『ニッポン景観論』 アレックス・カー 著

無私なる「愛」の叫び 白洲信哉

 アレックスを知ったのは二十年近く前、ある雑誌に掲載された祖母(白洲正子)との対談だった。当時、私は細川護煕元総理の秘書を務めていたこともあり、本書の原点とも言える『美しき日本の残像』を熟読し、行政のやるべきことを再認識した。
 祖母宅の居間に掛けられていた「犬馬難鬼魅易」という短冊に、また白隠の書や、天平の華籠に反応するアレックス。本書で「実に怖い師匠」と彼は述べているが、モノに感じ、響き合う仲間を、祖母もまた求めていたのである。それを感性と言い換えるならば、彼の指摘する「みにくい国」日本の「看板、電線、コンクリート」は、無感性と無感動の産物なのだ。「美」が個人的なものであるのと同じように、感受性もまたそれぞれで、だからこそリーダーの役割は大事なのだと思う。
 対談の十年後、先の短冊をヒントにした著書『犬と鬼』で、アレックスは、醜い景観を量産する日本のシステムに切り込んでいく。そして、さらに十年以上月日を重ね、本書が上梓された。「看板、電線、コンクリート」の三点セットは相変わらずで、数々の写真と、皮肉に溢れたキャプションに胸が痛む。地方に並んだ鉄塔は、携帯の基地局と知る。オックスフォード大学の中庭の美しさと対照的な、ある美術館近くの道路橋の奇矯さへの発言に、ただ同感。山や川、海岸線の惨状や、枝葉の刈り取られた自宅前の桜に涙が出てくる。国土の均衡なる発展を目指した「日本列島改造論」を突き進む我が国。流され易い国民性の根幹には「無常観」があると僕は思うが、宣長の「鳥獣木草のたぐひ海山など ……世の常ならずすぐれた徳ありて、かしこき物を神」の思想は、明治以来の近代化とともに薄れ、戦後は、山川草木悉皆成仏の霊性も捨てられる。人と自然は同じ目線にあらず、「かしこき」自然を崇めて祖先は生きたのに、である。
「いい加減に目を覚ませ」とアレックスは怒っているが、読了して心地いいのは、それは「神」がただよう聖域、自然の美しさを知ったアレックスの、無私なる「愛」の叫びだからである。

しらす・しんや ● 文筆家

青春と読書「本を読む」
2014年「青春と読書」10月号より

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