他者と働くときに、なぜわたしたちは常に「能力」が足りないのではと煽られ、自己責任感を抱かされるのでしょうか。
組織開発専門家・勅使川原真衣さんの『働くということ 「能力主義」を超えて』では、著者が自ら経験した現場でのエピソードをちりばめながら、わたしたちに生きづらさをもたらす、人を「選び」「選ばれる」能力主義に疑問を呈し、人と人との関係を新たに捉え直す組織論が展開されています。
今回は、著者の勅使川原真衣さんと、ゲストにお笑い芸人のどくさいスイッチ企画さんをお招きしました。R-1グランプリ2024でアマチュアとして史上初の決勝進出(同率4位)を果たしたどくさいスイッチ企画さんが、Xで『働くということ』を絶賛する内容をポストしたことをきっかけに、今回の対談は実現しました。
会社務めも長く、R-1決勝進出を機にフリーとなったどくさいスイッチ企画さんは、いま能力主義について何を思うのでしょうか。
※2024年11月8日、集英社社内で対談収録。
「ちゃんとしなきゃいけない」と思っていた
どくさいスイッチ企画(以下どくさい) 今日は呼んでくださってありがとうございます。
勅使川原 どくさいスイッチ企画さん、『働くということ』が出てすぐ、読んだ感想をXでつぶやいてくださったんですよね(注1)。見つけてすかさず返信してしまいました。
どくさい 僕は学校を出てから14年間、ずっと会社員をしていたんですが、今年(2024年)の3月、R-1グランプリで決勝に出ることになったのを機に、本格的にお笑いをやるために退職したんです。だから『働くということ』を読んだのは、ちょうど無職になって「さあどうしよう、ここからどう働くか」「働くとは何か」みたいなことを考えていたドンピシャのタイミングでした。
読みながら、自分の会社員人生がどうしてうまくいかなかったかの「答え合わせ」をしてもらっているような気がしました。ずっと会社で「どう選ばれるか」「そのための能力をどう付けるか」という枠組みの中で悩んでいたので、初めのほうに書かれていた「そもそも選抜ってなんですか」「能力ってなんですか」という問いかけを読んだとき、ハッとしたんです。「たしかに、そこを疑ったことって1回もなかったな」と思って。
勅使川原 それはちょっと意外です。あんな「脱構築」的なコントを書く人が、そんなガチガチの考え方をされていたんですか。
どくさい 小さいころ、けっこう親の期待が大きくて厳しく育てられたこともあって、「ちゃんとしなきゃいけない」という意識がいつもどこかにあったんですよね。僕は最初、趣味でお笑いを始めたんですが、「まずはちゃんとした人間にならないと、趣味もできんよなあ」と思っていました。
勅使川原 「ちゃんとする」って、お金を稼げるということですか。
どくさい 一番はそれですね。あとは、その「稼げる」状態を維持するということでしょうか。会社で一定の地位を維持できていて、それだけの能力があって評価を受けていて、今後の地位も安泰、という状態が「ちゃんとしていること」だと思っていました。
勅使川原 それって、他人の評価で自分の価値を決める、まさに能力主義の内面化ですよね。でも、それはもう「思っていた」と過去形なんですか。
どくさい そうですね。組織から出てピン芸人になって、今までやっていたこととは全然違う世界に移ったことで、ものの捉え方が変わった気がしています。新しい発見がいろいろありました。
たとえばお笑いのライブって、出てる芸人も順番も毎回全然違うんですけど、なんだかすごい「跳ねる」日、めちゃくちゃ盛り上がって、終わってから出演者全員で「いいライブやったな」と言い合うみたいな日があるんですよ。でもそれは、すごい芸人が一人出ていたとか、誰か一人がすごい頑張ったとかでは絶対にない。「場」の流れなどを含めて個人の力量ではないところで、謎のグルーヴが生まれる日があるということなんです。だから『働くということ』にあった、個人の能力ではなくて人と機能、人と人の組み合わせを工夫することで組織の力を上げていくという考え方は、とても腑に落ちました。
「選抜されるためのお笑い」とは
勅使川原 面白いですね。そういうふうに「場」を意識されている芸人さんって他にもいらっしゃるんでしょうか。
どくさい どうでしょう。でも、たとえばコンクールとか賞レースでは準決勝と決勝は同じネタをやることが多いんですけど、準決勝ですごい受けて「優勝確実」と言われていた芸人が、決勝では全然ダメだったなんてことはよくあります。そんなときは「今日はフリップ芸人の日じゃなかった」「コントは入りにくかったね」なんてことを言う人はけっこういますね。
勅使川原 水物なんですね。
どくさい ほんと水物です。それも「仕事」という常に変わらないものがあった会社員時代とは違いますよね。だから、自分にとっていい流れ、もしくはよくない流れが来たときに、自分がどう振る舞えばいいか、ということをよく考えるようになりました。
勅使川原 それって、自分の「モード(態勢)」のことだと思っていいですか。
どくさい そう、『働くということ』の中で書かれていた、人を選ぶのではなく周りの状況に合わせて「自分のモードを選ぶ」ことに注力する、ということですよね。だから僕の場合は本当に、あの本に書かれていた流れどおりの気づきがあったし、めちゃくちゃ影響を受けています。
勅使川原 うれしいです。私もレベルは全然違うけれど、組織から飛び出して一人で「組織開発コンサルタント」を名乗ってやっているので、気づきのポイントが似ているのかもしれません。
どくさい 読んでいて、お笑いと「選抜」についても考えるところがありました。僕もR-1グランプリで「選抜」してもらって決勝進出したわけですけど、今ってお笑いで売れたければまず賞レースだ、という感じなんですね。M-1グランプリとかで決勝まで行けば、その後はある程度売れるのが保証されるようになっている。そうなると、売れたい芸人はみんな、そこに特化したお笑いをやるようになっていくんですよ。
つまり「選抜されるためのお笑い」ですよね。芸人同士で「こうしたほうが受かりやすいですよ」なんて話をすることもあるし、「受かるため」のノウハウみたいなものがどんどん蓄積されていっているんです。賞レース自体は20年くらい前からあるけど、最近は特に「勝ち方」みたいなものを口にする人が増えている気がして。でも、それって本来、お笑いからは一番遠いような話じゃないですか。
勅使川原 たしかに、皮肉ですね。
どくさい お笑いの養成所もそうですよね。今は、お笑いをやろうと思ったらまず学校、つまり養成所に入るという人がけっこう多いんですが、そこでも放送作家や元芸人の先生方から「受けるためにはここをこうしなさい」「この能力を伸ばしなさい」ということを教えられるそうです。
正直言って「お笑いを学校で教える」という制度には、僕はもやもやするものがあります。学校の教科書を丸覚えするみたいに学んでいくっていうのが、あんまり好きじゃないんですよね。「この人はこうしてるから、こうしたら?」という話は必要なのかもしれないけど、そればっかりになってもなあ、と思うんです。
勅使川原 過去の延長線上で、何が「面白い」のかを評価する基準を示しちゃうわけですから、それはつまんないですよね。お笑いの能力主義みたいな感じ。
どくさい 今は、お客さんも「この芸人はここが足りない」というような、批評家的な目で見る人が増えていると思います。芸歴1年目の僕がそう感じるくらいなので、多くの人が何となく気付いていることではあると思うんですけど。
プロフィール
勅使川原真衣(てしがわら・まい)
1982年横浜生まれ。組織開発専門家。東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。外資コンサルティングファーム勤務を経て、2017年に組織開発を専門とする「おのみず株式会社」を設立。二児の母。2020年から乳がん闘病中。「紀伊國屋じんぶん大賞2024」8位にランクインした初めての著書『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社)が大きな反響を呼ぶ。近刊に『働くということ 「能力主義」を超えて』(集英社新書)、『職場で傷つく リーダーのための「傷つき」から始める組織開発』(大和書房)、編著に『「これくらいできないと困るのはきみだよ」?』(東洋館出版社)がある。
どくさいスイッチ企画(どくさいすいっちきかく)
1987年9月8日、神奈川県出身。本名・青山知弘。お笑い芸人。大阪大学経済学部経済経営学科卒業。一般企業に務めながら落語やコントなど幅広く活動。R-1グランプリ2022準々決勝進出、R-1グランプリ2023準々決勝進出、全日本アマチュア芸人No.1決定戦2023優勝、R-1グランプリ2024決勝同率4位(アマチュアとしての決勝進出は史上初)。現在はフリーとして活動中。2024年10月に初めての著書『殺す時間を殺すための時間』(KADOKAWA)を上梓。芸名の由来は『ドラえもん』のひみつ道具「どくさいスイッチ」から。