『権力と新聞の大問題』 望月衣塑子/マーティン・ファクラー著

ジャーナリズムの劣化は国の劣化を示す 森 達也

森 達也
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 東京新聞の望月衣塑子(いそこ)記者の名前を、あなたはいつ知っただろうか。決めつけて申し訳ないけれど、おそらくそれほど前ではないはずだ。菅官房長官の記者会見で毎回のように質問を重ねる女性記者。同じ質問を何度もするなと官邸スタッフにとがめられたとき、納得できる答えをいただいていないので繰り返しています、と彼女は即答した。このときテレビを見ながら、確かにそうだと多くの人は(僕も含めて)思ったはずだ。質問だけに意味があるわけではない。どのような答えを引き出すかが重要なのだ。
 ただし本書のあとがきで対談相手のマーティン・ファクラーが指摘するように、記者会見における望月の姿勢は記者としてまったく当然であり、こうした質問が出ないこれまでが普通ではなかったのだ。もちろん官房長官の記者会見だけではない。問われるべきは政治とメディアの距離だ。
 最近のアメリカの新聞では、「I」を主語にする記事が増えてきたとファクラーは説明する。つまり、「私はこう思う」との記述が可能になった。事実とは自分の主観であるとの認識だ。署名原稿ですら定着していない日本の新聞では絶対にありえない。日本のメディアにおける大前提は客観性。それが中立公平を担保する。もしも「私」を主語にする記事を書いたら、何年記者をやっているんだとデスクから雷を落とされる。でも現場の記者なら誰もが知っている。絶対的な中立公平などありえない。主観を排除することなど不可能だ。よく考えればわかること。当り前のこと。それが機能しない。それがこの国のメディアの現状だ。
 日本では異端の位置にいる記者と、日本を起点にしながらアメリカのジャーナリズムに精通した記者。そんな二人の対談が刺激的でないはずがない。僕も新しい発見がたくさんあった。メディアとはその国を現す鏡。ならばジャーナリズムの劣化は国の劣化を示す。自民党一強政治のもとで、何が変わり何が失われたのか。それはメディアの退行と同心円を描く。
 読むべきは日本に暮らす人すべて。絶対にあなたも、たくさんの発見をするはずだ。

もり・たつや ●映画監督、作家、明治大学特任教授

★「青春と読書」8月号 「本を読む」より転載

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