『新海誠 国民的アニメ作家の誕生』 土居伸彰著

アニメーションの歴史から個人制作の作家・新海誠を捉える快著

北村匡平

2010年代における映画界の事件といえば、『君の名は。』の世界的ヒットによって、新海誠が一挙に「国民的アニメ作家」の地位を確立したことである。『秒速5センチメートル』に驚いて以来、初期からずっと新海アニメを追ってきた者としては、ちょっと信じられない感覚だった。土居伸彰の『新海誠——国民的アニメ作家の誕生』は、アニメーション制作のデジタル化が進んで地殻変動を起こした時期に、颯爽とアニメシーンに躍り出た新海誠が、世界に躍進することになる潮流を、世界のアニメーション史の文脈から捉え直そうとするものだ。

 新海誠は、宮崎駿や細田守のように業界で下積みを経て次第にアニメ作家になっていく従来の道筋とはまったく異なる出自をもつ。よく知られるように、彼の名を世に知らしめた初期の作品『ほしのこえ』は、パソコンによる「個人制作」だった。本書は20世紀の世界のアニメーション史における「個人制作の歴史」を遡り、21世紀に登場した新海アニメへと結びつける。さらに視点を横にずらしてブラジルのアレ・アブレウやアメリカのドン・ハーツフェルトのアニメ表現が語られる。彼らも新海と同時代に伝統的な商業アニメーションとは異なる表現でアニメシーンに登場した「巨大な個人制作」の作家だった——宮崎駿と面会したアブレウが「私たちは個人ではなく工房で作っているんだよ」といわれたエピソードが新世代の作家を表す象徴的な出来事である。

 アニメーションを縦軸・横軸に見渡す視野の広さが本書の魅力の一つだろう。ロシアのアニメーション作家ユーリ・ノルシュテインを中心にインディペンデント作家を研究し、世界の個人作家の作品を日本で配給してきた筆者ならではの面目躍如たるダイナミックな語りだ。正直、もう新海誠のアニメについては語り尽くされたのではないかと思うところがあったが、そんなことはない。まず筆者は、「朗読劇」である新海アニメの「動き」の欠落を指摘する。「人間」さえも画面に必要とされていない。かつてアニメーションは静止しているものに命を吹き込み、いかに「動き」を生み出すかが目指されていた。だが、新海誠は美しい絵(背景)と言葉と音でリアリティを創り出す。

 新海誠の新しさとは何か。従来のアニメーションでは世界の中心にいる人間が運命を切り開く姿を描いてきた。それに対して、新海アニメは世界の変化を前になす術もなく佇む無力な人間を描いている。筆者はそう主張する。運動を欠いた無に等しい人間。だが、観客はどうしようもなく心を揺さぶられてしまう。たとえば圧倒的な「背景」の存在感——光や雨を緻密に変化させて時間を経過させる。あるいはキャラクターの匿名性/無名性——それゆえに観客は自分自身のものでもある寂しい世界にエモーションが喚起させられる。世界が人間を圧倒し、寄る辺ない弱く脆い人間は、世界の片隅に立ち尽くすほかない。

 『ほしのこえ』はロボットアニメの系譜に並ぶ作品ではなく、新海アニメにあってロボットは「寂しさ」を語るための「ギミック的装置」だと指摘される。卓見だと思う。新海アニメを観た時の、あの途方もない悲哀と孤立の感覚が的確に言葉にされてゆく。『君の名は。』の分析は一段と冴えわたる。初期と異なり、キャラクター性を帯びて人間も正気を宿すが(田中将賀の起用が大きい)、三葉も瀧も「開かれた」、空っぽの「器」のように他者の存在を受け入れる。本書は新海作品から「人間なんぞ本質的には器でしかない」という人間観を導き出す。そこにあるのは、ある種の積極的諦念だ。東日本大震災をモチーフとして組み込んだ『君の名は。』は、震災の忘却を肯定するようなハッピーエンドに批判が集まった。だが、筆者は本作に「三葉たちが救われなかった無数の結末」を感じ取る。無数のやりなおしの末に訪れた唯一ある成功の事例を私たちは観ているのではないか、と。ありえたかもしれない微かな奇跡を描くこと——「妄想」も入っている可能性があると留保しつつ語られる、アニメーションの本質にも迫るこの感受性に評者は強く胸を打たれた。

 アニメ業界では異色の出自をもち、きわめてパーソナルな感情を描いてコアなファンに熱狂的に支持されてきた新海誠。本書は、なぜ「個人制作」の作家が『君の名は。』で空前の大ヒットを生み出せたのか、いかに「国民的アニメ作家」になったのか、という疑問に説得的な答えを与えている。また、世界のアニメシーンで同時代的に起こっていたことも概観できる。それはアナログ/デジタルへの技術的な転換というだけでなく、業界が再編され、新たな表現が生まれてくる劇的な時代だったのだ。私たちはその時代に立ち会ってきたにもかかわらず、ほとんど見過ごしてしまっているのではないか。本書は私たちにそう教えてくれる。世界規模のスケールのアニメーション史と、日本の個人作家の実践が共鳴しあう快作だ。

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プロフィール

北村匡平

1982年山口県生まれ。映画研究者/批評家。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了、同大学博士課程単位取得満期退学。日本学術振興会特別研究員(DC1)を経て、現在、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院/科学技術創成研究院未来の人類研究センター准教授。専門は映像文化論、メディア論、表象文化論。『スター女優の文化社会学――戦後日本が欲望した聖女と魔女』(作品社、2017年)にて第9回表象文化論学会・奨励賞受賞、『美と破壊の女優 京マチ子』(筑摩書房、2019年)にて令和2年度手島精一記念研究賞・著述賞受賞。著書に『24フレームの映画学――映像表現を解体する』(晃洋書房、2021年)、『アクター・ジェンダー・イメージズ――転覆の身振り』(青土社、2021年)、『椎名林檎論――乱調の音楽』(文藝春秋、2022年)、共編著に『リメイク映画の創造力』(水声社、2017年)、『川島雄三は二度生まれる』(水声社、2018年)、翻訳書にポール・アンドラ『黒澤明の羅生門――フィルムに籠めた告白と鎮魂』(新潮社、2019年)、共著に『ポストメディア・セオリーズ――メディア研究の新展開』(ミネルヴァ書房、2021年)、『韓国女性映画 わたしたちの物語』(河出書房新社、2022年)などがある。

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