戦乱と帝国の間で生き抜くための新しい世界観を求めて【中編】

「ナショナリズムは癒しを与えない」

内藤正典×釈徹宗 対談

   
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イスラーム地域研究者・内藤正典氏と、僧であり宗教学者である釈徹宗氏の対談。日本で暮らすロシア正教会やベトナム仏教の人々、あるいはヨーロッパで働くイスラーム教徒の移民たち。異国の地で暮らす人々にとって宗教とは何か、移民を多く受け入れた欧州の先例など、さまざまな例をひきながら語り合う。日本の社会の形を変えることになる入管法改正が審議不十分なまま強行採決された今だからこそ注目すべき、「異教の隣人」と上手につきあう他者共生のあり方を考える対談。構成=村田活彦

(2018年11月15日スタンダードブックストア心斎橋店での対談より採録)

 

教会も寺も、異国の土地に溶け込む工夫をする

内藤 現代ではもう、第二次世界大戦後の秩序が崩れてしまっています。以前のような西側の同盟なども成り立たなくなりました。でも、そうなるほど、個人のレベルで宗教がとても重要になる。一人ひとりの人間にとって最後の砦のような、ここだけは正直でありたいというものは、信仰にしか残らなくなっているのではないかと思います。

 ロシア正教の教会が大阪にあるのですが、ロシアから来られた人が見ると、「わあ、懐かしい」と思うんですって。日本のロシア正教の教会建築って、伝統的な古い教会らしくて。「おじいちゃんおばあちゃんの時代のあのロシアっていう感じがして、すごく温かい気持ちにもなるし、居心地がいいんだ」という風なことを言っていましたね。

内藤 この本(『異教の隣人』晶文社刊)で知りましたが、ロシア正教の教会は興味深いですね。祭壇の裏をぐるっと回ってくるとお清めになる、というようなことがあるのですね。

釈 お寺でいう胎内巡りみたいなものですよね。日本の風土とハイブリッドに展開している面もあるんじゃないでしょうか。先ほど(前編参照)おっしゃっていただいたコプト教会は、みんなで一所懸命ミサをされているのですけれど、日本では一昨年(2016年)夏から始まったところなのでまだまだ手探りなのです。日本語で聖歌を歌ってもおられます。本当に手作りで、その地に定着しようとしている。ああ、この教会はこれから成長していくのか、根を張っていくのだなというのが伝わってきます。

 それと、日本で暮らす異教の人たちは、自分たちのコミュニティで閉じるタイプと、開こうとするタイプに分かれるみたいですね。イスラームは基本的に開こうとします。何とか近隣の人たちとも仲良くしたいと考えているマスジドが多いと感じました。

 一方、ジャイナ教などは「俺たちは俺たちでやっていきます」みたいな感じで閉じていて、子供もインターナショナルスクールに入れたりしている。日本文化と折り合ったり、影響を受けてジャイナ教が日本風に変わったりということもない。だから寺院内は、まるで異国のようなムードです。

内藤 逆に、日本の仏教徒が外国に行った場合はどうですか。仏教といってもいろいろあると思いますが。

 日本の仏教が外に行くと、やはりその土地に合わせる傾向が強いですね。例えば日本でキリスト教の教会がやっているような取り組みに似ています。日曜日バーベキューをやったり、子供会を開いたり。キリスト教の教会は、お寺みたいに檀家がないですから、何とかコミュニティを作っていこうと、いろんな工夫をしています。逆に日本のお寺が海外に行くと、地域の基盤がないので、同様の工夫をすることとなります。

内藤 昔、ドイツで聞いた話ですが、クリスマスにドイツ人がイスラーム教徒のトルコ人を招待してくれるそうです。お隣さんのトルコ人は喜んで行きます。ところが逆のときが問題なのです。トルコ人がイスラームのお祭り、断食明けのお祭りや犠牲祭に隣人のドイツ人を招待すると、これは誰も来ない。別にそれで恨むわけではないのですが、どうして来ないのかわからなかったそうです。宗教が元で壁ができてしまう最初というのは、そういうことなのです。

 今回の入管法改正で外国人労働者を増やせば、当然イスラーム教徒も入ってきます。あまり知られていませんが、中国では回族もウイグル族もイスラーム教徒ですし、フィリピンだって南部のミンダナオより南へ行けばイスラーム教徒の地域です。タイでは、プーケットあたりのリゾートしか日本人は関心がないですが、マレーシア国境のほうは南部三県といってイスラーム教徒の地域で、しかも政府軍と衝突しています。ミャンマーも現在、政府から弾圧を受けているロヒンギャの人たちだけでなく、多くのイスラーム教徒がいます。

 ですからイスラーム教徒の人たちがどんな暮らしをしているのかを知るということは、日本にとってすぐ明日の問題なのです。

 外国人労働者として他の国へ行くと、最初は信仰どころではなく、まず金を稼がなければいけない。ひたすら働いているわけです。その後、ふっと立ちどまりますよね。特にご家族で定住して子供ができると、その子をどんなふうに教育するか、そのときの柱はなにか。もともと貧しい農村から来ている人が多くて、彼らが頼りにするのは信仰に基づいた道徳ということに往々にしてなります。

 インテリの人は「信仰などなくても倫理、道徳はある」と言いますが、そうではない。何が正しいか、間違っているかと考えるときに出てくるものは、信仰しかないのです。

 ところが、ホスト社会がその信仰を馬鹿にしたり、その信仰はおまえたちのもので、知ったことではないという態度をとり続けると、いつしかその違いが溝に変わってくる。そうならないためにどうするかというのは、日本にとって本当に喫緊の課題です。

 

ナショナリズムは癒しを与えない

釈 喫緊の課題だと思いますね。フランス型であれば、「とにかくうちのルールに従え、でないと仲間と認めない」というやり方です。ドイツやイギリスは、「あなたたちのやり方は認めるけれど、我々とは全然違うコミュニティ、別枠ですよ」というやり方。どちらもうまくいっていないというのが現状ですよね。

内藤 そこが難しいと思います。多文化主義という言葉がありますね。ヨーロッパでそれを実際にやった国はありましたが、基本的に「どんな信仰を持ってもいい」「どんな価値観で生きてもいい」「同じ権利を認める」いうところまではやるのですが、お互いに関心はありません。つまり多文化主義というのは、相互理解しなければいけないとはつゆほども思っていないのです。謳い文句としては良さそうに聞こえるのですが、「私は私、あなたはあなた」と言っているだけ。これは、日本の社会学者が見落とした点です。お互いの間に溝ができる前にどうするか、あるいはその溝をどうやって埋めるかということになると、まったく役に立たない。

釈 結果的に、そうしてずっと別枠扱いのまま二世や三世の世代になる。すると、「自分たちは生まれも育ちもドイツやイギリスだと思っていたのに、気がつくとまったく仲間に入れてもらえていない」という事実に愕然としてしまう。そして自分たちのアイデンティティを求め、イスラームの信仰に目覚める。時には、IS(イスラーム国)みたいな組織にすごく魅力を感じてしまう。

内藤 そうなのです。異国で自分の拠り所を考えるとき、最初はみんな「自分の民族は○○だ」と思うのです。例えば「自分はトルコ人だ」「韓国人だ」というように。しかし民族というのはサッカーの試合のとき、あるいはナショナリズムを煽るときには役に立ちますけど、心に癒しは与えません。そして実はそういう緊張から離れて、ほっとしたいと思う人が多いわけです。特に異郷で暮らす人たちの場合には。しかし、そのとき民族は役に立ちません。闘争心はかきたててくれますけれども、癒しはもたらさない。では何が癒しをもたらすか。それこそ信仰しかないのです。

釈 ええ、そうですね。ですから、ある種の宗教的な場と時間が設定され、そこに身を置かないことには立ち上がってこないものが、どうやらあるらしい。いわゆるエートスと呼ばれる行為様式や習慣が、苦しいとき意外と頼りになるようなのです。人間って、生まれ育った宗教土壌みたいなものからなかなか出られないのですよね。

 それを強く感じたのは、ベトナム難民の人たちのコミュニティです。ベトナム戦争のとき日本に来られた難民が、姫路に多く暮らしています。ところが、日本社会はなかなかきちんと受け入れることができなかった。これをサポートしたのがキリスト教の教会だったそうです。教会が門戸を開いて、彼らの安らぎの場を提供した。それは大変感謝されていますし、それを機にクリスチャンとして生きておられる方がたくさんいます。

 

イスラーム教の儀礼は世界的なつながりを実感できる

釈 ただ、教会は良くしてくださるのだけども、やっぱり違和感があるという人たちもいる。例えば、自分のお母さんのお葬式はベトナム仏教のお寺でやりたいと思ってしまう。それがやっとできた姫路のベトナム寺院のおかげで、すごくコミュニティが安定したというのですね。それまですごく荒れていたんだけれども、とても安定した。とにかく、そこに行けば、つながりがある。

 つながりが実感できるというのが、何といっても人間の根源的なところです。「ああ、つながっているな」という実感があれば、苦しいけれど明日もう一日生きよう、となるのが我々の心と体の仕組み。逆に、何ものにもつながっていない状態に置かれると、すごく過酷です。荒れて当然です。

内藤 それがいちばん不安ですよね。ヨーロッパに渡ったイスラーム教徒の場合もそうですが、そういうふうに改めて信仰に覚醒し始めるのです。そのときに受け入れる側が温かく見ていればいいのですが、それだけでは気に入らない。「なぜ第二世代になって、このフランスで神様に回帰するのだ」、と。ドイツでもイギリスでも、そういう反応を示される。どうしてそうなるのか、あるいは相手の信仰と宗教はどういうものなのかを学べばよかったのですが、学ぶ姿勢はゼロ。イスラームはヨーロッパにとってずっと脅威で、ろくでもないと思い込んでいて、イスラーム教徒の価値観がどういうものか、見ようともしなかった。

 そういう態度になってしまうと、16億人いるといわれるイスラームの中からだんだん、確かに過激な人たちも出てくるのです。でも、最初は違いますよね。彼らは、過激なものを求めて信仰に立ち戻ったのではありません。自分は何者として生きていくのかという深刻な問いに向き合ったとき、何々国の出身だというのをいくら言っても、自分は母国とのつながりがもうないのです。ないのに国家というものを持ち上げてくるのは、やはり限界がある。そんな中で、宗教に関連する儀礼的なことが、年中行事としてめぐってくる。イスラームの場合は暦が太陽暦じゃありませんから、毎年ずれていきますけれども、その中に身を置くだけで平安を得られるわけですね。

釈 そうだと思います。イスラームの場合は特に「イスラーム暦」や「アラビア語」といった共有事項が強い。世界中の人が、同じ時期に同じ儀礼を行うあの一体感たるや、大変なつながり感ですよね。あれは本当に人格そのものを形成しますし、人生を支えると思います。

内藤 ISというのは、それを政治的に極めて卑劣な形で悪用したグループですけれども、普通はそうじゃないのです。自分がドイツのベルリンにいて、いま断食をしている。同じ時に中国でもマレーシアでもインドネシアでもみんながしている、あの一体感。自分の孤独感に対して、ああ、世界はこうやってつながっているのだと感じられる。いまはみんなスマートフォンを持っていますから、互いにメッセージが届くわけです。あと何日で断食が明ける、あと何時間だ、と。もちろん時差がありますから、各地で違うわけですが。断食が明けたときには「ああ、よかった」「みんなで断食を守ることができた」という、その喜びを共有していく――。日本が本当に外国人を迎え入れるのなら、私たちはそうした感覚が存在することを学ばないといけないでしょう。

◆後編に続く◆

 

 


限界の現代史 イスラームが破壊する欺瞞の世界秩序

 


 『異教の隣人』(晶文社)いま私たちの社会では、多様な信仰を持つ人たちが暮らしている。でも仏教、キリスト教ならなじみはあっても、その他の宗教となるとさっぱりわからない。異国にルーツを持つ人たちは、どんな神様を信じて、どんな生活習慣で、どんなお祈りをしているのか?イスラム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教からコプト正教まで、気鋭の宗教学者と取材班がさまざまな信仰の現場を訪ね歩き考えたルポ。寺院や教会、モスクにシナゴーグ、行ってみたら「異教徒」もみんなご近所さんに。異なる信仰と生活様式を大切にしている人たちと、真に共生していくための第一歩となる本です。

 

■著者:釈徹宗+毎日新聞「異教の隣人」取材班+細川貂々
■出版社:晶文社
■ページ数:288ページ
■価格:1,650円+税
■発売日:2018年10月26日発売
■ISBN:978-4-7949-7061-9
https://www.shobunsha.co.jp/?p=4882

 

プロフィール

   

内藤正典(ないとう まさのり)

 1956年東京都生まれ。東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科卒業。博士(社会学)。専門は多文化共生論、現代イスラム地域研究。一橋大学教授を経て、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。著書に『イスラム戦争 中東崩壊と欧米の敗北』『イスラムの怒り』『イスラム――癒しの知恵』(集英社新書)、『トルコ 中東情勢のカギを握る国』(集英社)、『となりのイスラム』(ミシマ社)他多数。共著に『イスラームとの講和 文明の共存をめざして』(集英社新書)等がある。

 

釈徹宗(しゃく てっしゅう)

 1961年大阪府生まれ。龍谷大学大学院、大阪府立大学大学院人間文化研究科比較文化専攻博士課程修了。専門は宗教思想。相愛大学人文学部教授。NPO法人リライフ代表。浄土真宗本願寺派・如来寺住職。著書は、『死では終わらない物語について書こうと思う』 (文藝春秋)、『なりきる すてる ととのえる』(PHP文庫)、『宗教は人を救えるのか』(角川SSC新書)、『早わかり世界の六大宗教』(朝日文庫)、 『いきなりはじめる仏教生活』(新潮文庫)、『落語に花咲く仏教 宗教と芸能は共振する 』(朝日選書)など多数。

 
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