PKOのために憲法を変える、というのは本末転倒
布施 日本政府は、国民には「自衛隊が武器を使って戦闘するようなことは想定されない」と説明しておきながら、カンボジアの現地では、ポル・ポト派の攻撃から選挙監視要員を守る任務を与えていたわけです。
このように、日本のPKO五原則と現場の実態との矛盾は最初のカンボジア派遣の時からあり、そのしわ寄せは現場の隊員たちのリスクとなって押し付けられてきました。
この根本的な矛盾はPKO派遣が始まってから最初の10年でかなりハッキリしたにもかかわらず、それを解消するための議論は国会でも行われませんでした。
その最大の理由は、この議論をすると、どうしても憲法9条に触れざるを得ないからだと思います。
しかし、そこでちゃんと議論して、PKOが日本として本当に必要な活動であるなら、9条を変えてでもやる。あるいは、9条は変えるべきではないから、別の形での国際平和への貢献の在り方を考える。そういう議論をするのが、本来のあり方だと思うんですが……。
それをしないで、矛盾に蓋をしたまま自衛隊員たちを紛争地に送り、危険にさらし続けるのは、国家としてやってはいけないことだと思います。
伊勢﨑 そもそも憲法というのは、頻繁に変えるべきものでもありません。
国連PKOが直面する現場のリアリティと、それに呼応するマンデートは、この30年間で激変し、今でも変化しています。一般論としての憲法改正のタイムスパンよりも、はるか小刻みです。
憲法を変えようとする前に、他の法律で調整できたこと、例えば刑法や自衛隊法の改正で対応できたものは多々あります。前半で語った国際人道法への法整備ですね。特に、「上官責任」の問題です。
そもそも国際人道法の「法益」とは、個人的な恨みや動機で行われる殺人・破壊ではなく、敵国とか民族とかの個人の「属性」を標的にする殺人・破壊から人間を守るものです。そういう行為は必ず組織的な政治行為であり、だからこそ命令した者を起訴・量刑の起点とします。
しかし日本の現行法、つまり刑法では、手を下した正犯が一番悪者であり、手助けしたり教唆したりする人は共犯であり、正犯に従属する立場として処罰される「共謀共同正犯」となります。
つまり「上官」は、条文ではなく「解釈」で処罰される。これが刑法の限界であり、トップではなく下から順々に処罰していくのは、国際人道法が求めるものとは逆なのです。
更に、現状の自衛隊法には「抗命罪」、つまり命令に背いたことを罰する法だけがあり、これほど、末端の隊員に非人権的な状況は、世界広しといえど日本だけでしょう。そして、極め付けは「国外犯規定」です。
日本の刑法は、日本人の海外での業務上過失については、“管轄外”です。つまり「地位協定」を結んで相手国から裁判権を奪っている国で自衛隊員がおかす公務内の事犯については、完全なる「不処罰の文化」が発生します。
自衛隊のジブチ基地は既に恒久化してしまいましたが、そもそも日本には、海外での部隊駐留を可能にする国際法的正当性がないのです。もはや法治国家ではありません。単なる無法国家です。
なぜ、こんな重大な問題が放置されてきたか?
自衛隊の問題というと、何でも憲法9条の問題に短絡させ、曲芸的な憲法解釈を弄する政局にしてきたからです。刑法と自衛隊法の改定で対処できるのに。
布施 そうですね。2004年に有事法制が制定された時、日本ではジュネーブ条約に則って国際人道法違反の処罰法をつくりました。
でも、PKOに派遣された自衛隊員が国際人道法違反を犯すことは想定されなかった。なぜなら、自衛隊が派遣されるところは武力紛争が終結し、再燃もしていない地域という法律上の建前があるからです。
本でも紹介していますが、陸上自衛隊の隊員向けの教育資料には「PKO部隊は武力紛争をするわけではないから、国際人道法の適用は想定外」と、これまた国連とは180度違う見解が書かれています。
渡邊 これは難しいですね。ただ、日本は国際刑事裁判所に関する国際条約を批准していますから。批准した以上は、それに対応する国内法整備をするのは当然です。人道問題処罰法(国際人道法の重大な違反行為の処罰に関する法律)はそれに基づく一つの法的措置だったと思います。
それと「日本の指揮下で、海外で行動する者をどうするか」ということについては、「日本の指揮下で行動しているわけだから、基本的に日本に責任がある」とずっと解釈されているんですよね。
憲法9条との関係で言うのならば、伊勢﨑先生とまったく同意見で、PKOのために憲法を変えるなんて本末転倒ですよ。
憲法の議論は当然やってほしいし、皆で考えてほしいですが、「PKOをやりやすくするために、憲法が障害だから憲法を変える」というのは、考え方としては違うと思います。
プロフィール
1976年、東京都生まれ。ジャーナリスト。『ルポ イチエフ 福島第一原発レベル7の現場』(岩波書店)で平和・協同ジャーナリスト基金賞、日本ジャーナリスト会議によるJCJ賞を受賞。三浦英之氏との共著『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(集英社)で石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞を受賞。著書に『日米密約 裁かれない米兵犯罪』(岩波書店)、『経済的徴兵制』(集英社新書)、共著に伊勢﨑賢治氏との『主権なき平和国家 地位協定の国際比較からみる日本の姿』(集英社クリエイティブ)等多数。
1957年、東京都生まれ。東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。インド留学中、スラム住民の居住権運動にかかわり、国際NGOでアフリカの開発援助に従事。2000年より国連PKO幹部として、東ティモールで暫定行政府県知事、2001年よりシエラレオネで国連派遣団の武装解除部長を歴任。2003年からは、日本政府特別顧問としてアフガニスタンの武装解除を担う。著書に『武装解除 紛争屋が見た世界』(講談社現代新書)、共著に『新・日米安保論』(集英社新書)、『主権なき平和国家』(集英社クリエイティブ)など多数。
1954 年生まれ。国際地政学研究所(IGIJ)副理事。元陸将。1977年に防衛大学校(機械工学)卒業の後、米国陸軍大学国際協力課程へ留学。その後、陸上自衛隊幕僚監部装備計画課長、第一次カンボジア派遣施設大隊長、陸上自衛隊幹部候補生学校長、第一師団長、統合幕僚学校長、東北方面総監などを歴任。