加藤典洋氏の新刊『敗者の想像力』を、ロサンゼルスの陽射しのなかで、読んだ。ぐいぐい読者を引き込む、力強い、不思議な本である。まるで、主人公がさまざまな動物たちに会い、次第に長い行列をつくって旅をする子供の絵本のような構成になっている。日本の占領期の文学や、目取(めどるま)真俊の『虹の鳥』、庵野秀明の『シン・ゴジラ』、また山口昌男、多田道太郎、吉本隆明、鶴見俊輔の批評、それから宮崎駿の『千と千尋の神隠し』、大江健三郎氏の『水死』まで、同じ土俵に乗らないような作品や批評が「敗者の想像力」という視点でつなげられてゆく。加藤氏特有の安定した語りのなかで、戦後日本の文化空間がさまざまな場所から立ち現れてくる。
本書の題名にもなっている「敗者の想像力」は、「敗戦後」の日本、そして古代からずっと強力な他国を常に意識せざるを得ない立場にあった日本に、特に当てはまる文化意識だと加藤氏は指摘している。しかし、この本の「敗者の想像力」は、どのような歴史のなかでもそれぞれの共同体や個人が獲得することができる、ゆえに喪失もする、開かれた感受性だと言える。実際加藤氏は、歴史的経緯から敗者の想像力を持ちやすかった日本でも、近頃はそれが薄れてきていることをこの本で危惧している。
『敗者の想像力』をアメリカで読んだ私は、ドナルド・トランプ米大統領が去年の選挙演説で口にした言葉を何度も思い出していた。「我々は勝つ。もう勝ちまくるんだ。貿易でも、国境でも勝つ。どこでも勝って勝ちまくるから、諸君は勝つことに飽き飽きして、ほんともうこれ以上は勘弁してください、と私に言いにくるよ」
『敗者の想像力』の根底にあるのは、他者への冒瀆(ぼうとく)とも取れるこのような態度へのきわめてdecent(まとも)な反発、警告ではないだろうか。本書を、明るすぎるロサンゼルスの太陽の下で読むのは少し場違いにも思われた。しかし、『敗者の想像力』は、国内の読者に限らず、今、敗者の想像力からもっとも遠いところにあるアメリカのような場所でこそ、読まれるべき論考のように思われてならない。
マイケル・エメリック●日本文学研究者、翻訳家
青春と読書「本を読む」
2017年「青春と読書」7月号より