「偏差値32の田村淳が100日で青学一直線学歴リベンジ」ーーーーーー。インターネットテレビ局「AbemaTV」の番組企画で、青山学院大学の入試にチャレンジしていたロンドンブーツ1号2号の田村淳さん。結果は受験した全学部で不合格という残念な形で終わってしまったが、この挑戦を行なってみた感想、見えたものは何だったのか? その“戦記”を2回にわたってお届けする。
第1回目は大学受験にチャレンジしようと思ったきっかけ。その発端は、やはり日本に対する息苦しさにあったようだ…。
──まずは受験、お疲れさまでした。
はい、けっこう疲れましたね(笑)。
──去年出した新書『日本人失格』ばかりか“青学生失格”にもなっちゃった。
残念ながら……。
──44歳にして初の大学受験。大人が必死こいてがむしゃらに受験に向き合うなんてレアケースなので、あらためて田村淳が何を思い、どのようにジタバタしながら受験に立ち向かったのかを残しておければと思います。
てことでまず、何百回も聞かれたとは思いますが…なぜに大学を受験してみようと思ったんですか?
昔から漠然と「大学に行きたいな」という思いはあって。放送大学でもいいし、どこでもよかったんですけど、大学で学ぶというのはどんな感じなのかなって興味はあったんです。教育の話になると僕は「大事なのは“学歴”じゃなくて、生きていく中で何かを学び取る“学習力”だ」と主張していたんですが、やっぱり大学を出ていない僕が言ってもなんか説得力を持たないんですよ。「結局お前は高卒だろ」と突っ込まれたらそれで終わりですから。
でもそれとは別に、人生において1回は受験をやってみたいとは思っていたんです。
──それはいつ頃から芽生えていたんですか?
10年くらい前から思ってて。だけど、実行に移すまではいかなかった。
──10年前といったら、今と変わらず忙しかったのに、漠然とではあっても大学受験を意識していたんですね。
思っていました。当時から知識コンプレックスみたいなのはあったんで。いろんな知識を大学という学び舎で学習したことがないから、一度は実際に学んでみて、結果的に自分の中で拒絶反応が起きるのか、それともスッと知識が入って、より深く学びたいと願うようになるのか、それを見極めてみたかったというか。
──具体的に大学で何を学び、どんな知識を深めていきたかったんですか。
法律です。そういう意識が強くなったのは、この2、3年なんですが。というのも、この間にテレビ業界を取り巻く環境が厳しくなった、ルールが厳しくなったんですね。
──BPOとか。
そればかりじゃないですけどね。例えば、テレビ業界のルールは誰が何の目的で、どういう基準で作り上げているのか疑問に思っていたんですよ。そう考えている時期に、自分のテレビ局を立ち上げる企画が動き出し、『田村淳の日本国憲法TV』がスタートしたんですね。でも、この番組を通してみても、やっぱりルールがよくわからない。
現在の日本国憲法も、アメリカからの押し付けだと言われてますが、誰がどういう基準で憲法というルールを作り上げたのか、それもよくわからない。最近では改憲論議が騒がしいけど、改憲だ、護憲だといろんな意見がある中で、ひとつひとつ自分の中で理解していくには、これはもう法学という基盤をきちんと学ばなければいけないんじゃないかって考えに至ったわけなんです。
──なるほど。