対談

この競争的な格差社会に子どもたちを送り出していいのか、という視点が教育にないといけない

西郷孝彦×鈴木大裕

2024年10月17日の発売以降、好調な売れ行きを続ける『崩壊する日本の公教育』(集英社新書)。著者の鈴木大裕氏は9年前に『崩壊するアメリカの公教育 日本への警告』(岩波書店)で、新自由主義に侵食され疲弊していくアメリカの公教育現場をレポートし、日本も30年遅れでアメリカの轍を踏むことになると警告を発していたが、まさに今、その危惧が現実のものとなっていることを著したのが今回の本だ。

そこで、世田谷区立桜丘中学校で〝校則をなくした校長〟として注目を集めた西郷孝彦先生を対談にお招きし、日本の公教育の現場の状況、そしてこれをどう改善していけばいいのかを語り合ってもらった。

西郷 大裕さんのご著書は、最初の琵琶湖の花火大会の部分がやっぱり衝撃的でしたね。いわゆる富裕層は高額のプレミアムシートで優遇して、それ以外のお金を払えない層にはフェンスで遮って花火さえも見せないという。これを民間のレジャー施設ではなくて日本の自治体がしている。そしてそれがどんどん増えている。
 僕もかつてアメリカの遊園地に行ったら、入園時に通常の倍のお金を払うとアトラクションの順番待ちに並ばなくていいというシステムがあるのを知って驚きました。日本人の感覚として、お金でそういうことさえも買えるというのにすごい衝撃を受けた。この本で、アメリカの遊園地でびっくりしたことが、今、日本でも起きているということが分かり、とても刺激を受けました。

さいごうたかひこ 1954年横浜生まれ。上智大学理工学部を卒業後、1979年より都立養護学校(現:特別支援学校)に赴任、肢体不自由児の教育を通じて教育の原点に触れる。以降、理科と数学の教員、副校長を歴任。2010年より世田谷区立桜丘中学校長に就任し、インクルーシブ教育を中心に据え、校則や定期テスト等の廃止、ICT(情報通信技術)の活用、個性を伸ばす教育を推進した。2020年3月退職。著書に『校則をなくした中学校 たったひとつの校長ルール』『過干渉をやめたら子どもは伸びる』(共に小学館)など。

鈴木 ありがとうございます。お金を持っている人を優遇する、価格を一律にしないで、商品やサービスの需要に応じて変動させるやり方で、ダイナミックプライシングと言うそうです。僕はよく思い出すのですが、かつてはアメリカから友達が家に来ると、その友達が日本人は水と安全は無料だと思っているってびっくりしてて。でも、日本も水を買う時代になりましたし、安全もセキュリティ会社から買う時代になりました。お金をたくさん払えば列に並ばなくてもいいというのは、昭和の時代を生きてきた我々からすれば考えられなかったことです。でもそれが身近にもう広がってきて、自治体が公然と格差を肯定して、多くの市民を排除することに対して、おかしいと思わない人もいる。人々の感覚もまひしてきています。

西郷 だから教育もお金で買える時代になってきた。裕福な子どもは私立で、潤沢な施設でベテラン教師から豊かな教育を受けられるけど、貧困層の子はそういうわけにはいかない。

鈴木 そう思いますね。本にも書きましたが、「アメリカでは子どもの教育は郵便番号で買え」と言われている。要は公教育にも地域間格差が大きくあり、子どもに良い教育を与えたいのであれば、富裕層が多く教育予算が潤沢な地域に家を買えということです。日本でも都市部はそうなりつつありますね。

すずきだいゆう 1973年、神奈川県生まれ。教育研究者。16歳で渡米し、1997年コルゲート大学教育学部卒業、1999年スタンフォ―ド大学教育大学院修了。帰国後、千葉市の公立中学校で英語教師として勤務。2008年に再渡米し、コロンビア大学教育大学院博士課程で学ぶ。2016年、高知県土佐町へ移住、2019年に町議会議員となり、教育を通した町おこしを目指しつつ、執筆や講演活動を行なっている。著書に『崩壊するアメリカの公教育 日本への警告』(岩波書店)など。

西郷 東京でも地域の格差がありますよ。だから、不動産屋さんがそういう学校情報を把握していて、建売り住宅なんかを販売するときに、ここにはこういういい学校があるからいいですよと、セールスに使うわけです。

―─西郷先生はまさに、その流れにあらがうような形で、公立中学の校長として公の教育、そして教師、生徒を守ってこられたわけですが、大裕さんの著作にあるような、アメリカの公教育の崩壊を悪い意味で後追いしている日本の教育についての危機感は当時からあったのでしょうか。

西郷 僕はむしろアメリカに憧れていたんです。小さい頃から横浜の本牧という米軍の基地の中で遊んでいたので、大きい車とか、大きいスーパーマーケットに心が惹かれていて、アメリカの抱えている問題について考えたことがなかったんですよ。豊かなアメリカを目指したいという気持ちの中で僕は生きてきたから、新自由主義っていう言葉を知ったのもつい最近です。
 僕のモチベーションというのは、家庭の貧富の差で教育に差がついちゃいけないという思いです。東京の場合は私立がたくさんあるので、そこに行った子は、かわいい制服着て、スマホを持ちながら楽しそうに通学していて、公立の学校の子どもは、ダサイ制服着て、つまらない授業を受けているとされる。いや、子どもたちにそんな格差があってはいけない。公立だって私立に負けないぞっていう気持ちで頑張ってきた。なので、実はあんまりアメリカの教育とかは、それまで意識したことはなかったんです。

鈴木 僕自身も実はアメリカに憧れて育ってきました。アメリカから来るものは何でも新しくて良いものっていう感じで育ってきたので、そもそも留学したいと思った時に真っ先に浮かんだのがアメリカでした。
 アメリカの大学を出て、日本で中学校の教員を経験して、それで、再び博士課程に入るためにアメリカに戻った時には、当時あの国が大胆に進めていた教育改革に憧れたという部分があるんです。アメリカは何でこんなに迅速に改革が進んでいるんだろう、逆になんで日本はこんなに進まないんだろうと思っていた。当時のアメリカは、それこそ成績の悪い学校は教員を一斉解雇して、新しい校長を招いて、教員も総取っ換えする。そして税金を民間の会社に渡して、そこに学校業務を委託させるとか、教員の年俸制を導入する自治体も出てきました。人気のある教師を各学校で取り合うんですね。
 そういうものに憧れて渡米したんですが、現場を見たら、その視点がマクロ過ぎることに気づきました。そういう大胆な改革の裏には、閉校に追いやられる学校をたらい回しにされる低所得者層の子どもたちがいる。そして、志が高くて子どもたちの成長に真に寄り添っている教員が評価されない。成績を上げる教師が評価されるんですけど、じゃあ、何をもって成績が良いのかといったら、単なるペーパーテストの点数だったりするわけです。
 西郷先生の学校でやられていたような、教員が子どもの「人格の完成」に寄り添うような、そういう教育というのは、目に見えづらいんですよね。すぐに数字や結果で現れるわけでもない。だから、そういう、しっかりと子どもと向き合って教育に携わりたいと考えている教師たちが、逆に解雇の対象になったりしていたんです。
 アメリカに憧れて、アメリカの大胆な教育改革を学ぼうと思って実際に行ってみると、そこでは生徒のにおいだとか、教師のぬくもりというものが全く感じられなくなっていた。ただ形だけの改革が進んでいると思ったんです。そしてその足音は大阪を中心に日本にも確実に来ていると感じました。そこで僕の中でものすごい転換が起こったんです。アメリカで失敗しているものが、大阪に、日本に来ていると。

―─大裕さんは、西郷先生がやってこられた桜丘中学の試みについてはどう感じておられましたか。

鈴木 私の本にも何回も登場するんですが、僕の恩師で小関康先生という千葉の公立中学校の校長をやった方がいるんです。彼とも、日本で話題になる校長先生や学校の話をよくするんですけども、なかなか実際には心に響かないっていうのがあるんですが、西郷先生は特別だと小関先生も仰るんです。
 ブラジルの教育哲学者パウロ・フレイレが『Pedagogy of Hope』という本を書いていて、その序章で、「より愛しやすい世界の創造」というビジョンを描いてるんです。すごいシンプルだけども、核心を捉えていますよね。
 実際に西郷先生が桜丘中学でやられてきたのは、(教員が生徒を)より愛しやすい学校づくりだったと思うんです。なので、今回、対談させていただくのは非常に光栄に思っています。今、国が進めようとしている教員の働き方改革も、何をもって「働き方改革」というのか、恐らく僕が感じているものと、国が進めようとしているものは真逆なので、そこら辺についてもお考えを伺ってみたいです。

次ページ 学力ナンバーワンになった秋田の先生たちから疑問の声があがった
1 2 3

関連書籍

崩壊する日本の公教育

プロフィール

西郷孝彦×鈴木大裕

西郷孝彦(さいごう・たかひこ)

1954年横浜生まれ。上智大学理工学部を卒業後、1979年より都立養護学校(現:特別支援学校)に赴任、肢体不自由児の教育を通じて教育の原点に触れる。以降、理科と数学の教員、副校長を歴任。2010年より世田谷区立桜丘中学校長に就任し、インクルーシブ教育を中心に据え、校則や定期テスト等の廃止、ICT(情報通信技術)の活用、個性を伸ばす教育を推進した。2020年3月退職。著書に『校則をなくした中学校 たったひとつの校長ルール』『過干渉をやめたら子どもは伸びる』(共に小学館)など。

鈴木大裕(すずき・だいゆう)

1973年、神奈川県生まれ。教育研究者。16歳で渡米し、1997年コルゲート大学教育学部卒業、1999年スタンフォ―ド大学教育大学院修了。帰国後、千葉市の公立中学校で英語教師として勤務。2008年に再渡米し、コロンビア大学教育大学院博士課程で学ぶ。2016年、高知県土佐町へ移住、2019年に町議会議員となり、教育を通した町おこしを目指しつつ、執筆や講演活動を行なっている。著書に『崩壊するアメリカの公教育 日本への警告』(岩波書店)など。

集英社新書公式Twitter 集英社新書Youtube公式チャンネル
プラスをSNSでも
Twitter, Youtube

この競争的な格差社会に子どもたちを送り出していいのか、という視点が教育にないといけない