今こういう議題が必要なのでは」と問いを提示していくイメージです。

勅使川原 でも、今の時代は「問い」だけじゃなくて「答え」が必要とされるんじゃないですか。

三宅 そうなんです。だから、時代に逆行して頑張っています。自分の本では、いつも自分なりの答えを出すことは意識しているのですが。

文学研究と批評の違いとは?

勅使川原 もう一度アカデミアの分野に戻って、誰かの指導を受けたらどうなるんだろう、という気持ちが起きたりはしないんですか。

三宅 私は文学研究における「解釈」と、批評分野における「解釈」って違うと思っていて。自分は「批評の解釈」のほうが好きだなと思ったんです。

 つまり、アカデミアの世界ってやっぱりエビデンスを重視するでしょう。10人いたら9人が「こうだよね」と思うものを、エビデンスを持ってきて10人に納得させるのがアカデミアにおける解釈だと思うんです。でも私は、10人のうち7人が「違うんじゃない?」と思っているような解釈を文章にして、それによって7人中5人くらいを説得して「こっち側」に引っ張ってくるくらいが面白いと思っているんですよ。それだと5人はまだ説得しきれないまま終わるのですが、そこから先は別の人の仕事かなと。

 これはアカデミアではやれないし、やらないほうがいい。だから、私の好みややりたいこと的には、やっぱりアカデミアの文学研究ではなくて批評なんだと思います。

勅使川原 なるほど、すごく面白いですね。こんな話をしていたら、批評家志望が増えちゃうんじゃないですか。

三宅 増えてほしいです。批評って今、嫌われまくってるので(笑)。

勅使川原 やっぱり「答え」があるほうが好まれるから?

三宅 そうですね。「私はこう読みました」と言っても、「それは単なるあなたの感想では?」と言われてしまう時代なので(笑)。でも、エビデンスが出せる問いばかりだと、ある程度みんなが同じ結論になる内容しか書けなくなり、つまらないんですよね。論文ってそういうことなのですが。解釈の余白がないほうがいい。でもそれだと「私がやらなくてもいいか」と、モチベーションもなくなってしまう。勅使川原さんの場合は、「書く」モチベーションはどこにありますか?

勅使川原 そこは、三宅さんにちょっと似てるかもしれないですね。「みんな、気付いてないでしょう」と言いたいのではなくて、みんな実は気付いてるんだけど、でも気付いてることに多くの人が気付いていない、というものに気付かせたいのかもしれないなあ、と思います。

三宅 組織開発がご専門ですが、「組織」というものへの興味はどこから来ているんですか。

勅使川原 自分が組織人じゃないからかもしれません。学校に通っていたころから、「組織」というものには常に居づらかったんですよ。三宅さんみたいに「会社も楽しかった」とは絶対に言えないです。

 でも、それは私という人間がどうかではなくて、周りとの相性が作用してるんじゃないかと思ったのが、「組織」に関心を抱いた最初ですね。三宅さんはキャパシティというか、自分という「コップ」が大きそうだからそうでもないかもしれませんが、私はコップどころかおちょこくらいしかキャパシティがないので、すぐに周りとぶつかっちゃうんですよ。

三宅 私も組織をすぐ辞めた人間なので……。そういえば新卒一年目の時、上司に「こんなに自我が出来上がってる新入社員は見たことがない。誰かにモチベーションを上げてもらうタイプじゃないね」と言われました。それくらい自我が強めだったので、あんまり組織には向かなかったと思います。

勅使川原 自我が強いというのは、周りに合わせないということですか?

三宅 合わせないわけではないのですが、価値基準は既にはっきりしてたので、そういうことを言われてたのかな。あと、会社では隠してたつもりですが、根がとにかく頑固だったので。上司にはばれてたのかも。

 小さいときからとにかく本が好きだったのも、この「頑固」と関係している気がします。本って一冊丸ごとかけて人を説得してくれるじゃないですか。だから、親や先生が言っていることより、本に書いてあることのほうが信頼できた。

勅使川原 うわあ、それも面白いし、分かります。あんまり大きな声では言えない話かもしれないけど(笑)。

三宅 たしかに、子どもがそんなこと言い出したら、「ちょっとどうなの、それ」ってなりますよね。

勅使川原真衣さん
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プロフィール

勅使川原真衣×三宅香帆

勅使川原真衣(てしがわら・まい)

1982年横浜生まれ。組織開発専門家。東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。外資コンサルティングファーム勤務を経て、2017年に組織開発を専門とする「おのみず株式会社」を設立。二児の母。2020年から乳がん闘病中。「紀伊國屋じんぶん大賞2024」8位にランクインした初めての著書『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社)が大きな反響を呼ぶ。近刊に『働くということ 「能力主義」を超えて』(集英社新書)、『職場で傷つく リーダーのための「傷つき」から始める組織開発』(大和書房)がある。

三宅香帆(みやけ・かほ)

1994年生まれ。高知県出身。文芸評論家。京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了(専門は萬葉集)。大学院在学中に書店店長を務め、「京大院生の書店スタッフが『正直、これ読んだら人生狂っちゃうよね』と思う本ベスト20を選んでみた。《リーディング・ハイ》」が、2016年はてなブックマーク年間ランキングで第2位となる。卒業後、会社員生活をしながら執筆活動を続けるが、読書時間を求めて独立。幅広い分野で批評や解説を手がける。現在、京都市立芸術大学非常勤講師も務める。大ベストセラー『なぜ働いていると本が読めなくなるのか 』(集英社新書)をはじめ著書多数。近刊に、『「好き」を言語化する技術 推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない』 (ディスカヴァー携書)がある。

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