「全身全霊」ではなくて「半身」で働こう
勅使川原 あと、『なぜ働いていると〜』の最後に出てきた「半身で働く」論についても、少しお話ししたいと思います。読んでいて「めっちゃ分かる!」と思ったし、私なら組織にこれをどう提案するかな、なんてことも考えました。
三宅 働いている人が職場に全コミットするんじゃなくて、それ以外の場所を持てるような社会のほうがいいな、そうすれば働いていても本が読めるようになるんじゃないかなと思っていて。その一つのあり方として、「全身全霊」で働くんじゃなくて「半身」で働こう、という書き方をしてみたんですよね。
勅使川原 私は今、仕事量がかなりあって、「全身全霊で仕事」の気持ちではあるんですけど、でも当然家庭ではケア労働もしてるし、ちゃんと寝てるし……それがうまくやれているということは「半身」なのかなあ。
三宅 それだけの仕事をされつつも、ちゃんと余裕を生み出されているということですよね。私が思う「半身で働く」というのは、たとえば「週休3日制にしましょう」みたいなやり方もなくはないんですが、どちらかというと考え方の問題なんです。
たとえば、「職場に全コミットする」のが当たり前だと思われていると、それ以外の居場所を持っている人が怠けているみたいなイメージになってしまう。けど、それはおかしいのでは? と言いたかったんです。もちろん、人生のなかで一時期「全身全霊で働く」時期があってもいいとは思うんですが、スタンダードになるのはどうなのかと。
勅使川原 分かります。「仕事にすべてを捧げるのが大事だ」という「盲信」は解いていいのでは? ということですよね。
実は私自身も、「半身労働型社会の実践」みたいなことをやろうとしているのかもしれない、という気がしていて。というのは、仕事にすべてを捧げて「頑張る」ことが大事だという考え方になるのは、その仕事で自分たちが何を成し遂げようとしているのかという「成果」がきちんと定義されていないからじゃないかと思うんです。
三宅 ああ、そこが定義されていないと、「頑張る姿勢」とかが評価対象になってしまいますよね。
勅使川原 だから企業においては、何のために私たちは個人で働くんじゃなくてわざわざ会社に集っているのか、その上でどんな景色を見ようとしているのかということの言語化が、今後ますます重要になるんじゃないかと思っています。さらに、その「景色」の実現を、どんな機能を持った人たちのどんな組み合わせでやっていくのかを考えることも、すごく大事ですよね。
機能というのは能力とは違って、「どっちがすごい」「これができるほうが上」といった序列がないんです。その人が発揮しやすい、得意な機能というのは誰にでもあるはずなので、それをまず知って、その上で自分たちがやろうとしている方向性に合致させるにはどういう組み合わせがいいのかを考えるのが組織開発なんですね。
人材を開発するんじゃなくて、組織を開発する。それも、どこに答えが落ちているとか、「正しい」組織開発があるというわけではなく、現場で何が起きているのかをつぶさに観察するところからしか答えは見出せない。その積み重ねを通じて、職場でどうやって「半身」を実践していくのかという試みを、現場でさせていただいているのかなと思っています。
その人に「できること」と「できないこと」
三宅 「能力」という話でいうと、私、昔から数学がめちゃくちゃ苦手だったんですよ。どうやったらもっとできるようになるんだろうって、ずっと考えていたんですね。
勅使川原 え、それは「できるようになりたかった」んですか?
三宅 なりたくはなかったです。
勅使川原 じゃあ、嫌いなことはやってもあまり伸びないだろうし、やらなくていいじゃん、と思っちゃうんですが。
三宅 私はなかなかそう思えないんです。「苦手な科目でもこれくらいはできておくべきだ」「人は基礎教養を学ぶべきだ」みたいな感覚が自分のなかにはある。 勅使川原さんから見ると、そういう感覚はあまりなくていいのでしょうか? 好きなこと、やりたいことをやったほうが伸びるんだから、苦手なことをあえてやらなくても、という。
勅使川原 いや、もちろん三宅さんみたいに、もともとの知力や忍耐力が十分ある方はやってもいいと思うんですよ。でも、みんながみんな満遍なく高い学力やコミュニケーション能力を「良いもの」として追いかける必要はないかなと思っています。それが得意な人は必ずいるから、その人にやってもらえばいい、と。
三宅 苦手なことを無視しては生きていけない、という思い込みが自分の中にあるんですよね。『働くということ』の中に出てくる人たちもそういうところがある気がします。
勅使川原 はい。みんな、めちゃくちゃ一生懸命なんですよ。でもその「一生懸命」を、自分の能力の欠乏に向けずに頑張ったほうが、チームとしての総合力は上がるんじゃないかと思うんですね。
そう考えるようになった原点は、乳がんになって幼い子どもを抱えながら闘病生活をしたことかもしれません。やる気もあって気概もあるのに、どうしても身体が動かない。やろうとしても「できない」ことって本当にあるんだなと思いました。
そこから、もしかしたら他の人にもこういうことが起きてるのかな、今「出来が悪い」と思われている人も、本当はその人ができること、向いていることとは違うことをやらされてるだけなのかな、と考えるようになりました。以前の自分は、そのとき起きていることを「何かが欠けているんじゃないか」という視点で見るばかりで、そこに誰のどんな意図が働いているのか、それぞれの人がどんなままならない状況に置かれながら頑張っているのか、十分に観察できてはいなかったんじゃないかと感じたんです。
三宅 そこから、足りないところを指摘するのではなく、現状を肯定した上で人と人の組み合わせを考えてみる、といった方向に……。
勅使川原 そうです。多分それまでは、足りていないところを指摘して「正しい」方向に導くことにこそ価値があると考えていたんですよね。コンサルティングの中で「あなた、これが足りないですよね」と指摘して萎縮させてしまう、なんていうこともよくありました。
三宅 なかなか肯定できないところもたくさんありますが、自分の得意不得意を理解することは重要ですよね。
勅使川原 本当に。そうなんです。
三宅 現代の就活だと大学生がやりたいことがわからないと混乱してる話もよく聞きますし、それぞれの人の「できること」や「やりたいこと」とのマッチングに基づいて仕事ができる社会になったらもう少しみんな楽しく働けるのかもしれないですね。もちろん、簡単にできることではないだろうから、なんだか遠い目になってしまいますけど(笑)。
勅使川原 そうそう、マッチングなんですよ。ダイバーシティ&インクルージョンだなんだを真に目指すのなら、人を序列づけ、排除の正当化をするのではなく、今いる人に「いてくれてありがとう」の気持ちで組み合わせ、活かし合いたい。それを牧歌的だとか、理想論だとか言う人もいますが、誰も見たことのない「能力」を追いかけ続けることの虚構性のほうがよほど現代のおとぎばなしだと思うので。今日は会場まるごと楽しく溶け合うお時間を、誠にありがとうございました。
撮影/野本ゆかこ
構成/仲藤里美
プロフィール
勅使川原真衣(てしがわら・まい)
1982年横浜生まれ。組織開発専門家。東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。外資コンサルティングファーム勤務を経て、2017年に組織開発を専門とする「おのみず株式会社」を設立。二児の母。2020年から乳がん闘病中。「紀伊國屋じんぶん大賞2024」8位にランクインした初めての著書『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社)が大きな反響を呼ぶ。近刊に『働くということ 「能力主義」を超えて』(集英社新書)、『職場で傷つく リーダーのための「傷つき」から始める組織開発』(大和書房)がある。
三宅香帆(みやけ・かほ)
1994年生まれ。高知県出身。文芸評論家。京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了(専門は萬葉集)。大学院在学中に書店店長を務め、「京大院生の書店スタッフが『正直、これ読んだら人生狂っちゃうよね』と思う本ベスト20を選んでみた。《リーディング・ハイ》」が、2016年はてなブックマーク年間ランキングで第2位となる。卒業後、会社員生活をしながら執筆活動を続けるが、読書時間を求めて独立。幅広い分野で批評や解説を手がける。現在、京都市立芸術大学非常勤講師も務める。大ベストセラー『なぜ働いていると本が読めなくなるのか 』(集英社新書)をはじめ著書多数。近刊に、『「好き」を言語化する技術 推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない』 (ディスカヴァー携書)がある。