戦乱と帝国の間で生き抜くための新しい世界観を求めて【後編】

このままでは入管法改正は現代の奴隷制を生む

内藤正典×釈徹宗 対談
   

入管法の改正が議論されるなか、異なる文化や異なる宗教とどうやって共存するのか、日本にとっても喫緊の課題になっている。日本での外国人労働者の経緯やヨーロッパの先例における課題をひも解きながら、「一緒に暮らすための知恵」を探る。構成=村田活彦

(2018年11月15日スタンダードブックスストア心斎橋店での対談より採録)

 

入管法改正は現代の奴隷制を生む

 今回の入管法の改正というのは、誰の目にも具合が悪く、拙速なのは明らかです。どこが間違っているかというと、人手が足りない企業や業界のリクエストに応えているだけとしか見えない点ですね。それ以外にきちんとしたビジョンも方針も理念もない。

内藤 そうですよね。実は、1980年代後半にも外国人労働者は一度来ています。パキスタン、バングラディシュそしてイランの人たちが多かった。ところが、当時の法務省は一貫して「不法就労は犯罪です」と言った。彼らは観光ビザで日本に来て、滞在できる期間を超えて滞在していました。1980年代の後半、ご存じのようにバブルの時代ですから、やはり人手不足だったのです。実際、私は群馬県太田市で何度か調査をしました。あそこは富士重工の企業城下町ですが、一次下請や二次下請の、家族でやっていらっしゃるような零細な工場は働き手がいなかったのです。富士重工の本社工場でさえ、地元の工業高校を出た若い人が来ない。もともと一家で何代も続けて本社の工場で採用されるのは名誉なことだったのですが、もう来ない。結局、バングラディシュやパキスタンの人が働いていたわけです。

 霞が関では「不法就労は犯罪です」と言っている。だけど、地元の企業は地元選出の議員さんに頼んで、「取り締まりやらないでくれ」と言うわけです。地元は地元でもちろんわかっていますから、そこをお目こぼしにする。そのうちにバブルが崩壊して、彼らの多くは本国に戻り、あるいは日本人と結婚した人などは残りました。ですが、人手は足りない。そこで企業は、日本に里帰りのために滞在できた日系人を使い出します。

 1990年の入管法改正で日系人たちは里帰りのための滞在を延長できるようになり、実質的に定住も認められ就労もできるようになった。それで日系人の労働者が増えました。それでも足りないというので、次に編み出されたのが技能実習生。最初は研修生と言っていました。研修生だから給与を払う必要がない。勉強しに来ているのだという理屈です。あれが国際貢献だなんて、最悪のおためごかしでした。技能実習生として開かれている職種って何かご存知ですか? もちろん大事な職種です。けして貶めて言うつもりはありませんが、しかし、かまぼこや干物をつくる技術を学んだとして、たとえばネパールのような内陸国から来た人が帰ってそんな仕事をやるわけがないですよね。

 あるいは今回の入管法改正における「特定技能1号」には「ビルクリーニング」が入っています。ビルの清掃というのは、ヨーロッパで最初に外国人労働者が入ったとき、最も学歴も技能も低い人たちがやった仕事です。なぜならしゃべらなくていい、語学力が要らないからです。1960年代、ドイツに最初に入ったトルコ人労働者を調査した研究があるのですが、60%以上が半日で仕事は覚えられたと言っています。日本政府は「日本語をちゃんと勉強してもらい、技能を磨いてもらう」と言いますが、うそですよね。技能を学ぶために長い時間を要する職種は、実は開く気がない。現在の技能実習生もそうですけれども、ハイテク産業は一つも開いていないです。

 一方、採算の取れない部門でいくら日本人を雇おうとしても、誰も働きに来ない。そういう部門を潰していいとは言いませんけれども、しかし、そこに外国人を入れてしまうということは、現代の奴隷労働みたいなことをさせることにつながるのですね。

 2010年から法律を改正したので、いまは技能実習生も労働基準法と労働関係法令の適用を受けますが、もともと1993年に研修生という制度をつくったとき、政府は「研修に来るのだから、研修手当をやればいい」という姿勢でした。微々たる金額で使ったわけです。いまはもちろん最低賃金は払わなきゃいけないと言っていますけれども、当時は最低賃金を下回る、非常に悪い待遇だったのです。だから7000人も脱走してしまったわけでしょう。この問題の改善策を何もしないうちに、「とにかく人手が足りないのだから外国人労働者を受け入れる」と言う。しかもどの業種を開くか、なかなかはっきり言わない。「在留資格の中に技能という要件がありますが、その技能が何を指しているかは法律では決めません。政令等で別途決めます」と言っている。

 私は法務省の出入国管理行政政策懇談会の委員をやっていたことがあるのですが、おもしろかったですよ。在留資格の「技能」の要件が最初にできてきたとき、「珍しい料理の料理人」というのがありました。何だろうと思ったら、例えば中華料理なら、餃子とかラーメンではビザが下りない。しかし、四川省の特別な料理とか、湖南省の料理とか、そういう特徴的な能書きがつくと、技能だというのです。中には、ペルシャじゅうたんの修理職人というのもありました。誰かが業界団体を通じて頼んで、議員先生が「うん」と言ったのでしょうね。その基準はわけがわからない。今度もまたそういうことになることは、目に見えています。

 

異なる宗教と暮らす現場の知恵

内藤 海外から日本にやってくる人と仲良くするための方策はないか、これ以上の衝突が起きないために何をするかと考えてみても、今の外国人労働者受け入れ法制の議論では、市民の入る余地がまったくありません。一つはっきりしているのは、景気が後退してきた時、最初に首を切られるのが外国人労働者です。景気の調節弁にされるのです。ところが受け入れた国の人たちは必ず、「彼らが仕事を奪っているから、自国民の仕事がなくなった」と言い出します。

 その一方で、予言しておきますが、「彼らは日本の社会保障制度でのうのうと生きている」という意見が必ず出てきます。

釈 ドイツでもそんな声がずいぶん出ましたね。

内藤 ドイツでもスウェーデンでも、どこでも出てしまう。矛盾していますよね。社会保障で楽をしていると言うけれど、実は外国人労働者が最初に失業しているわけですから。その国の人々の仕事を奪うどころか、外国人が先に首になっている。ですけど、そういう冷静で合理的な判断を、受け入れた社会は絶対にやらない。

 そうやって追い詰めてしまうと、ほんとうに立つ瀬がありません。「今後、雇用環境が変わった場合には、受け入れを止めて本国に帰す」と政府は言っていますが、無理です。在留期間は最大5年と言われていたのが、1年目で急に「リーマン・ショックのような危機が起きました、帰ってください」と言われて、帰るわけがありません。帰せた国は一つもありません。ですから、話はまた戻りますが、そういう大きな変化の中で人として何が必要なのかと考えると……。だいたい、突然襲ってくる不況というのは、日本だけでなく、彼らの母国も直撃するわけで、そうなると、相対的に生活条件が整っている先進国に残ろうとするのは当然なのです。

釈 そうですね。さっき内藤先生がおっしゃっていたように、まずは相手のことを知らなければ、学ばなければいけない。現状でも相当みなさん苦労されている状態ですので、それを理解しようともせずに門戸だけ開けても、状況は悪化するだけですよね。

『異教の隣人』(晶文社刊)にも書きましたが、いま門戸を開けるのは明らかに混乱と大きな負の面を抱えることになる。とりあえず「日本は入り口は狭いけれど、中に入ればなかなか良い」というところから始めなければ。そうしながら、入り口を拡げたり、狭めたりする方策がいいと思うんですよ。

内藤 そうなのです。そのために何が必要か。1980年代に最初にバングラディシュなどの人が日本に来たとき、実際にバングラディシュの人たちと一緒に働いていた工場のパートのおばちゃんたちがいちばんよく知っていたんです。お昼のお弁当に何かつくってあげたら「いや、自分たちは豚を食べられないんです」と言われて、豚を食べない人が来たとわかったわけですよね。でも、おばちゃんたちは「ここは日本なんだから、郷に入っては郷に従え。豚を食え」などとは言いませんでした。「じゃあ明日、鶏肉で何かつくってくるから食べませんか」と話していました。大事なのはここでしょう。

釈 そうですよね。

内藤 確かにイスラームの聖典『クルアーン(コーラン)』には、ほかに食べるものがなかったら、豚肉でも食べてもいいと書いてあります。だけど、やっぱり本人たちの心持ちは嫌なわけです。そういうことを誰より知っていたのはパートのおばちゃんなのですが、その知恵というのを学者も、政治家も、ジャーナリストもきちんと集めようとしなかったのです。要するにインテリですから。この宗教だからこうなのだろう、というところから下りてこないのです。現場の人たちは実際に接していたのに、結局その知恵が集積されずに、でたらめな話がどんどん上から降ってくる。

 

外国人労働者について、参考にするならドイツ

釈 現場こそが一番のインターフェースですから。草の根的な知恵を育てていくのが大切ということですよね。2日ほど前、留学生の入試の面接官をしたのです。ベトナムの二十代後半ぐらいの女性に、受験まで何をしていましたかと聞いたら「自国にいました」と。そして、その前は日本で技能実習生として3年働いたのだそうです。その際に、あんまり良くしてもらったので、一旦国に帰って就職したけれども、どうしても再度学びたいと思って日本に来たというのですね。ああ、そういう人もいるのだ、と少し安堵しました。ひどい目に遭って逃げてしまった人もいる。けれどもそうやって温かく受け入れられた人もいる。周りのパートのおばあちゃんたちと交流して、もう一度ここで働きたい、あるいは勉強したいと思う人もいる。こういう草の根の現場を見ていかないと。政策としてトップダウンでやっても、きっとうまくいかないですよねえ。

内藤 この外国人労働者受け入れの話が急に出てきてから、テレビ番組で取り上げられるのを見ていますが、一から十まででたらめですよ。例えば、受け入れ賛成という人が「アメリカを見てみろ」と言うのです。スティーブ・ジョブズやケネディやオバマも移民のルーツをもつ。当たり前です。アメリカはすべて移民でできた国なのですから。成功した人も移民ですが、失敗した無数の人たちも全部移民ですよ。黒人の人たちは、元は奴隷として連れてこられたわけですからね。そういうふうにできている国ですから、それを日本で言ったって何の意味もないのです。

 日本でもし参考にするのなら、同じ民族で国ができていると思い込んでいたドイツです。

釈 あ、なるほど。

内藤 ヨーロッパでもほかの国はそうじゃありません。ドイツは、自分たちはドイツ人だけでできていると思い込んでいた国で、血統というのを非常に大事にしますよね。だから参考にするならドイツのケースですけれども。野党の有名な政治家でさえ、あるニュース番組で「ドイツはトルコ人なんか入れたから大問題になった」と言っていました。自分の言っていることが民族差別だということに、気づかないのでしょうか。恐ろしいほどの無知ですよ。

 いや、日本に関してそんなことを言えるわけがない。彼もわかっているはずです。ところが、外国の話になるとそう言ってしまう。それは文化や宗教が違うからでしょう。でもちょっと待ってください。トルコはもともと政教分離が非常に徹底された国で、外国に働きに出た人たちもその国にイスラームを持ち込もうなんて、思ってもいませんでした。朝から晩まで働いて、自分の家族や子供ができたときに、はたと立ちどまったのです。そういうことに気づかないまま相手をしていると、やっぱりうまくいかない。

釈 そうですよね。昔から「国家百年の計」などと言いますが、いまの日本はあまりにも短期間しか見ずに、目先のものを追いかけている状態です。一体どういう国にしていきたいかというビジョンがない。少なくともフランスは徹底した世俗主義というビジョンはあって、いまなおそれを固持しようとしています。イギリスは一応、多文化共生のビジョンでやってきたわけです。しかしどちらもうまくいかなかった。日本はその両方を見ながら、ノービジョンでやろうとしている。

 

この時代の宗教家の役割

内藤 ノービジョンですね。でも確かにうまくやれば、先例から学ぶところは当然あります。あえて申し上げたいのは、宗教者の貢献です。ご自身の宗教をもとにして他者を排除されたら困りますけれど。日本の社会の中で、信仰を持つ人というのは、それほど力が強いわけではないと思います。むしろ、ある意味謙虚さを持っている。『異教の隣人』で読みましたが、同じ仏教といっても、日本の仏教とベトナム仏教だと全然違いますよね。

釈 そうなのです。

内藤 それではベトナムの仏教徒の人たちがどんな価値観を持って、どういうふうにコミュニティをつくろうとして、あるいはどういうふうに日本人と交わろうとしているのか、それがわかるのは宗教家なのです。間違っても学者に期待しちゃいけません。学者はほとんど現実を見ないですからね。いや、私も学者ですが、私のやっているのはまったくの隙間ですから。社会学者というのは理論をつくるのが好きで、実際に地面をはい回るようにして調べたという学者はほとんどいません。そうすると、本当に簡単に偏見にとらわれていく、あるいはとらわれていることに自ら気がつかない。

釈 宗教者でも簡単に偏見にとらわれることがあります。日本中くまなくお寺があって、各お寺には住職がいますが、中にはそういう偏見を持つ人や排他的な人もいます。伝統教団の宗教者は保守的な人が多いのですが、偏見や排除が保守的態度だと勘違いしちゃうんですね。

内藤 いますか。

釈 はい、残念ながら。でも、少なくとも住職というのは、本当に真剣にその地域のことを考えていることは確かです。とにかく、この地域がどうやったらうまく運営できるかについては、すごく悩んでいる。下手したら行政の人より考えています。なにしろ、絶対に引っ越しをしないので(笑)。そこにいるしかありませんから。すでに地域コミュニティにたくさんの外国人労働者の方たちが住んでいる状況となっています。ですから、どうやったらこの地域を一緒にうまく運営できるだろうというので、お寺を開放したり、一緒に活動したりしている人もいます。いい取り組みされている人も知っています。それが本来の保守ですよね。草の根的な取り組みで地域のあり方を模索しながら地域コミュニチを存在させていく。

 その視点でやっておられる方はいるので、そのあたり点が線につながって、ネットワーク的な活動になればいいですよね。

内藤 先生のこの本を読んで、それができるのは宗教だと。お寺に限らず、神社でもいいのですけど。やっぱり宗教を拠点に置いて、その地域に根差している人たちですね。だめですよ、でかい寺のいちばん偉い人が宗教間対話なんて言っているのは。キリスト教も仏教も、ほかの宗教もみんな「平和と愛の宗教です」というわけです。そんなことはわかっていますが、ではなぜ揉めるのかというところで、ああいうアリバイづくりみたいなことをやる。

 そうした会合に私も何回か出たことがありますが、イスラームからは、こともあろうにサウジアラビアが出てくるんです。まず、ジャーナリスト殺害といい多くの民間人を犠牲にしているイエメンへの介入といい、自分のやっていることをよく反省してからにしてほしい。

 そうではなくて、例えば衰退していく地方のコミュニティの中でもコミュニティの持続性を守ろうとしている人こそが大事なのです。おそらくこの先、農村部にも外国の人が入ってくるわけですから。その人たちの知恵が必要です。

釈 そうですよね。ぜひとも、各お寺の住職にはこの二冊、『限界の現代史』と『異教の隣人』を読んでいただきたいと思っております(笑)。

◆了◆

 


限界の現代史 イスラームが破壊する欺瞞の世界秩序

 


 『異教の隣人』(晶文社)いま私たちの社会では、多様な信仰を持つ人たちが暮らしている。でも仏教、キリスト教ならなじみはあっても、その他の宗教となるとさっぱりわからない。異国にルーツを持つ人たちは、どんな神様を信じて、どんな生活習慣で、どんなお祈りをしているのか?イスラム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教からコプト正教まで、気鋭の宗教学者と取材班がさまざまな信仰の現場を訪ね歩き考えたルポ。寺院や教会、モスクにシナゴーグ、行ってみたら「異教徒」もみんなご近所さんに。異なる信仰と生活様式を大切にしている人たちと、真に共生していくための第一歩となる本です。

 

■著者:釈徹宗+毎日新聞「異教の隣人」取材班+細川貂々
■出版社:晶文社
■ページ数:288ページ
■価格:1,650円+税
■発売日:2018年10月26日発売
■ISBN:978-4-7949-7061-9
https://www.shobunsha.co.jp/?p=4882

 

プロフィール

   

内藤正典(ないとう まさのり)

 1956年東京都生まれ。東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科卒業。博士(社会学)。専門は多文化共生論、現代イスラム地域研究。一橋大学教授を経て、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。著書に『イスラム戦争 中東崩壊と欧米の敗北』『イスラムの怒り』『イスラム――癒しの知恵』(集英社新書)、『トルコ 中東情勢のカギを握る国』(集英社)、『となりのイスラム』(ミシマ社)他多数。共著に『イスラームとの講和 文明の共存をめざして』(集英社新書)等がある。

 

釈徹宗(しゃく てっしゅう)

 1961年大阪府生まれ。龍谷大学大学院、大阪府立大学大学院人間文化研究科比較文化専攻博士課程修了。専門は宗教思想。相愛大学人文学部教授。NPO法人リライフ代表。浄土真宗本願寺派・如来寺住職。著書は、『死では終わらない物語について書こうと思う』 (文藝春秋)、『なりきる すてる ととのえる』(PHP文庫)、『宗教は人を救えるのか』(角川SSC新書)、『早わかり世界の六大宗教』(朝日文庫)、 『いきなりはじめる仏教生活』(新潮文庫)、『落語に花咲く仏教 宗教と芸能は共振する 』(朝日選書)など多数。

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戦乱と帝国の間で生き抜くための新しい世界観を求めて【後編】