『戦国ブリテン アングロサクソン七王国の王たち』 桜井俊彰著

七王国時代(ヘプターキ―)を知らずして英国は語りえない

佐藤賢一

一九四四年六月六日、アメリカ軍、イギリス軍を主体とする連合軍が決行したのが「オーヴァーロード作戦」である。イギリスを出発、当時ドイツに占領されていたフランスに空と海から乗りこんだ、いうところのノルマンディ上陸作戦である。


 その「オーヴァーロード(overlord)」だが、意味がわかるような、わからないような。「ロード」は、普通は領主、主君、支配者などと訳される。それに「オーヴァー」がつけば、上級領主か。あるいは、おおいかぶさる主君? やりすぎな支配者? 作戦名に用いたのは、救われるフランスに対して、救う英米は一段高い位置にあるという意味をこめてのことだったのか。長らく釈然としなかったが、『戦国ブリテン アングロサクソン七王国の王たち』を読んでわかった。「オーヴァーロード」は、なかで「上王」と訳されていた。


 六世紀前半から十世紀後半にかけて、イングランドにはケント、イーストアングリア、ノーサンブリア、マーシア、エセックス、サセックス、ウェセックスのアングロサクソン七王国が並立していた。まさに群雄割拠、まさに戦国の体であるが、なかでも特に秀でた力を振るい、他国の王たちの上に君臨する王が出ることがあった。それを位置づける概念が、オーヴァーロード=上王なのである。アングロサクソン七王国の歴史においては、さらに傑出した上王、土着の言葉で「ブレトワルダ」、ラテン語で「インペリウム」と呼ばれた「覇王」がいた。それらのなかから独自に八人の王を選び、それぞれの活躍を物語っていくのが、『戦国ブリテン アングロサクソン七王国の王たち』なのである。


 まず気づかされるのは、それが知られざる歴史であったことだ。イギリス史の年表には確かに七王国時代があり、しかも四百年と続いているのだが、その中身は驚くほど伝えられてこなかったのだ。知らなくてよい歴史でないと思い知らされるのは、これが実に面白いからである。王たちがやることなすことときたら、シェークスピアの史劇でも読んでいるかに思われてくるほどで、いかにもイギリスらしいのだ。


 一九四四年の「オーヴァーロード作戦」にこだわるではないが、決行したイギリス、さらにアメリカは、しばしばアングロサクソンの国といわれる。正確にはイギリスでなくイングランドの話であり、また多民族国家アメリカでは、そのエスタブリッシュメントがWASP(ホワイトで、アングロサクソンで、プロテスタント)だということだが、それぞれの伝統や文化を基礎づける要素であることは間違いない。そのアングロサクソンだが、ぜんたい何で、どこに始まるものなのか。


 イングランドの住人は、古代にはブリテン人と呼ばれた。スコットランドやウェールズを含めて、大ブリテン島に住んでいたからで、ケルト系だ。そこに中世になって大陸から乗りこんできたのが、ゲルマン系のアングル人とサクソン人だった。このアングル人とサクソン人が建てたのが、七王国である。上王ないしは覇王が現れ、徐々に形作るのが、統合された「アングル人の国」こと、イングランドなのである。


 王朝は続く歴史でデーン人、フランス人、スコットランド人、ドイツ人と交替していくが、国や民は変わらずアングロサクソンだった。その固有の伝統や文化は、七王国の時代に培われたままということだ。その歴史を知らずしては、イングランドも、イギリスも、ひいてはアメリカなども、本来は語りえないものなのだ。それなのに、従前は類書に乏しかった。欠落を埋めてくれる貴重な歴史書として、『戦国ブリテン アングロサクソン七王国の王たち』を強く薦める所以である。

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プロフィール

佐藤賢一
一九六八年山形県生まれ、山形大学教育学部卒業後、東北大学大学院文学研究科で西洋史学を専攻。九三年『ジャガーになった男』で第六回小説すばる新人賞、九九年『王妃の離婚』で第一二一回直木賞、二〇一四年に『小説フランス革命』(全一二巻)で第六八回毎日出版文化賞特別賞、二〇年『ナポレオン』で司馬遼太郎賞、二三年『チャンバラ』で中央公論文芸賞を受賞。『双頭の鷲』『オクシタニア』『褐色の文豪』『ハンニバル戦争』『英仏百年戦争』『フランス革命の肖像』『テンプル騎士団』『王の綽名』『よくわかる一神教 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教から世界史をみる』など著書多数。
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