民主党が今回、弾劾調査をすばやく決断した背景には、事の重大性を認識したのに加え、大統領の関係者に証言を求める強制力を得る狙いがあったと思われる。実際、弾劾調査を始めたからこそ、司法省が要請に応じて内部告発状を下院に渡し、国家情報長官代行も早々に下院公聴会で証言したのであろう。弾劾調査で協力を拒否すれば議会侮辱罪に問われる可能性があるため、頼まれた方は断りにくくなるのである。
また、弾劾調査を始めることで、メディアや国民の関心が高まりやすい。9月24日に弾劾調査を開始してから、米国のテレビ、新聞など主要メディアは連日、調査状況をトップで伝えている。そして9月29日、CBSニュースが発表した調査では、弾劾調査を「支持する」が55%で、「支持しない」の45%を10ポイント上回った。また同日に発表されたABCニュースとイプソスの共同世論調査では、「ウクライナ疑惑は重大な問題」と答えた人は「非常に」43%と「ある程度」20%を含め、63%にのぼった。
この状況に危機感を覚えたのか、トランプ大統領の側近は必死に擁護に回った。スティーブン・ミラー大統領補佐官は29日、テレビの番組で、「大統領こそが不正を告発しているのであって、この人物は民主的に選挙で選ばれた政府を破壊しようとする工作員だ」と内部告発者を非難した。また、トランプ大統領は自らを擁護するホワイトハウスの公式動画をツイッターに投稿し、「彼らは私を止めようとしている。私が皆さんのために戦っているからだ。そんなことはさせない」と、民主党を攻撃した。
ホワイトハウスと司法省による「隠蔽」
トランプ大統領が権力を乱用して政敵の汚点探しを外国の首脳に依頼した疑惑に加え、もう1つの重大な問題は、ホワイトハウスと司法省が協力して、その事実を隠蔽しようとしたのではないかという点だ。
9月26日、下院情報委員会は「内部告発者から受け取った告発状を何週間も議会に提供しなかった」として批判されていたマグワイア国家情報長官代行を公聴会に呼んだ。公聴会の後、アダム・シフ委員長はPBSニュースのインタビューに応じ、「重大な懸念が生じました。内部告発者が情報を議会に提供できるようにするはずのプロセスがうまくいかなかった。ホワイトハウスの法律顧問と司法省の助言が邪魔をしたからです」と述べた。
シフ氏の発言の背景について少し説明しよう。情報当局の内部告発者は8月12日、7ページの告発状を情報機関の監察官に提出した。監察官はその内容を精査した結果、「信頼性と緊急の懸念が認められる」と判断し、情報部門トップのマグワイア国家情報長官代行に報告した。告発の対象がトランプ大統領だったことや、「緊急の懸念」との監察官の判断を考慮すれば、長官代行はすみやかに告発状の情報を議会に提供するべきだったが、そうせずにホワイトハウスの法律顧問と司法省の高官に相談した。そして法律顧問から、「告発状の内容は大統領の専権事項に関わる問題なので、議会への説明は必要ない」と言われ、それに従ったという。
シフ委員長が問題視しているのは、マグワイア長官代行が告発対象であるトランプ大統領の部下にあたるホワイトハウスの法律顧問と司法省の高官に相談したことと、両者が意図的に情報を隠蔽しようとしたのではないかということだ。シフ氏はPBSの番組でこう続けた。
「ホワイトハウスの法律顧問の狙いが情報の隠蔽だったのは明らかですし、司法省もそうだったと思います。私はホワイトハウスと司法省はこの告発状を議会に知らせまいと共謀していたとみています」
連邦検察官を務めた経験を持ち、また下院情報委員会の民主党のトップとしてロシア疑惑の調査も率いたシフ委員長は、最後に「内部告発者は詳細で信用できる告発をし、大統領の不正の全体像を調べるためのいわば工程表を示してくれました。(中略)真相解明に何をすべきかわかっています。最大限迅速に進めていきます」と自信を見せた。
その数日後、シフ氏は「身元の保護に万全を期すことを条件に内部告発者が非公開の証言に応じることに同意した」と発表し、実施時期については「告発者の弁護士が機密にアクセスするための手続きが終わり次第、早急に話を聞く用意があります」と説明した。
これに対し、トランプ大統領はツイッターで、「私には告発者に会う権利がある」と主張したが、匿名性の確保と法的保護が約束されている内部告発者に圧力をかけるような発言だとして批判が相次いだ。下院情報委員会の有力メンバーのマーク・ワーナー議員は、「大統領の発言は不適切で危険だ。内部告発者の身が危険にさらされた」と非難した。
内部告発者については、ニューヨーク・タイムズ紙が「CIAの男性職員で、一時ホワイトハウスの任務にもついたが、現在はCIAに戻っている」(2019年9月26日付)と報じたが、それ以外はほとんどわかっていない。
弾劾調査の行方と大統領の命運
民主党は弾劾調査による真相解明に自信を見せるが、最終的には上院で行われる弾劾裁判で共和党の協力がなければ、大統領を有罪にして罷免することはできない。今のところ、共和党の上院議員で弾劾調査を支持しているのは数人だけで、大多数は批判的だ。
合衆国憲法第2条は「反逆罪、収賄罪、その他重大な罪、または軽罪で弾劾訴追を受け、有罪判決を受けた大統領は罷免される」と規定している。民主党は現在下院で235議席(定数435)の過半数を握っているので、弾劾訴追案は可決できるが、問題は上院で47議席(同100)しかないことだ。上院の弾劾裁判で大統領を有罪にするための3分の2を確保するには、20人の共和党議員の賛成票が必要となる。これが民主党の弾劾手続きを進める上でのリスクであり、だからペロシ議長はロシア疑惑では弾劾に消極的だった。
しかし、前述したように、今回はトランプ大統領が「証拠」を残しているので、状況は少し異なる。ロシア疑惑では大統領の元側近や選挙陣営の元幹部らが「ダーティ・ワーク」を担い、トランプ氏自身が不正に関わったという「証拠」はあまり残されていなかった。そのため選挙資金法違反などでコーエン元個人弁護士が3年の実刑判決を受けるなど5人が有罪となったが、トランプ氏が罪に問われることはなかった。しかし、今回は大統領自身が不正を働いた可能性が高いので、民主党も自信を持って弾劾調査の決断をしたようだ。
問題は「上院の壁」だが、調査の行方次第ではこれから賛成に回る共和党議員が増える可能性はある。下院の公聴会で大統領の不正がどんどん暴かれ、その様子がテレビで生中継されたりすれば、世論の動向は変わるかもしれないからだ。世論の変化を考えた場合、22人の共和党上院議員が2020年に再選を控えている状況は、民主党にとってはプラス材料である。彼らは世論の変化を踏まえて、弾劾裁判で票を投じなければならなくなるからだ。
実は、1974年に弾劾調査を受けて辞任したニクソン大統領の時はそれが起きた。下院で弾劾調査が始まった時の世論調査では不支持が支持を上回っていたが、大統領の関係者が議会で証言し、不正が明らかにされるにつれ、支持者がどんどん増えた。その結果、与党共和党の指導部がニクソン大統領の執務室を訪れ、「大統領、我々はもはやあなたを弾劾裁判から守るだけの票を確保できません」と告げた。その翌日、大統領は辞任を発表した。
トランプ大統領の性格からすると、たとえどんなに不利な状況に追いつめられても辞任することは考えにくい。しかし、民主党は大統領の不正を明らかにし、下院で弾劾訴追を行うことが米国の憲法と民主主義を守る上でも非常に重要だと考えているし、弾劾訴追を行えば、たとえ「上院の壁」によって有罪にできなくても、トランプ大統領の不正行為が歴史にきちんと刻まれる。そしてその「汚名」を着せることで、再選をめざす大統領に決定的なダメージを与えられるかもしれない。
一方、トランプ大統領は、「弾劾は自分に有利に働き、支持基盤を勢いづかせ、再選への追い風になる」と強気の姿勢を崩さない、実際、大統領の選挙陣営は弾劾調査が始まった直後の24時間で500万ドル(約5億4千万円)の献金を集めたという。はたしてこの弾劾調査は民主党、共和党どちらに有利に働くのか、調査の行方から目が離せない。
…と、本稿を書き終えたところで、新しいニュースが飛び込んできた。10月9日、トランプ大統領がウクライナ疑惑をめぐる下院の弾劾調査への協力を一切拒否すると表明したのだ。主な理由として、下院本会議での決議を経ずに弾劾調査を始めた点をあげているが、憲法は弾劾調査を始めるための本会議決議を義務づけていない。
民主党側は「弾劾調査を混乱させ、妨害しようとの試みだ。それ自体が司法妨害にあたる可能性がある。下院の6つの委員会は憲法にもとづき、弾劾調査を実施し、関係者に召喚状を出している」と猛反発している。
トランプ大統領の協力拒否の裏には、「この件を法廷闘争に持ち込んで、時間稼ぎをしよう」との思惑がちらつくが、民主党ははたしてどう出るか。民主党内には「電話会談の記録や内部告発者の報告書などすでに十分すぎるほどの証拠がそろっているので、もう少し調査を行えば弾劾条項(弾劾訴追案)の決議に持ち込めるのではないか」との声も出ている。弾劾をめぐるトランプ大統領と民主党の闘いはいよいよ正念場を迎えようとしている。