戦乱と帝国の間で生き抜くための新しい世界観を求めて【前編】

内藤正典×釈徹宗 対談

   
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内藤正典氏『限界の現代史 イスラームが破壊する欺瞞の世界秩序』(集英社新書)と釈徹宗氏『異教の隣人』(晶文社刊)のダブル刊行記念として、ふたりのトークが行われた。折しも、10月にはトルコのサウジアラビア大使館内でのジャーナリスト殺害事件、シリアで武装勢力に拘束されていたジャーナリストの安田純平さんが解放されるなど、中東をめぐるニュースが相次いだ。また、国内では入管法改正案が議論を呼んでいる。そんな最新のニュースにも触れつつ、いまの日本に必要な世界観を語り合う。「転ばぬ先の杖」対談。構成=村田活彦

(2018年11月15日スタンダードブックストア心斎橋店での対談より採録)

 

第二次世界大戦後の秩序が壊れてきている

内藤 今日は釈先生との対談ということで、私にとって大変うれしいイベントになったことをまず感謝申し上げます。

『限界の現代史』にも書きましたが、第二次世界大戦の後につくられた秩序があちこちで壊れてきてしまっている。例えば国際連合も第二次世界大戦の後につくられたわけです。もうひとつ、欧州連合(EU)も簡単に言ってしまえば、ドイツを敵扱いし続けるのはやめようということで、ヨーロッパの国々が国境も含めて垣根を低くすることでひとつになる、新たな秩序をつくろうとしたのですが、これも崩壊寸前、と言うと怒られますけど、イギリスは出ていってしまうわ、東ヨーロッパの国はそっぽ向いてしまうわ、メルケルさんはレームダック(死に体)と化すわ、明るい話題がありません。フランスのマクロン大統領も偉そうなことを言っていますけれども、あの人も国内の支持率がガタ落ちの状態です。そうすると国の垣根を超えて一つになろうどころではなく、みんな内向きに戻ってしまったのですね。

 その中でアメリカというのは、ある意味、国際協調路線もできるし、巨大な力で他国をぶん殴ることもできる存在でしたがトランプのような大統領はこれまで出てきたことがなった。そして、彼はいきなりこれまでの秩序そのものを破壊し始めたのです。

 さらに日本に目を転じると、とんでもないことになっているのは、外国人労働者の受け入れの話。別に好き嫌いで言っているのではありませんが、なんの準備もしていないところに、安倍政権はあと5年間で34万5千人を受け入れると言い出したのですね。これをやってしまうと、ヘイトスピーチの問題などが激しくなることは目に見えています。そもそも政府が長年にわたって「絶対やらない」と言っていたはずのことを突然やろうというのですから、右翼を自認する人たちは安倍さんに裏切られたということを少し自覚したほうがいいと思います。これもある意味、国のいままでの既定路線や形を破壊しようとしていることにほかなりません。

 そんな中で今回、釈先生の『異教の隣人』(晶文社刊)という本を読ませていただいて、私にとっても目からウロコだったのですが、世界のさまざまな背景、さまざまな宗教の信仰を持っている人たちが現実に日本で、既に我々の隣人として存在していることを伝えています。イスラーム教徒のことは私も知っていましたけれども、エジプトのコプト(正教会)など、キリスト教の正教会というのは、ほとんどの日本人は知らないですよね。

 普通、日本では異文化とか多文化と言ったときに民族のほうを強調しますね。これはもちろん歴史的な経緯もあって、それが間違っているわけではありません。ただ他方、宗教や信仰を軸にした異文化というのは、実は私たちは関心を払ってきていないのですね。この後者に注目されたのが、釈先生ならではのアプローチだと思いました。

 後でお話しする機会があると思いますけれども、イスラームについてはほとんどが政治的なこと、暴力の話でしか報じられることがない。ふだんの素顔というものをまったく知らない。ましてや、釈先生が取り上げておられたベトナム仏教というのは、仏教の中にそういうものがあることさえ、おそらくほとんどの日本人は知らないままですよね。

 まさにいま、ここで外国人労働者の導入ということになりますと、こういう人たちが隣人としてあふれてくるわけです。その中で、ちょうど釈先生のご著書が世に出たというのは非常に画期的なことだと思います。

 ありがとうございます。『異教の隣人』はもともと毎日新聞の連載で、日本にある外国人のみなさんの様々な信仰の現場を訪ね歩きました。そこでよくみなさんが言われるのは、本国にいるときよりも日本で暮らしてからの方が信仰が強くなった、ということでした。例えばブラジルから来られた労働者の方は、ブラジルにいるときは真っ赤なモヒカン頭で顔中ピアスにして、教会に通うこともなかったと言うのですね。

 外国で暮らすには、やはり自分の足場や集う場所が必要なのでしょうし、そういうものなしに人間はなかなか生きていけない。異郷でそうした場を一所懸命構築しようとしている人たちに、このことを教えられました。

 逆に考えると、かつて日本から海外に移り住んだ人たちも、きっとそうやってコミュニティや場をつくってきたことでしょう。人間にはある種の宗教的な場というものが必要なんだと思うのですね。これは根源的な問題だと思います。

 集まっている人がみんな信心深いかというと、そうでもないのですよ。「行けば本国の言葉が聞ける」とか「料理が食べられる」くらいの軽い気持ちで集まっている。でも、少なくともその場に身を置くことによって、明日からまた厳しい日本社会を生きていく活力を充電している。そんな感じを、どこに行っても受けました。

内藤 すごくよくわかります。この『限界の現代史』で対象にしたのはイスラーム教徒ですけれども、私は長いことドイツ、オランダ、フランス、スウェーデンなどヨーロッパにいる外国人労働者の研究をしていました。労働者といっても実際はすでに長く住んでいる移民の方たちが主な対象ですが。いちばん多いのはイスラーム教徒です。出身地は北アフリカから中東にかけて。あるいはイギリスの場合ですと、インド、バングラディシュ、パキスタンなどが多いですが、その人たちが世代交代するにつれて、実は信仰心が深くなっていくんですよね。

 

世俗主義、啓蒙主義の限界

 そこに危うさもきっとありますよね。

内藤 そうなのです。それに最も激怒したのがフランスです。フランスは国自体がものすごく政教分離を徹底した世俗主義の国であるという大原則(ライシテ)を持っています。個人が宗教的な衣装で公の場所に出ることもできません。罰金を課せられます。

釈 そうなんですよね。脱げと言われる。

内藤 日本のお坊さんも袈裟なんか着ていたらだめなのです。ただ、フランスでは仏教徒は少ない。いちばんのターゲットになったのは、イスラーム教徒の女性(ムスリマ)です。ムスリマが髪の毛や頭部を覆う。これはもちろんイスラームの教えから来ていますが、ご本人たちは人の尊厳を守るものだと思っているのです。

 ところが、フランスは一切それを認めないのです。「これは暴力的なイスラームの過激派の象徴だ」と。ムスリマは、海水浴に行く場合でもやっぱり全身を覆っておられる。これは本人が泳ぐためではなく、子供が泳いでいるのを見守るために浜辺にいるわけですが、そこへ警官がやってきて「ビーチは公共の場であるから、おまえそれを脱げ」と言うのです。これは間違いなくセクシュアルハラスメントですが、国家が公権力を行使してまでそういうことをやってしまうのがフランスの現状です。ここまでギスギスしてしまうと、言われている方が反発するのは当たり前なのですね。

釈 その意味では、『限界の現代史』でも先生が指摘されていますが、世俗主義の限界が来ているということですね。かつて1950年代、1960年代ぐらいの社会学では世俗化論が花盛りで、これからどんどん宗教は表舞台から撤退していくと言われていました。僕が大学生のときも、そういう講義をする先生がおられました。

 ところが、大方の学者の予想に反して、むしろ現代人は宗教を求め始めるわけですよね。そうすると、まさにポスト世俗主義といいますか、世俗主義や啓蒙主義の限界が見えてきているような状況ですね。

 啓蒙主義は、基本的には格差を食い物にするみたいなところがありますよね。格差があるところに出かけていって、それを是正することを使命とする。つまり「啓蒙する側」と「啓蒙される側」との非対称によって成り立つわけです。格差がある種、世俗主義の原動力みたいなところがある。けれども、その格差はある一面であって、信仰という面から見れば、全然意味が違ってきたりする。「なぜ信仰を薄める方向へ指導されなきゃいけないのか」ってなもんです。真面目な信仰をもつ人にとって、世俗社会は全然よいものに見えないでしょうし、そもそも啓蒙主義の非対称性にプライドが傷つけられてしまう。

内藤 簡単に言ってしまえば、ヨーロッパでは、宗教を捨てないと人間が進歩しないと思っていたのです。そしていちばん先鋭的だったのがフランスですけれども、その考え方が、啓蒙主義を通じて世界中に広まるのですね。

 例えばキリスト教世界、西洋の世界で昔は、不倫は罪ですよね。実際に罰せられた。しかし、世俗主義が進むにつれて、だんだん罰せられることはなくなります。そうなったときに彼らは、人間が進歩したと受け止めるわけです。「昔、不倫を刑罰で罰していた時代は遅れた時代なんだ」「そういう〝進歩〟が普遍的なことだ」となる。いや、別にヨーロッパがどう変わろうが、それは結構ですが。それに対してイスラームでは、あくまでイスラーム法上の規定ですけれども、不倫は死刑ということになっています。実際にはほとんどなりませんよ。現実のイスラーム法の運用とはまた別の話なので。だけど、そういう信仰に基づくルールがあると、ヨーロッパ側は馬鹿にするどころじゃないです。「おまえたちは遅れているんだ、とっとと啓蒙されろ」という態度になってしまう。

 しかし釈先生がおっしゃったとおり、むしろ世俗主義が世界に行き渡った後に、やはり人間は信仰を求める。現にいま、求めつつありますよね。ですから、そういう進歩主義的な世界観というものに限界があったのではないかということを、私たちは学ぶべきだと思います。

 

安田さん解放で「身代金を払った」はありえない

釈 そうなってくると、内藤先生のお話にありますように、国民国家の形態もかなり苦しい。EUはかなり苦しい状態ですね。国連だって今までの枠組みでの理屈では、世界に目を配るというのがなかなか難しくなりますよね。

 さらに言えばこれも内藤先生の本に書かれていることでして、読まれた方はきっとドキっとされたかもしれませんが、「自由・平等・人権」という概念に限界が来ているというわけです。

内藤 「自由」って、どういう意味の自由かというのを我々はほとんど考えたことがないわけですが。個人としてどういう生きるか、それは個人が決める自由。別にそれが悪いわけでも、イスラームと衝突するわけでもないのです。しかし「平等」になってくるとだんだん怪しくなってきますよね。

 「自由」「平等」、フランスの場合にはそれに加えて「博愛」といいますが、いちばん怪しげなのが「博愛」です。普通、日本語で「博愛」といえば、「おまえのことなんか嫌いだ」って言われても「いや、そう言わないで。僕は愛しているからね」と、そういうのが博愛のイメージですよね。でもフランスのは違いますからね。むしろ「同胞愛」と訳したほうがいい。もともとの言葉は「フラテルニテ」ですけれども、「同じサークルのメンバーになったら愛してあげるよ」と言っているだけなのです。「杯を交わしたら愛してる。だけど、組に文句なんかひと言でも言おうものなら、おまえ指詰めろ」という話になる。

釈 もっとほかに穏当な喩え方はないんですか(笑)。

内藤 すみませんね(笑)。先月、ジャーナリストの安田純平さんがシリアで拘束されて、3年4カ月ぶりに解放、帰国されましたが、あのときもそうです。安田さん解放についてテレビ局の取材を受けていたら、どの局もみんな「身代金払った、払った」と言うものですから、「誰が払ったんですか?」と聞くと「カタールが払った」と言うのです。いや、ちょっと待ってくださいと。カタールはシリアのさまざまな反政府勢力を支援していましたが、いわば元締め。その傘下には素性の良い組も怪しげな組もいろいろあるわけで、人質をとったのはそのうちのひとつ。言ってみれば、傘下の組織の一つが人質をとって身代金をせしめようと、ろくでもないことをやろうとして失敗した。だからといって元締めが代わりに身代金を払うわけがないでしょうと。さすがに放送で言うには差し障りがありましたが(笑)。

釈 いや、でも、それはすごくわかりやすいです(笑)。

内藤 ですから、あり得ないのですよ、人質に身代金払ったという話は。仕方ないから番組で「ないです」と言ったら、「何でないんですか」と驚かれて。いまの説明をすると、今度は「ロンドンのシリア人権監視団のサイトを見ると、トルコとカタールが払ってやったみたいだ」と言われる。

 それで、あれは「フロント企業」みたいものだと言ったのです(笑)。シリア人権監視団はシリアの反政府勢力の企業舎弟で、仲間です。ですから「こういうルートでやれば解放されますよ」と言って、人質にとられている人を利用しているのです。

釈 ははあ。プロパガンダなのですか。

内藤 だから払う理由がないのですね。そうすると「身代金がテロ組織の手に渡った」「自己責任だ」という論理は、元がまったくでたらめだということになる。

 ですが、テレビ局側には筋書きができていて、生放送でそれを反論するのは大変です(笑)。司会が「払った」と言うのを、「それは違う」と言わなきゃいけない。そのほうが番組が盛り上がるので、ディレクターは喜んでいましたが。

 

ロシアとトルコの緊張関係と駆け引き

釈 では、別の理由で解放されたのですね。

内藤 ええ。この対談の主旨と離れますが……。戦況は、人質をとっていた組織にとっては完全に負け戦です。これ以上そこに残っていると、シリア政府軍からもロシア軍からもいずれ総攻撃を受ける。そうすると市民が巻き添えになって大惨事になる。実際にもう何回もやられています。

 そこへ最後にトルコ政府が出てきまして、エルドアン大統領とプーチン大統領が、ロシアのソチという、冬季オリンピックをやったところで今年(2018年)9月に会談しました。そして、最後の拠点になっていたイドリブ県への総攻撃をなんとか回避してくれないかと、エルドアンが頼んだのです。プーチンも同意したのですが、「そのかわり条件がある」と。あそこにいる過激派は全部武装解除した上で撤退させて欲しい、と。「出ていけ」と言っても隣はトルコですから、要するにトルコで引き取れと言っているわけですね。それでトルコの情報部(MIT)と軍はイドリブ県に入って、一つひとつ組織を訪ねて「おまえたちもう出ろ」と引導を渡していった。その過程で安田さんを見つけたのです。

 その状況では、武装組織が人質を高値で売るなんてできるわけありません。「おまえ、すぐ出ていかなかったらみな殺しにされても知らんからな」というのをトルコが言っているわけですから。

釈 もう手放すしかない、という状況にまで追い込まれたと。

内藤 手放すしかなかった。安田さん本人も会見で言っていましたが、目隠しされていたというのは、これは推測ですが、捕まえていた組織の人間もそのエリアから追い出されたから、見えちゃまずいわけです。そう説明するとわかるでしょう? ですが、外国で起きていることというのは、うっかりするとまったく知らないまま話がどんどん独り歩きしてしまう。

 もともと私がテレビ局に呼ばれたのは、サウジアラビアのジャーナリスト、カショギ氏殺害の件だったのですが。「ついでに安田さんの事件も、あなたが説明してください」ということになって、ずいぶん大変でした。

釈 それにしてもトルコって、本当にしたたかですね。あんなにロシアと仲が悪いと思っていたら、そんな取引をしているなんて。でも本来、政治とはそういうものですよね。仲が悪くて一触即発かと思いきや、突如手を握って協力する。二枚腰、三枚腰のしたたかさ、しぶとさ。

内藤 2015年11月にはトルコの戦闘機がロシアの戦闘機を撃ち落とすわ、2016年は在トルコのロシア大使がトルコのSPに射殺されるわと、普通なら戦争になっているはずなのですけどね。最後のところで何とか首の皮一枚でつながっていた。

 ただ、大事なのはここなのです。オスマン帝国の時代には露土戦争といって、ロシアとトルコは何回も戦争をしています。いまもトルコ人はロシア人を好きだなんてまったく思っていない。とはいえトルコ側にしてみれば、天然ガスの六割はロシアからの輸入です。ロシア人にとっては安くて暖かい観光地といえばトルコしかない。あとは野菜です。ロシアはウクライナと紛争状態にあるものですから、トルコ産の新鮮な野菜が入ってこなくなると、食糧事情が逼迫してしまいます。お互い相手を必要とする関係があるのですね。

 冷戦時代の同盟みたいなものは、もう世界中で成り立たなくなっています。ですから、日本ぐらいなのですよ、いつまでもアメリカにぶら下がっていれば何とかなると思っているのは。いま、北方領土問題ではロシアと妥協を図っていますよね。ですから、日本もちょっと変わってきたのかなと思っているのですが。しかし、日本の場合はどっちの方向に行こうとしているのか、まったくわからない。かなり場当たり的です。ロシアはロシアで、とにかくプーチンは皇帝みたいなものですから、何も譲る気はないわけです。日本が何もしないで二島返ってくると思うのは、ちょっと甘いのではないでしょうか。

◆中編に続く◆

 


限界の現代史 イスラームが破壊する欺瞞の世界秩序

 


 『異教の隣人』(晶文社)いま私たちの社会では、多様な信仰を持つ人たちが暮らしている。でも仏教、キリスト教ならなじみはあっても、その他の宗教となるとさっぱりわからない。異国にルーツを持つ人たちは、どんな神様を信じて、どんな生活習慣で、どんなお祈りをしているのか?イスラム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教からコプト正教まで、気鋭の宗教学者と取材班がさまざまな信仰の現場を訪ね歩き考えたルポ。寺院や教会、モスクにシナゴーグ、行ってみたら「異教徒」もみんなご近所さんに。異なる信仰と生活様式を大切にしている人たちと、真に共生していくための第一歩となる本です。

 

■著者:釈徹宗+毎日新聞「異教の隣人」取材班+細川貂々
■出版社:晶文社
■ページ数:288ページ
■価格:1,650円+税
■発売日:2018年10月26日発売
■ISBN:978-4-7949-7061-9
https://www.shobunsha.co.jp/?p=4882

 

プロフィール

   

内藤正典(ないとう まさのり)

 1956年東京都生まれ。東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科卒業。博士(社会学)。専門は多文化共生論、現代イスラム地域研究。一橋大学教授を経て、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。著書に『イスラム戦争 中東崩壊と欧米の敗北』『イスラムの怒り』『イスラム――癒しの知恵』(集英社新書)、『トルコ 中東情勢のカギを握る国』(集英社)、『となりのイスラム』(ミシマ社)他多数。共著に『イスラームとの講和 文明の共存をめざして』(集英社新書)等がある。

 

釈徹宗(しゃく てっしゅう)

 1961年大阪府生まれ。龍谷大学大学院、大阪府立大学大学院人間文化研究科比較文化専攻博士課程修了。専門は宗教思想。相愛大学人文学部教授。NPO法人リライフ代表。浄土真宗本願寺派・如来寺住職。著書は、『死では終わらない物語について書こうと思う』 (文藝春秋)、『なりきる すてる ととのえる』(PHP文庫)、『宗教は人を救えるのか』(角川SSC新書)、『早わかり世界の六大宗教』(朝日文庫)、 『いきなりはじめる仏教生活』(新潮文庫)、『落語に花咲く仏教 宗教と芸能は共振する 』(朝日選書)など多数。

 
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