対談

「自立する」という考えこそ、真っ先に捨てるべきですね

勝山実×飯田朔

今年1月17日に刊行された集英社新書『「おりる」思想 無駄にしんどい世の中だから』(飯田朔・著)。誰かとの競争に勝って生き残ることを要求される現代社会に対して、自分らしくあるために〝正しいと思われている〟人生のレールやモデルから〝おりる〟ことを模索し提案した一冊である。

この本の第3章、「しんどい」人のためのブックガイドの中で最初に紹介されているのが勝山実さんが書いた『安心ひきこもりライフ』(太田出版)である。その勝山さんが9月に最新刊『自立からの卒業』(現代書館)を出版し、その記念イベントに飯田さんが対談相手として抜擢されたということで、その模様をレポートする。

※当記事は2024年11月18日に東京都新宿の紀伊国屋書店で行なわれたイベントを抄録したものです。

『自立からの卒業』(現代書館)の著者、勝山実さん(左)と『「おりる」思想 無駄にしんどい世の中だから』(集英社新書)著者の飯田朔さん

司会 飯田さんと勝山さんは年代的には17歳違いということですが、お二人にはどんな接点があって、なぜ今こうやって壇上にいらっしゃるのか、というところをそれぞれお話しいただく、というところからまずは始めましょうか。

勝山 出会いは何でしたっけ。(不登校•ひきこもりについて当事者と語りあう)いけふくろうの会?

飯田 いけふくろうの会という、ひきこもりの人が集まってお酒を飲む会がありまして、15年くらい前にその会で、時々勝山さんを拝見していました。ぼくの方から先に話してもよければ、ぼくは今年の1月に『「おりる」思想 無駄にしんどい世の中だから』という本を出したんですけど……、なんだっけ、えっと……。

勝山 何を話そうとしたのか忘れてしまうこととか、あるよね。これだけメモを書いてきても、びっくりするくらい頭が真っ白になるんだよね。じゃあ、私からいきますか?

飯田 あ、思い出した。本の中にもちょっと書いているんですが、ぼくは大学時代に不登校になったことがあるんですね。ギリギリ卒業はしたんですが就職活動などができる状態では全然なくて、卒業するかしないかくらいの時期に、勝山さんの前の本『安心ひきこもりライフ』(太田出版)という本が出版されました。偶然それを手に取って読んだらすごく面白く、将来に不安を抱いていた自分の立場からすると安心できる内容で、その後さっき言ったいけふくろうの会というひきこもりの飲み会に顔を出して勝山さんと直接知り合ったのだと思います。あと、当時勝山さんは和歌山県の熊野に行っていたことがありましたよね。

勝山 そうですね。和歌山県新宮市。

飯田 2013~14年頃に勝山さんは熊野によく行っていて、現地で小屋を作ってそこをひきこもりが暮らせる村みたいにしよう、とか言っていましたね。

勝山 「ひきこもり村構想」と言って、みんなが好きずきに小さな小屋を建て、そこで野宿生活よりもワンランク上のレベル2くらいの生活ができるんじゃないか、という構想のもとに小屋を作ったんですよね。

勝山 実(かつやま・みのる)1971年、神奈川県生まれ。横浜の大地が生んだデクノボー。自称ひきこもり名人(中国語だと繭居大師)。高校3年時に不登校になり、以来ひきこもり生活に。著書に『安心ひきこもりライフ』(太田出版)、『ひきこもりカレンダー』(文春ネスコ)、『バラ色のひきこもり』(金曜日/電子書籍)などがある。

飯田 それをぼくも何かで聞きつけて手伝いに行ったりして、向こうでお会いして話したりしていました。1月に出たぼくの本では『安心ひきこもりライフ』を取り上げていて、今回、勝山さんが『自立からの卒業』(現代書館)という新刊を出したタイミングで、イベントを一緒にやろうと誘っていただきました。

勝山 じゃあ、私が飯田朔さんの『「おりる」思想』をどう読んだか、という話を少ししましょうか。

 本の中に、くまのプーさんのエピソードなどが書いてあるじゃないですか。そこは自分とも重なる部分を感じました。我々は「何もしてない」とよく言われるんですが、くまのプーさんの話のなかに「何してるの?」と聞かれて、「いいえ、べつに何も」というくだりがあるんですね。Do nothing、つまり「Nothing」をしているんだという文章なんですが、世間の人たちがしていることというのは、働いて金を稼いでいるだとか、学校に行って勉強しているだとか、要するに彼らにとって価値があることをしていることが「何かしている」ことであって、彼らにとって価値がないものは実感することも見ることもできない。だから「あいつは何もしていない」と言われることになり、我々の側もそれに合わせてしまってね、「何かしているの?」と訊ねられると、つい「別に……」なんて言ってしまうわけですけれども、本当は、我々だって「何もしていない」ことをしているんです。

飯田 ぼくの本を読んでいただいた方も、読んだことがない方もいらっしゃると思うんですが、「競争」や「成長」と言われるものからちょっとおりてみることが大事なんじゃないか、ただし「おりる」といってもどうすればいいのか、今の世の中にはおりようとする人たちをまた「競争」や「成長」の渦の中にひきずり戻してしまうような「罠」も多い、しっかり「おりる」ためにはそれなりの「思想」が必要になるんじゃないか、そのヒントを映画や小説、また勝山さんが書いたような書籍から探っていこうという内容です。

 勝山さんの『自立からの卒業』では、終盤で小説家A・A・ミルンの『クマのプーさん』『プー横丁にたった家』が取り上げられ、少年クリストファー・ロビンが語る「なにもしないをする」ことの意義が語られています。偶然というか、ぼくの本でも最初に取り上げているのが、2018年の映画『プーと大人になった僕』でした。

 ぼくも、大学を出て間もない20代前半の頃までは、フルタイムの仕事に就かないと、とか「何かをする」ことに追い立てられている気分があったのですが、次第に、半ひきこもり的なフリーター生活の中でもしている「何か」、実家の犬・猫の世話、料理、散歩、昼寝……といったことの大切さに気づいていった、という実感があります。「何かをする」の「何か」からこぼれ落ちてしまうものに助けられているなと。

司会 ちょっとだけ入っていいですか? 飯田さんの本で指摘されているのは、「何々をしなければならない」というものが競争社会のベースになっていて、たとえば、ひきこもりや不登校と呼ばれる人たち、つまり、自立していないとみなされている人たちは「自立しなければならない」とすごく追い立てられていて、それが現代社会の根っこにあるんじゃないか、ということをお書きになっていますよね。

飯田 そうですね。ひきこもりだけでなく、非正規雇用で働いている人やフリーランス、また正規の立場で働いていても、そういう圧力の中で生きている人が多いんじゃないかな。ひきこもりに関して言うと、「自立」という考え方があらわになっているのが、就労支援や職業訓練といった場面だと思います。

 『自立からの卒業』は、ひきこもりに対する就労支援や職業訓練を根底から批判していますよね。以前はぼくも、「自立」という考え方や個々の就労支援は多少問題があるとしても、それは程度問題で、細かいところを改善さえすればいいんじゃないか、支援自体は悪じゃない、という風に捉えていたところがありました。でも、勝山さんの今回の本を読むと、そうではなくて「自立」という考え方自体に人を不安へと追い立てる側面があったり、個々の支援事業でもかなり歪みがあったりする、ということが改めてわかりました。

 『自立からの卒業』では、ひきこもりについての法律を作ろうとしている政治家や行政、就労支援事業者、また、ひきこもりだけど政府に都合のいい意見を提供するだけになってしまっている「御用当事者」とか、そういった人たち全体的に批判しています。そもそも「自立」という考え方に苦しめられたひきこもりたちが、またも「自立」にからめとられていくこと。そこから連想したのは、ぼくの『「おりる」思想』でも書きましたが、ひきこもりだけじゃなくてニートやフリーターや非正規雇用の人、それ以外にもいろんな弱い立場に置かれた人たちが、なんで自分たちと正反対の成長や競争みたいな考え方に丸め込まれていっちゃうんだろう、ということでした。

 勝山さんの本でもそういう問題を全面的に取り上げて「批判を書くぞ」と書いている印象があります。

勝山 ありがとうございます。今度は私が、飯田さんの本についてちゃんと語らないといけないですね。第4章の朝井リョウさんのところなどは、すごく考えさせられました。

 『「おりる」思想』というものの核は、前向きな諦めなのだと思います。どういうことかというと、いろいろなものを諦めるんだけれども、自分の好きなものや大事なものは掴んで離さない。逆に言うと、それが大事。僕は「価値」と言うんですけど、自分の「価値」を大事にしようとするからこそ「おりる」ことになるんじゃないか。

 自分の夢や好きなことをグッと抑えれば、社会的地位や収入を持ったまま、おりずに生きていけるんだけれども、好きなものを離さないとなると、結局はオリジナルな生き方、我々のようなひきこもりともニートとも何とも言えない人間になっていく、それがすごく腑に落ちたんですよね。

 おりている人が自由で好きなことをやっているように見えるのもそこで、生活や周りのこととバランスをとっておりきれない人たちは、自分の好きなものと一緒におりた人たちを「なんであいつらは好き勝手なことをしているんだ」と見てしまう。自分たちはそれを保留したり抑圧して、普通の勉強だとか仕事でバランスをとっているのに、おりている人が「好き」を手放さないところがイラっとくるんじゃないのかな、と考えたりもしました。

 だから、「おりる」は本当に前向きな思想であり、最初に言ったプーさんと通じるところもあるなと思いましたね。

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関連書籍

「おりる」思想 無駄にしんどい世の中だから

プロフィール

勝山実×飯田朔

勝山実(かつやま・みのる)

1971年、神奈川県生まれ。横浜の大地が生んだデクノボー。自称ひきこもり名人(中国語だと繭居大師)。高校3年時に不登校になり、以来ひきこもり生活に。著書に『安心ひきこもりライフ』(太田出版)、『ひきこもりカレンダー』(文春ネスコ)、『バラ色のひきこもり』(金曜日/電子書籍)などがある。

飯田朔(いいだ・さく)

1989年、東京都出身。早稲田大学在学中に大学不登校となり、2010年、フリーペーパー『吉祥寺ダラダラ日記』を制作。また、他学部の文芸評論家・加藤典洋氏のゼミを聴講、批評を学ぶ。卒業後、2017年まで学習塾で講師を続け、翌年スペインに渡航。1年間現地で暮らし、2019年に帰国。今回が初の書籍執筆となる。

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「自立する」という考えこそ、真っ先に捨てるべきですね