本書は印象的なエピソードから始まります。著者(山本直輝氏)はトルコの国立マルマラ大学でイスラーム学を教えていますが、著者が日本人だと知ったトルコ人の神学生から「心臓を捧げよ」と日本語のアニメ『進撃の巨人』の台詞で挨拶をされました。
現代の日本には「本物の神学生」はいないので、「神学生」と聞いても皆さんの中でもピンとくる人は少ないでしょう。日本史に興味がある人なら、比叡山の延暦寺や高野山の金剛峯寺を思い浮かべてください。子供の頃から、出家して寺に住み込み、朝から仏道の修行に励みながら教学の勉強に明け暮れるのが神学生です。特に修行として学問を深める者を学僧と呼びます。延暦寺を建てた天台宗の開祖最澄、金剛峯寺を建てた真言宗の開祖空海もそうした学僧であり、栄西、法然、親鸞、日蓮ら鎌倉新仏教の開祖たちも延暦寺で学んだ学僧でした。
しかしムスリム世界には、そういう「神学生」が今も世界中で何千万人も学んでいます。国際情勢に詳しい人なら、黒いターバンに長いひげ、民族衣装に身を包んだ強面の男たちをテレビや新聞やネット記事などの報道で見たのを思い浮かべるかもしれません。アフガニスタンを20年にわたって占領していた米軍を追い払い復権したタリバンがそうです。タリバンとはペルシャ語とパシュトゥー語で「神学生」の複数形を意味します。世俗主義を国是としNATO(北大西洋条約機構)の一員でもあるトルコでは神学生も普通の洋服を着ているため、見かけだけではわかりません。しかし実はトルコのエルドアン大統領も大学に進学する前は熱心な神学生でした。
今や日本のアニメは東アジアや欧米だけではなく、世界の若者の共通教養となっています。それはムスリム世界でも同じです。本書は読者を、悩み苦しみ喜びながら日々の生活を懸命に生きる生身の人間の生が仮想現実と混じり合いながらリアルタイムでグローバルに共につながる世界に引き込みます。「日本のアニメすごい」、「グローバリズムは世界を一つにする」などという話をしているわけではありません。ましてや「イスラーム神学者の中にも日本のアニメを観るような開けた若者もいる」と言いたいのではありません。
これまでスーフィズムについて書かれた入門書は「スーフィズムとは何か?」と外部からの視点(ウエメセ)で「他者」として「客観的」に記述するものばかりでした。しかし本書は違います。「スーフィズム」と呼ばれているものは、ひとりひとりが神から自分だけに与えられた試練の場としての「この世」でどう生きるべきかで答えを求めて悩み苦しむ等身大の人間が死にいたるまで歩み続ける道(タリーカ)なのです。そして本書にはその事実をあたかも自分がそこにいるかのように体感されるような工夫がそこかしこに施されています。
特定の本を読み、決められた時間に決められた文句で祈りを唱え、特定の行法を行うこと、それだけがスーフィズムではありません。朝起きて夜眠るまでのすべての行い、食べて飲んで働き、休み遊ぶこと家庭を持つこと。それどころか神を忘れることも義務を怠ることも間違いや罪を犯すことも、すべてが一生をかけて究めるべきスーフィズムの修道(スルーク)です。あとがきで筆者はこう書いています。
《スーフィズムは、むしろ本書で紹介された修行はおろか、何もできなかった、あるいは失敗しか積み重ねていない絶望にあって、それでもアッラーによって生かされている「いま」を受け止めて、自分の人生の中に少しでも正しさがあって欲しいと思う人間に向けられている。自分の中から引っ張り出せる美しさや豊かさなど何もないから、誰かのために道を究めるのだ》
日本のマンガが参照されるのもそういう文脈においてです。
《中東やトルコの少年マンガ好きの学生の間で特に人気の「Sensei」である『NARUTO―ナルトー』の自来也は、「伝説の三忍」とまで謳われた卓越した忍者であるが、同時に多くの欠陥を抱えた同じ一人の人間として、自分が犯した過ちや後悔を胸に抱えながら次の世代に己が忍道を伝えようとする魅力的なキャラクターである。自来也はナルトを孫のように愛情を持って育て、最後までナルトの可能性を信じて疑わなかった。また自来也が戦いの中で死んだことを知りひどく落ち込むナルトに、師匠の意志を継ぐことの大切さを同じ目線に立ちながら語りかけるうみのイルカも「友としての師」を体現している》
現在のムスリム世界は欧米の植民地支配に甘んじ、形式的に独立してからも科学、経済、政治、軍事、文化の全ての分野で欧米に後れをとり、国内も腐敗堕落した不正な抑圧体制下で呻吟しながら、今も宗主国気取りで居丈高に自分たちの正義、価値観を押し付けてくる欧米に対して反発しながらも劣等感を抱かざるを得ず、自信喪失に陥っています。
それに対し相手を裁くより前に敵であれ、まずその痛みと苦しみに共感し、自分の弱さと過ちを認めた上で、敗北してもなお立ち上がり、死してもなお次の世代に過去からの遺産を手渡す勇気を鼓舞する日本のマンガが中東のムスリムの若者たちの心を掴んでいるのはそのためです。
本書にはトルコ、ヨーローッパのムスリム移民のスーフィーたち、欧米人の改宗ムスリムのムスリムだけではなく、オスマン帝国、ムガール帝国、大清帝国のスーフィーたちなどの古今東西の様々なスーフィーたちが登場します。
アナトリアのイスラーム化の促進に重要な役割を果たした女性スーフィーの任侠組織「バージヤーン・ルーム(ルームの女傑団)」を例に取ると、このルームの女傑団は一三世紀に存在したとされる女性組織で、創始者とされるファトマ・バージは文武両道の女性で、侵攻したモンゴル軍に対して馬に乗って弓矢で立ち向かったとされています。
日本でも中国武術と仏教、道教などとの関係についてはよく知られています。イスラームについても武術関係者の間で中国の回族と八極拳や査拳などの中国拳法の関係についてはそれなりに知られています。しかしイスラーム研究では武術研究は立ち遅れています。武術研究についての記述は本書の特徴であり、回族だけでなく、マレーシア・インドネシアで行われているシラットについても多く頁が割かれています。霊魂論、修行論との関係だけでなく、オランダの植民地支配に対する抵抗運動の担い手となったスーフィー教団におけるシラットの政治・軍事的意義についても触れられています。
それだけではありません。インドネシアのアクション映画の名作「ザ・レイド」、キアヌ・リーヴスの当たり役「ジョン・ウィック」のシリーズ第三作「パラべラム」に「ザ・レイド」の俳優がシラット・ニンジャの敵役として活躍したことでシラットが世界的に有名になっていることにも目配りがされています。それによって読者はそれまで自分とは無縁な存在であったインドネシアのスーフィーたちが、まさに自分が生きている世界に住む隣人であることが自然に体感できる仕掛けになっています。
ムスリム世界の神学生たちは世界の若者の共通「教養」となっている日本のマンガとアニメによって、現代の苦境を生き抜く力になるイスラームの学問の伝統の意義を再発見したと著者は言いますが、実は同時に逆の可能性も視野に入れています。
最初に述べたように日本には仏教にも神道にも、もちろん儒教にも「本物の神学生」は残っていません。また武道、茶道、華道なども商業化が進み法統は有名無実化しています。しかし千年以上にわたって活力を保つことができた真にオリジナルな鎌倉新仏教の開祖たちは、子供の時から延暦寺などで長年にわたって学問の研鑽を積んだ学僧たちでした。
日本のアニメに勇気づけられて「本物の神学生」たちが学ぶムスリム世界の扉を叩いてみることで、『NARUTO―ナルトー』や『鬼滅の刃』や『呪術廻戦』の師弟たちが命を懸けて過去から未来へと伝統を繋いでいった日本の武道の霊性の真義が開示され、過去と未来、西と東を結ぶ古くて新しい日本文化が生まれるかもしれません。
本書はオーソドックスなスーフィズムの入門書としても、スーフィズムの重要な論点と学説を標準的な古典に基づいて過不足なく網羅しています。またオスマン帝国期の文献やクルド人のスーフィーネットワークを中心に、日本は言うまでもなく欧米でもまだ知られていないスーフィズムの最新の研究動向をも紹介しています。スーフィズムについては本邦では、これまで『イスラムの神秘主義 : スーフィズム入門』(R.A.ニコルソン著:初版1980年東京新聞出版局、1996年平凡社ライブラリー再版)以外に手頃な入門書がありませんでした。世界的に活躍するスーフィズム研究の新鋭の手によって画期的なスーフィズムの入門書が出版されたことを寿ぎたく思います。
プロフィール
(なかた・こう)
1960年生まれ。イブン・ハルドゥーン大学客員教授。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。カイロ大学大学院哲学科博士課程修了(哲学博士)。著書に『イスラーム 生と死と聖戦』『イスラーム入門』(集英社新書)、『イスラームの論理』(筑摩選書)、『帝国の復興と啓蒙の未来』(太田出版)、『13歳からの世界征服』(百万年書房)、『増補新版 イスラーム法とは何か?』(作品社)、『俺の妹がカリフなわけがない!』(晶文社)、『タリバン 復権の真実』(ベスト新書)など多数。共著に橋爪大三郎氏との『一神教と戦争』『中国共産党帝国とウイグル』(集英社新書)等がある。