*本稿は『青春と読書』10月号「本を読む」の同タイトル書評に加筆したロング・バージョンです。
私は2018年7月に、埼玉県東松山市の市長選挙に立候補した。自公推薦の現職候補が圧倒的に強く、無投票になりそうだったからだ。その地域で、政治的関心を持つ市民のグループが何人かの人に立候補を打診したが断られて、最後に私にお鉢が回ってきた。
結果はトリプルスコアの惨敗であったが、幸いにも供託金没収は免れた。敗因は明らかで、そもそも私は一年しかそこに住んでおらず、知り合いも全くおらず、その上、あらゆる組織からの支持を得られず、しかも私を担いだ人々と喧嘩して、公示日一週間前に、全員を後援会から放逐してしまったからだ。
それでも、なぜか女優の木内みどりさんがボランティアで一週間滞在して応援くださり、また、私の立候補が報道され、全国から多大なご寄付とご声援とをいただいて、馬と音楽とを中心にした楽しい選挙を展開できた。また、その話が発端となって、翌年にれいわ新選組から参院選に出た時には、あの原一男監督がドキュメンタリー映画『れいわ一揆』を制作してくださった。この映画のおかげで私は東京国際映画祭のレッドカーペットを歩いたり、ニューヨーク現代美術館で原監督とともにスピーチしたり、という光栄に浴した。
この二回の選挙の中心思想は、「子どもを守ろう」ということであった。私は、本当の政治的対立軸は、
子どもを守るか/大人を守るか
にあると考えている。全ての子どもをあらゆる暴力から守ることを政治の原則とすべきなのだ。原則というのは、あらゆる政策の可否を判定する基準のことである。
たとえば、文教費を増やすある政策が、子どもダシにして生活を成り立たせている教育関係者を守ることにはなっても、子どもを守ることにはならないなら、棄却されるべきである。防衛費を増やす政策が、本当に子どもを守ることになるというなら、それは認められるべきである。そういう政治的判断の基準として、すべての子どもをあらゆる暴力から守る、という原則を設定すべきだ、というのである。
この段階で、私は迂闊にも、兵庫県明石市の泉房穂市長が、子どもを中心にした市政を展開していることを知らなかった。しかもその泉氏が、私が強い思想的影響を受けた石井紘基の系譜を引く政治家であることも知らなかった。もし、明石市の例を挙げて選挙戦をやっていれば、もう少し良い勝負ができたかもしれない。
とはいえ、4、5年前は、その程度であった。しかし、この2年で、事態は大きく転換した。明石市のように子どもを重視する政策を展開してほしい、という思いが、日本全国で急激に広がっている。しかも、泉市長が「暴言」によって政治家引退を表明することで、さらにそれが燎原の火のように燃え広がっている。
それ以前は、この政策を掲げて圧倒的な支持を得られたのは、泉市長本人だけであった。泉房穂という政治家が不在になることで、この力が急に普遍性を帯び始めた。2023年春の明石市の県議選挙、市長・市会議員選挙は、その最初の波であり、泉氏の支援を受けた候補者が、驚異的な得票を叩き出した。そして、7月の兵庫県三田市の市長選挙で、政治経験の全くない無名の無所属の新人が、泉氏の支持を得たことで、自民・公明・立憲・国民の推薦する三期目の現職候補にかなりの差をつけて勝利した。しかもほかに、二人の有力な市議が市長候補として立っていたというのに、である。
これは実に驚異的な事態である。もちろんそこには三田市民病院が神戸市に移転するという奇想天外な政策への強い反発が背景にはある。たとえそうでも、東松山市長選挙で、三期目の現職市長と一騎打ちで惨敗するという経験をした私からすれば、想像を絶する事態である。
これは、泉氏が、泉房穂市長の不在という空白を自ら作り出すことによって、空間構造を変えてしまったことで起きている地殻変動だと私は理解する。自民党・公明党のみならず、立憲民主党や共産党でさえも、「既成勢力」と見做され、それを維新というポピュリズム政党が切り崩しつつある、という状況に絶望している有権者にとっては、福音と言っても過言ではなかろう。
泉氏のこの活躍により、「大人のための政治か、子どものための政治か」が真の対立軸であることが証明された、と私は理解している。大人のための政治は子どもを犠牲にするが、子どものための政治は、大人を豊かにする。この真理が人々に理解されたとき、日本の政治構造は一挙に転換するはずである。
本書は、この地殻変動を惹起した人物の思想が明らかにされている。日本社会の閉塞を打ち破ろうとする人は、必ず紐解くべきであるし、これを読めば、なぜ、子どもをはじめとする弱い人々を、政治家が自らの手で助けようとすることが、社会全体を良い方向へ導いていくのか、が理解できるはずである。
私はこれを以下のように理解している。弱い人々は、社会の歪みをより強く受けるので、その痛いという声は、社会にとってのセンサーなのである。センサーの発する信号を無視すれば社会の歪みが拡大し、逆に、為政者が耳を澄ませて行動すれば、社会は安寧へと向かう。これが『論語』の「仁」の思想の本質なのだ。
泉房穂という稀代の政治家が、「仁政」を12年にわたって実行し、突然その地位を去ったことが、この真理への覚醒をもたらした。本書はその経緯と論理とを明らかにしている。
*本稿は2023年『青春と読書』10月号掲載「本を読む」同名書評のロング・バージョンです。
プロフィール
(やすとみ あゆみ)
1963年、大阪府生まれ。東京大学東洋文化研究所教授。京都大学経済学部卒。銀行勤務を経て、京都大学大学院経済学研究科修士課程修了。博士(経済学)。2019年の参院選に「子どもを守ろう」と訴え、れいわ新選組より立候補。著書『「満洲国」の金融』『貨幣の複雑性』(以上、創文社)、『複雑さを生きる』(岩波書店)、『ハラスメントは連鎖する』(共著、光文社新書)、『生きるための経済学』(NHKブックス)、『経済学の船出』(NTT出版)、『新装版 マイケル・ジャクソンの思想 子どもの創造性が世界を救う』(アルテス・パブリッシング)、『原発危機と「東大話法」』(明石書店)、『生きる技法』『合理的な神秘主義』(以上、青灯社)、『生きるための論語』(ちくま新書)、『満洲暴走 隠された構造』(角川新書)ほか多数。