鼎談

日本の安全保障における「盲点」とは何か?

PKO法成立から30年の節目に考える
布施祐仁×伊勢﨑賢治×渡邊隆

2022年6月で、自衛隊の海外派遣を可能にしたPKO法が制定されて30年。

この節目に『自衛隊海外派遣 隠された「戦地」の現実』(集英社新書)を上梓したジャーナリスト・布施祐仁氏が、日本初のPKOだったカンボジア派遣で施設大隊長を務めた渡邊隆氏と、東ティモールなど紛争地で国連職員として県知事を務めたり、民兵の武装解除などを担当したりした伊勢﨑賢治氏と鼎談。

自衛隊PKOの30年の知られざる側面や、その活動が孕む矛盾、そして今の日本の安全保障・防衛において欠けているものについても議論する。
(構成:稲垣收)
 

布施 南スーダンPKOの時、派遣隊員に配布されたハンドブックの中に、南スーダンでは2013年12月以降、政府と反政府勢力の「武力紛争」が起きていると書かれていました。しかし、日本政府は公式にはずっと「南スーダンでは武力紛争は発生していない」と言い続けていた。これは明らかに現実と食い違っていたと思います。

ジャーナリスト・布施祐仁氏(撮影/野﨑慧嗣)

国連は、1999年のシエラレオネPKO以降、「文民保護」をマンデートとして位置付けました(*1)。そして、PKOの原則の一つであった「中立性」を「不偏性・公平性」と再定義し、文民保護のための武力行使も辞さないスタンスをとるようになります。これによって日本のPKO参加五原則にある「中立的な立場を厳守する」という基準に沿うことが難しくなっていました。

このような変化が起こっているにもかかわらず、日本ではなぜそれに関連した議論が起こらなかったのでしょう?

*1 1990年代前半のユーゴ紛争やルワンダ大虐殺において、国連がPKOの「中立性」原則にこだわって介入に消極的な姿勢をとったために人々を虐殺から守ることができなかったことへの反省から、国連は「文民保護」をPKOの任務として位置付けた。
 
 

現地にいる部隊が日本政府と国連の板挟みになっている

渡邊 PKO法のもう一つの前提は「二重指揮」という形で、「あくまでも指揮権は日本が持っているのだ」というロジックです。それを前提に受け入れてもらっているんだから、「日本の部隊は日本の政府なり防衛省なりがしっかりとコントロールをしている」というのが大前提にあります。

だから「日本のPKO五原則は守られているし、それが守られるようなところにしか出さない」という立て付けなのだろうと思います。でも現地では、実はそうなっていない。

結局は現地にいる部隊が、日本政府と国連の狭間で他国の派遣部隊とは違った対応を取らざるを得なかったということだと思います。

私はもう自衛隊を辞めておりますので、わりと好き勝手に意見を言って、「結局、現地が全部責任を取っているんじゃないですか」と発言して顰蹙(ひんしゅく)を買ったこともありました(苦笑)。

布施 現地の部隊は、国連と日本政府の二重指揮の中で、やはり国連の方の指揮に合わせるということですか。

渡邊 たとえば(シリア領だがイスラエルが実効支配している)ゴラン高原でのPKOでは、停戦監視が本来の任務のPKOでしたが、我が国は輸送部隊を出したわけです。

実はゴラン高原のPKOを長くやっている中で、銃を持って不測事態訓練をしなければいけない状況があったのですが、日本の自衛隊にはそれができないわけですよね。

で、現地の司令官に「なんでお前らはこれができないんだ?」と言われて、初めて日本の部隊長は、「実はこういう理由で、我々にはこれはできないことになっております」ということを説明しなければいけなくなるわけです。しかし司令官も交代し、部隊も交代する。その中で、そういう本来、最初に断りを入れなければいけない事項がうやむやになってくるところがあったと思います。

こうした矛盾が南スーダンで明確にあらわになった、ということです。

この時には「駆け付け警護」と「宿営地の共同防衛」が国会で議論になって、これは結果的に法改正に結びつきました。今は共同防衛も駆け付け警護も法的にはできるようになっています。

ただ、あくまでも「武器使用」であって、「武力の行使」ではありません。

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プロフィール

布施祐仁

1976年、東京都生まれ。ジャーナリスト。『ルポ イチエフ 福島第一原発レベル7の現場』(岩波書店)で平和・協同ジャーナリスト基金賞、日本ジャーナリスト会議によるJCJ賞を受賞。三浦英之氏との共著『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(集英社)で石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞を受賞。著書に『日米密約 裁かれない米兵犯罪』(岩波書店)、『経済的徴兵制』(集英社新書)、共著に伊勢﨑賢治氏との『主権なき平和国家 地位協定の国際比較からみる日本の姿』(集英社クリエイティブ)等多数。

伊勢﨑賢治

1957年、東京都生まれ。東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。インド留学中、スラム住民の居住権運動にかかわり、国際NGOでアフリカの開発援助に従事。2000年より国連PKO幹部として、東ティモールで暫定行政府県知事、2001年よりシエラレオネで国連派遣団の武装解除部長を歴任。2003年からは、日本政府特別顧問としてアフガニスタンの武装解除を担う。著書に『武装解除 紛争屋が見た世界』(講談社現代新書)、共著に『新・日米安保論』(集英社新書)、『主権なき平和国家』(集英社クリエイティブ)など多数。

渡邊隆

1954 年生まれ。国際地政学研究所(IGIJ)副理事。元陸将。1977年に防衛大学校(機械工学)卒業の後、米国陸軍大学国際協力課程へ留学。その後、陸上自衛隊幕僚監部装備計画課長、第一次カンボジア派遣施設大隊長、陸上自衛隊幹部候補生学校長、第一師団長、統合幕僚学校長、東北方面総監などを歴任。

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