田中優子著

『苦海・浄土・日本 石牟礼道子 もだえ神の精神』

三上智恵(みかみ・ちえ)

戦争、水俣病、沖縄、3・11……。
私たちの不甲斐なさとは、不条理を正視できず、
やり過ごす大衆の弱さだったのではないか

三上智恵(ジャーナリスト、映画監督)

 世界を一変させた新型コロナ・パンデミック。石牟礼(いしむれ)道子が生きていたら、恐らくこれを「近代の病理」と捉えただろうと田中優子は断言する。石牟礼道子は、経済発展の代償として棄民される水俣に立ち尽くし、貶められ、生を奪われて乾涸(ひから)びていく民衆の、闇の奥からせり上がってくるような叫びをも言葉に書きつけようとした稀代の作家である。道子を誰より身近に感じて敬愛し、共鳴し、ご本人との交流もあった石牟礼論者の田中氏が、なぜこうもさらなる道子の言葉を求めるのか。

 それは、彼女が胎児性水俣病患者と同世代で、道子の問いを受け止めるべき当事者と自覚し、そこから逃げずにあらゆる社会問題の渦中に、道子と同じ「もだえ神」として身を置き続けた人だからなのだ。三途(さんず)の川向こうに霞んでいく道子の背中を凝視し続けようとするのは、田中優子自身が時代に切り込むべき人という荷をとうに背負わされているから。その彼女が説く石牟礼論は、スッと私の心に沁み込んだ。

 余談だが、私の曽祖父は夕張の炭鉱夫であったし、母の故郷は足尾銅山のあった足尾町である。国の最底辺の暗がりを這い回った者たちの子として、水俣から渡良瀬川に飛んでいき、行政代執行の成田に身を置いた石牟礼道子の足跡とそこに咲いた花は、知るほどに頼もしい。現場にほとばしる熱をどう孕み、言霊に変えるのか、当事者たちがどれほどそれに期待したか。国との対峙が続く辺野古や高江の現場にも石牟礼道子待望論はあった。「あなたが石牟礼道子になって、ちゃんと伝えて」と無茶ぶりされ消え入りたかったこともある。確かに「身悶え」しかできないのに、沖縄の座り込み現場でおろおろとカメラを回すだけの私も「もだえ神」の類なのかもしれない。「もだえ神」とは、役に立たずとも真っ先に駆け付け、隣に身を置いて、悶えるほどに苦しむ存在のこと。これは沖縄の「肝苦りさ(ちむぐりさ)」、人の痛みが瞬時に自分の内臓を引きちぎるような苦痛になる、それに通じる。

 可哀想、ではなく、苦しみの憑依を許し、当事者と見分けがつかなくなること。その「もだえ」が今、足りないと田中優子はいう。津波や原発事故も十分に苦しみ悶えることなく、何かせねば堪えがたいとばかりに「復興」に走っても同じ轍(てつ)を踏むだけと警告する。現代人は居ても立っても居られない感情と向き合うのが苦手だ。「結局、金って話でしょ?」とネットに書き、弱者の渦に巻き込まれぬよう距離を置く。

 しかし水俣病後の社会、東日本大震災後の社会を変えきれなかった私たちの不甲斐なさとは、不条理を正視できず、幻でも勝ち組の一角にすがりついてやり過ごす大衆の弱さだったのではないか。「しっかり悶えよ」。それが、本書が時代に投下するメッセージだと私は受け取った。

 

『苦海・浄土・日本 石牟礼道子 もだえ神の精神』

 

プロフィール

三上智恵(みかみ・ちえ)

ジャーナリスト、映画監督。毎日放送、琉球朝日放送でキャスターを務める傍らドキュメンタリーを制作。初監督映画「標的の村」(2013)でキネマ旬報文化映画部門1位他19の賞を受賞。フリーに転身後、映画「戦場ぬ止み」(2015)、「標的の島 風かたか」(2017)を発表。続く映画「沖縄スパイ戦史」(大矢英代との共同監督作品、2018)は、文化庁映画賞他8つの賞を受賞した。著書に『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』『風かたか「標的の島」撮影記』(ともに大月書店)等。『証言 沖縄スパイ戦史』(集英社新書)は日本ジャーナリスト会議の第63回JCJ賞を受賞。

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『苦海・浄土・日本 石牟礼道子 もだえ神の精神』