これまで250回以上の「作家さんを囲む会」を続けてきた大阪・谷町六丁目の隆祥館書店は、コロナ禍の中でもリモートというやり方でイベントを行っており、7月18日には、『音楽が聴けなくなる日』共著者の一人で都立大学教授の社会学者・宮台真司さんによるトークイベントがリモートで行われた。
ピエール瀧さんの薬物事件での自粛をさまざまな角度から考察した『音楽が聴けなくなる日』で宮台さんはアートと社会のあり方を根源的に説いている。社会学はもちろんのこと、人類学、宗教学、進化心理学、精神分析学、ギリシャ哲学などが縦横無尽に飛び交う「思考のルチャリブレ」は今回のトークイベントでも遺憾なく発揮された。
ここでは特に「自粛と劣化」についてのトークを中心に紹介したい。
炎上にはどう対処すればいいのか?
なぜ薬物で逮捕されたミュージシャンの音楽を聴けなくするのか。宮台さんの言葉を借りれば「日本の企業は頭が悪い人が多く、すぐ思考停止するから」となる。
テレビ局などメディアも含めて、炎上しそうだなと思ったら自粛してしまう。その理由は極めて単純だ。実際炎上してしまうことがあるから、事前に防ごうというものだ。
ピエール瀧さんの場合、逮捕の翌日という極めて早い段階で、当時の所属レコード会社であるソニー・ミュージックレーベルズが、電気グルーヴの全ての音源・映像の出荷停止・在庫回収・配信停止を決めてしまった。しかし炎上をそこまで恐れる必要が果たしてあるのだろうか? 宮台さんは、90年代に行っていた女子高生のフィールドワークを例にとって、炎上に過敏すぎる現状を説明する。
93年に援助交際の実態を朝日新聞に寄稿して、何百人という女子高生のネットワークをマスコミにつないだことで、所属していた大学には苦情が殺到していたらしい。らしい、というのは誰もその事実を本人に知らせなかったからだ。学長も所属長も、「特に問題がない以上、宮台に伝えるだけ無駄だ」ということで伝えなかった。
伝えないということは、炎上を防がないということだ。しかしこれが功を奏する。「炎上は屈するといよいよ炎上する」性質があるからだ。
宮台さんは、95年からTBSラジオ「荒川強啓デイ・キャッチ!」という番組に出演し、たくさんの炎上を引き起こしてきた。しかしそれは企んだ炎上だったと宮台さんはいう。狙い通りに炎上したといってもいい。クレーム殺到が前提だったため、それを一切耳に入れないように番組側と事前に約束していたのだ。
そういう意味で、炎上など恐れなければいい。炎上に堂々と立ち向かい、クレームを入れてくる側に非があるとすることで、セールス、営業的にも有利になる可能性すらあるのだ。
ただしこれは「クレームに非がある」ことを明確にすることであり、いわゆる「炎上商法」とは異なるという。
ただ単に話題にするということで炎上を引き起こして売れるということがあったとしても、それは企業にとっていいことにはならないと宮台さんは断言する。宮台さんが引用するのは、アップルのスティーブ・ジョブズだ。「Think deferent」。違った考え方をしろ。意訳したら「きみたちは間違ってる」とでもなるだろうか。
ジョブズは、マーケットで人気の、より速くてより大きい容量のコンピュータに興味がなかった。それは昔、自らが抱いていたコンピュータへの憧れとかけ離れたものだったからだ。モノ自体が輝いていることこそ重要だ、ということをジョブズは理解していた。
人々のニーズというのは、あくまで人々の想定の内側でしかない。だからそれに応じてしまうと、マーケットも、人も、企業も、想定の内側に縮んで劣化する。むしろ企業はマーケットのプレイヤーである消費者を教育しなければならない。きみたちが求めてるものはくだらないぜ。こっちの方がワクワクするだろ?
企業がブランドイメージを保つという意味で考えるだけでも、劣化した市場に適応してはいけない。そうではなく、炎上に対しては堂々とこちら側に理があることを諭し、市場のプレイヤーに学んでもらわなければいけない。
日本人は感情が劣化している
実際に宮台さんは、今回の自粛騒動でソニーがずいぶん損をしたと見ている。ブランドイメージを損なったのは、宮台さんも深く関わった署名活動にマスコミの注目が集まったことからも明らかだろう。
ただしソニーにもいろいろな人がいる。『音楽が聴けなくなる日』を読んだ人もいただろう。社内の意見は一つではなく、みんながみんな思考停止しているわけでもない。その結果、電気グルーヴの音源自粛をやめて比較的早く発売が再開されたことは、宮台さんにとっても嬉しいことだった。
しかしなぜ、これほどまでに企業が炎上を恐れるのか。それは企業がまともな人を信じることができないからだ。
宮台さんはラジオに出る時には「スタッフはいちいち2ちゃんやツイッターのハッシュタグを見るな」と告げているそうだ。そういう場で発言する人たちはラウドマイノリティ、声だけ大きい少数者で、そのような意見を気にすることはない。炎上して目立とうとしているクズだと思えばいい。
むしろ炎上しない側にまともな人もたくさんいるが、そうしたマジョリティを信じることができなくなってきている。これは、配信側、表現を供給する側が劣化しているからだという。これを宮台さんは「感情の劣化」と呼んでいる。
ここまでは企業側の話をしてきたが、もちろん個人個人が劣化してきたが故に企業も劣化したと見るべきだろう。この劣化はおおよそ、この25年で起きてきたことだと宮台さんは説明する。昔はこのような劣化はなかった。
火災予防条例などで焚き火はほとんどのところで禁止されていたが、宮台さんが中学高校の頃まで、どこでも焚き火はしていた。80年代でも花火は横撃ち(水平撃ち)が当たり前だった。ブランコといえば立って飛んだり座って飛んだりが当たり前。砂場は空中回転の着地マット代わり。砂場を囲む木の縁にぶつかって骨折する場合も、時にはあった。そこでパニックになって大人を呼びに走ることが、子どもたちにとってはむしろ大切な体験だった。
ところが80年代を通じて進んだ環境浄化(ジェントリフィケーション)によって、こうした行動が封じられるようになった。土地にゆかりがなく、昔からその土地で何が行われてきたかを知らない新住民が、「決まりを破っている」「花火の火が目に入ったらどうするんだ」というようなクレームをつけて騒ぐようになったためだ。
1 2
プロフィール
宮台真司(みやだい・しんじ)
1959年、宮城県生まれ。社会学者。東京都立大学教授。東京大学大学院社会学研究科博士課程修了(社会学博士)。著書多数。近刊は『音楽が聴けなくなる日』(集英社新書、永田夏来・かがりはるきとの共著)。